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大公達の休日【ノクト×スノゥ編】

大公達の休日【昼】その1

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 早朝に窓から大使館を飛び出して、ザリアと屋台で朝食を食べて別れて。
 それでもまだまだ時間はあると、スノゥはガトラムルの街を歩くことにした。今頃は夫の黒狼が気付いて追いかけてきていることだろう。
 その時間稼ぎもある。

「あいつ、匂いで追ってくるからなぁ……」

 今は転送でどこの国でも一瞬で渡れるから、各国首脳があちこちの国へと直接訪れることが多い。当然、宰相でありグロースター大公であるノクトに、その配であり、さらにノアツン大公でもあるスノゥも共に訪れる機会は多々ある。
 そんな諸外国を訪れるスノゥの楽しみは、異国の街をお忍びで歩くことだ。時間を見つけてマントをひっかけてふらりと外へと。

 いつものことなのに慌てる護衛騎士達より、誰より先にスノゥを見つけるのが夫の黒狼だ。とはいえ、スノゥとともに護衛対象である大公殿下が真っ先に飛び出していくのだから、これまた護衛騎士達が……(以下略)。

 そんな狼の鼻をごまかすわけでもないが、スノゥの足はバザールへと向かう。売られていない物はないといわれる商都で、一番賑わっている場所だろう。
 入り口である大運河にかかる屋根付きの橋へと入れば、異国の香辛料やらなにやら混ざった匂いに、ぶわりと包まれる。けして、不快な匂いではないが、強烈ではある。これではあの狼の利く鼻も鈍るというもの。

 橋の通路の両側に露店があり賑やかな声が響く。さらにその先には迷路のように入り組んだ、市場の軒並みが続いている。
 ふらりと歩けばあちこちで呼び込みの声。店からはみ出た道ばたで、あきらかな成金観光客の夫妻を捕まえて物売りをしている男がいる。通りすぎる人々は、いささか迷惑そうに真ん中で立ち止まっている三人を避けていく。

「どうです? 旦那様、奥様、これは東方のナ国渡りの大皿ですよ。これだけの品が今ならガトラムル金貨三枚だ」

 男が持つ大皿は金の縁取りに赤や青に黄色で染め付けされた花々が図案の豪奢なもの。見た目だけは立派だが。

「ううむ、ワシ好みの金ぴか……いやいや良い品であるが」
「ええ、お客様にふるまう料理を盛ったら、皆さんに見せびらかせ……いえ、喜ばれそうですが金貨三枚はねぇ」
「それなら奥さま、金貨二枚はどうです?」
「その程度? もう少しお勉強してもらわないと」
「うまいですね! ええいっ! なら、金貨一枚」
「なんと! 一枚だと! 買った!」
「あなた、そんな簡単に、ええ、まあ一枚ならねぇ」

 よく考えれば金貨三枚の皿が、金貨一枚になるなどおかしいのだが、成金夫婦は自分達の値引き交渉が上手くいったとばかり、ご満悦だ。

「それ偽物だぞ。作る手間賃を考えりゃ銅貨三枚ってところか?」

 スノゥが声をかければ、売主の男が顔色を変えて「いちゃもんつけて、商売の邪魔をするつもりか?」と恫喝してくる。当然そんな脅しなどスノゥはどこ吹く風で。

「そもそもナ国の金彩の磁器でその大きさなら、金貨十枚だ」

 その言葉に成金夫婦が「十枚」とギョッとする。スノゥは続けて。

「それから彩色は青に赤の二色のみ。極彩色に見えるのは、それの色合いの微妙な濃淡で現しているんだ。そんな芥子色みたいな黄色は使われない。西方の顔料の濃い緑もな。
 だいたい描かれている花もおかしい。剣弁高芯咲きの薔薇にひまわりなんてな」

 すらすらスノウが話せば皿の売主の男の顔色がどんどん失われていく。夫婦もまた「まあ、わたくしたち偽物を売りつけられようとしていたんですの!」「金貨一枚もだまし取ろうなんて、とんだ男だ!」と叫び出す。
 その騒ぎを聞きつけて、店の奥にいた通路の前の陶磁器店の店主が飛び出してくる。男の顔を見るなり叫ぶ。

「また、うちの店の前で詐欺をやろうとしていたな! このドブネズミのシモーネが!」

 皿を抱えた男が慌てて逃げていく。その背中に店主が「苦情はこっちにくるんだぞ!」と怒鳴る。
 呆けた顔の成金夫婦はそのままに、スノゥは何事もなかったようにその場をあとにした。
 そして、こちらは“本物”の甘いリンゴを三つ買って、市場の外の細い水路で客待ちをしていたゴンドラに乗り込む。

「鬼ごっこをしているんでな、適当に流してくれないか? リンゴ二個分食べるあいだな。大階段で降ろしてくれ」

 リンゴ一つを船頭になげてやれば彼はそれを片手で受け取ってニヤリと笑い「鬼さんに捕まらないようにとっておきを巡りましょう」とこたえた。
 船の上でリンゴをしゃりしゃりと丸かじりする。船頭も同じく一つ食べて、芯をぽちゃんと水路に投げ捨てれば、とたん大きな魚ががぶりと口をあけて持っていった。

「旦那、あれが天上橋ですよ」

 船頭がいう。細い水路の先をスノゥがみれば、天上という名が不似合いに思うほど、小さな橋がかかっている。

「別名、“幸福への階段”ともいいます」
「死刑よりもつらい監獄への道が、天上だの幸福だの皮肉なものだな」

 あの橋の先に繋がる小さな窓の建物は、都市への叛逆者の烙印を押された……つまりは政治犯収容の“元”監獄だ。
 「ご存じでしたか」と顔に刻まれた皺がそれなりの年かさを感じさせる船頭はいい。

「もっとも名前の元の由来を知る者も少なくなってきましたよ。十年もたてば人は忘れるもので……」

 「今の首領ドゥーチェの代になって使われなくなりましたからね」と船頭は言葉を続け、ゴンドラは小さな橋の下を通り抜ける。
 元老院での政治闘争の敗北者の末路であり、恐怖の象徴であった天上橋……別名嘆きの橋に繋がる石の監獄。船頭の言葉通り現在の黒犬のドゥーチェの代になってから、誰一人として投獄されていない。

 政治的な敗北はあれど、その者を罪人として断罪はしない。その方針を二十歳の若さでドゥーチェとなってから、かの黒犬は貫いてきた。
 「そういう意味でもイイ男なんだけどな」とスノゥは内心でつぶやく。もっとも自分があの伊達男を褒めたりなどすれば、夫の眉間の皺がますます深くなるのはわかっているので、口にはしないが……とゴンドラに揺られながら、二個目のリンゴをしゃりとかじる。

 いずれは嫁に出さねばならないカワイイ子をさらっていく男を、父親が気に入らないのはどこでも一緒か……とは思う。

「監獄としては今は使われてませんが、大騒ぎした酔っ払いの留置所としては利用されてましてね。昔の名前を知ってる奴は震え上がるんで“ちびり橋”なんて不名誉な二つ名を言いだす馬鹿もいて」
「そりゃ橋としては天上橋や天国と呼ばれたほうが、いいな」

 「悪酔いして取っ組み合いのケンカをした、大トラの酔い覚ましにはいいだろうけどな」と船頭と一緒にスノゥは声をあげて笑う。
 さて、大階段近くで降ろしてもらい、そのそばの屋台で名物の氷菓ジェラートを買う。ベリーと蜂蜜の風味の味の二つを小麦粉を焼いた器に盛ってもらい、舐めながら大階段へと向かう。

 大階段はその名の通りの階段がうねうねと続く通路だ。登りきった先には展望台があって、大運河から港、海を望む美しいこの都市の景色が一望できる。
 階段の欄干にも有名彫刻家の彫像があって、人気の観光名所だ。長い階段の踊り場には露店があり、そこでも名物のジェラートや冷たいレモン水などが売っている。
 そして、その階段のもう一つの名物といえば。

「ねぇ、彼女セニョリータ

 後ろから横の縞シャツの猫男がついてくる。ジェラートを堪能していたスノゥは気にしてなかったが、いい加減、十回も呼びかけられるとしつこい。

「俺は男なんだがなあ」
「男でも美しい人にはそう呼びかけるのさ、マドモアゼル」

 ガトラムル風の呼び名なのか、エ・ロワール風の呼び名なのかどっちかにしろといいたいが、どちらにしてもスノゥはお嬢さんマドモアゼルではない。
 どころか既婚者で六児の母ですとも言わないが。世の中、そういうのが趣味という変態もいる。

「だいたい、フードで顔を隠しているのに美しいもなにもないだろう」
「いやいや、ちらちらと見えるその白いお顔。赤い唇に赤い舌、鼻筋だけで、俺のカンはビビッときたね! 君は絶対に美人だ!」

 「ねぇねぇ、展望台に行くんだろう? だったらこの都市が庭の俺が解説してあげるよ」という横縞シャツの伊達男? の言葉に、スノゥは「うーん」と考えるフリをして。

「残念ながら時間切れだ。“旦那”の迎えがきたんでな」
「え? 旦那さん? 君、人妻? ひいっ!」

 後ろを振り返った横縞シャツの猫男が思わず悲鳴をあげた。
 そこには暗雲を背負った黒いマントの長身が、ずももと背後に音がしそうな雰囲気で立っていた。

「よお、今朝ぶりか?」

 スノゥは声をかけた。





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