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 大公邸は王宮から離れた王都の外れにある。
 これこそが彼が前皇太子の息子でありながら、玉座からもっとも遠い証であるとみんなは噂するが、ソルフォードがここに邸宅構えたのは、別の目的があった。

「……あんなに可愛かった子猫のミィちゃんが、こんなふてぶてしい姿になってしまうなんてなぁ」

 歩く自分の足下に、ごろごろと喉を鳴らしてまとわりつく、貫禄たっぷりの大きなネコにアルクガードはそれでも微笑む。
 輝く蕾をつけた枝がかかえたバスケットを片手に、大公邸の広い庭を横切って、さらに奥の門へと手をかける。

 蔓薔薇の意匠の瀟洒の門扉を開けば、そこには懐かしい光景が広がる。
 あの廃庭園だ。

 今は“廃”とは言えないかもしれない。ただ、草木は整え過ぎられることはなく、なるべく自然な形にのこされて、ガラスが割れたドーム型の小さな神殿をもった四阿あずまやは、きれいに修復された。
 王都のはずれにソルフォードがここの邸宅を構えたのは、この廃庭園が目的だ。思い出の場所をそのままに大切に残しておくため。いつか、アルクガードとここで共に過ごしたいと。

 ソルフォードはただいま外出中だ。しばらくはアルクガードと一緒にいたいのに……とぼやきながら。王宮からの呼び出しでは仕方ないと。
 四阿に置かれた石のベンチに腰掛けたアルクガードは、膝にバスケットを載せて、また足に甘える大猫に手を伸ばしてそののど元をくすぐってやった。
 ゴロゴロと喉を鳴らすその様子に、目を細めたそのとき、茂みに隠れていたのだろう、四人が姿を現した。
 アクスの手には長剣がアルミスの手にはレイピアが、ポルトーの手にはショートソードが握られていた。なかなかに物騒な雰囲気だ。その後ろのエクターの手には武器はなかったが。

「枝を渡してもらおうか?」
「断る」

 アクスの言葉に、アルクガードはバスケットをぎゅっと両手に抱きしめた。大声を出せば屋敷から人が出てくるだろうが、逆に彼らを刺激して枝を強引に奪われる可能性も高い。そのあいだにもみあいの“事故”と見せかけて蕾を散らさせることも。
 「アルクガード様」とエクターが男子にしては高い可憐な声を出す。

「その枝をひととき“お貸し”下さるだけでいいのです。神殿で、それが正しい枝か鑑定ののちに、本当に神子の祝福を受けた枝とわかったなら、すぐにお返しします」

 そして、アルクガードに向かい天使の微笑みを浮かべて両手を差し出す。ただし、彼の前にはアルクガードに刃の切っ先を向けた三銃士がいるのだが。
 その鋼の光にも怯えることなく、微笑むエクターにアルクガードは「ふんっ!」と不敵に鼻を鳴らす。

「そんなしたり顔の微笑みを浮かべて嘘を言うな。お前のことだ。このバスケットを渡したとたん『あ』とでも声をあげ、わざと転んで私とソルの大切な蕾を目の前で踏み散らすつもりだろうが」

 「なんだと!」とポルトーが叫び「どこまで心根が腐った男だ!」とアクスも激高する。アルミスが「エクターがそのようなことをするはずがないとわかっていて、毒を吐くか」と軽蔑の眼差しでこちらを見る。
 これは“予防”だ。万が一にでも枝が奪われてしまった場合、すぐにも蕾を害されることがないよう。アルクガードのこんな予言を受けて、そのままに実行するほどエクターも馬鹿ではあるまいと。
 とはいえ油断はならない。それでもあえて、あくまで“事故”に見せかけてエクターが蕾を害する可能性は大きい。ワザとではなかった……と美少年が涙の一つでも見せれば、ころりと雄華達は騙されるのだから。

「どうしても枝を奪っていくというのならば、この私の両腕を切り落として持っていくがいい。たとえこの身にその剣が突き立てられても、私は絶対にこの子は渡さないからな! 
 二つの命を取っていく覚悟があるのなら、その剣を使うがいい!」

 それだけのことをお前達はしようとしているのだと、アルクガードが剣を持つ青年達を、その暗朱の瞳でひたり見据えれば、三人はたじろいだように身体を揺らした。
 良い子のエクターもどう男達をけしかけるか、その後ろで一瞬戸惑い考えこむ。
 そのときだ。アルクガードの足下にいて、低くうなり声をあげていたミィちゃんが、エクターに飛びかかった。武器を持つ男達ではなく、彼に飛びかかったのは、これが一番邪悪だという野生のカンだろうか? 
 とっさにご自慢の顔をかばった手の甲をしたたかにひっかかれて、エクターが悲鳴をあげる。ポルトーが慌ててミーちゃんの首根っこをひっつかんでぶん投げた。
 貫禄ある体型とはいえ、さすがネコ。くるくると回転してミーちゃんは着地して、すぐにアルクガードの足下に戻ってきた。そして、毛を逆立てて再び彼らを威嚇する。

「そのネコは、そこの黒い悪魔の使い魔です!」

 エクターが自分を攻撃したミィちゃんを憎々しげににらみ指さす。

「その悪魔の作り出した偽の蕾を引き裂けば、なかからおぞましい証拠が出てくるはず。それに悪魔自体の美しい顔を切り裂けば、薄皮一枚下に隠れた本性がわかります!」

 お前こそついに本性をあらわしたな……とアルクガードは心の中で叫ぶ。いつも遠回しに雄華達を操っていた魔性が、いきなりむき出しになったのは、猫に手をひっかかれたからという……なんともお粗末なものだが。
 だが、その魔性の毒にすっかり侵された青年達は、それをまったく疑問に思っていないようだ。アルクガードの白い顔に、再び剣の切っ先を向けて「悪魔め!」と口々に言う。

 相手が悪徳の黒薔薇ならば、なにを言ったっていい。
 全部あいつのせいだ。
 相手が“悪”ならば“正義の剣”を振り下ろすのは当然。

 自分達が正しいと信じきっているその目は、狂っているとアルクガードは、恐怖ではなくそのおぞましさに背筋が震えた。
 そして、叫ぶ。

「誰か助けて! この子を!」

 両腕だけでなく、膝の上のバスケットに上半身を覆い被せて叫ぶ。自分の身に剣が突き立てられてもいい。顔が無残に引き裂かれてもかまわない。誰か来るまでのそのあいだの、時間稼ぎの盾となるのなら。
 我が子をかばうその真実の姿も、独りよがりの正義によった青年達の曇った目には届かない。彼らは大切なお姫様が猫にひっかかれた、それだけの怒りでアルクガードに向かって剣を振り上げた。

 だが、その剣は振り下ろされることはなかった。

 「ぐ!」「は!」「あっ!」と三者三様の苦痛の声が響く。ロングソードにレイピア、ショートソードが宙に舞い飛ばされる。その利き腕を傷つけられた彼らは、血の流れる腕を押さえてよろめいた。

「わが最愛に手を出しておいて、片腕を切り落とされなかったこと、ありがたいと思え」

 痛みだけでなく発せられたその怒りに満ちた殺気と威圧感に、青年達は足をすくませた。
 その剣の一振りで彼らの凶剣を跳ね飛ばしたソルフォードは、バスケットを胸に抱きしめる、アルクガードの肩を引き寄せる。

「すまない、アルク、遅くなった」
「ソルは来てくれただろう?」

 それだけ言ってアルクガードは、その力強い胸にひたいを押し当てて目を閉じる。安堵からじわりと目頭が熱くなるのを感じた。
 「なぜ、あなたは王宮に……?」とアルミスが痛みにくぐもった声を出す。それにソルフォードが「書簡に不信を感じたのでな。先に確認の者を向かわせた」と答える。
 それが偽の呼び出しだと確認したソルフォード家の従僕は、王宮に馬車で向かう途中だったソルフォードに知らせた。当然、胸騒ぎを感じた彼は大公邸に急ぎ戻ったわけだ。
 アルミスの口調から、彼が偽の書簡を大公家に送ったようだ。王家の文書を騙るなど立派な犯罪だ。それがわかっているのか。
 いや、その前に。

「我が屋敷に武器を持って侵入したこと。さらには、我が妻および、生まれてくる吾子も殺そうとした。立派な大罪だな」

 四人の周りにはいつのまにか大公家の男性使用人達が取り囲んでいた。今さら自分達のしでかしたことにの青ざめた彼らは「殺す気なんて、そんな……」とポルトーが呆然とつぶやき、アクスがなおもアルクガードにらみつけて「殿下はその悪魔に騙されているのです!」と叫ぶ。それにアルミスが「華の神子が、その枝に不信を持たれています」とも。
 三人の言葉に勢いづいたエクターが「殿下に申し上げたいことがあります」と芝居がかった口調と、涙目でこちらに訴える。

 まだ、あがくつもりらしい。




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