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第二章:蒼穹のひばり

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 翌日。
 さんざん悩んだ挙句に古都里が選んだ服は、
代わり映えしないオフホワイトのオーバー
オールだった。それに水色のパーカーを合わ
せてベージュのスニーカーに足を通す。少々
クセのある黒髪は抜け感のあるお団子ヘアに
仕上げていて、その髪型もいつもと何ら変わ
らない。もう少し改まった格好をした方がい
いかしら、と悩みもしたのだが、あまり小奇
麗な格好をすると「ちょっと友達とご飯食べ
てくる」と伝えた母に怪しまれるし、自転車
で向かうならパンツスタイルの方が何かと都
合が良かった。古都里はスニーカーと同色の
キャンバスバッグに箏の譜面をそっと忍ばせ
ると、少し早めに家を出たのだった。

 名刺の地図を確認し、白壁通りを稲荷町方
面に走ってゆく。平日の三時過ぎとあって、
美観地区周辺の人通りは疎らだった。くるん
と自然にカールした揉み上げの後れ毛を風に
靡かせながら、古都里は心の内で決意する。


――見学はさせてもらう。けど入会はしない。


 お稽古を見学して、少しだけ箏に触れさせ
てもらったら、入会は「検討します」のひと
言で有耶無耶にするつもりだった。
 あわよくば、『蒼穹のひばり』をもう一度
聴かせて欲しいと思ってはいるけれど……。
 その願いが叶わなくても、また定期演奏会
に足を運ばせてもらえばいい。やはり、もう
二度と箏に触れることさえ出来ない姉を思う
と自分だけ愉しく箏を習うのは気が引けるし、
箏をやめてしまった母に対する当て擦りのよ
うにも思われそうで、気が差してしまった。


――だから箏に触れるだけ。触れるだけ。


 そう心の内で繰り返すのは、或いは、箏の
音色に流されてしまいそうになる自分に対す
る戒めかも知れなかった。
 古都里は家を出た時よりも幾分、落ち着い
た心持ちで自転車を漕ぐと、路地を右に曲が
り住宅地に入っていった。



 「うわぁ、立派なお家」

 地図の案内通りに辿り着いた家は、数寄すき
凝らした大きな日本家屋だった。古都里は、
やはりもう少し綺麗な格好をしてきた方が良
かったかも、と後悔しながら和風垣に沿って
自転車を停めた。そうしてカラカラと数寄屋
門の引き戸を開ける。石畳と玉砂利を敷き詰
めた玄関までのアプローチには、竜胆りんどうだろう
か?漏斗状ろうとじょうの青紫色の花が両端に咲いていて、
可愛らしい。古都里はキョロキョロしながら
アプローチを進むと、すぅ、と呼吸を整えて
インターホンを押した。

 するとすぐに「はーい」と、明るい子ども
の声が聴こえてくる。ガラリと戸が開けられ
背筋を伸ばすと、小学一、二年生くらいの男
の子が目の前に立っていた。

 「あ、あのぅ……」

 右京ではなく、子どもが出てきたことに戸
惑って、一瞬、何と言えばいいかわからなく
なってしまった古都里に、男の子は、にぱっ
と笑いかけてくれる。

 「おかえりなさいませ!」

 「えっ?おっ、おか???」

 突然、「おかえり」などと予想外のことを
言われた古都里は、訳がわからず、目を白黒
させてしまった。
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