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紫雲の章
19
しおりを挟む心地よい気迫が、龍馬の肌を刺す。二合、三合と打ち合う。久々に感じる命のやり取りを前提とした緊迫感に自然と口角が持ち上がる。
女性のものとは思えない打ち込む力の強さに、負けじと攻め込んで行く。
望や康平に鍛えられた足技も、容易く避けられてしまい、危うくカウンターを貰うところだった。
互いの頬を流れる汗。どれ程の時間を本気で対峙しているのか。当人達すら解らない程の長い時間。何度も剣を交え、離れ、再び大地を蹴る。
それの繰り返し。
終わりが見えない。果たして終わりがあるのか。
何時間も打ち合い、離れた時、不意に黒鴉の動きが止まった。二人とも汗だくで、肩で息をしている。言葉を紡ぐのすら億劫だ。
龍馬は目で「どうかしたの?」と問い掛ければ、黒鴉が急にその場に片膝を付いた。さすがに龍馬も驚く。
「…参り、ました…」
荒い呼吸の合間に笑みを含んだ声が、辺りに木霊する。
「へ?」
間の抜けた声が龍馬から零れ落ちる。
「わたしと対峙し、これ程長い時間決着が着かなかったのは初めてです。『見定める者』として、満足しております…」
ご覧ください、と黒鴉は自分の手を見せた。その手は龍馬が思っていたよりも細く、長時間の酷使によりガクガクと震え、掌には肉刺が出来、血が滲んでいた。
「うわ!大丈夫!?痛くない!?」
龍馬は鳴響詩吹を納めると、慌てて黒鴉に駆け寄り、治癒光を黒鴉の両手に当てた。
「あー…、折角の綺麗な手がー…ごめんね、気付かなくて…痛かったよねー…?」
怪我をしているのは龍馬では無く、黒鴉の筈なのに、今にも泣き出してしまいそうくらいに、眉尻を下げているのは龍馬だ。
黒鴉は呆気にとられてしまう。
無理も無いだろう。先程まで、彼女が身震いする程の気迫を纏って居た筈の者が、これほどまでにわたついているのだから。
不意に笑いが込み上げて来て、肩が揺れる。
(なっ、泣いたっ!?)
見事な勘違いである。
うろたえる龍馬を余所に、黒鴉の肩は次第に大きく揺れ、最終的には。
「あーっはっはっは!く、苦し…っ!」
大口を開けて大笑いしてしまう。今度は龍馬が呆気にとられる番である。
暫くして、黒鴉の笑いは終わりを見せ、薄らと濡れた目が龍馬の金目を直視した。
どこかすっきりとしたような眼差しは、遠い過去に思いを馳せる。
「…歴代の『花嫁』が、あなたのように様々な意味で素晴らしい方だったら、世界は何度も崩壊せずに済んだでしょう…」
何処か愁いを帯びた双眸は、龍馬の胸を締め付けた。
怪我の治った黒鴉の白魚の如き手が、龍馬の頬をするりと撫でた。
「『黒鴉』の名に於いて、正式な『花嫁』が選定されました。『クレアート』と『花嫁』であるあなた様の契約が成されます。―ようこそ、世界の王よ」
桜色の唇が額に触れた瞬間、強い光が二人を覆い隠した。
ハッと龍馬が意識を取り戻す。慌てて周囲を見渡すが、剣などで付けられた傷は微塵も無く綺麗な状態だった。
黒鴉の姿も見当たらない。
「…そうだ、ソニア達呼びに行かなくちゃ」
本来の目的を思い出し、慌てて階段を駆け下り、廊下を走る。
何だか頭が少し重い感じがする。背中も何故かモゾモゾと違和感がある。
「ソニア、ルシルさん!」
厨房の扉を開けば、その音に驚いたソニアが振り返り様に龍馬を睨み付けた。
「アンタね!少しはしず、かに…」
尻すぼみして行くソニアの声に、龍馬は首を傾げる。
「どうかした?」
「どうか…って、アンタ…その、髪…」
「あら、まあ…」
ソニアは怪訝な表情で龍馬を指差し、コンロの前に立っていたルシルは右手を頬に添えて瞠目している。
「髪?」
龍馬は、首に掛かっていた自分の黒髪を眼前に持って来る。それは、彼が認識していた長さよりずっと長い。腰ほどまで伸びた髪に龍馬の思考は鈍くなり、動き悪くソニアに目を移す。
「あ、アレ?」
龍馬の口元は引き攣り、ソニアは額に手を沿え項垂れた。
「ふふ、龍馬様、こちらへ。その髪、結って差し上げますわ」
「あー…お願いします…」
ルシルは袖口から結い紐を取り出して龍馬を手招くと、近くの椅子に座らせて見た目よりも柔らかな黒髪に触れた。
「…はい、出来ました」
「ありがと、ルシルさん」
龍馬は新しく出来た三つ編みの尻尾を弄りながら、ルシルに礼を言う。
「で?慌ててたみたいだけど、何かあったわけ?」
「あっ!そうだ!望さんが目を覚ましたよ!」
「ちょっ、忘れてんじゃないわよ!このお馬鹿!」
ソニアは、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がると、慌しく厨房を出て行った。
「おー…ごめん…」
とっくに居なくなってしまったソニアに対し謝罪をする龍馬に、ルシルはくすくすと潜めた笑みをこぼしながら、弱火に掛けている土鍋を覗き込んだ。 くつくつ煮立つのは、龍馬の為に作っていた卵雑炊。小さな器に移し、蓮華と共に龍馬に差し出した。
「ありがと」
龍馬が器を受け取ると、ルシルはその隣に腰掛けた。
「熱いのでお気を付けを。消化にいい物をと思い、作りましたが…お味は如何でしょうか?」
「ん、おいしー」
その幸せそうな表情で世辞ではない事など一目瞭然。ほんわりと綻んだ龍馬の笑みに、ルシルも笑みを浮かべた。
「望が意識を取り戻して何よりです」
「うん。…康平さんとベルが目を覚ませば、もっといいんだけどね…」
「そうですね…。ですが、今は望の事を喜びましょう…?」
「…ん」
眉を八の字に寄せながら微笑む龍馬に、ルシルは遣る瀬無い思いが込み上げて来る。
突然、ルシルの手首の紋章が輝き、炎の精霊が姿を現した。本来の姿を隠した小さな精霊。
《サラ様!》
「あ、クリオス」
沈んだ表情は何処へやら。パッと明るくなる龍馬に、ルシルは苦笑を浮かべた。己の精霊は、龍馬を元気付ける事に長けているらしい。
《元気出して下さいまし…サラ様ぁ…》
オロオロと慌てるクリオスに、ニコニコとする龍馬。
二人の温度差にルシルが微笑んでいると、ふと、クリオスの動きが止まった。
《あら…?まあ…まあまあまあ!》
口元に手を添えながら、クリオスは喜色満面の笑みを浮かべ、ルシルを振り返った。
《ああ!ご主人様!もう間も無く…もう間も無く!婚礼の儀が迫っておりますわ!》
クリオスは龍馬の元を離れ、ルシルへと慌てて飛んだ。
龍馬もルシルも何事かと首を傾げている。
「え、うん、まあ、そうね?えーっと、いつだったかしら…」
《っんもう!そうじゃ御座いませんー!》
赤い肌を更に紅くし、クリオスが叫んだ。
龍馬は呆気に取られ、ルシルは「ああっ」と合点がいったのか珍しく声を上げた。
「そうね、そうだったわ!」
「へ?」
楽しそうにはしゃぐルシルとクリオスに、龍馬の困惑は増すばかりだ。
「ど、どゆ事?」
聞いても、盛り上がる二人の耳には届かない。
仕方ないと龍馬は食べ終えた器を大きなシンクの中に置き、そっと厨房を離れたのだった。
***
龍馬は、のっそりとした足取りで『ニンフェーア』に向かっていた。綺麗に編まれた三つ編みが、ゆらゆらと背中で揺れている。
「一体なんなんだろ?」
ルシル達の喜びように首を捻り、眉間に皺を寄せていた。
ふと窓の外に目を向けてみる。見えるのは、城内で一番大きな樹木。その太い枝に、見覚えの在る衣装の端が見え、龍馬の表情が途端に明るくなった。
パッとその場に炎の華を残し、消え去る。いつの頃からか、彼の、ヒガディアルのように姿を消す事が可能となってしまった。それだけ、龍馬の力が成長したと言う事なのか。
太い枝に座り、幹を背に瞼を閉じるヒガディアル瞼がゆっくりと開かれ、金と銀の双眸が露わとなった。目の前に火が花咲き、大きな炎となる。
その正体を瞬時に感じ追ったヒガディアルの口元が綻び、逞しい腕をそっと広げれば、炎の中から人が現れ、腕の中にダイブして来た。
「どうかしたのか?ドゥーラ」
ぽふん、と胸に顔を埋める子供に、笑みを漏らしながらその頭を優しく撫で、ふと気が付いた。愛し子の髪が伸びている事に。そして、ちらりと覗いた龍馬の背中に、一瞬だけ瞠目し、その表情を笑みで彩った。
愛し子の頭を胸に引き寄せ、腕の中に閉じ込める。
「ヒガ様?」
龍馬はヒガディアルへと問いかけるが、応えはない。変わりとばかりにくしゃりと頭を撫でられ、龍馬は仕方ないと諦めて、再びヒガディアルの胸に顔を埋めた。
ほんの一瞬の出来事ではあったが、ヒガディアルの目に映ったのは、龍馬の背に咲く紅い蓮。火傷のように引き攣れていた筈のソレは、刺青のように綺麗なものとなり、大きな蓮の花と成って背中一杯に咲いていた。花の中心には、漆黒の龍が丸くなっている。
この花は、特別で、特殊なもの。『黒鴉』に認められ、世界と結ばれた者のみが得られる、ある事柄の目安と成り得る物。
ヒガディアルの笑みが深くなる。
「宴を開かねば成らぬな」
いつもよりも飛び切りに甘い声に、龍馬は不思議に思い、ヒガディアルの胸から顔を上げる。すると、顔中に優しいキスを施された。
はぐらかされたような気がしないでもないが、追及しても答えてくれないだろうと言う事を察し、そう言えばと話題を変える事にした。
「望さんが意識を取り戻したんです」
「ああ…そうか…」
ヒガディアルは深く息を吐き出し、龍馬を抱き込む腕に少しばかり力を加えた。
「では、望の快気祝いも含めて、だな」
龍馬を抱え込んだままヒガディアルは立ち上がると、炎の花となって王の間へと姿を現した。今日は休みと聞いていた王の出現に、政務を進めていたマツバの目が驚きに開かれている。
「て、帝王?本日は、休まれると…」
「マツバ、宴の準備だ」
マツバの言葉を遮り、王は宰相に告げる。どこか喜色を滲ませるヒガディアルに不躾ながらも「は?」とこぼしてしまう。
「望と快気祝いと…」
気にする様子もなく、ヒガディアルは言葉を区切り、腕の中の龍馬に笑みを向けた。
「正統な后の誕生祝いだ」
まさかの言葉に、マツバの驚愕の表情が瞬く間に歓喜に彩られ、その場に居た近衛隊の面々も喜びに声を上げる。
しかし、龍馬は何が何だかサッパリだ。書類を持って入室してきたトラスティルも、一体何があったのかと首を傾げていた。
***
王の間で蚊帳の外となってしまった龍馬は、ヒガディアルに部屋に戻る旨を伝え、『ニンフェーア』へと戻って来た。望が着替えを終えた所だったらしく、帯を締めている望と目が合う。室内にはアイリーンとソニアも居た。
「あ、望さん。起きて大丈夫なの?」
「うん、心配掛けたね」
近付けば、わしゃわしゃと望に頭を撫でられた。
ふと望が気付く。
「あれ?髪伸びたの?」
「え、あ、うん。なんか、伸びてた。あ、そう言えば、何か今日は宴会らしいよ?望さんの快気祝い」
「へえ…?」
望は顎に手を沿え、龍馬に目をやりながら何か考え込む。
龍馬が声を掛ける前に、ガッと肩を掴まれ、クルンと方向転換をさせられる。そして、予告無く背中を捲られた。
「きゃぁあああ!」
「うるさい」
反射的に出た悲鳴を望は両断し、お茶をしていたアイリーンとソニアが、望に手招かれて一緒に龍馬の背中を見るとそれぞれ声を上げた。
「あーら、あらあらあら」
「そりゃ帝王も宴を開きたくもなるわなー」
「俺の快気祝いはついでだね」
「あのー…俺、何処に行っても置いてけぼり?」
眉尻を下げていると、龍馬の左腕から姿を現した白い炎。
「あ、アザゼル様」
背中を捲くられたまま、正面に姿を現した実父にヘラリと笑って手を振る。
アザゼルの頬が僅かに緩み、大きな手が龍馬の頭に優しく置かれた。
《父として複雑にも思うが…おめでとう…》
突如告げられた祝いの言葉に、龍馬は目が点である。それに気付いたアザゼルは首を傾げ、龍馬の背後にて背中を見つめる望に目配せすると、ゆるりと首を横に振られてしまう。
「残念ながら、アザゼル様のお察しの通りです」
呆れたような口調に、アザゼルは苦笑を浮かべると、再び龍馬に目を向けた。口を開いたが、何も言わず再び閉ざした。
《後で望達にでも聞きなさい》
そう言い残し、姿を消した。が、龍馬の中に戻った訳ではない様である。何処に飛んだのかは謎だ。
「で?何なの一体…」
「子供が宿せるようになったって事」
サラリと言い放った望は、満足したのかソファに腰を下ろした。アイリーンとソニアもソファーに座る。
応援ありがとうございます!
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