6 / 123
第一章 秋分
4 父が隠していたこと
しおりを挟む
叔父と共に病室を出る。
廊下を歩き始めたとき、一緒に夕食を摂らないかと啓が誘ってきた。
人見知りのせいで少し迷ってしまう。それでも首を縦に振った。どうあれ、自分の故郷と過去を知りたい。
病院を出て、近くのファミレスへと啓を案内する。
食事中、どのような生活を美邦が送ってきたかを啓は訊ねてきた。訊く前に質問されてしまった。それでも、問いかけに正直に答えてゆく。やがて、やや安心した表情が現れた。
「そうか――しっかりしとるだな、美邦ちゃんは。」
やがて、家族のことへと啓は話題を移していった。
「僕は今、三人暮らしなだけぇ。僕と、嫁の詠歌と、娘の千秋だで。だけん一応は女のほうが多い。詳しいことはまだ家族に話しとらんけど、恐らく詠歌――叔母さんは諒承してくれるでないかな。詠歌は、まだ小さい頃の美邦ちゃんを随分と可愛がっとったけん。」
「――そうですか。」
相槌を打つ言葉に、感情がこもっていないと我ながら感じる。啓の家族構成よりも、父のことの方が気になる。
「僕自身、こっちで引き取ってもええかなって思ったんは、たった一人で姪が暮らしてゆくと思うと、あまりええ気持ちでなかったけえだ。詠歌も、きっと同じだと思うに。」
今さら自覚した。
――私は姪なんだ。
美邦にとって、啓は見知らぬ小父さんだ。けれども、啓にとっての美邦は、十年前まで成長を見守ってきた姪なのだ。そういう意味では、娘と似た存在なのかもしれない。
食後の珈琲が運ばれてくる。
湯気の立つ水面にミルクを注いだ。
啓は町に家庭を持っている。そこへ自分が帰れなかったのはなぜだろう。
「私が生まれたのは――平坂町なんでしょうか?」
「そうだで?」
「平坂町は――父の故郷なんですよね?」
「もちろん。」
スプーンを軽く回し、消えゆく渦を見る。
「でも――何で、町のことを父は隠してきたんでしょう?」
「それが――さっぱり分からんだが。」
啓は首を傾げた。少し迷う表情を浮かべたあと、おずおずと美邦へ顔を向ける。
「お父さんからは、京都でずっと暮らしてきた――としか教えられとらんのだっけ?」
「ええ。」ここ以外に住んだことはないと言われてきたのだ。「それでも――どこかで暮らしていた記憶はあったんです。けれど、そのことについて父に尋ねても、そんなことはない、記憶違いだって言われてきました。」
啓の顔が凍りついた。
「いや――美邦ちゃんは三歳まで町だった。そんなことはない――って、それこそ、そんなことはない。」
やはり、幼稚園に入るより前の記憶なのだ。
「そうなんですけど――父は全否定だったんです。」
唖然とした様子で啓は考え込む。やがて、はっと顔を上げて尋ねてきた。
「っていうことは――まさか、火事のことも知らんかいな?」
美邦はきょとんとする。
「さっきも言った通り、家事は分担して――」
「いや、美邦ちゃんの実家が焼けてしまったこと。」
初耳だった。言われた言葉が信じられなくて問い返す。
「焼けてしまった――んですか?」
視線を退き、ああ、と啓はうなづいた。
かすかに記憶に残るあの日本家屋は――焼けていたのだ。
少しだけ間を置いたあと、啓は語りだす。
「十年前の――冬のことだったか。原因は石油ストーヴの事故だったけえ。深夜に火が出て、美邦ちゃんの家が全焼しただが。そのとき、美邦ちゃんは熱を出して市内の病院に入院しとったに。お父さんは、それに付き添ったけえ無事だっただけど――お母さんが亡くなられてしまった。」
え――と声を漏らし、身体を硬直させる。
厭な予感はあったが、この流れではその可能性が高かった。
「お母さん――病気で亡くなったとしか聞かされてませんでした。」
気まずそうな顔を啓は見せた。
沈黙が少し流れる。
過去を知りたいと思っていた。しかし、恋しいと最も思う人が、あまりにも酷い死を迎えていたとは――。美邦には、どう受け止めたらいいか分からない。
少し経ち、そうだったのか――と啓は言う。美邦に対して申し訳なさそうな、あるいは、不信感を兄に覚えたような顔をしていた。
「家が全焼したあと、お父さんは何を考えたのか、美邦ちゃんを連れて平坂町の外で仮住まいを始めた。町内に自分の実家があるわけだけん、こっちに身を寄せてもよかったにぃ。そうこうするうちに、仕事で京都に引っ越すことになったって連絡してきただが。」
それきりだで――と啓は続ける。
「それきり――どこへ行くのかと問い糺す暇もなく、京都へ出ていったに。以降、お父さんから連絡が入ることはなかった。」
美邦は何も答えられない。
自分の出自ばかりか、母の死についても父は偽ってきたのだ。。
「父は――なぜ町を出たんでしょうか。」
「それは分からんに――お父さんに訊いてみんことには。」
やはり、叔父でさえ何も知らない。そのことを少し残念に思う。
父への不信感が募ってきた。よほど後ろめたいことがない限り、母の死因や町について隠すことはない気がする。
「美邦ちゃんは、平坂町について全く何も知らんだかいな?」
「ええ。」そのことが少し恥ずかしくなる。「どこかの田舎町にいたことは覚えてるんですけど――。平坂町という地名も今日になって初めて聞きました。どこにあるかも分かりません。」
「そうか――」
スマートフォンを啓は取り出した。そして、操作しながら口を開く。
「平坂町は、⬛︎⬛︎県の⬜︎⬜︎市にある港町だ。町といっても、市内にある行政区画の一つだな。人口は八千人くらいで、小学校が二つと、中学校が一つある。三方が山に囲われとるけえ、確かに不便な処にはあるな。」
スマートフォンが差し出された。
⬛︎⬛︎県の地図が画面に出ている。中国地方の北側――山陰地方の県だ。市街地からも離れ、海岸にへばりつくように町は存在していた。確かに辺鄙な処には違いない。
「あとは――こんなのもあるけれど。」
スマートフォンの画面を自分へ向け、ふたたび啓は操作した。そうして美邦へ戻す。アルバムが開かれており、さまざまな町の風景が竝んでいた。
「みんな平坂町の写真だで。僕が撮ったんだけど、よかったら見てごらんや。」
廊下を歩き始めたとき、一緒に夕食を摂らないかと啓が誘ってきた。
人見知りのせいで少し迷ってしまう。それでも首を縦に振った。どうあれ、自分の故郷と過去を知りたい。
病院を出て、近くのファミレスへと啓を案内する。
食事中、どのような生活を美邦が送ってきたかを啓は訊ねてきた。訊く前に質問されてしまった。それでも、問いかけに正直に答えてゆく。やがて、やや安心した表情が現れた。
「そうか――しっかりしとるだな、美邦ちゃんは。」
やがて、家族のことへと啓は話題を移していった。
「僕は今、三人暮らしなだけぇ。僕と、嫁の詠歌と、娘の千秋だで。だけん一応は女のほうが多い。詳しいことはまだ家族に話しとらんけど、恐らく詠歌――叔母さんは諒承してくれるでないかな。詠歌は、まだ小さい頃の美邦ちゃんを随分と可愛がっとったけん。」
「――そうですか。」
相槌を打つ言葉に、感情がこもっていないと我ながら感じる。啓の家族構成よりも、父のことの方が気になる。
「僕自身、こっちで引き取ってもええかなって思ったんは、たった一人で姪が暮らしてゆくと思うと、あまりええ気持ちでなかったけえだ。詠歌も、きっと同じだと思うに。」
今さら自覚した。
――私は姪なんだ。
美邦にとって、啓は見知らぬ小父さんだ。けれども、啓にとっての美邦は、十年前まで成長を見守ってきた姪なのだ。そういう意味では、娘と似た存在なのかもしれない。
食後の珈琲が運ばれてくる。
湯気の立つ水面にミルクを注いだ。
啓は町に家庭を持っている。そこへ自分が帰れなかったのはなぜだろう。
「私が生まれたのは――平坂町なんでしょうか?」
「そうだで?」
「平坂町は――父の故郷なんですよね?」
「もちろん。」
スプーンを軽く回し、消えゆく渦を見る。
「でも――何で、町のことを父は隠してきたんでしょう?」
「それが――さっぱり分からんだが。」
啓は首を傾げた。少し迷う表情を浮かべたあと、おずおずと美邦へ顔を向ける。
「お父さんからは、京都でずっと暮らしてきた――としか教えられとらんのだっけ?」
「ええ。」ここ以外に住んだことはないと言われてきたのだ。「それでも――どこかで暮らしていた記憶はあったんです。けれど、そのことについて父に尋ねても、そんなことはない、記憶違いだって言われてきました。」
啓の顔が凍りついた。
「いや――美邦ちゃんは三歳まで町だった。そんなことはない――って、それこそ、そんなことはない。」
やはり、幼稚園に入るより前の記憶なのだ。
「そうなんですけど――父は全否定だったんです。」
唖然とした様子で啓は考え込む。やがて、はっと顔を上げて尋ねてきた。
「っていうことは――まさか、火事のことも知らんかいな?」
美邦はきょとんとする。
「さっきも言った通り、家事は分担して――」
「いや、美邦ちゃんの実家が焼けてしまったこと。」
初耳だった。言われた言葉が信じられなくて問い返す。
「焼けてしまった――んですか?」
視線を退き、ああ、と啓はうなづいた。
かすかに記憶に残るあの日本家屋は――焼けていたのだ。
少しだけ間を置いたあと、啓は語りだす。
「十年前の――冬のことだったか。原因は石油ストーヴの事故だったけえ。深夜に火が出て、美邦ちゃんの家が全焼しただが。そのとき、美邦ちゃんは熱を出して市内の病院に入院しとったに。お父さんは、それに付き添ったけえ無事だっただけど――お母さんが亡くなられてしまった。」
え――と声を漏らし、身体を硬直させる。
厭な予感はあったが、この流れではその可能性が高かった。
「お母さん――病気で亡くなったとしか聞かされてませんでした。」
気まずそうな顔を啓は見せた。
沈黙が少し流れる。
過去を知りたいと思っていた。しかし、恋しいと最も思う人が、あまりにも酷い死を迎えていたとは――。美邦には、どう受け止めたらいいか分からない。
少し経ち、そうだったのか――と啓は言う。美邦に対して申し訳なさそうな、あるいは、不信感を兄に覚えたような顔をしていた。
「家が全焼したあと、お父さんは何を考えたのか、美邦ちゃんを連れて平坂町の外で仮住まいを始めた。町内に自分の実家があるわけだけん、こっちに身を寄せてもよかったにぃ。そうこうするうちに、仕事で京都に引っ越すことになったって連絡してきただが。」
それきりだで――と啓は続ける。
「それきり――どこへ行くのかと問い糺す暇もなく、京都へ出ていったに。以降、お父さんから連絡が入ることはなかった。」
美邦は何も答えられない。
自分の出自ばかりか、母の死についても父は偽ってきたのだ。。
「父は――なぜ町を出たんでしょうか。」
「それは分からんに――お父さんに訊いてみんことには。」
やはり、叔父でさえ何も知らない。そのことを少し残念に思う。
父への不信感が募ってきた。よほど後ろめたいことがない限り、母の死因や町について隠すことはない気がする。
「美邦ちゃんは、平坂町について全く何も知らんだかいな?」
「ええ。」そのことが少し恥ずかしくなる。「どこかの田舎町にいたことは覚えてるんですけど――。平坂町という地名も今日になって初めて聞きました。どこにあるかも分かりません。」
「そうか――」
スマートフォンを啓は取り出した。そして、操作しながら口を開く。
「平坂町は、⬛︎⬛︎県の⬜︎⬜︎市にある港町だ。町といっても、市内にある行政区画の一つだな。人口は八千人くらいで、小学校が二つと、中学校が一つある。三方が山に囲われとるけえ、確かに不便な処にはあるな。」
スマートフォンが差し出された。
⬛︎⬛︎県の地図が画面に出ている。中国地方の北側――山陰地方の県だ。市街地からも離れ、海岸にへばりつくように町は存在していた。確かに辺鄙な処には違いない。
「あとは――こんなのもあるけれど。」
スマートフォンの画面を自分へ向け、ふたたび啓は操作した。そうして美邦へ戻す。アルバムが開かれており、さまざまな町の風景が竝んでいた。
「みんな平坂町の写真だで。僕が撮ったんだけど、よかったら見てごらんや。」
12
あなたにおすすめの小説
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2025/12/27:『ことしのえと』の章を追加。2026/1/3の朝8時頃より公開開始予定。
2025/12/26:『はつゆめ』の章を追加。2026/1/2の朝8時頃より公開開始予定。
2025/12/25:『がんじつのおおあめ』の章を追加。2026/1/1の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/24:『おおみそか』の章を追加。2025/12/31の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/23:『みこし』の章を追加。2025/12/30の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/22:『かれんだー』の章を追加。2025/12/29の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/21:『おつきさまがみている』の章を追加。2025/12/28の朝8時頃より公開開始予定。
※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
百物語 厄災
嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。
小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。
皆さんは呪われました
禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか?
お勧めの呪いがありますよ。
効果は絶大です。
ぜひ、試してみてください……
その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。
最後に残るのは誰だ……
(ほぼ)1分で読める怖い話
涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話!
【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】
1分で読めないのもあるけどね
主人公はそれぞれ別という設定です
フィクションの話やノンフィクションの話も…。
サクサク読めて楽しい!(矛盾してる)
⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません
⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください
視える僕らのシェアハウス
橘しづき
ホラー
安藤花音は、ごく普通のOLだった。だが25歳の誕生日を境に、急におかしなものが見え始める。
電車に飛び込んでバラバラになる男性、やせ細った子供の姿、どれもこの世のものではない者たち。家の中にまで入ってくるそれらに、花音は仕事にも行けず追い詰められていた。
ある日、駅のホームで電車を待っていると、霊に引き込まれそうになってしまう。そこを、見知らぬ男性が間一髪で救ってくれる。彼は花音の話を聞いて名刺を一枚手渡す。
『月乃庭 管理人 竜崎奏多』
不思議なルームシェアが、始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる