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episodeFinal 永遠のワンスモア
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「あの、つばさは?」
斗哉は、長い廊下を歩き始めた妹尾の背中に訊いた。
「いらっしゃいますよ。浴衣の着付けが終わったら会いに行くゆうてましたわ」
すすすす、と滑るように廊下を進んでいく背中がくるりと角を曲がる。斗哉は、
何となく拍子抜けした心持で、そうですか、と呟いた。やがて、寺の茶室のような
丸窓障子が壁にはめ込まれた和室の前で、妹尾が立ち止まる。斗哉は頭3つ
ぶんくらい低い彼の背後に立った。
「奥様。斗哉さんをお連れしました」
「お通しして」
妹尾が障子の向こうに声をかけると、すぐに返事があった。穏やかで凛とした、
澄子の声だ。斗哉は慌ててその場に膝をついた。すっと障子が開かれたのと
同時に、軽く頭を下げる。
「ご無沙汰しております」
丁寧に挨拶を口にして顔をあげると、澄子は部屋の奥にいた。着物姿で茶を
点てている。シュンシュン、と茶釜の湯が沸く音が斗哉のところまで聴こえた。
「お久しぶりね、斗哉さん。こんな山奥まで疲れたでしょう?どうぞ、入って」
ふふ、とにこやかに目を細めながら、自分の前に置かれた座布団を勧める。
斗哉は、やや緊張した面持ちで障子を閉めると、澄子に勧められるまま座布団に
正座した。
「まあそう硬くならずに、ゆったりくつろいでね。あの子はもう少し時間がかかる
ようだから。しばらく私とお茶でもしましょう」
茶杓を袱紗で拭きながら、澄子が柔らかく笑む。斗哉は小さく頷くと、
じっと澄子の所作を眺めた。茶道の知識は持ち合わせていないが、無駄のない
澄子の動きを見ているだけで、自然と心が和む。外はじりじりと燃えるような
暑さなのに、不思議と汗が引いていった。
「寂しかったでしょう?あの子が私のところへ来てしまって。子供の頃から、
ずっと一緒だものね」
ちら、と斗哉の顔に目を向けると、澄子は唐突にそんなことを話し始めた。
少し照れたような笑みを見せながら、斗哉は頷く。
「一緒にいるのが当たり前すぎたので、正直、しばらくの間は寂しかったです。
でも今は、お互いの成長のために、こういう時間が必要だったのかもしれない
と思えるようになりました」
ピンと背筋を伸ばしてそう答えた斗哉に、澄子が満足そうに頷いた。そうして、
茶碗の湯で※茶筅通しをしながら、言った。
「そう。ならよかったわ。離れなければ得られないことも、人生にはあるからね。
子が親元を離れて成長していくように、あの子にもあなたにも、そういう時間が
必要だった。それでも、時がくれば必ずまたあなたたちの人生は重なるから、
大丈夫。あの子は少し不安を感じているようだけどね」
ぴたりと手を止めて澄子が斗哉の顔を覗く。それだけで、斗哉はつばさの心の
内を悟ることができた。おそらく、つばさは自分が進む進路に不安を感じている
のだ。検察官になるという夢を叶えるために、自分は旧帝大への進学を決めて
いる。そうなると、つばさが修行を終えてあの場所に戻っても、入れ違いで今度は
斗哉が出て行ってしまうことになる。法科大学院を出るまで7年は戻って来られ
ないだろう。それでも、斗哉は2人の未来にそれほど不安を感じていなかった。
自分は絶対につばさを手放さない。それだけの、決意がある。
「つばさの修行は、いつ終わるんでしょうか?」
斗哉は、ふと疑問に思っていたことを口にした。澄子が茶菓子の載った皿を
斗哉に勧めながら、くすりと笑う。
「とっくに終わっていますよ。ここに来た時からね」
「………は?……」
斗哉は思わず間の抜けた声を漏らした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※お茶を点てる時に、茶碗の中のお茶を攪拌する茶筅の 穂先を
湯にくぐらせること。
斗哉は、長い廊下を歩き始めた妹尾の背中に訊いた。
「いらっしゃいますよ。浴衣の着付けが終わったら会いに行くゆうてましたわ」
すすすす、と滑るように廊下を進んでいく背中がくるりと角を曲がる。斗哉は、
何となく拍子抜けした心持で、そうですか、と呟いた。やがて、寺の茶室のような
丸窓障子が壁にはめ込まれた和室の前で、妹尾が立ち止まる。斗哉は頭3つ
ぶんくらい低い彼の背後に立った。
「奥様。斗哉さんをお連れしました」
「お通しして」
妹尾が障子の向こうに声をかけると、すぐに返事があった。穏やかで凛とした、
澄子の声だ。斗哉は慌ててその場に膝をついた。すっと障子が開かれたのと
同時に、軽く頭を下げる。
「ご無沙汰しております」
丁寧に挨拶を口にして顔をあげると、澄子は部屋の奥にいた。着物姿で茶を
点てている。シュンシュン、と茶釜の湯が沸く音が斗哉のところまで聴こえた。
「お久しぶりね、斗哉さん。こんな山奥まで疲れたでしょう?どうぞ、入って」
ふふ、とにこやかに目を細めながら、自分の前に置かれた座布団を勧める。
斗哉は、やや緊張した面持ちで障子を閉めると、澄子に勧められるまま座布団に
正座した。
「まあそう硬くならずに、ゆったりくつろいでね。あの子はもう少し時間がかかる
ようだから。しばらく私とお茶でもしましょう」
茶杓を袱紗で拭きながら、澄子が柔らかく笑む。斗哉は小さく頷くと、
じっと澄子の所作を眺めた。茶道の知識は持ち合わせていないが、無駄のない
澄子の動きを見ているだけで、自然と心が和む。外はじりじりと燃えるような
暑さなのに、不思議と汗が引いていった。
「寂しかったでしょう?あの子が私のところへ来てしまって。子供の頃から、
ずっと一緒だものね」
ちら、と斗哉の顔に目を向けると、澄子は唐突にそんなことを話し始めた。
少し照れたような笑みを見せながら、斗哉は頷く。
「一緒にいるのが当たり前すぎたので、正直、しばらくの間は寂しかったです。
でも今は、お互いの成長のために、こういう時間が必要だったのかもしれない
と思えるようになりました」
ピンと背筋を伸ばしてそう答えた斗哉に、澄子が満足そうに頷いた。そうして、
茶碗の湯で※茶筅通しをしながら、言った。
「そう。ならよかったわ。離れなければ得られないことも、人生にはあるからね。
子が親元を離れて成長していくように、あの子にもあなたにも、そういう時間が
必要だった。それでも、時がくれば必ずまたあなたたちの人生は重なるから、
大丈夫。あの子は少し不安を感じているようだけどね」
ぴたりと手を止めて澄子が斗哉の顔を覗く。それだけで、斗哉はつばさの心の
内を悟ることができた。おそらく、つばさは自分が進む進路に不安を感じている
のだ。検察官になるという夢を叶えるために、自分は旧帝大への進学を決めて
いる。そうなると、つばさが修行を終えてあの場所に戻っても、入れ違いで今度は
斗哉が出て行ってしまうことになる。法科大学院を出るまで7年は戻って来られ
ないだろう。それでも、斗哉は2人の未来にそれほど不安を感じていなかった。
自分は絶対につばさを手放さない。それだけの、決意がある。
「つばさの修行は、いつ終わるんでしょうか?」
斗哉は、ふと疑問に思っていたことを口にした。澄子が茶菓子の載った皿を
斗哉に勧めながら、くすりと笑う。
「とっくに終わっていますよ。ここに来た時からね」
「………は?……」
斗哉は思わず間の抜けた声を漏らした。
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※お茶を点てる時に、茶碗の中のお茶を攪拌する茶筅の 穂先を
湯にくぐらせること。
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