紅蓮の獣

仁蕾

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紫雲の章

22

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   ***

 龍馬、望、ソニアの目に入って来たのは、美しい青い鱗の翼を有する東洋竜。大きく長い体はとぐろを巻き、大きな翼で身を包んでいる。
「これが…兄さん…?」
 揺らぐソニアの声。
 真っ直ぐ見つめてくる竜の目は紫紺。正気は既に無く、狂気に濡れている。
 龍馬は自身の体に上手く力が入らない事に、小さく舌打ちをした。先程まで、濃密な時間を過ごしていた故、仕方のない事だ。だが、今はそれを気にしていられない。
「アイリーンの気が掴めない…完全に竜の気に呑まれてる」
 そう呟き、龍馬は右手に鳴響詩吹を召喚した。
「…どうするの?」
 ソニアがそれに気付き、震える声で小さく呟いた。
 望は何も言わずに、その煌く切っ先を見つめていた。
「…兎に角、今は、アイリーンの体力を削らなきゃ…」
 苦々しく吐き出された龍馬の言葉に、ソニアは兄と同じ紫紺の瞳を瞠る。
「傷…付けるって事…?」
「…仕方が無い」
 ソニアは、一瞬にして全身の血が沸騰したような感覚に襲われた。
「ふざけないで!そんな事、出来る訳ないじゃない!」
「…だったら、ソニアは外に出といて」
 龍馬の声は、冷静そのものだった。それが、
「っ…絶対に嫌よ!ねえ、望だってそうでしょ…!?」
 突如、話を振られ、望は即答出来なかった。同意する事を望んでいるのが、ひしひしと伝わって来る。それを重々承知した上で、望は己の考えを口にした。
「俺は………龍馬に従うよ…ソニア」
 その答えに、ソニアの表情は絶望に彩られた。彼女を襲うのは、裏切られたかのような感覚。
「何で…?何でよ!兄さんは、アンタの恋人でしょうっ?何で傷付けるのよっ!」
 悲痛な叫びに、望は顔を背けそうになるが必死にそれを堪え、ソニアの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「帝王の命令は、絶対だ」
「…だからって…!」
「嫌なら出て行け!」
 ソニアの言葉を遮り、龍馬は叫んだ。
 普段の穏やかな龍馬では無く、命を背負う者の顔をしていた。
「世界を危険に曝す訳にはいかないんだよ!アイリーンだって、自分の手で仲間を…世界を傷付けたくないはずだ!」
「だからって、兄さんを殺すのっ!?」
「違う!そうじゃない!」
「何が違うのよ!得物を抜いときながら、今更何言ってんのよ!アンタに、肉親を失う辛さが解るって言うの…っ!」
 叫んでから、しまったと手で口を覆った。しかし、既に吐き出されてしまった言葉はどうしようもない。
 ソニアは動揺に揺らいだ視線を龍馬に向ける。龍馬の目は一切の揺らめきも無く、真っ直ぐにソニアを見つめていた。
「解るよ。きっと、誰よりもその辛さは解る」
「っ…ごめんなさい…あたし、そんなつもりじゃ…っ!」
 一気に冷静さを取り戻したソニアは、静かに謝罪を述べた。が、龍馬は責める事なく表情を和らげ、首を振った。
「気にしないで。でも、本当にソニアはこの場に居ない方がいい。アイリーンを傷付けさせる訳にはいかない」
 そう言って、外に出るように促した。扉の向こう側に消える刹那、ソニアは小さく呟いた。
「兄さんを…お願い…」
 ―バタン…
 重い扉の音が響き、龍馬は知らず知らずの内に深く息を吐き出した。鳴響詩吹を握る手は、じっとりと汗を掻いている。
 息を吸い込むと、望へと視線を移した。
「望さんも、辛かったら出ていいんだよ?俺なら平気だから」
 そう言いながらも、龍馬の心臓はいやに脈打っていた。それを見透かしたように、望は「ふふ…」と笑った。
「部下の尻拭いは、上司の役目ってね。君だけに、辛い思いはさせない」
 そう言って、赤華扇を手に握った。
 竜体のアイリーンを見上げ、望はヴェルジネを思い出す。
「ベルは、一人で辛かっただろうね」
 その言葉で龍馬が思い出すのは、康平の心臓を深く貫いた幼い義娘の事。
 龍馬は目を閉じ、腹の底に動揺を押し込め、ゆっくりと瞼を押し上げた。
「さて、行こうか…帝王モナルカ
「優先事項は、殺さぬ事」
「了解。まあ、竜体だから、ある程度の本気は大丈夫だろ」
 にんまりと笑う望の顔は、先程までの『恋人』のものではなく、『無神族帝王近衛隊隊長』のものだった。

 稽古場周辺の結界の強化を終えたトラスティル達は、扉の前で微動だにしないソニアの姿を見付けた。
「ソニア!」
「っ、トラ隊長…」
 振り返ったソニアの目には、うっすらと涙の膜が張っている。ティアナがその肩をそっと抱き寄せた。
 深く息を吐き出すソニアの表情は、青ざめている。
「そう言えば、一番に食い付く康平はどうした?気配の欠片も無いけど…」
 ジークの呟きに、ソニアとトラスティルの肩が小さく揺れた。
 康平とヴェルジネが昏睡状態である事は、城内の人間にしか知られていない。大事になる事を危惧し、外部の人間には一切知らせていないのだ。今のように何かを問われたら、「体調を崩して…」とはぐらかしていた。
 ソニアが躊躇いながらも口を開こうとした、その時。
 肌を刺す精霊力が稽古場から溢れ出した。張り巡らされた結界を突き破り、襲い来る精霊力。
 結界に亀裂が走ったのを見るか見ないかの刹那、ソニアは反射的に稽古場を包み込む結界を構築し、次いで三隊長も結界を張り巡らせた。その瞬間、四人の腕に複数の裂傷が走る。
「ったー…やっぱり、あの二人の力は強いわね…」
 ティアナは呟きながら手の甲に滲んだ血を、舐め取った。
 激しい流血ではないものの、幾つも走る裂傷は気になる程度に微妙に痛い。
「兄さん…」
 ソニアの目は、扉の向こう側を見つめていた。

 ―ズンッ!
 青い鱗の尾が、土煙を上げて地面に減り込んだ。
 攻撃を軽く避けた龍馬が、鳴響詩吹を十字に斬れば風の刃が出現し、青い鱗に大きな傷を付けるが、流血する事無く瞬時に傷は癒える。
 龍馬の攻撃とほぼ同時に、望は赤華扇に精霊力を込め倍の大きさにすると、遠心力を利用して思い切り投げ付けた。赤華扇は竜の体に深く突き刺さり、光の粒子と成って消え去る。が、やはり傷は残らない。
 龍馬が望の隣に降り立った。
「超回復ってズルイよね!」
「…ズルイって言うか…卑怯だよね」
 龍馬の言葉に対し、望は更に酷い言葉を告げた。
 いつもの戦闘時よりも解放している精霊力。それを込めているのにも関わらず、掠り傷すら残らぬ回復力に二人は苛立ち始める。特に望の眉間の皺は深く刻まれ、青筋が立っている。
「あいつ…元に戻ったらシバく」
 そう呟くと、更に力を解放し始める。
 龍馬は考える。鳴響詩吹でも傷が付かない。ならば、騎槍でやっても無意味だろう。
 そこで閃いた。
「ケセド」
 青い炎が現れ、狼へと姿を変える。
「ティファ姐さんと交代して」
 現在、ティファレトは『ニンフェーア』にて、侵入者がないよう番人をしている。しかし、思い付いた事を実行しようとするなら、ティファレトが居なければ始まらない。
 龍馬の指示に青い狼は頷くと、すぐさまその姿を消した。
「望さん、直ぐに片付いたらごめんね?」
「早いに越したことはないけど…何すんのさ」
 望の問いに、龍馬の口角がにやりと持ち上がる。流石の望も一歩下がるほどの悪どさ。
「ちょっと試したい事が。まずは…その者の名は『ビナー』。神名を『エロヒム』。理解を担い、青き水を纏いし者。今、正統なる精霊として契約する」
 唱えれば、額に黄金の宝玉が現れた。同時に、ふわりと龍馬の長い髪が波打つ。
 己の中にティファレトが戻ったのを感じると、パンッと手を重ね、合掌の状態で声高らかに唱え始める。
「北に『栄光』の大地、南に『基礎』の炎、西に『美』の風、東に『理解』の水、天に『王冠』の焔、地に『知識』の無」
 唱える毎に、アイリーンを囲むように姿を現す『魄霊』達。
 北にサーベルタイガーのホド。
 南に大鷹のイェソド。
 西に二尾の狐のティファレト。
 東に黒虎のビナー。
 天に白き焔のケテルことアザゼル。
 そして、龍馬の正面に、ダアトこと弥兎。
「点は線に、線は面に姿を変えて、青き鱗の竜を囲う」
 それぞれが纏う光が繋がり線へと変わる。更にその線が伸び、面へと変わる。
 竜は異変に気付き暴れ出すが、時既に遅し。身動きが取れないに等しい。しかし、さすがに龍馬にも負担になっているのか、額に汗が滲み始める。
「発動、『四面楚歌』!」
 叫ぶと同時に大きく手を打った瞬間、強い光がアイリーンの竜体を包み込んだ。
 抗うように耳を劈く咆哮が響き渡る。
 薄らと見える影が、徐々にその姿を縮めて行くのが見えた。が、半分程の大きさまで縮まると、更に激しくのたうち始めた。
 尾が結界の壁を強かに打ち付けた。
 ―ガシャン…!
 ガラスが割れる音と共に壊された囲いの破片が、龍馬と望の頬や腕に裂傷を作り出し、『魄霊』達の姿も掻き消える。
 ―ギャァオオォオォオォ!
 咆哮が轟き、口から炎が吐き出され、二人は慌てて避ける。
 ―グォオォォオオオ!
 縮んで動きやすくなったのか、その巨体が体当たりで龍馬に襲い掛かった。龍馬が間一髪で避けきると、白い雌獅子が竜の喉元に食らい付いた。
「望さん!」
「多分、長く持たない。どうにかして、打開策を見つけなきゃ」
 赤華扇や術を巧みに使い、アイリーンの体に攻撃を仕掛けていく。ふと、その体に傷が残っているのに気が付いた。
「さっきので元に戻ると思ったんだけど…今、竜の力は半分くらいには下がってると思う。超回復も抑制されてるよ!」
 叫びながらも龍馬はティファレトを呼び出し、攻撃開始する。こちらから僅かでも意識を逸らせる為に。
 龍馬と望は深く腰を落とし、力を溜めていく。ティファレトへ送る精霊力を徐々に減らし、彼女を呼び戻した瞬間。
 ―ダンッ!
 二人は同時に地面を蹴った。力を溜めきった足で飛び出せば、地面は抉られ激しく土煙が舞った。
 龍馬は鳴響詩吹を思い切り振り上げ、勢い良く竜の胸元へと振り下ろす。刀傷は竜の胸を袈裟懸けに深く抉り、傷口から血液が噴き出した。
 望が竜の頭上で赤華扇を開けば、大小不揃いの炎の玉が数十個出現し、赤華扇を横に扇いだ瞬間、炎の玉は勢い良く竜へと降り注いだ。
 爆発音と竜の叫びが入り混じった。煙幕の中、二人の攻めは容赦無く続く。
「緋焔弾!」
 望が叫ぶと同時に、先程の火の玉が再び竜の傷を抉った。
 ―…ォオォオォォ…グォオオォ…!
 悲痛な咆哮が響き渡る。その声に、望の表情が僅かに歪む。
 隣に龍馬が着地し、視線を一瞬だけ望に向けるとボソリと呟いた。
「…揺らぐなら下がって。邪魔だよ」
 額の宝玉のように、その目は冷たく光る。今までに無いその冷ややかさに、背筋に冷たいものが走った。
 龍馬は気にする事無く、鳴響詩吹を地面に突き刺した。
「『茨鎖カッスィア・カテーナ』!」
 鳴響詩吹が光り、地面がミシミシと鳴くと、竜に何かが地中を走った。
 ―ジャラッ!
 地面から白銀の太い鎖が四方から現れ、螺旋状に竜体へ巻き付いた。竜は最後の抵抗のように激しくのた打ち回る。
 龍馬の柄を握る手を伝い、全身にその分荷重が掛かり、何度も手が離れようとするが、その度に持ち堪える。
「ドゥーラ、そのまま踏ん張るんだ」
 龍馬の背が温もりに包まれ、穏やかな声が耳元で聞こえた。
「ヒガ様…」
「すまん、コレの準備に手惑い遅くなった」
 龍馬の背後に舞い降りたヒガディアルが、龍馬の手に己の左手を重ねた瞬間、全身に圧し掛かっていた負荷が霧散した。
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