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第九話 駆ける鼓動 — Run to You
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瑛司から離れて一週間。
悠斗は大学時代の友人・高瀬碧の部屋に転がり込んでいた。ワンルームの片隅に置かれた、来客用の布団。天井のシーリングライトが、見慣れない光の色で薄く部屋を染めている。
「ほんとに急だったよな。『しばらく泊めて』なんて」
キッチンでインスタントコーヒーを淹れながら碧が笑う。
「ごめん。迷惑だよな」
「別に。涼介も『一人じゃないほうが安心だろ』って言ってたし」
碧のスマホが震えた。画面に浮かぶ名前は――片桐涼介。
「お、来た来た」
スピーカーモードにして、数分間、何気ない会話が続く。仕事の愚痴や、夕飯の話、そして「早く会いたいな」という柔らかな言葉。
聞いているだけで胸が締め付けられた。
――ああ、うらやましい。
会いたいと思ったときに、素直にそう言える関係。
それを返してくれる相手。
そう考えかけて慌てて首を振る。そういう道を選んだのは自分だ。やがて来る別れを経験したくなかったから、自分から終わらせた。
碧が通話を切ると、悠斗は口をついて出た。
「……涼介さんとは、どれぐらい?」
「5ヶ月かな」
「そっか、もっと長く付き合ってると思ってた」
「まめに連絡くれるから、3年ぐらい付き合ってるような気分だよ」
碧はマグカップを持ちながら悠斗をまっすぐ見る。
「で? 悠斗のほうは、何があったの」
黙っていても、碧には隠せない。ため息混じりに言葉がこぼれる。
「……終わりにした」
「ふーん」
「ふーんって……」
「だって、その人のことばっか考えてる顔してるもん。よっぽど好きなんだなって思うだけ」
図星を突かれて、視線を逸らす。
「……違う」
「違わないでしょ。しかもさ、いつでも会える距離にいるんでしょ? それってすごく贅沢で、うらやましいよ」
「……」
言葉に詰まる悠斗を見て、碧は少し真剣な表情になった。
「ねぇ、悠斗。そんなに怖いの? 人を信じることが」
「……別に」
「昔、言ってたじゃない。『期待すればするだけ、裏切られた時につらい』って。それ、まだ引きずってるの?」
碧の言葉に、記憶の蓋が開く。
あれほど何度も「愛してる」と言ってくれた彼が、あっさりと彼女を作って離れていった。愛情なんて、いとも簡単に消えてなくなるものだと、あの時に知った。
「……信じて、また独りになるくらいなら、最初から独りのほうがマシだろ」
掠れた声で呟くと、碧は悲しそうに眉を寄せた。
「その人も、同じなのかな」
「……分からない」
分からないことはない。
きっと今は、悠斗のことを愛してくれているのだと思う。
だけどそれがこの先、ずっと続くとは限らない。
裏切りは、いつでも突然やってくるものだ。
ふと、自分の顔が険しくなっていることに気づき、そして碧が心配そうに見ていることにも気づいた。
「なんか…ごめん…」
「謝らなくていいよ。俺の場合は毎日連絡くれるんだから、恵まれてると思うし」
「うん、でも、ごめん…」
胸の奥がざわつく。
会える距離にいるはずなのに、自分から断ち切った。
それでも――毎晩、瑛司の横顔が脳裏をよぎる。あの夜の熱、息遣い、指先の強さ。忘れたいのに、忘れられない。
***
瑛司にとって、この一週間はやけに長かった。
マンションにも、会社の近くにも足を運んだ。けれど、悠斗の姿はなかった。
マンションにはこの一週間、電気すらつかない。
おそらく、マンションには戻っていないのだろう。俺が来るのが分かってるから。徹底的に避けてる。
LINEは既読すらつかない。電話も出ない。
仕事の手を動かしながらも、頭の半分は常にあの夜の感触を反芻していた。
柔らかく触れた髪の感触、首筋に残った微かな体温、吐息に混じる甘い匂い。
――あの朝、確かに距離は縮まったと思ったのに。
自嘲の笑みが漏れる。
会えばきっと拒まれない。けれど、またいなくなるかもしれない。
慎重さと焦燥が、胸の中で拮抗する。
「桐生さん、そろそろ時間ですよ。打ち合わせでしょ?」
「ああ、そうだったな」
考え事をしているうちに、クライアントとの打ち合わせの時間が迫っていた。
振られた相手のことを考えていて打ち合わせに遅刻なんて格好悪いことはできない。
瑛司はパソコンを閉じて立ち上がり、ジャケットを手に取った。
***
夜、碧の部屋。
悠斗はソファでスマホを眺めていた。仕事関係の連絡が数件。知らない番号からの着信が一件。
営業先かと思って通話ボタンを押す。
「一ノ瀬悠斗さんですか?」
「はい」
「私、桐生瑛司の会社の者です。突然すみません。桐生さんが……交通事故で入院しました」
時間が一瞬止まった。
耳鳴りのような心音が響く。
「え……?」
「実家のご家族は遠方で、社員も彼の自宅を存じ上げなくて。篠原匠真さんに連絡を取ったところ、悠斗さんなら……」
匠真――その名前で、全てが現実に引き戻された。
「……わかりました。すぐ行きます」
スマホの通話を切ると、碧が心配そうな顔で見ていた。
「何かあったの?」
「交通事故に遭ったって…」
「例のひと?」
「うん…」
カバンの中から、小さなキーケースを取り出す。
4年前にもらったまま、捨てられなかった合鍵。
碧が驚いたようにこちらを見る。
「……行くの?」
「行く」
夜の街を駆け抜け、瑛司のマンションへ。
生活感の残る部屋で、必要そうなものをまとめてバッグに詰める。
――まだ温もりの残る場所。
それを抱えて、タクシーを捕まえた。
病院の明かりが遠くに見える。
胸の鼓動が、嫌なほど速くなる。
会いたくて、でも怖くて――それでも足は止まらなかった。
****************
今回のお話は、YouTubeで配信している楽曲「駆ける鼓動 — Run to You」とリンクしています。
良かったら楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
YouTube版「駆ける鼓動 — Run to You」はこちら⇒https://youtu.be/yBd3mDTnxXI
また、この物語に登場する高瀬碧は、「残響は君の温度」という楽曲に登場する受キャラです。
「残響は君の温度」はこちら⇒https://youtu.be/N1nXtOuUsus
悠斗は大学時代の友人・高瀬碧の部屋に転がり込んでいた。ワンルームの片隅に置かれた、来客用の布団。天井のシーリングライトが、見慣れない光の色で薄く部屋を染めている。
「ほんとに急だったよな。『しばらく泊めて』なんて」
キッチンでインスタントコーヒーを淹れながら碧が笑う。
「ごめん。迷惑だよな」
「別に。涼介も『一人じゃないほうが安心だろ』って言ってたし」
碧のスマホが震えた。画面に浮かぶ名前は――片桐涼介。
「お、来た来た」
スピーカーモードにして、数分間、何気ない会話が続く。仕事の愚痴や、夕飯の話、そして「早く会いたいな」という柔らかな言葉。
聞いているだけで胸が締め付けられた。
――ああ、うらやましい。
会いたいと思ったときに、素直にそう言える関係。
それを返してくれる相手。
そう考えかけて慌てて首を振る。そういう道を選んだのは自分だ。やがて来る別れを経験したくなかったから、自分から終わらせた。
碧が通話を切ると、悠斗は口をついて出た。
「……涼介さんとは、どれぐらい?」
「5ヶ月かな」
「そっか、もっと長く付き合ってると思ってた」
「まめに連絡くれるから、3年ぐらい付き合ってるような気分だよ」
碧はマグカップを持ちながら悠斗をまっすぐ見る。
「で? 悠斗のほうは、何があったの」
黙っていても、碧には隠せない。ため息混じりに言葉がこぼれる。
「……終わりにした」
「ふーん」
「ふーんって……」
「だって、その人のことばっか考えてる顔してるもん。よっぽど好きなんだなって思うだけ」
図星を突かれて、視線を逸らす。
「……違う」
「違わないでしょ。しかもさ、いつでも会える距離にいるんでしょ? それってすごく贅沢で、うらやましいよ」
「……」
言葉に詰まる悠斗を見て、碧は少し真剣な表情になった。
「ねぇ、悠斗。そんなに怖いの? 人を信じることが」
「……別に」
「昔、言ってたじゃない。『期待すればするだけ、裏切られた時につらい』って。それ、まだ引きずってるの?」
碧の言葉に、記憶の蓋が開く。
あれほど何度も「愛してる」と言ってくれた彼が、あっさりと彼女を作って離れていった。愛情なんて、いとも簡単に消えてなくなるものだと、あの時に知った。
「……信じて、また独りになるくらいなら、最初から独りのほうがマシだろ」
掠れた声で呟くと、碧は悲しそうに眉を寄せた。
「その人も、同じなのかな」
「……分からない」
分からないことはない。
きっと今は、悠斗のことを愛してくれているのだと思う。
だけどそれがこの先、ずっと続くとは限らない。
裏切りは、いつでも突然やってくるものだ。
ふと、自分の顔が険しくなっていることに気づき、そして碧が心配そうに見ていることにも気づいた。
「なんか…ごめん…」
「謝らなくていいよ。俺の場合は毎日連絡くれるんだから、恵まれてると思うし」
「うん、でも、ごめん…」
胸の奥がざわつく。
会える距離にいるはずなのに、自分から断ち切った。
それでも――毎晩、瑛司の横顔が脳裏をよぎる。あの夜の熱、息遣い、指先の強さ。忘れたいのに、忘れられない。
***
瑛司にとって、この一週間はやけに長かった。
マンションにも、会社の近くにも足を運んだ。けれど、悠斗の姿はなかった。
マンションにはこの一週間、電気すらつかない。
おそらく、マンションには戻っていないのだろう。俺が来るのが分かってるから。徹底的に避けてる。
LINEは既読すらつかない。電話も出ない。
仕事の手を動かしながらも、頭の半分は常にあの夜の感触を反芻していた。
柔らかく触れた髪の感触、首筋に残った微かな体温、吐息に混じる甘い匂い。
――あの朝、確かに距離は縮まったと思ったのに。
自嘲の笑みが漏れる。
会えばきっと拒まれない。けれど、またいなくなるかもしれない。
慎重さと焦燥が、胸の中で拮抗する。
「桐生さん、そろそろ時間ですよ。打ち合わせでしょ?」
「ああ、そうだったな」
考え事をしているうちに、クライアントとの打ち合わせの時間が迫っていた。
振られた相手のことを考えていて打ち合わせに遅刻なんて格好悪いことはできない。
瑛司はパソコンを閉じて立ち上がり、ジャケットを手に取った。
***
夜、碧の部屋。
悠斗はソファでスマホを眺めていた。仕事関係の連絡が数件。知らない番号からの着信が一件。
営業先かと思って通話ボタンを押す。
「一ノ瀬悠斗さんですか?」
「はい」
「私、桐生瑛司の会社の者です。突然すみません。桐生さんが……交通事故で入院しました」
時間が一瞬止まった。
耳鳴りのような心音が響く。
「え……?」
「実家のご家族は遠方で、社員も彼の自宅を存じ上げなくて。篠原匠真さんに連絡を取ったところ、悠斗さんなら……」
匠真――その名前で、全てが現実に引き戻された。
「……わかりました。すぐ行きます」
スマホの通話を切ると、碧が心配そうな顔で見ていた。
「何かあったの?」
「交通事故に遭ったって…」
「例のひと?」
「うん…」
カバンの中から、小さなキーケースを取り出す。
4年前にもらったまま、捨てられなかった合鍵。
碧が驚いたようにこちらを見る。
「……行くの?」
「行く」
夜の街を駆け抜け、瑛司のマンションへ。
生活感の残る部屋で、必要そうなものをまとめてバッグに詰める。
――まだ温もりの残る場所。
それを抱えて、タクシーを捕まえた。
病院の明かりが遠くに見える。
胸の鼓動が、嫌なほど速くなる。
会いたくて、でも怖くて――それでも足は止まらなかった。
****************
今回のお話は、YouTubeで配信している楽曲「駆ける鼓動 — Run to You」とリンクしています。
良かったら楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
YouTube版「駆ける鼓動 — Run to You」はこちら⇒https://youtu.be/yBd3mDTnxXI
また、この物語に登場する高瀬碧は、「残響は君の温度」という楽曲に登場する受キャラです。
「残響は君の温度」はこちら⇒https://youtu.be/N1nXtOuUsus
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