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第1章 燐灰石/アパタイト:やさしい誘惑
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しおりを挟むエルリア大陸では戦争が起きようとしていた。
マグリアル帝国とセーディオ皇国。大陸でも一位、二位を争うほどの大きな国同士の対立に、周辺諸国の緊張感も高まっている。
そう言うのは、お喋り好きの情報通でもある食堂の女将。
帝国騎士の身分を隠して、物見遊山で街に遊びに来ていたマルクス・テーマは口に放り込んでいた紅狼の肉を咀嚼し、ごくりと飲み込んだ。
「せんそう…」
「そう!戦争!」
女将曰く、帝国に嫁いだセーディオ皇国第二皇女が殺害され、それを知った皇帝が戦争を嗾(けしか)けているとか。
話を聞きながら、マルクスは「はて…?」と内心首を傾げていた。もちろん、顔に出すような事はしない。
女将が言う元セーディオ皇国第二皇女、セリオン・マナ・セーディオは健勝であり、つい先日もマルクスを含めた数名の帝国騎士と共に剣術の稽古をし、女傑っぷりを体現していた。
そもそも、一国の妃が帝国騎士の訓練についてくるとはどう言う事かと違う方向に思考が流れる。
はたと気が付けば、女将は別の客を相手しており、マルクスはため息混じりに食事を続ける事にした。
「皇国は『加工屋』を探そうとしてるらしいな」
女将と話していた二人組の男の一人が放った言葉がやけに耳についた。
この大陸で『加工屋』と呼ばれるのはただひとつ。
「宝石加工職人、か……」
浮世離れした存在だとマルクスは認識している。
その職の歴史は不確かで、全てが謎に包まれていた。分かっているのは、何処の大陸、何処の国であっても『宝石加工職』は国家資格である事。加工の困難な鉱石を容易く加工する事。その人口は両手にも満たぬほど極端に少ない、とても稀有な存在である事。しかし、その資格の取得方法は誰にも分からず、また、職人本人に聞いても笑って流されるだけで誰もその解を答え無い事。
そして、調度品や装飾品だけではなく、一騎当千の将軍が手にしようものなら兵器とも呼べる程の威力を持つ、朽ちる事の無い美しい武装具を造り出す事。
マルクスは頬杖を付き、息を吐き出した。
「探して見つかるもんなのかねー…」
一言呟いて立ち上がり、勘定を済ませて店を出る。満たされた腹を撫でながら、残量の少なかった日用品を思い出しつつ、補充が必要なものを物色して行く。
買い物は一時間もせずに終え、何をしたものかと気の向くままに冒険者ギルドへと足を向けた。休日と言えど、あまりに安穏と過ごせば体が錆びつくと、いつの頃からか染み付いた強迫観念が体を動かすべきだと指令を出す。
馴染みとなってしまった受付の青年、メイナにギルドカードを差し出し、急務では無いがそれなりにランクの高い依頼が無いか調べて貰えば何件か見繕ってくれた。
「流石にこれは完遂できる自信はねーなー…」
ぺらりと摘み上げたのは、Sランクのクエスト。依頼内容は『宝石加工職人の手により造り出された武器、防具、または装飾品の入手』。報酬はそれに見合った以上の額が提示されている。そして、期限は無期。
宝石加工職人が手ずから造り出したものが流通するはずが無いだろうとマルクスは表情を歪めた。ほんの少し手を加えた品物すら手に入れられる事が奇跡だと言うのに。
「既に何名かが受注しております。難易度が高過ぎる為、受注可能人数に制限は無いそうです」
「そりゃまた…太っ腹な事で…」
しばらく考えたが、暇つぶしになるかも知れないとその依頼と幾つかの討伐クエストを受注する。どれも期間は程よく長い。
「お気をつけて」
メイナの声を背に、マルクスはギルドを後にした。
***
マルクスが馬に跨って向かった先は、街の東にある広大な森林地区。通称、大狼の森。知恵を持つ希少な大狼族が統治する森は弱肉強食の規律を乱さない。だが、稀に闖入者が現れる。それは―…。
「老い長らえた狂大狼の討伐、ね…」
大狼の寿命は五百年と言われている。稀に、寿命よりも長く生きる個体がおり、多くは脳の退化と共に血肉に飢えるケダモノと成り果てる。命の秩序を乱さぬよう、多くの国は迎撃体勢を整えるのみで基本的には狂大狼に手出しはしない。しかし、この街はあまりに森に近過ぎた。森と街の間は、馬の足で半日も掛からぬ距離。
マルクスは今一度、依頼状に目を落とす。依頼主は街を治める領主。
「さて、行きますかねー」
馬は森の入口に繋いでおく。よく調教された軍馬は狂大狼を前にしても怯えはし無いだろうが、万一の為の敗走手段は必要だろう。
マルクスは散策をするかのような軽快さで、森に足を踏み入れた。鳥や獣の声があちらこちらから響き渡る。まだ入口近辺に狂大狼が来ていない事にひとまず安堵の息を吐いた。
ふと、遠くから咆哮が響き渡り、に驚いた鳥の群れが木々から飛び立った。
「…まだ、遠いな」
散歩がてらと言うような軽快な足取りはなりを潜め、任務を忠実のこなす騎士の歩みで警戒も露わに足を進める。左手は腰に下げる剣の鞘を握り締めた。
奥に進めば、空気はじっとりと陰鬱で、肌に纏わりつくのが不愉快だ。徐々に獣達の声も無くなる。
長年の経験で培われた勘が、獲物は近くに潜んでいると訴える。が、同時に、潜むと言う手を使うほど理性が残っているのかとも考えた。
「そうなると狂大狼じゃなく、千大狼じゃないか…」
老いた大狼の一部には、知恵を蓄え、森の奥深くで静かに生きる千大狼、通称『森の賢者』になるものもいる。だが、それは本当にごく一部で、九割は狂大狼と成ってしまう。
しかし、とマルクスは思い直した。
森の気配は開戦前の戦場に酷似した奇妙な緊張感を漂わせている。
「何だって言うんだ…」
僅かな混乱を胸に、気配が濃い方向へ足を進め、その答えを目の当たりにした。
そして、驚愕する。
血に塗れた金毛の大狼と、同じく血を纏い大地に倒れ込んでいる白毛の大狼が、その鋭い牙を剥き出しに対峙していた。そして、その間に。
「ひと…っ?」
二頭の大狼の間に佇む、人間。白毛の大狼を背に、その人間は双剣の一振りを金毛の大狼に向けている。双剣は血を滴らせており、地面に小さな血溜まりを作っていた。
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