宝石の加工屋さん

仁蕾

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第1章 燐灰石/アパタイト:やさしい誘惑

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 旅人なのか。裾が汚れた外套を纏い、そのフードで頭部を隠している。僅かに見える服装は、この近辺では見掛けない異国のものだ。
 きらりと煌いた双剣に、更に驚いた。
「あれは…いや、そんな…」
 刃の向こう側が僅かに透けて見えると言う、ただの剣には有り得ない事象にまさかと息を呑む。
「まさか…加工屋の…」
 こくりと喉が上下した。
 その時、金毛の大狼ターランが猛り声を上げて剣を構える人間に牙を向く。
 あっ、とマルクスが思ったのも束の間。大狼の喉に深々と突き刺さる一振りの剣。続けざまに、もう一撃。脳天から僅かに覗いた紅い剣先。
 大狼はビクリビクリと痙攣し、土埃を上げて地に伏した。
 沈黙。白毛の大狼の荒い息遣いだけが聞こえる。
 動いたのは、倒れ伏した大狼を見つめていた人間だった。
「誰」
 真っ直ぐに向けられた視線と声に、マルクスは小さく肩を跳ね上げる。気配は消していた。その証拠に、金毛の大狼はこちらに標的を変えなかった。
 掛けられた声の低さに、警戒も隙も無い目の前の人間が男、それも若い青年だと分かる。
「あなたも、敵?」
「あっ、ち、違う!」
 慌てて茂みから飛び出し、両手を上げて敵意が無い事を伝えれば「ああ、そう?」と青年は首を傾げて見せた。
「あー…っと、そちらさんは千大狼ウーターランで間違い無いか?」
 青年の後ろからマルクスを見つめる白毛の大狼を指差せば、青年はこくりとひとつ頷いた。
「そっちは、狂大狼アンプターラン?」
 金毛の大狼を指せば、もう一度こくりと頷く。
 恐らく、領主が依頼を出した狂大狼は目の前で息絶えた大狼の事だろう。
 先を越されたと胸中でため息を吐き出し頬を掻けば、青年は「ああ…」と吐息を漏らした。
「もしかして、あなたの獲物を横取りしましたか?」
「…まあ、言葉を選ばなければ。…近付いても?」
 依頼状をひらりと揺らしながら問えば、青年は少し待てと制止を掛け、背後を振り向いた。
「手酷くやられたね」
 長年の友人に対するような気安さで千大狼に声を掛け、青年は傷の無い千大狼の額にそっと手を置いた。大狼の金の双眸がゆるりと眇められる。
『ほんに…お主が居なければ、喰われていたやも知れぬ』
 落ち着いた女の声が大狼の口からこぼれ落ちた。
(本当に喋るんだな…)
 今日は驚く事ばかり起きるとまばたく。
 建国神話に千大狼は人の言葉を操ると記されているが、近年ではその伝承は作り話では無いかと鼻で嗤う者が増えて来ていた。理由は、千大狼が人語を操る所を誰も見た事が無いからだ。そもそも、出会える事自体が稀有ゆえに、目撃する事が出来ないのも原因だろう。
「ああ、欠けてしまったね」
『世話を掛けるの…』
「えー?私と君の間柄で今更じゃない」
 伝承を思い返していたマルクスは、青年と千大狼の声に思考に耽っていた意識を引き戻し、一人と一頭のやりとりを眺めた。
 確かに、上部左側の牙が欠けている。
 青年はカバンを探り始め、何かを取り出した。石のように見えるが、艶やかな光沢が道に転がるような普通の石では無いと教える。
「それ…ホワイトオニキス、か…」
 呟きを拾い上げた青年はちらりとマルクスを一瞥し、こくりと頷いた。ごそごそと手元で何かをしたかと思うと、大狼の牙に触れてそっと離せば、新たな牙が煌いていた。
 そう、煌いていたのだ。
「加工屋、か…」
 青年は立ち上がり、再びマルクスに体を向けて、そのフードをぱさりと取った。
 夜の濃藍と漆黒が交じり合う髪と紫檀の双眸。白皙の青年の顔立ちは自身と同じ年齢か少しばかり下に見える。
「キーク・ユ・ウェルと申します。加工屋を生業としてますが、基本的には根無し草の旅人ですね」
 にこりと微笑んだ目には、微かな虚ろが潜んでいた。
「…マルクス・テーマ。帝国騎士の傍ら、冒険者としても活動をしている」
 本来ならば、帝国騎士である事は秘するのが良いのだろうが、今回に限ってはそれは良作では無いような気がした。
「回復薬が幾つかある。人間用だから効くかは分からないが、もし、そちらの賢者殿が宜しければ手当てを」
『見返りは何を求むるや?』
 険のある千大狼の言葉に、そうなるのも止む無しだと気にしない。人が狡猾で欲深い生き物だと知る彼女にとって、治療の申し出は裏があるのではと勘繰るのも当然だ。
 しかし、マルクスは要らないと首を振った。
「今、私の目の前に生涯を使っても巡り合う事が困難な千大狼と宝石加工職人が居る。それ以上を望めば、帝国騎士の名折れ。強欲は身を滅ぼす糧となりましょう」
 現在の状態は僥倖の一言に尽きる。一体いつ、何処で徳を積んだのかと自分自身に問い質したい。
『…そなたの心遣いに感謝を。申し訳ないが、思うた以上に深手ゆえ手を貸して頂けると有難い』
 深く息を吐き出した千大狼は、気力で持ち上げていた頭をゆっくりと地面に伏した。
 マルクスは一言断りをいれて近付き、腰バッグから一本の回復薬を取り出して蓋を回し開く。淡く澄んだ青色の液体は、回復薬でも一番高価な完全回復薬キュア・テリアだ。
 一番深手であろう腹部の傷口の前にしゃがみ込む。既に骸となった狂大狼に噛み付かれ、抉り取られたのだろう。骨が露出していた。
「沁みるを通り越して酷い痛みがあるでしょうが、我慢を」
『あいわかった。よろしう…』
 千大狼はほうと息をつく。痛みは通り過ぎ、既に麻痺しているのだろう。
 傷口に直接ではなく傷口の上部、傷の無い箇所からそろりと液体を流せば、血に触れた青が淡い光を放ち始めた。人であればすぐさま血が止まり肉が塞ぎ始めるのだが、やはり効きが悪いらしい。出血は徐々に無くなり始めたが、傷口の修復には時間が必要だろう。しかし、マルクスは僅かながらも効いた事に安堵した。
「あとでもう一本掛けますから、徐々に傷口は塞がり始めましょう。他の傷口ならば、すぐに塞がるでしょう」
 そっと息を吐き出して立ち上がると、千大狼の周りを歩いて他の傷口に同じ薬を掛けて行く。
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