指先が覚えている — What My Fingers Remember

梵天丸

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第八話 最後の温もり — The Last Warmth

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 カーテンの隙間から差し込む朝の光が、まだ眠気を引きずる部屋を淡く照らしていた。
 微かにシーツが擦れる音とともに、瑛司はベッドから身を起こす。
 昨夜の熱の残り香が、空気に溶けていた。
 シャワーを浴びたわけでもないのに、互いの体温や、汗と微かな甘い匂いがまだ肌にまとわりついている。

 「じゃあ、帰る」
 立ち上がって上着を羽織る瑛司に、悠斗はベッドから身を起こした。
 眠たげな目元は、警戒や拒絶ではなく、どこか穏やかで柔らかい。
 その表情に、瑛司の胸の奥がふっと緩む。
 ――やっと、少しは伝わったのかもしれない。

 瑛司が玄関へ向かおうとした瞬間、袖口がそっと引かれた。
 振り返ると、悠斗が一歩近づき、ためらうことなく腕を伸ばす。
 その指先がシャツの裾を軽く掴み、引き寄せられる形で、唇が重なった。



 柔らかく、長すぎないキス。
 けれど、確かに伝わる熱と、微かな震え。
 瑛司は一瞬息を呑み、すぐにその後ろ姿ごと抱き寄せた。

 ――あの頃と同じだ。
 4年前、別れを告げられる前の、まだ互いを素直に求めていた頃の距離感。
 その懐かしさに、胸がじんわりと満たされていく。

 悠斗がそっと離れると、何事もなかったように「行ってらっしゃい」と微笑んだ。
 その仕草に、瑛司は小さく頷き、玄関の扉を開けた。

***

 マンションを出ると、冷たい朝の空気が熱を帯びた皮膚を撫でる。
 深く息を吸い込んだが、肺に残るのはまだ悠斗の匂いだった。
 車に乗り込み、エンジンをかけると、シートの感触すら妙に硬く感じる。
 昨夜、ベッドで感じた柔らかな肌と温もりが、鮮やかに蘇ってくるせいだ。

 ――あの目。あの声。あの甘く震える吐息。
 首筋に唇を押し当てたとき、震えながらも背中に腕を回してきたあの瞬間。
 もっと強く抱きしめれば、完全に俺のものにできるんじゃないかと、本気で思った。

 赤信号で止まったとき、ポケットの中でスマホが震えた。
 悠斗からのLINEだと直感した瞬間、心臓がわずかに跳ねる。
 画面を開く。
 そこには、短い一文だけがあった。

 『やっぱりもう終わりにしよう』

 一瞬、意味がわからなかった。
 脳が文字を理解する前に、指先の感覚が遠のく。
 さっきまで悠斗の肌の温もりを覚えていた指先が、急速に冷えていく。
 数秒遅れて、苛立ちと焦燥が一気に胸を締めつけた。

 ――なんでだ。
 朝、あんな顔をしてたくせに。
 ちゃんと伝わったと思ったのは、俺の勘違いだったのか。

 信号が青に変わっても、アクセルを踏む足に力が入らない。
 もっとちゃんと話すべきだった。
 いや……いっそ、このまま連れて帰ってしまえばよかった。
 そんな危うい衝動が、胸の奥で静かに熱を帯びていく。

***

 スマホをテーブルに置いた瞬間、胸の奥がぽっかりと空いたような感覚が押し寄せた。
 悠斗はソファに腰を下ろし、天井を仰ぐ。
 呼吸を整えようとしても、喉が詰まって空気がうまく入ってこない。

 「これで……いいんだ」
 声に出してみても、その響きはあまりにも頼りなかった。

 瑛司の唇。熱。
 背中をなぞった大きな手の感触。
 愛してる、と何度も繰り返した低い声。
 そのすべてが、瞼の裏に焼きついて離れない。

 ――こんなふうになるなら、抱かれるんじゃなかった。
 そう思えば思うほど、涙がこぼれた。
 指先で拭っても、次々と溢れてくる。

 「これでもう、傷つかなくて済む」

 そう自分に言い聞かせる。
 愛なんて、信じられるものじゃない。
 いつか必ず熱は冷め、優しかった言葉は刃に変わる。昔、一番信じていたはずの元彼がそうだったように。
 この先、瑛司と時間を過ごしたら――失うとき、今感じている喪失感なんて比べものにならないほど、深くえぐられる。
 だから、これでいい。
 これで……いいはずだ。

 唇が震える。
 無意識にスマホを手に取っていた。
 画面に映る最後のトーク履歴を見つめ、息を吸い込む。

 「……俺も、愛してる」
 その言葉は、ただ空気を震わせて消えた。
 送信ボタンに触れることはせず、画面を閉じた。

***

 自宅のソファに沈み込み、瑛司はまだスマホを握っていた。
 何度も読み返した短い文章が、目の奥で滲む。
 終わりにしよう――その冷たい響きが、脳の奥でこだまする。

 笑えてくるほど簡単に、あっさりと終わらせられるわけがない。
 4年探し続けた相手だ。
 手の中で温もりを確かに感じたばかりだ。
 手放せるわけがない。

 「……終わらせる気なんて、ない」
 低く呟いた声が、静かな部屋に吸い込まれた。
 その瞳の奥には、燃えるような執念が宿っていた。


*************

今回の物語は、「最後の温もり — The Last Warmth」というYouTubeの楽曲とリンクしています。良かったら曲の方も聴いてみてくださいね♫

「最後の温もり — The Last Warmth」はこちら⇒https://youtu.be/_h_mgz5vJ2k
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