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序章 二人歩きの百鬼夜行【二】
しおりを挟む塵の一つも残さずぬえが消えた四つ辻。あとに残るのは太刀を鞘に収めた美丈夫だ。
「貴仁様」
筑地塀の上を滑るようにやってきた薫が、ふわりと四つ辻に降りたつ。彼に心配げに近寄る。
「怪我はなかったか?」
自分が問われる前に、貴仁が袿の薄い肩を抱き寄せて、薫に問う。薫は貴仁の顔をじっと見つめてこくりとうなずく。
「それはよかった」
たったいま妖異と戦っていた、厳しい顔は嘘のように、貴仁は薫に蕩けるような優しい眼差しを向ける。
が、一転してぎろりと四つ辻の角に隠れている相手を睨みつけて。
「四尾花よ。ここはお前の治める域ではなかったか?」
貴仁に呼びかけられると、扇で口許を隠した四本尾の白狐が現れた。十二単をまとった彼女の後ろには、同じく化け狐の女房達に、一本足の大男の武官、破れ傘や提灯の付喪神の下男姿の小者達と続く。
只人が見れば『百鬼夜行だ!』と腰を抜かす光景も、貴仁や薫にとっては、別に驚くべきことでもない。二人は平然としていた。
ただ今まで外の世界を知らず、こんなたくさんの物の怪を見た事のない薫は、目を丸くして物珍しそうに見ている。その薫の視線にこそ、物の怪達は合わせるのもお恐れ多いとばかり、頭を垂れるばかりだ。
そんな様子を四尾花と呼ばれた妖狐はちらりと見て、貴仁に婀娜っぽく微笑みかけた。
「久しゅうございます、主上」
「もう、主上ではない」
「院にござりましたか、この間、位に就かれたと思ったのに、まったく人の世はめまぐるしい」
百鬼夜行を束ねる女妖はわざとらしくため息を一つつく。
しかし、そんなことで誤魔化されないぞ──とばかり、貴仁は白狐に鋭い視線を向けたまま。
「それで、今宵の騒ぎはどういうことだ?」
貴仁は再び、この都の半分、左京の物の怪達をまとめる女妖に問いただす。
つまり、都に災厄をまき散らすような、はぐれ妖怪。あのぬえをなぜ、野放しにしたか? と。
「“ぬえもどき”はたった今、いきなり洛中に現れたもの。それに“もどき”はわたくしが院にお知らせするまえに、院、ご自身が綺麗に消しておしまいになられましたわ」
洛中とはこの都のこと。あの“ぬえもどき”は自分の縄張りである、この左京ではなく“洛外”つまりは都の外から今宵、いきなりやってきたのだと白狐はいいたいのだ。
だから、自分が未然に知る余地もないと。
そう“ぬえもどき”だ。
あれは本物の鵺ではない。
人々の怨嗟の塊とも言うべきものだった。
人でなしとなった慣れの果てだ。
だから地獄にも受け入れられず、業火で魂まで消滅させた。
「もどきといえど、ぬえはぬえ。荒事に不向きな化け狐ではとてもとても、対処はしきれませんわ。
院の業火のお力でなければ……ねぇ。それに今宵はいとかぐわし薫風の君が、都人を厄災から守ってくださいましたわ」
薫風の君とは、まさしく薫に相応しき名だ。
たしかに貴仁の業火だけでは、ぬえもどきを消滅させることが出来たとしても、まき散らされた災厄はどうしようも出来ない。あれだけでも、都にひとときの流行病や、火災などの大きくもないが、小さな厄が襲ったことだろう。幼子や老人、なんの罪もない人々の命が失われたことは間違いない。
四尾花は『薫風の君』と口にしながら、貴仁に寄り添う薫の白い面をじっと見た。
薫はといえば、その白狐の銀色の瞳をきょとりと漆黒の大きな瞳で見返す。その表情にはなんの怖れもなく。
むしろ、薫の瞳を真っ正面から見た四尾花のほうが、息を呑んでサッと己の顔を扇で隠す始末だ。それにも『わからない』とばかりに、薫はこてんと首を傾げる。
「こら、我が妻を試すな」
貴仁が不機嫌そうな声をあげて、己の狩衣の袖で包みこむように薫をふわりと抱きしめる。
「まさか、院と同じようなお方に挑むほど、このわたくしは愚かではありませんわ……」
言いながら、その声は薫の陽の気に当てられたように、かすかに震えている。
都の左京を取り仕切る女妖――四尾花は、「左京の君」とも囁かれるが、狐の性は抜けきれぬらしい。
どんな畏れ多い相手であっても、イタズラ心がうずく上に、すぐに忘れて凝りないときている。
目を合わせるのは物の怪同士では、軽い遊びでもあり、力比べだ。目を反らしたほうが負けという単純な。
しかし、ただの妖狐が、大神の末に挑むのはあまりにも無謀というものだろう。
四尾花とて、負けると分かっていて挑んだのだろう。十二単の裳の後ろからはみ出している四つの白い尾も震えて縮み上がっているのを見て、『まったく懲りないヤツ』だと、貴仁は薫を抱きしめたまま、大げさにため息を一つ。
「さて、此度のめでたき儀、わたくしどもからのささやかな、献上品にございます」
四尾花が、そう言えば自らするすると進み出てきたのは、青の糸毛車。
もちろん、ただの牛車ではない。付喪神の一種のおぼろ車。つまりは物の怪だ。
「つい先頃生まれたのですが……」とこの手の物の怪がいう“ついさっき”とは百年単位だ。実際、これが生まれたのも五十年前あまりでそれから。
「誰も乗せぬ、気位の高さ。ところが、月宮様のお話をきいて、ぜひ、はせ参じたいと」
己はそのために生まれたという。じっさい前に出たおぼろ車はからからと、ゆっくりと薫達の前で止まる。
貴仁はふわりと薫を抱きあげて、そのおぼろ車へと乗り込んだ。そして、後ろの御簾を少し開けて、見送りに立つ、四尾花に告げる。
「我が妻への祝いの品をもって、此度のことは不問にしよう」
ぬえもどきのことと薫と視線を合わせたことと、両方の意味を込めて貴仁が告げれば、妖狐は「ありがたきこと」と深々と頭を下げる。
貴仁は続けて。
「なにか耳にしていないか?」
それはこの都にいささかの怪異はないか? ということだ。それに狐の女妖は口許に閉じた扇を当てて。
「さて……六条河原に、面白きことが」
「お前の“面白い”は、ろくなことがない」
貴仁はそう言い捨て、おぼろ車を出した。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
閻魔の娘の子である上皇と祖神返りの大神の宮。
彼らの出会いを語るには、さらにその前。
三条様、または退屈上皇と呼ばれる、貴仁の誕生から語ることになる。
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