60 / 127
第三章:見えない送り主
58
しおりを挟む
けれどそうと気付けなかったのは、心のど
こかに支援者と相談者の壁を超えてはいけな
いという自戒があったからなのだろう。
彼女が僕のコートを握り締める。
そして胸に頬を埋めると、まるで誓いのよ
うに言った。
「わたしも会いたいです。加害者家族の
一人ではなく、ただの『藤治佐奈』として」
ぐっ、と心臓を掴まれたような気がした。
その痛みのまま彼女の顎に触れると、僕は
ひび割れた指で、やさしく上を向かせる。
二人の眼差しが溶けるように、絡み合う。
息がかかるほど近くに、彼女の顔があった。
やがて彼女の瞳に映る自分が、瞼に消され
てゆく。僕は微かに震える長い睫毛を見つめ、
指で彼女の唇を撫でると、その唇を覆うよう
にキスを落とした。
ふっくらとした甘い唇の感触に、じんと胸
の奥が痺れる。一度重ねてしまえば、こんな
にも彼女を求めていたことに気付き、唇を離
すことが出来ない。僕たちはまるで長い時を
過ごした恋人たちのように、深く、浅く、唇
を重ね続けた。
そして、長い口付けに息が苦しくなりだし
た時だった。
「おや、おや、おや」
という、しゃがれ声が頭の上から聞こえて、
僕たちは反射的に唇を離した。
「なにやら店の中が暑い気がして来てみれ
ば、こんなところに恋の花が咲いていたとは」
その声に二人して顔を上げれば、いかにも
好々爺然とした風貌の人が本棚から僕たちを
覗くようにして見ている。
「爺ちゃん!?」
悲鳴に近い彼女の声ににんまりとした笑み
を浮かべると、赤いどんぐり帽子に仙人のよ
うな白い髭を生やしたお爺さんが、僕たちの
傍らにやって来た。
「いつまで経っても店から戻って来ないか
ら心配して来てみれば。いやはや、これはい
ったいどういうことかね?」
じぃと探るような眼差しを向けてきたお爺
さんに、僕は慌てて、すっく、と立ちあがる。
僕に倣って座り込んでいた彼女も立ち上が
ると、彼女は僕の腕を掴み、困り果てたよう
な顔を向けた。僕は安心させるようにその手
に触れると、姿勢を正し、お爺さんに言った。
「とんだところをお見せして、すみません。
僕は卜部吾都と申します。彼女……佐奈さん
とは、加害者家族を支援する活動の一環とし
て当団体が主催した交流会でご縁をいただき、
本日もお店までお邪魔させていただきました」
「ほぅ、加害者家族の?」
「はい。STAND BY Uという支援団体
で臨床心理士を務めております」
僕は懐から名刺を取り出しお爺さんに差し
出す。するとお爺さんは、まじまじと名刺を
見やりながら、丸眼鏡の向こうの目を細めた。
こかに支援者と相談者の壁を超えてはいけな
いという自戒があったからなのだろう。
彼女が僕のコートを握り締める。
そして胸に頬を埋めると、まるで誓いのよ
うに言った。
「わたしも会いたいです。加害者家族の
一人ではなく、ただの『藤治佐奈』として」
ぐっ、と心臓を掴まれたような気がした。
その痛みのまま彼女の顎に触れると、僕は
ひび割れた指で、やさしく上を向かせる。
二人の眼差しが溶けるように、絡み合う。
息がかかるほど近くに、彼女の顔があった。
やがて彼女の瞳に映る自分が、瞼に消され
てゆく。僕は微かに震える長い睫毛を見つめ、
指で彼女の唇を撫でると、その唇を覆うよう
にキスを落とした。
ふっくらとした甘い唇の感触に、じんと胸
の奥が痺れる。一度重ねてしまえば、こんな
にも彼女を求めていたことに気付き、唇を離
すことが出来ない。僕たちはまるで長い時を
過ごした恋人たちのように、深く、浅く、唇
を重ね続けた。
そして、長い口付けに息が苦しくなりだし
た時だった。
「おや、おや、おや」
という、しゃがれ声が頭の上から聞こえて、
僕たちは反射的に唇を離した。
「なにやら店の中が暑い気がして来てみれ
ば、こんなところに恋の花が咲いていたとは」
その声に二人して顔を上げれば、いかにも
好々爺然とした風貌の人が本棚から僕たちを
覗くようにして見ている。
「爺ちゃん!?」
悲鳴に近い彼女の声ににんまりとした笑み
を浮かべると、赤いどんぐり帽子に仙人のよ
うな白い髭を生やしたお爺さんが、僕たちの
傍らにやって来た。
「いつまで経っても店から戻って来ないか
ら心配して来てみれば。いやはや、これはい
ったいどういうことかね?」
じぃと探るような眼差しを向けてきたお爺
さんに、僕は慌てて、すっく、と立ちあがる。
僕に倣って座り込んでいた彼女も立ち上が
ると、彼女は僕の腕を掴み、困り果てたよう
な顔を向けた。僕は安心させるようにその手
に触れると、姿勢を正し、お爺さんに言った。
「とんだところをお見せして、すみません。
僕は卜部吾都と申します。彼女……佐奈さん
とは、加害者家族を支援する活動の一環とし
て当団体が主催した交流会でご縁をいただき、
本日もお店までお邪魔させていただきました」
「ほぅ、加害者家族の?」
「はい。STAND BY Uという支援団体
で臨床心理士を務めております」
僕は懐から名刺を取り出しお爺さんに差し
出す。するとお爺さんは、まじまじと名刺を
見やりながら、丸眼鏡の向こうの目を細めた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
15
1 / 4
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる