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モモンガの欠席 3

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 エイミーの様子が、変だ。

「おいエイミー!」
「…………」
「モモンガ!」
「え? ……あ、はい」

 放課後、いつものように城に歌の練習をしに来たエイミーは、ひどくぼんやりしているようだった。
 いつもなら話しかければすぐににこにこして不必要なことまでべらべらと喋ってまとわりつくくせに、今の彼女はただぼんやりと楽譜を持って立っている。

「俺の話を聞いていたか?」
「はい」
「じゃあ今俺が何と言ったのかわかるか?」
「『モモンガ』……」
「その前だ!」
「……わかりません」

 エイミーは長いまつげを揺らして視線を落とす。
 ライオネルははーっと息を吐き出した。

「体調でも悪いのか?」
「大丈夫です……」
「ならはじめから通して歌ってみろ」

 これ以上話しても無駄だと判断して、ライオネルはピアノの鍵盤をたたく。
 だが、エイミーが最初の五小節を歌ったところでピアノの伴奏を止めた。

「もういい。気が乗らないみたいだから今日はもうやめよう」

 エイミーはきゅっと唇を噛んで押し黙った。

(やはりおかしいな。まさか熱でもあるのか?)

 気になったライオネルは、椅子から立ち上がると、黙ったままぼんやりと立ち尽くしているエイミーに近づいた。

「おい」

 そう言って、額に手を伸ばそうとした瞬間、エイミーはびくりと肩を震わせて、まるで怯えたように一歩下がった。
 ライオネルは驚愕して手を宙に伸ばしたまま動きを止める。

「……本当に、どうした」

 いつものエイミーなら、ライオネルが少し近づいただけで、嬉しそうに抱き着いてくるはずだ。
 そのエイミーが、ライオネルの手から逃げるように身を引くなんて――、そんなこと、過去を振り返っても一度たりともなかったはずだ。
 ライオネルはなんだかもやもやしたが、エイミー自身も、自分の行動に驚いているようだった。
 高い空のような綺麗な青い瞳を揺らして、ぎゅっと楽譜を胸に抱きしめると、ふるふると小刻みに首を振る。

「なんでもないです。……練習終わりなら、失礼しますね。ありがとうございました」
「おい!」

 ライオネルは反射的にエイミーの手を掴んだ。
 ばさばさとエイミーの手から楽譜が零れ落ちて床に散らかる。

「あ……悪い」

 急につかんだから驚いたのだろう。ライオネルは散らばった楽譜を素早く拾い上げてエイミーに差し出した。だが彼女はそれを受取ろうとはせず、じっと差し出された楽譜を見つめる。

「おいモモンガ」
「……殿下、わたしはモモンガじゃなくて人間ですよ?」
「は? そんなことはわかっている。いいから楽譜」
「そう、ですか……」

 エイミーはライオネルから楽譜を受け取ると、ぺこりと頭を下げた。

「失礼します」
「…………」

 ライオネルは呼び止めようと手を伸ばしかけたが、かける言葉が浮かばずに力なく手を下した。
 ぱたん、と防音室の扉が閉まる。

「……なんなんだ」

 ライオネルはソファに座ると、ぐったりと背もたれに寄り掛かった。
 しばらくすると、ウォルターのかわりに侍従を務めているケビンが部屋に入ってきて首をひねる。

「殿下、どうかされましたか?」
「別に」
「その割には、いつもよりずいぶん練習時間が短かったようですが」
「俺じゃなくてエイミーの都合だ」

 ライオネルはぐしゃりと髪をかき上げると、ティーセットを片付けはじめたケビンを見上げた。「なあ、今日のモモンガはどこか変じゃなかったか?」

「と言いますと?」
「……笑わなかったんだ」

 ケビンはティーセットを片付ける手を止めた。
 そしてまじまじとライオネルを見つめて、苦笑するような、かすかな笑みを浮かべる。

「そうですか」
「あいつが俺の前で笑わなかったことなどはじめてだ」
「そうかもしれませんね」
「やはり体調が――」
「殿下」

 ケビンはそっとライオネルの足元にひざを折った。
 そして、顔を覗き込むようにして言う。

「エイミー様は、モモンガではなく人間です」

 ライオネルは怪訝がった。奇しくも先ほど、エイミーも同じことを言っていたからだ。

「何を言っているんだ? そんなこと当たり前――」
「本当に、わかっていらっしゃいますか?」
「どういう意味だ」

 ケビンは小さく息を吐くと、聞き分けのない子供にするように、ゆっくりと続けた。

「モモンガは人の言葉を理解しませんが、人間は人の言葉を理解します。そして言葉は、人を喜ばせることもあれば傷つけることもあるのです」
「そんなこと――」
「もちろん殿下はご存じでしょう。しかしもう一度、そのことをよくよく考えてご覧なさい」

 ケビンはそれだけ言うと、ティーセットをまとめてワゴンに乗せ、防音室から出て行った。
 ライオネルはわけがわからずに、眉を寄せたままケビンが出て行った扉を見つめる。

 ――わけがわからないのに、どうしてかその言葉が妙に心に引っかかった。




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