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紫雲の章
20
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当の龍馬は、そのまま動きを止め、錆付いたロボットのようにぎこちない動きで望達を振り返った。
「…え?」
「だから、子供が宿せるようになったって事」
再度望に言い放たれ、顔だけでなく耳や首まで瞬時に真っ赤に染まる。
そこで、望達ははたと気が付いた。
「まさか…」
「え、うっそだー…」
「え、でも有り得るわよ?」
コソコソと話し出す三人。
そっと龍馬に視線を流せば、更に赤くなり尚且つ目が涙目になっている。
三人は予想が間違いないと確信する。
「いまだ」
「キスのみ」
「なのねー…」
「う、うるさーいっ!」
何とも下世話な三人組に、龍馬は堪らず絶叫してしまう。
「とっくに手を付けてんのかと思った…」
「いやー、俺的にはそうだろうと思ってたぜ」
「あたしもー。帝王、相当龍馬が大事みたいだもん」
本人そっちのけで盛り上がる三人に、茹で上がった龍馬は、付き合いきれないと望が寝ていたベッドに倒れ込むと、ヴェルジネの蒼白な頬をそっと撫でた。
「どうしよ、ベル…何か…凄い事になってるよー…」
義理の娘に泣き付く龍馬の背中では、いまだに三人がやいのやいのと盛り上がっている。
何時しか睡魔が忍び寄り、龍馬の意識は遠退いて行った。
一方、アザゼルが顔を出したのは火神族守護神の部屋だった。
孤島に在る樹木に腰掛けるククルカンを見付け、歩み寄る。膝の上のネコ型の精霊と戯れていたククルカンは、アザゼルの気配に顔を上げ、手を上げて挨拶をした。
《よう、どうかしたのか?》
《ふ…白々しいな、ククルカン》
守護神が知らぬ訳が無い。
アザゼルの言葉にククルカンは笑みを深めると、花を散らす樹を見上げた。
《『無神族の守護樹』の封印を解かねばいかんな…》
どこか楽しそうなククルカンの声。
『無神族の守護樹』とは、王の第一子を宿す為だけの存在である。その役目を果たす為に、精霊力を溜め込んで行くのだ。その余りに強大は、『クレアート』に影響を及ぼしかねない為、強固な封印が施されており、その場所は無神族の守護神と統治者の守護神しか知らない。
そして、龍馬の背に咲いた大きな蓮の花が、『守護樹』が実を結ぶ準備が出来た事の証。
つまり、そういった行為をしたとしても、『花嫁』の身に嫡子が宿る事はないのである。それは『花嫁』が女でも変わらない。第二子からは、后が女ならば腹に宿り、男ならば統治者の守護神の元にある樹に宿ると言う事だ。
故に、龍馬とその兄を含め、嫡子が双子で生まれるのは異端なのである。
《…何を思っている?》
ククルカンが、遠い目をするアザゼルに声を掛ける。
《……アムルタートの事を思い出していた》
《ああ…ふふ、懐かしい名だ》
アムルタート。アザゼルの嫡子であり、龍馬の双子の兄の名である。
《私もラビも、あの子に愛情を注いだ。が、どうしても、事ある毎に龍馬の事を思い出していた。…あの子は、それに気付いていたんだな。寂しい思いをさせてしまった…》
思い出すのは、幼い我が子。自分達の前では明るく気丈に振舞っていたが、今思えばどこか影があったように思う。
ククルカンは、水面を眺めながら過去を思い出していた。
賢帝の跡を継いだ子供は、一部の民や城内の元老院に疎まれていた。別に民を苦しめていたわけでもなく、貴族達と癒着して愚かしい政治を行っていた訳でもない。嫌われるどころか、寧ろ多くの民衆に愛されていた。それでも、特に秀でたものが無かった凡庸な王は、影で『愚帝』と詰られ、それを享受していた。
当時の精霊王は、水神族の女帝だった。そして、アムルタートはその補佐的役割を果たしており、二人は男女の仲を超越した絆で世界の安寧を願っていた。
己が身に降り注ぐ悪意すら、その袂へと受け入れてしまっていた優しすぎたアムルタート。
甘いと言われるのは、この兄弟の宿命なのか。
彼は、自身が双子である事を両親から知らされていなかった。それでも、事ある毎に相談されていた。
自分には、何かが足りないと。
その度に、気のせいだとはぐらかしていたが、実際のところ、彼は気付いていたのだ。
魂の半分が無い。半身がいない、と。
《そう言えば…》
ククルカンがポツリと呟けば、アザゼルは無言でその先を促した。
《あの子が最期に言っていた。『もし、片割れと会う事があったら、愛していると伝えてくれ』と…》
《…あの子は…龍馬の存在を…?》
アザゼルの言葉に、ククルカンは静かに頷いた。
《やはり、何か通ずるものがあったんだろうな…。気付いていたよ…弟が居て…その存在が生きている事に…》
―だから、尚の事、明るく振舞っていたんだ…
掠れる呟きに、アザゼルは瞼を閉じた。
《あの子は…アルトは、幸せだっただろうか…》
《ああ、俺が保証する》
《そうか…そうか…》
自然と浮かぶ笑みは、幼いあの子に向けるもの。ククルカンの表情も、柔和に綻んでいる。
緩やかに頬を撫でる風。その穏かさは、今は亡き優しいあの子を思い出させた。
***
闇の中。
龍馬は、キョロキョロと辺りを見回す。続くのは闇ばかり。
不意に、目の前に花弁が一枚舞い降り、反射的に手のひらを伸ばした。
「桜…」
呟いた瞬間、桜吹雪が吹き荒れ、咄嗟に腕で顔を庇う。ふと花弁の合間合間に、人影を見つけた。
突風が収まり、はらはらと穏やかに舞う桜の花。
ほんの数歩先に佇む青年に、心臓が脈打った。
微笑む青年。朱色の髪に、自分とは対照的な銀の瞳。背丈は青年の方がほんの少しだけ高いような気がする。顔立ちは弥兎と似ている。否、寧ろ己と瓜二つ。
その姿を視認した瞬間、自分の中の何かが芽吹いた。
「に、さん…?」
零れた言葉に、はっと口を押さえる。
『初めまして…で、良いのかな?私は…』
躊躇いがちに紡がれた言葉。声は龍馬よりも少しばかり低くて、とても落ち着いた、紳士的な印象を受ける。
「…アムルタート…でしょ?俺の、双子のお兄さん…」
伝えれば、アムルタートの顔が、嬉しそうな、泣きそうな複雑な色を滲ませて笑みを浮かべた。
(きっと、俺も同じ顔してる…)
どちらとも無く互いの体を抱き合った。
***
意識が浮上した。人の気配が無く、望達が部屋に居ない事が分かった。
心配するように覗き込むのは、火の精霊達。大丈夫、と笑えば、精霊達は龍馬の周りを舞う。
身を起こした時に、何かが頭からひらりと落ちて来た。摘み上げれば、薄紅の花弁。
「…兄さん…」
自然と頬が緩んだ。
二体の精霊が、何かを持って目の前を浮遊する。手を差し出せば、ピンポン玉大の透明な水晶がのせられた。
精霊達は花弁を指差し、水晶を指差す。言われるままに、摘んだ花弁を水晶に近付けると、花弁は水晶の中に吸い込まれて行った。
「おお…」
感嘆の息を漏らし、笑みを深めた。
隣に視線を落とせば、変わらず寝息を立てるヴェルジネ。ふふ、と笑みをこぼし、額にかかる髪をそっと払う。
ベッドから立ち上がり、テラスへと続く窓を開く。
空は茜色に染まっていた。吹き込む風が心地いい。
龍馬は躊躇いもせずに、手摺の上に立った。
風が、龍馬の髪を後ろへ浚う。風の精霊達は、楽しそうに笑いながら、龍馬の髪で戯れると再び何処かに飛び立った。
「ティファレト」
名を呼べばテラスに狐が姿を現し、手摺に立つ主を見上げた。
「お留守番、宜しく」
告げれば、「コン」と一声上げた。
龍馬はそれに満足そうに微笑むと、背中から空中へと身を投げた。
―ゴウッ!
耳元で、風が鳴く。
見る間に自分の部屋が遠ざかり、映像は瞬く間に変わって行く。自分の伸びた髪が重力に逆らって、目の前で激しく何度も翻る。
「サラ!?」
トラスティルの声も、瞬時に遠退く。
龍馬の口元に浮かぶのは、穏やかな笑み。彼を満たしているのは、幸福。
「…琥珀…」
目を瞑り、龍の名を呟いた瞬間、額に光り輝く宝玉が現れ、龍馬の体を包み込んだ。
世界に、龍の咆哮が轟いた。
人々は知らずその場に平伏し、帝王達もまた、玉座から立ち上がり、深く頭を垂れたのだった。
ヒガディアルは王の間のテラスに歩み出て、空を見上げた。夕日の光が目を刺す。
腕をゆっくりと広げれば、光の中、手が伸びて来た。強く抱き締めると、その細さに折れそうな恐怖を覚える。
しかし、力を緩める気など更々無い。
同じ力強さで己の首にしがみ付く愛し子。
甘い匂いは、精霊王と『花嫁』だけの秘密の睦言。互いから匂い立つその芳香に、目眩を覚える。
皆が平伏しているのをいい事に、今までにない程、情熱的に互いの唇を貪りあった。
オッドアイと金の双眸が交錯する。
ゴッと風を纏って手摺の向こう側に姿を現したのは、巨大な黒鱗金眼の五爪龍。
「兄さんに、幸せに、と言われました…」
微笑むその双眸には、薄らと涙の膜。
ヒガディアルは、掠れた声で「そうか…」と呟き、額の宝玉にそっと口付けた。
その夜。
全世界がお祭り騒ぎだった。勿論、火神族の城も例外ではない。
しかし、主役となる人物は、その場には居なかった。
激情を抑える術は、とうに捨て去った。
甘い匂いが充満するのは、王の私室『ネルンビオ』。
湧き上がる熱に、衣類を脱ぎ捨てるのすらもどかしい。
何故、目の前の存在に、これ程欲が猛るのか理解できない。只、欲しいと互いの本能が呼び合うのだ。
今まで、傍に居てもこれ程に求め合う事など微塵も無かった。
「ふ、ふふ…」
熱に浮かされた龍馬の笑みに、ヒガディアルも煽られる。
龍馬は、背中の龍が脈打つのを感じていた。
ヒガディアルの手が、龍の上を撫でる度に、強烈な快感を得る。言ってしまえば、それだけで気をやってしまいそうな程。
「滅茶苦茶だな…っ」
口付けの合間に呟くヒガディアル。それに目で意味を問えば、苦しそうに口角を持ち上げた。
その笑みの何と艶めかしい事か。
「通例では、婚礼の儀が、先なのだがな…」
互いに裸。
月明かりの中、互いの肌の温もりが愛しい。
ヒガディアルの言葉を最後に、会話は途切れた。
あとは、ベッドの軋みと、互いの荒い息、そして淫らな悲鳴だけが響いていた。
「…え?」
「だから、子供が宿せるようになったって事」
再度望に言い放たれ、顔だけでなく耳や首まで瞬時に真っ赤に染まる。
そこで、望達ははたと気が付いた。
「まさか…」
「え、うっそだー…」
「え、でも有り得るわよ?」
コソコソと話し出す三人。
そっと龍馬に視線を流せば、更に赤くなり尚且つ目が涙目になっている。
三人は予想が間違いないと確信する。
「いまだ」
「キスのみ」
「なのねー…」
「う、うるさーいっ!」
何とも下世話な三人組に、龍馬は堪らず絶叫してしまう。
「とっくに手を付けてんのかと思った…」
「いやー、俺的にはそうだろうと思ってたぜ」
「あたしもー。帝王、相当龍馬が大事みたいだもん」
本人そっちのけで盛り上がる三人に、茹で上がった龍馬は、付き合いきれないと望が寝ていたベッドに倒れ込むと、ヴェルジネの蒼白な頬をそっと撫でた。
「どうしよ、ベル…何か…凄い事になってるよー…」
義理の娘に泣き付く龍馬の背中では、いまだに三人がやいのやいのと盛り上がっている。
何時しか睡魔が忍び寄り、龍馬の意識は遠退いて行った。
一方、アザゼルが顔を出したのは火神族守護神の部屋だった。
孤島に在る樹木に腰掛けるククルカンを見付け、歩み寄る。膝の上のネコ型の精霊と戯れていたククルカンは、アザゼルの気配に顔を上げ、手を上げて挨拶をした。
《よう、どうかしたのか?》
《ふ…白々しいな、ククルカン》
守護神が知らぬ訳が無い。
アザゼルの言葉にククルカンは笑みを深めると、花を散らす樹を見上げた。
《『無神族の守護樹』の封印を解かねばいかんな…》
どこか楽しそうなククルカンの声。
『無神族の守護樹』とは、王の第一子を宿す為だけの存在である。その役目を果たす為に、精霊力を溜め込んで行くのだ。その余りに強大は、『クレアート』に影響を及ぼしかねない為、強固な封印が施されており、その場所は無神族の守護神と統治者の守護神しか知らない。
そして、龍馬の背に咲いた大きな蓮の花が、『守護樹』が実を結ぶ準備が出来た事の証。
つまり、そういった行為をしたとしても、『花嫁』の身に嫡子が宿る事はないのである。それは『花嫁』が女でも変わらない。第二子からは、后が女ならば腹に宿り、男ならば統治者の守護神の元にある樹に宿ると言う事だ。
故に、龍馬とその兄を含め、嫡子が双子で生まれるのは異端なのである。
《…何を思っている?》
ククルカンが、遠い目をするアザゼルに声を掛ける。
《……アムルタートの事を思い出していた》
《ああ…ふふ、懐かしい名だ》
アムルタート。アザゼルの嫡子であり、龍馬の双子の兄の名である。
《私もラビも、あの子に愛情を注いだ。が、どうしても、事ある毎に龍馬の事を思い出していた。…あの子は、それに気付いていたんだな。寂しい思いをさせてしまった…》
思い出すのは、幼い我が子。自分達の前では明るく気丈に振舞っていたが、今思えばどこか影があったように思う。
ククルカンは、水面を眺めながら過去を思い出していた。
賢帝の跡を継いだ子供は、一部の民や城内の元老院に疎まれていた。別に民を苦しめていたわけでもなく、貴族達と癒着して愚かしい政治を行っていた訳でもない。嫌われるどころか、寧ろ多くの民衆に愛されていた。それでも、特に秀でたものが無かった凡庸な王は、影で『愚帝』と詰られ、それを享受していた。
当時の精霊王は、水神族の女帝だった。そして、アムルタートはその補佐的役割を果たしており、二人は男女の仲を超越した絆で世界の安寧を願っていた。
己が身に降り注ぐ悪意すら、その袂へと受け入れてしまっていた優しすぎたアムルタート。
甘いと言われるのは、この兄弟の宿命なのか。
彼は、自身が双子である事を両親から知らされていなかった。それでも、事ある毎に相談されていた。
自分には、何かが足りないと。
その度に、気のせいだとはぐらかしていたが、実際のところ、彼は気付いていたのだ。
魂の半分が無い。半身がいない、と。
《そう言えば…》
ククルカンがポツリと呟けば、アザゼルは無言でその先を促した。
《あの子が最期に言っていた。『もし、片割れと会う事があったら、愛していると伝えてくれ』と…》
《…あの子は…龍馬の存在を…?》
アザゼルの言葉に、ククルカンは静かに頷いた。
《やはり、何か通ずるものがあったんだろうな…。気付いていたよ…弟が居て…その存在が生きている事に…》
―だから、尚の事、明るく振舞っていたんだ…
掠れる呟きに、アザゼルは瞼を閉じた。
《あの子は…アルトは、幸せだっただろうか…》
《ああ、俺が保証する》
《そうか…そうか…》
自然と浮かぶ笑みは、幼いあの子に向けるもの。ククルカンの表情も、柔和に綻んでいる。
緩やかに頬を撫でる風。その穏かさは、今は亡き優しいあの子を思い出させた。
***
闇の中。
龍馬は、キョロキョロと辺りを見回す。続くのは闇ばかり。
不意に、目の前に花弁が一枚舞い降り、反射的に手のひらを伸ばした。
「桜…」
呟いた瞬間、桜吹雪が吹き荒れ、咄嗟に腕で顔を庇う。ふと花弁の合間合間に、人影を見つけた。
突風が収まり、はらはらと穏やかに舞う桜の花。
ほんの数歩先に佇む青年に、心臓が脈打った。
微笑む青年。朱色の髪に、自分とは対照的な銀の瞳。背丈は青年の方がほんの少しだけ高いような気がする。顔立ちは弥兎と似ている。否、寧ろ己と瓜二つ。
その姿を視認した瞬間、自分の中の何かが芽吹いた。
「に、さん…?」
零れた言葉に、はっと口を押さえる。
『初めまして…で、良いのかな?私は…』
躊躇いがちに紡がれた言葉。声は龍馬よりも少しばかり低くて、とても落ち着いた、紳士的な印象を受ける。
「…アムルタート…でしょ?俺の、双子のお兄さん…」
伝えれば、アムルタートの顔が、嬉しそうな、泣きそうな複雑な色を滲ませて笑みを浮かべた。
(きっと、俺も同じ顔してる…)
どちらとも無く互いの体を抱き合った。
***
意識が浮上した。人の気配が無く、望達が部屋に居ない事が分かった。
心配するように覗き込むのは、火の精霊達。大丈夫、と笑えば、精霊達は龍馬の周りを舞う。
身を起こした時に、何かが頭からひらりと落ちて来た。摘み上げれば、薄紅の花弁。
「…兄さん…」
自然と頬が緩んだ。
二体の精霊が、何かを持って目の前を浮遊する。手を差し出せば、ピンポン玉大の透明な水晶がのせられた。
精霊達は花弁を指差し、水晶を指差す。言われるままに、摘んだ花弁を水晶に近付けると、花弁は水晶の中に吸い込まれて行った。
「おお…」
感嘆の息を漏らし、笑みを深めた。
隣に視線を落とせば、変わらず寝息を立てるヴェルジネ。ふふ、と笑みをこぼし、額にかかる髪をそっと払う。
ベッドから立ち上がり、テラスへと続く窓を開く。
空は茜色に染まっていた。吹き込む風が心地いい。
龍馬は躊躇いもせずに、手摺の上に立った。
風が、龍馬の髪を後ろへ浚う。風の精霊達は、楽しそうに笑いながら、龍馬の髪で戯れると再び何処かに飛び立った。
「ティファレト」
名を呼べばテラスに狐が姿を現し、手摺に立つ主を見上げた。
「お留守番、宜しく」
告げれば、「コン」と一声上げた。
龍馬はそれに満足そうに微笑むと、背中から空中へと身を投げた。
―ゴウッ!
耳元で、風が鳴く。
見る間に自分の部屋が遠ざかり、映像は瞬く間に変わって行く。自分の伸びた髪が重力に逆らって、目の前で激しく何度も翻る。
「サラ!?」
トラスティルの声も、瞬時に遠退く。
龍馬の口元に浮かぶのは、穏やかな笑み。彼を満たしているのは、幸福。
「…琥珀…」
目を瞑り、龍の名を呟いた瞬間、額に光り輝く宝玉が現れ、龍馬の体を包み込んだ。
世界に、龍の咆哮が轟いた。
人々は知らずその場に平伏し、帝王達もまた、玉座から立ち上がり、深く頭を垂れたのだった。
ヒガディアルは王の間のテラスに歩み出て、空を見上げた。夕日の光が目を刺す。
腕をゆっくりと広げれば、光の中、手が伸びて来た。強く抱き締めると、その細さに折れそうな恐怖を覚える。
しかし、力を緩める気など更々無い。
同じ力強さで己の首にしがみ付く愛し子。
甘い匂いは、精霊王と『花嫁』だけの秘密の睦言。互いから匂い立つその芳香に、目眩を覚える。
皆が平伏しているのをいい事に、今までにない程、情熱的に互いの唇を貪りあった。
オッドアイと金の双眸が交錯する。
ゴッと風を纏って手摺の向こう側に姿を現したのは、巨大な黒鱗金眼の五爪龍。
「兄さんに、幸せに、と言われました…」
微笑むその双眸には、薄らと涙の膜。
ヒガディアルは、掠れた声で「そうか…」と呟き、額の宝玉にそっと口付けた。
その夜。
全世界がお祭り騒ぎだった。勿論、火神族の城も例外ではない。
しかし、主役となる人物は、その場には居なかった。
激情を抑える術は、とうに捨て去った。
甘い匂いが充満するのは、王の私室『ネルンビオ』。
湧き上がる熱に、衣類を脱ぎ捨てるのすらもどかしい。
何故、目の前の存在に、これ程欲が猛るのか理解できない。只、欲しいと互いの本能が呼び合うのだ。
今まで、傍に居てもこれ程に求め合う事など微塵も無かった。
「ふ、ふふ…」
熱に浮かされた龍馬の笑みに、ヒガディアルも煽られる。
龍馬は、背中の龍が脈打つのを感じていた。
ヒガディアルの手が、龍の上を撫でる度に、強烈な快感を得る。言ってしまえば、それだけで気をやってしまいそうな程。
「滅茶苦茶だな…っ」
口付けの合間に呟くヒガディアル。それに目で意味を問えば、苦しそうに口角を持ち上げた。
その笑みの何と艶めかしい事か。
「通例では、婚礼の儀が、先なのだがな…」
互いに裸。
月明かりの中、互いの肌の温もりが愛しい。
ヒガディアルの言葉を最後に、会話は途切れた。
あとは、ベッドの軋みと、互いの荒い息、そして淫らな悲鳴だけが響いていた。
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