【異端ノ魔導師と血ノ奴隷】

第三章◆魔ノ香

魔ノ香～Ⅺ

　
　
　
この胸の不快感は ... 何だろう。

フェレンスは考える。

カーツェルの背を裂さいたのは、圧耐久性あつたいきゅうせいの高い強化硝子ガラスだ。
砕くだけたところで粉のように微塵みじんとなるはずのものが、変質したらしい。

凍いてつく炎を宿す彼の身体からだは、魔白鋼ミスリルや魔青鋼オリハルコンのように
特殊金属でもない限り、重度の切傷を負うことは無いが。

膝ひざにかけたローブで彼の身体からだを包つつみながら、フェレンスは自みずからに疑問を呈ていした。

痛みに似にているが、明確には言えない。
氷で満たされた泉いずみに浸つけられ浮き上がる心臓を、
細い針で縫ぬい絞しぼられるような、この感覚は一体 ... ... 

蒼火が燈ともる傷口から押し出され、床ゆかに落ちるたび。
ｷﾝ ... ｷﾝ ... と、高い音を発し。
粉のように砕くだけけ積つもる硝子片ガラスへん。

体内に残らぬよう、法により処置しょちしていたところ。
何喰くわぬ顔をして見せるカーツェル。

フェレンスは、釈然しゃくぜんとしない表情だった。

得体えたいの知れぬ心情に揺ゆささぶられ、戸惑とまどう。
初めての経験ではないが。
その都度つど、少なからず困惑こんわくした。


昔から、フェレンスに対する人々の陰口かげぐちに一々いちいち腹を立て。
酷ひどい時には、複数人を巻き込むような騒動を引き起こしたカーツェルだが。
帝国軍・大佐を務つとめた男の末息子と思えばこそ。

　　一、軍人たる者、嘆なげくべからず。力に変え、挑いどむべし。

　　一、敵と見做みなすは。強者らしく踏ふみ越こえ沈黙ちんもくさしめよ。
　　　　責せめ追い立てるは力無き者の愚行ぐこうと知らしめるべし。
　　　　
　　一、奪うばいせしめたる者、生み成なすを知らず。
　　　　戦意を示しめし盾たてとせよ。
　　　　厭いとわず、護まもり集つどい、決けっすべし。

父の信条しんじょうに倣ならう姿勢。
正義感や道徳心から成なる行い。
どれも自然と納得できたのだ。

ところが。フェレンスのもとを訪おとずれては、人が変わったように悔くやし涙を流す。
そんな彼の口から溢こぼれるのは、それら如何いかなる名分でもない。

『あいつらが ... 俺とお前が一緒にいたら悪いみたいに言うから ... ... ！』

傍そばに居るだけで傷付くなら、 近寄ったりなどしなければ良いのに。
幾度いくどとなく言い争った。 

なのに彼は聞く耳を持たず。
未いまだ、こうして傍そばを離れない。

不可解な痛みは、増していくばかりなのだ。
泣かなくなった分、無理をすることを覚えた彼の実直じっちょくさを、思い知らされる毎ごとに。

罪悪感を感じるほど良心的ではない。
自みずからの本質はよく理解しているつもり。

成なすべきを成すため、必要な行いであれば善悪を問わず。
自身がいずれに属そうとも、気にすらならないのに。

化物バケモノ ... ... 

彼がそう誹謗ひぼうされるに関しては、別 ... と、認識している。
それが、どうも腑ふに落ちない。

自分のことなら良いが、彼が傷付くのは嫌。それはそう。
だが、後悔したり気に病やむのとは異ことなり。
気分を害がいされるというわけでもない。

フェレンスにとって、その謎めいた感覚は ... 痛みは ... 
出処でどころの知れぬ曰いわくの煩わずらいとなっていた。

あの人が ... 彼ノ尊かのみことが、世界の修正を口にした日の痛烈つうれつな〈悲しみ〉とも掛け離れて、理解し難がたい。

けれども、それで良い。
フェレンスは思う。

根拠こんきょが知れようと知れまいと、彼への愛着が形を変えることはないのだから ... ...

カーツェルを包つつむローブに織おり込まれた治癒ちゆ効果は、
直接的に法を施ほどこすよりも回復速度が穏おだやかで持続的。
心身に負荷ふかをかけることが少なく、傷跡も残らない。

しかし、急事きゅうじでもない限かぎりは、なるべく自然なかたちでの治療ちりょうが望ましいので。
霊草ハーブを用もちい薬を精製せいせいするため、席せきを立つフェレンス。

蓄積ちくせきした疲労が見て取れるカーツェルの懐ふところに肩を入れ、支ささえてやりながらの移動だった。

自みずからの心境について深く考察することの無い。
異端ノ魔導師の脆弱性ぜいじゃくせいが如実にょじつにあらわれた光景と解釈かいしゃくする。

これは、部屋の片隅かたすみで両者を黙視していたクロイツの私感しかん。

冷静に見えて実のところ、そうではない。
奴は ... 感情的になっている己おのれの境遇きょうぐうさえ理解する必要の無いものと切り捨て。
あるべき姿の維持いじに徹てっしているだけなのだ。

連発した炸裂音さくれつおんに驚おどろいて ｸﾞｽｸﾞｽ と泣きはじめる少年を宥なだめつつ。
由々ゆゆし惟おもいみる。

理性の塊かたまり、そのもの。 そんな貴様に、
心弱い我々われわれ人類が得えるべき〈誠まことノ力〉など、見いだせるものなのか？
私には到底とうてい、そうは思えぬ ... ...

クロイツがフェレンスに向ける不信の念は、ー甚はなはだ共感しかねる高み意識への恐れに近かった。

 
――― 古代暦学において。
　　　〈星詠み〉と呼ばれた天文学者の一派が、
　　　 予言や占星の虚実きょじつ関係を解き明かさんとする間まに〈誠まこと〉 と呼び示しめした真理。

　　　 霧ノ病きりのやまいによる魔物の脅威に怯おびえる人々は時として、
　　　 それに基もとづく力で人類を導みちびかんとす賢者ヘルメスの面影おもかげを探した。

　　　 延ひいては、帝国政府がフェレンスの素性すじょうを覆おおしてまで生かしておく理由に他ならぬ。


クロイツが案あんじているのは、そういった歴書に固着こちゃくする印象により、
まるで英雄か何かのようにフェレンスを担かつぎ上げようとする〈宗教的勢力〉と、
流れを利用し独裁を目論もくろむ〈政府の一部勢力〉と、
それら目上の権威独占を良しとしない〈軍勢力〉との三つ巴どもえが、
何かにつけ無関係な民を巻き込む実情に伴ともなった ... 二次被害の拡大である。

伝説の血と思わしきを宿やどす少年が、忽然こつぜんと姿を現あらわした今。
対立と混乱が激化するのは目に見えている。

泣く子を抱いたまま室外へ出て、クロイツは思い詰つめた。
口を固かたく結むすんで、目もくれない。

そんな様子を、上階の踊り場から吹抜け越ごしに見ていたのは、ノシュウェル。

ただならぬ物音を耳にして駆かけ付けたところだが。
少年を連れた上役うわやくの表情から察さっし、部下と共に留とどまった。

彼は、クロイツが別室へと移動し終えるまでを見届け、行動する。

翌朝には宿やどを発つため。

まずはフェレンスの許可を得えて、機材の送り返しを部下達に命じ。
支度済みの部屋まで主従じゅじゅうを案内した。

ローブを着せられたカーツェルに寄り添そって離れないフェレンスを見れば、事態の把握はあくは容易ようい。

折おりを見て食事を済ませるよう告つげたうえ、速すみやかに退室後。
現場へ戻った際さい。床ゆかの血痕けっこんを拭ぬぐう部下の手元を窺うかがえば。
重症には至いたらなかったものと見えるが。

「よくもこう次々と、厄やくに見舞みまわれるもんだ ... 」

訝いぶかしげな顔をして呟つぶやくノシュウェルは、ふとして窓の外へと視線を持っていった。

後始末あとしまつに忙いそがしく行き合う部下達の傍かたわら。
事故の衝撃で罅ヒビの入った窓の硝子ガラス面を隈無くまなくテープで止め、応急処置とする作業の終わり頃。
左右の梁はりを、きっちり抑おさえて閉める部下と入れ替わるように。

窓辺に立つと、月の光を梳すき降ろす樹海を眺ながめ、思いを馳はせる。

明日あすの昼過ぎには、ウォルテアの国境手前にある空港に着つくとして。
手配しておいた飛空艇ひくうていに乗り込めば、日暮れ前には帝都の土を踏ふめるだろうか。

山岳さんがくを経へて、緩ゆるやかに下る運河の流れ沿ぞいを立ち囲かこう樹々きぎは、
撓しなる枝えだを横たえ、宿場の軒先のきさきを結むすぶ。

叉木またぎの上に家が立つ程ほどの巨木で占しめられた土地故ゆえ。
地上を切り開くよりも樹の上に住んだ方が手っ取り早く。
土地の変質も避さけられるとして開発が進んだよう。

時として通りかかる船は、その下を潜くぐるかたちで静しずやかに航行した。

また、そういった事情から。
この先、馬車は使えないので。

日が昇り次第、船へと乗り継つぐ予定だ。
荷移し作業は既すでに済ませてある。

つまり。そういった移動等とうの手はずは全て、ノシュウェルの請うけ負い。
クロイツは、今後の見通しをつける事にのみ集中した。

少女を追跡するノシュウェルの部下の動向。
少年という恰好の獲物を取り逃がしたであろう、奴等やつらの出方でかた。

自由の効きかなくなったフェレンスを引き込みに乗り出すであろう勢力が、
はてさて、どのような理屈りくつをこじつけてくるものか。

関連性も含ふくめ、様々に想定した。

泣き疲れてきた少年の眠気眼まなこが、うつらうつらと船を漕こいでも、お構かまいなし。
頭を撫なでてやるのも片手間かたてまになっていたところ。

「ねぇ、クロちゃん ... ...　あのね ... ？」

唐突とうとつに話し掛けてきた少年に対し、返事くらいはしてやろうかと ... ... 

思 ... い 、ながら、も。 

すっかりと思考が停止する。

目を向けると、視線がカチ合った。

「お、ぉぉ、お、お前 ... ...　今 ... ... 今、何と ... ... ？」

驚おどろきのあまりか。少年の片言かたことが口移くちうつしし。
クロイツは不規則ふきそくに息を継ついで言った。

すると、脇わきに凭もたれ見上げてくる ... お眠ねむニャンニャンが、そう、何と。

「 ん、と。あのね？ ... えっと。 クロちゃん、僕ね？
　シャマのところに、行きたいの。 連れて行ってくれる？」

何とも、まぁ、卒然そつぜんに　...　まともな言葉を発したのである。

ｼﾊﾟ　ｼﾊﾟ　ｼﾊﾟ　ｼﾊﾟ　ｼﾊﾟ　ｯ　... ...

クロイツの高速瞬まばたきが冴さえる。

柄ガラにもなく小首を傾かしげて硬直すること暫しばし。
 ﾌ ｪ ｯ ... と大きく息を吸ったクロイツは即座に呼び付けた。

「 フ　ェ　レ　――――――――――　ン　ス　！！」

「ぶ ふぉ　っ ... ... ！！」

その時。真っ先に吹き出したのはカーツェルである。

幸さいわい傷は浅あさく、ローブの効力もあって特別な手当は必要なかったので。
冷めないうちにと勧すすめられたスープを口にしはじめていたところだった。

そんな彼の背中の血を拭ふき取ってやりながら、フェレンスは声のした方を振り向く。

〈 ﾊﾞﾀﾝ ！！　ﾊﾞﾀﾊﾞﾀ　ﾀﾞ ﾀ ﾞ ﾀﾞ ﾀﾞ ﾀﾞ ... ！！〉

夜、夜中。

少年を担かつぎ上げて部屋の扉を開け放はなち、
階段を駆かけ上がるクロイツの素早さたるや... 疾風しっぷうの如ごとし。

後始末も済まぬうち。
廊下を疾走し行き過ぎる上官を上手いこと跳はね避よけた兵士の一人は、
青褪あおざめた顔で振り向き、背を目で追いながら呟つぶやいた。

「お、お願いだから ... もう、これ以上、仕事、増やさないで ... 」

ｶﾞｸﾌﾞﾙ ... ...

震ふるえる彼等かれらは、それぞれに手を止め愕然がくぜんと伏ふす。

俺たちだって、たまにはベッドで寝たい ... ... 

声に出して言う者はいなかったが。
つまりは、そういうこと。

遠征えんせい中、宿で寝泊まりすることなどは極ごく、稀まれであるため。
贅沢ぜいたくを言うようだが、せっかくなのだから少しくらいは寛くつろぎたいと思った。

そんな部下達、一人々ひとりひとりの背を撫なで下ろし。
労ねぎらいながら部屋を出る。
ノシュウェルは、溜ため息混まじりに言って項垂うなだれた。

「やれやれ、まったくだぁ ... 」

彼にも若干じゃっかん、疲れの色が滲にじむ。

貸し切り予約をしていたので、多少なり騒々そうぞうしくとも何て事は無い。
迷惑を掛けるとすれば、ベッドに入っても一向いっこうに寝付けず、
天井を睨にらんでいるであろう宿主ぐらいかなぁ ... とは思うけれど。

例の主従しゅじゅうを休ませている部屋の前で、大袈裟おおげさな身振り手振り。
おかしなことを言いはじめた統括責任者には、心底、参まいった。

「貴様きさまに用は無い！ フェレンスを出せと言っている！！」
「何卒なにとぞ、お静かに ... ... そして、まず
　興奮を鎮しずめて頂かないことには、お取り次ぎ致いたしかねますので ... 」

急ぐでも無し。のらりくらり。様子を窺うかがいに行ってみると。
階段の先には、入室を拒こばまれるクロイツの姿。

「クドいぞ貴様きさま！」
「あなた様こそ。議会の意向に従したがい決定を委ゆだねてはおりますが、
　かと言って旦那様とあなた様の権威けんいが逆転する等などといった事は、決して御座ございません。
　つきましては ... お取り次ぎするにあたり、理解可能なご説明を賜たまわりとう存ぞんじます」

カーツェルの口振りからすると、また酷ひどく腹を立てているようだが。

「この ... どうでもいい時ばかり仕事熱心で、熟つくづく 、鬱陶うっとうしい男だな 、貴様きさまと言う奴は！」
「おやおや、これはこれは ... 
　夜中に配慮はいりょも無く押しかけておいて、どの口がほざく寝言かと思えば。
　お察し致いたしますところ、もしや ... 正気を枕元まくらもとに置き忘れて御出おいででは？」

部分的に毒を盛もっても比較的、真っ当な対応をしている。
彼の言葉を要約すると、こうだ。

 寝 言 は 寝 て 言 え と 。 

しかし何故なぜ、わざわざ間あいだに立って口を挟はさむ必要があるのだろう。
ノシュウェルは疑問に思った。
そうしてクロイツの後ろに立ち、部屋の奥に佇たたずむ後ろ姿を覗のぞいてみる。

聴こえているはずだが。
その背に、振り向く気配はない。

改あらためてカーツェルに目を向けると、違和感が増した。
この男 ... 律儀りちぎと言うよりは、過干渉かかんしょうが度を越こしているようにも思える。

気にし過ぎだろうか。

一方。矢面やおもてに立つ執事は詰なじり合いの末すえ、投げやりに話を切り詰つめた。

「ともあれ、話にならなくては仕方がありませんので。今宵こよいはこれにて ... 」

そしてドアを閉めかける。 ... が。

「 然そ う は 烏 賊イカ の 金 玉キン○マ ぁあぁぁぁ！！」

クロイツは素早く足を上げ、力一杯、蹴けり込んだ。


〈 ﾄﾞｶﾞｧｱｧｧ ... ﾝ ！！〉


少年を抱かかえ塞ふさがった手の代わり。
あの細身が繰り出したとは信じがたい威力。
見ていただけだが、堪たまらず身を竦すくませたのはノシュウェル。

彼は思った。

ぇ ... って言うか。 今、何つったの ... ... ！？

待てよ。ほら、まず、アレさ。
〈ピ―――〉って伏せ音ふせおん入れなきゃ拙マズいでしょ。
意味不明だし。え。何。辞書に載のってる。嘘ウソでしょ。

――― 〈そうは行かぬ〉の〈いか〉に〈烏賊イカ〉を掛け、
　　　　そうはいかないということを洒落しゃれていう言葉。

って ... ... マジかよ ... ... ！？

彼の部下に一人、情報通がいた模様もよう。
耳打ちされた瞬間、驚おどろいたが。

それを ... ... 知ってても、言う ... ... ！？

次には部下と二人で絶句ぜっくする。
余程よほど、追い詰つめられているのだなと思った。

「だから！ 少年が喋しゃべったと言っている！！　
　いくら腐くさり果はてた貴様きさまの頭でも、これくらい理解できなくてどうするのだ！？
　分かるだろう！！ 喋しゃべったのだ！！　この！　少年が！！」

いやいやいや... ...

「そもそも、その少年とは以前から対話可能ですが ... どうぞ、お気を確かに ... 」

うん。まぁ、そうだよなぁ ... ...

聞けば聞くほど、腑ふに落ちない。

呆あきれるわけだと。
殊更ことさら、カーツェルに同情する。

見れば、容赦ようしゃなく蹴けり込まれたドアの角かどが額ひたいに直撃したようで。
真顔まがお執事のおでこから、煙けむりが上がっているようにさえ見えた。

それでも尚なお、クロイツは食い下がるのだ。

「そうではない！！ あの分かり辛づらい片言かたことではなく！
　まともな言葉を使って話しかけてきたのだ！！」
「 ... はぁ。そうですか」

最早もはや、目を合わせようともしない。
彼の羽織はおるシャツの両襟りょうえりを掴つかんで、揺ゆさぶる監視官は更に。
声を荒あららげ、こう続ける。

「いいか！ 察さっしの悪い貴様きさまにも分かるように言ってやるから、よく聞くが良い！
　少年は先程、私に、こう言ったのだ！
　〈 ... えっと。 クロちゃん、僕ね？ シャマのところに、行きたいの。 連れて行ってくれる？〉
　と！ こぅ... 目を潤うるわせてだな！！」

ところが、実演してみてようやく気付いたらしいのだ。
ｳﾙｳﾙ と ... ... 真剣しんけんに真似まねして見せ、クロイツは ﾊｯ... とする。

衝撃的すぎる上役うわやくの奇行きこう。

驚おどろきのあまり全身を ﾋﾞｸﾘ！ と跳はね上がらせたノシュウェルが、居たたまれずに言った。

「さっきから何！？ あなたという人が、そこまでする！？」
「煩うるさい！！　と言うか貴様きさま！！ 何時いつからそこに居た！？」

そう、クロイツは、完全に我われを見失っていたのだ。
赤面、不可避。だが、それで済むなら、まだ救いようはある。

ところがだ。

「いえ、そこは、無理して頂かなくても... 結構ですから ... ... 」

〈クロイツ、まさかの本気〉にドン引きするカーツェルの拒絶感が半端はんぱない。

見ると、こちら側に向けた手のひらを ﾌﾟﾙﾌﾟﾙ と小刻みに震ふるわせ、
今にも血反吐ちへどをぶち撒まけそうな表情で青褪あおざめているのだから。

それには、クロイツの腕の中で眠りかけていた少年もビックリ。
 ﾋｯ ... と、吸い込む息を喉のどに引っ掛ける。

「 ﾂ ｪ ... .... ﾂ ｪ ... ... ﾂｪﾙ ... ... ｼ、ﾇ ? 」　((ﾟдﾟ||| )) ｶﾞｸﾌﾞﾙ

目を丸めて身震いする幼子おさなごは、相あいも変わらず片言かたことだった。
聞いていた者は皆みな、思う。

これのどこが、まともだと ... ？

カーツェル、ノシュウェル、部屋の奥で背を向けたままのフェレンス。
目の前の男達を順に見て、クロイツはすっかりと肩を落とした。

そ ... そんな馬鹿な... ...

そうして、ゆっくりと少年をその場に下ろし、肩を揺ゆさぶりはじめるのだ。

「お、おい。お前。どうした ... 話が違うではないか ... 」
「 ﾝ？ ... ﾑ？」

「お前はやれば出来る子であろう ... 何故なぜ、言えぬのだ ... 」
「 ﾝﾑ　 、　ﾝﾑ　ﾑﾑﾑﾑ　ｩｩ　... ？」

「おい！ しっかりしろ！！」

理由わけも分からぬ少年は、成すがまま。
だが、遂ついには目を回してしまったよう。
見兼みかねたノシュウェルが止めに入ろうとした時だった。

「しっかりすんのは ... テ メ ー の 方 だ ろ う ――― が ！！」

腹はらに据すえかね本音をぶち込むカーツェルが、思い切り蹴けり返す。
なのに何故なぜ ...　転がされたのはクロイツではなく ... ノシュウェル。

『嘘ウ・・・ソ ...　ﾅﾝﾃﾞ... 俺 ｶﾞ ... ｺﾝﾅ 目 ﾆ ... ？』

肩口に受けた衝撃で大きく仰のけ反ぞったところ、途切れ 々 に脳裏を巡めぐった心の声。


〈 ｺﾞﾛﾝｺﾞﾛﾝ！ ﾄﾞｶｯ！！ 〉


「もおぉおぉおぉぉ！！ いい加減にしてくれぇえぇえぇぇ！！」

我慢がまんの限界を迎むかえ、ベッドから跳はね起きた宿主の怒声どせいが、近隣きんりんに木霊こだます夜。
フェレンスは、急拵きゅうごしらえの精油水せいゆすいをガーゼに取り、静かに容器を置いて振り向いた。


たっぷりと汲くみ取った溶液が手首を伝つたい、袖口そでぐちに入る間際まぎわ。
対ついの手の指先で雫しずくを掬すくいながら歩み寄よる。

そんな主人の気配に気づいて振り向きかけたカーツェルだが。
ｽｯ ... と肩口から差さし伸のべられた手の行き先へ、意識を持っていかれた。

手首を返すフェレンスの指先は、カーツェルの顔の輪郭りんかくをなぞり霊草ハーブの香かおりを鼻先に寄せる。

カレンデュラオイルとティートリー、それから、ゼラニウムだろうか。

香かおる、それらの効力を惟おもんみると。
シャツの裾すそから滑すべり込む手。

「 ん ... ... ぁ ... ... 」

カーツェルは息を口に含ふくんだまま、声を殺した。

〈 ﾋﾟﾁｬﾘ ...  ﾋﾟﾁｬﾘ ... ... 〉

耳の奥につく濡ぬれ音が、竦すくみ強張こわばる筋すじの根元を震わせ。
腰こしから脇わきへ ... 背筋を撫なでるように上のぼっては下くだる。
 
ガーゼを当てる手の爪先つめさきが、肌に触れるか触れないか。
身体からだの芯しんに線を引かれるような感覚だった。

「殺菌、止血、皮膚の保護に配慮し調液したものだ。
　純水で薄め、酒精しゅせいで馴染なじませてある。 多少、滲しみるだろうが ... 嫌ではないだろう？」

背後から囁ささやきかけるフェレンス。
艶つやのある声を耳元で聞いたカーツェルは、顔を伏ふせて黙り込み。
そのまま部屋の奥へと引き返してしまう。

取り残されたクロイツは目尻めじりを絞しぼり、フェレンスを睨にらんだ。

「この ... 破廉恥はれんち。変態。鬼畜きちく魔導師が ... ... 」

片かたや相手は何を言われようと気にも留とめず。
小首を傾かしげ口元に笑みを浮かべる。

 ... ... 確信犯か。

ノシュウェルは思った。
カーツェルに蹴けりつけられた肩口を擦さすり、身体からだを起こしながら。
機嫌を損そこねたカーツェルが大人しく引き下がることは無い。
しかし、だからと言って悪戯いたずらに身体からだを擽くすぐり、羞恥心しゅうちしんを煽あおるなぞ ... ...

「それが、〈友〉に対してすることか？」
「さて、何の事だろうか。 私はただ、応用してみただけ」

「応用 ? 」

「そう。幼い頃の彼は、よく小脇こわきを突つついて私を誂からかった。
　なので、多少なり悪ふざけに応こたえやる必要もあろうかと、報復ほうふくしてみたりもした。
　すると、思いのほか大人しくなったものだから ... 」

クロイツが腕うでを組んで聞くに対し、フェレンスは ｻﾗﾘ と返す。

「ああ ... そりゃあ、お前様 ... 」

聞いていたノシュウェルは言った。

「感じちゃったってヤツ ... ... 」

... ... ... ... じゃないのかなぁ。

けれども忽たちまち、妙みょうな雰囲気が漂ただよい、思わず言葉尻を濁にごす。

フェレンスからは何もない。
背を向け小瓶の並ぶトレイに布を戻す。
彼は無言だった。

黙っていなかったのは、クロイツの方。

「 ど う し て 貴 様きさま は ... そう余計な事を言う！ この戯たわけが！ 気色悪い！」

先程から蹴けられてばかり。
部隊長は既すんでのところを ｽｯｽ と躱かわす。

「あぁぁあぁ！！ すみません！！すみません！！ 許して！！」

また同時に。何処どこからか漂う冷気に気付いて両者は共に静止。

三人が揃そろって振り向くと。
部屋の奥の扉が ﾋﾞｼﾋﾞｼ と音を立て凍いてついていくのが見えた。

枷かせの刻印から漏もれだした冥府の炎ひの影響だろう。

これは不まず味い ... ...

目を回してぐったりしている少年を抱き直なおしたクロイツは、ｻｯ...  と立ち返る。
そうして更に。都合の良い話をしながら、その場を後あとにした。

「さて。いい加減 ... 休むとしよう。
　フェレンス。あとは貴様きさまで何とかするんだな。
　我々われわれなら兎とも角かく、宿主が凍え死んでは面倒だ」

すると、置き去りにされたノシュウェルを不憫ふびんに思い、手を差し出すフェレンス。
心遣こころづかいに感動し身体からだを起こす部隊長は、あえて数歩、引き下がって見せたよう。
顔を上げると、クロイツの肩越しにこちらを覗のぞき込む視線。

幼子おさなごは、何かを呟つぶやいている。

その声を聞いたのはクロイツだけだった。

「 ｼｬﾏｧ ... ｼｭｷｨ ... ｲｯｼｮ ... ﾈﾙｩ ... 」

寝言になりつつある片言かたこと。
長時間の移動による疲れと眠気のせい。

この少年の扱あつかいについて、一存いちぞんでは判断しかねるところ。
当局へフェレンスを引き渡した後のち、上と掛け合うつもりではあったが。
何はともあれ、帝都に着いてみないことには ... と、そう思う。

「すまぬな ... 先程はうっかりと連れて行ったが。
　今はまだ、お前と、あの魔導師を近づけるわけにはいかぬのだ。... 極力きょくりょくな」

自室へと戻ったクロイツは、静かに扉を閉めた。
そして椅子いすに座り、膝ひざの上に降ろした少年を抱く。

ゆらゆら ... ポンポン ...

身体からだを左右に振ふっては、小さな背を優しく叩く。
その動作は、まるで揺ゆり籠かご。

やがて少年は、すっかりと目を閉じ ... 眠りについた。

一方、その頃。

カーツェルの引き篭こもった寝室の手前で扉を見つめる。
霜しもで覆おおわれたその向こうに気配を感じながらも。

フェレンスは、声を掛けようとしなかった。

彼は、ただ静かに、ランタンの灯あかりを落とし。
枝葉が梳すき降おろす月影の下もと、椅子いすに腰こし掛け瞼まぶたを閉じる。

カーツェルの身体からだに宿る炎ひは、少年の強烈な魔ノ香による酔いを制せいしきれていない。
有あり余あまる力を抑おさえてやることは可能だが。
クロイツに指摘されたばかりである。

友の努つとめに過分な手出しは出来なかった。

何処いずこからか湧わき上がる負の思念と、
それを灼やくための蒼火が鬩せめぎ合い ... 血を求めて意識を掻かき乱す中。
両腕を抱え蹲うずくまるカーツェルは、深呼吸を繰り返す。

じっとしているのが精一杯だった。

契約で得えた炎ひによって魔力に餓うえる。
それくらいの事であれば想定内だが。

まさか ... ... 

主人、そして友人でもあるフェレンスや、幼い少年を襲おそいかねない。
自分自身に対し、恐れを抱いだくようになるとは思わなかった。

フェレンスは、知っていたのか ... ... ？

〈制約の翠玉碑エメラルド・タブレット〉に記しるされし禁忌きんき。

異端ノ法。

それを施行しこうするための契約に伴ともなう対価たいか。
あいつと一緒に成なすべきを成す、そのためなら命を懸かけても良い。
そう思ってしたことが、まさか。

カーツェルは思った。

フェレンスは、分け与あたえる事を厭いとわない。
血を求められたなら、際限さいげんなく差し出すだろう。

今夜は傍そばにいられない。

彼の手首から ... そして首筋から ... 
漂ただよう〈魔ノ香まのか〉に過剰かじょう反応し意識が飛んでしまわぬよう。
せめて、この身体からだの疼うずきが、治おさまるまでは ... ...