指先が覚えている — What My Fingers Remember

梵天丸

文字の大きさ
9 / 10

第九話 駆ける鼓動 — Run to You

しおりを挟む
 瑛司から離れて一週間。
 悠斗は大学時代の友人・高瀬碧の部屋に転がり込んでいた。ワンルームの片隅に置かれた、来客用の布団。天井のシーリングライトが、見慣れない光の色で薄く部屋を染めている。

「ほんとに急だったよな。『しばらく泊めて』なんて」

 キッチンでインスタントコーヒーを淹れながら碧が笑う。



「ごめん。迷惑だよな」
「別に。涼介も『一人じゃないほうが安心だろ』って言ってたし」

 碧のスマホが震えた。画面に浮かぶ名前は――片桐涼介。

「お、来た来た」

 スピーカーモードにして、数分間、何気ない会話が続く。仕事の愚痴や、夕飯の話、そして「早く会いたいな」という柔らかな言葉。
 聞いているだけで胸が締め付けられた。

 ――ああ、うらやましい。
 会いたいと思ったときに、素直にそう言える関係。
 それを返してくれる相手。
 そう考えかけて慌てて首を振る。そういう道を選んだのは自分だ。やがて来る別れを経験したくなかったから、自分から終わらせた。

 碧が通話を切ると、悠斗は口をついて出た。

「……涼介さんとは、どれぐらい?」
「5ヶ月かな」
「そっか、もっと長く付き合ってると思ってた」
「まめに連絡くれるから、3年ぐらい付き合ってるような気分だよ」

 碧はマグカップを持ちながら悠斗をまっすぐ見る。

「で? 悠斗のほうは、何があったの」

 黙っていても、碧には隠せない。ため息混じりに言葉がこぼれる。

「……終わりにした」
「ふーん」
「ふーんって……」
「だって、その人のことばっか考えてる顔してるもん。よっぽど好きなんだなって思うだけ」

 図星を突かれて、視線を逸らす。

「……違う」
「違わないでしょ。しかもさ、いつでも会える距離にいるんでしょ? それってすごく贅沢で、うらやましいよ」
「……」

言葉に詰まる悠斗を見て、碧は少し真剣な表情になった。

「ねぇ、悠斗。そんなに怖いの? 人を信じることが」
「……別に」
「昔、言ってたじゃない。『期待すればするだけ、裏切られた時につらい』って。それ、まだ引きずってるの?」

碧の言葉に、記憶の蓋が開く。
あれほど何度も「愛してる」と言ってくれた彼が、あっさりと彼女を作って離れていった。愛情なんて、いとも簡単に消えてなくなるものだと、あの時に知った。

「……信じて、また独りになるくらいなら、最初から独りのほうがマシだろ」

掠れた声で呟くと、碧は悲しそうに眉を寄せた。

「その人も、同じなのかな」
「……分からない」

分からないことはない。
きっと今は、悠斗のことを愛してくれているのだと思う。
だけどそれがこの先、ずっと続くとは限らない。
裏切りは、いつでも突然やってくるものだ。
ふと、自分の顔が険しくなっていることに気づき、そして碧が心配そうに見ていることにも気づいた。

「なんか…ごめん…」
「謝らなくていいよ。俺の場合は毎日連絡くれるんだから、恵まれてると思うし」
「うん、でも、ごめん…」

 胸の奥がざわつく。
 会える距離にいるはずなのに、自分から断ち切った。
 それでも――毎晩、瑛司の横顔が脳裏をよぎる。あの夜の熱、息遣い、指先の強さ。忘れたいのに、忘れられない。

***

 瑛司にとって、この一週間はやけに長かった。
 マンションにも、会社の近くにも足を運んだ。けれど、悠斗の姿はなかった。
 マンションにはこの一週間、電気すらつかない。
 おそらく、マンションには戻っていないのだろう。俺が来るのが分かってるから。徹底的に避けてる。
 LINEは既読すらつかない。電話も出ない。

 仕事の手を動かしながらも、頭の半分は常にあの夜の感触を反芻していた。
 柔らかく触れた髪の感触、首筋に残った微かな体温、吐息に混じる甘い匂い。
 ――あの朝、確かに距離は縮まったと思ったのに。

 自嘲の笑みが漏れる。
 会えばきっと拒まれない。けれど、またいなくなるかもしれない。
 慎重さと焦燥が、胸の中で拮抗する。

「桐生さん、そろそろ時間ですよ。打ち合わせでしょ?」
「ああ、そうだったな」

 考え事をしているうちに、クライアントとの打ち合わせの時間が迫っていた。
 振られた相手のことを考えていて打ち合わせに遅刻なんて格好悪いことはできない。
 瑛司はパソコンを閉じて立ち上がり、ジャケットを手に取った。

***

 夜、碧の部屋。
 悠斗はソファでスマホを眺めていた。仕事関係の連絡が数件。知らない番号からの着信が一件。
 営業先かと思って通話ボタンを押す。

「一ノ瀬悠斗さんですか?」
「はい」
「私、桐生瑛司の会社の者です。突然すみません。桐生さんが……交通事故で入院しました」

 時間が一瞬止まった。
 耳鳴りのような心音が響く。
「え……?」
「実家のご家族は遠方で、社員も彼の自宅を存じ上げなくて。篠原匠真さんに連絡を取ったところ、悠斗さんなら……」

 匠真――その名前で、全てが現実に引き戻された。
「……わかりました。すぐ行きます」

 スマホの通話を切ると、碧が心配そうな顔で見ていた。

「何かあったの?」
「交通事故に遭ったって…」
「例のひと?」
「うん…」

 カバンの中から、小さなキーケースを取り出す。
 4年前にもらったまま、捨てられなかった合鍵。
 碧が驚いたようにこちらを見る。
「……行くの?」
「行く」

 夜の街を駆け抜け、瑛司のマンションへ。
 生活感の残る部屋で、必要そうなものをまとめてバッグに詰める。
 ――まだ温もりの残る場所。
 それを抱えて、タクシーを捕まえた。

 病院の明かりが遠くに見える。
 胸の鼓動が、嫌なほど速くなる。
 会いたくて、でも怖くて――それでも足は止まらなかった。




****************

今回のお話は、YouTubeで配信している楽曲「駆ける鼓動 — Run to You」とリンクしています。
良かったら楽曲の方も聴いてみてくださいね♫

YouTube版「駆ける鼓動 — Run to You」はこちら⇒https://youtu.be/yBd3mDTnxXI

また、この物語に登場する高瀬碧は、「残響は君の温度」という楽曲に登場する受キャラです。
「残響は君の温度」はこちら⇒https://youtu.be/N1nXtOuUsus
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

氷の檻に閉じ込められた月~兄上のすべては、私のもの~

春野ふぶき
BL
『兄上は私のものだ。魂も、肉体も。永遠に―—』 アーヴェント侯爵家の長男ライカは、妾腹として正妻に虐げられ続けてきた。 唯一の救いは、次期当主を目される異母弟カイエンの存在。 美しく聡明で、氷の騎士と呼ばれる彼だけは、常にライカの味方だった。 だが、その愛情は兄を守るものではなく、深く歪んだ執着だった。 母を排除し、兄を囲い込み、逃げれば鎖で捕らえる。 そしてついに、ライカの心身は限界に追い詰められていく。 ——カイエンが下す「最後の選択」とは。 ふたりが辿る結末は、幸福か、それとも狂気の果てか。

【完結】《BL》溺愛しないで下さい!僕はあなたの弟殿下ではありません!

白雨 音
BL
早くに両親を亡くし、孤児院で育ったテオは、勉強が好きだった為、修道院に入った。 現在二十歳、修道士となり、修道院で静かに暮らしていたが、 ある時、強制的に、第三王子クリストフの影武者にされてしまう。 クリストフは、テオに全てを丸投げし、「世界を見て来る!」と旅に出てしまった。 正体がバレたら、処刑されるかもしれない…必死でクリストフを演じるテオ。 そんなテオに、何かと構って来る、兄殿下の王太子ランベール。 どうやら、兄殿下と弟殿下は、密な関係の様で…??  BL異世界恋愛:短編(全24話) ※魔法要素ありません。※一部18禁(☆印です) 《完結しました》

テメェを離すのは死ぬ時だってわかってるよな?~美貌の恋人は捕まらない~

ちろる
BL
美貌の恋人、一華 由貴(いっか ゆき)を持つ風早 颯(かざはや はやて)は 何故か一途に愛されず、奔放に他に女や男を作るバイセクシャルの由貴に それでも執着にまみれて耐え忍びながら捕まえておくことを選んでいた。 素直になれない自分に嫌気が差していた頃――。 表紙画はミカスケ様(https://www.instagram.com/mikasuke.free/)の フリーイラストを拝借させて頂いています。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

恋した貴方はαなロミオ

須藤慎弥
BL
Ω性の凛太が恋したのは、ロミオに扮したα性の結城先輩でした。 Ω性に引け目を感じている凛太。 凛太を運命の番だと信じているα性の結城。 すれ違う二人を引き寄せたヒート。 ほんわか現代BLオメガバース♡ ※二人それぞれの視点が交互に展開します ※R 18要素はほとんどありませんが、表現と受け取り方に個人差があるものと判断しレーティングマークを付けさせていただきますm(*_ _)m ※fujossy様にて行われました「コスプレ」をテーマにした短編コンテスト出品作です

星降る夜に ~これは大人の純愛なのか。臆病者の足踏みか。~

大波小波
BL
 鳴滝 和正(なるたき かずまさ)は、イベント会社に勤めるサラリーマンだ。  彼はある日、打ち合わせ先の空き時間を過ごしたプラネタリウムで、寝入ってしまう。  和正を優しく起こしてくれたのは、そこのナレーターを務める青年・清水 祐也(しみず ゆうや)だった。  祐也を気に入った和正は、頻繁にプラネタリウムに通うようになる。  夕食も共にするほど、親しくなった二人。  しかし祐也は夜のバイトが忙しく、なかなかデートの時間が取れなかった。  それでも彼と過ごした後は、心が晴れる和正だ。  浮かれ気分のまま、彼はボーイズ・バーに立ち寄った。  そしてスタッフメニューの中に、祐也の姿を見つけてしまう。  彼の夜の顔は、風俗店で働く男娼だったのだ……。

処理中です...