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湖には魔物がすんでいる!?
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「はあ……」
マーシュ・ラッカーは派出所の木製の椅子の上に胡坐をかいて座り、同じく木製の古びた机の上に頬杖をついてため息をついた。
「あの子……、スノウちゃんだっけ。かわいかったなぁ……」
思い出すのは、つい一週間ほど前に、シルクハットをかぶった男と一緒にやってきた、小柄な少女のことだった。
くりっとした大きな目に、小さな顔。白い肌。無邪気な笑顔。――マーシュは、この一週間、スノウの愛らしい姿を思い出しては、心ここにあらずの状態だった。
話しかけても、からかっても、生返事しか返さなくなったマーシュがつまらないのか、ここ数日はいつも来ていた爺さん婆さんの姿もない。
マーシュはすっかりスノウに一目ぼれをしてしまったのだ。
面と向かって「豚さんみたい!」と無邪気に言われたことなどと、きれいさっぱり頭の隅に消え失せている。いや――、むしろ彼女はもしかしたら豚が好きなのかもしれない、それなら自分のことも好きになってくれるかもしれないと淡い期待まで抱く始末だった。
「はあ……、また、来ないかなぁ」
いつスノウが来てもいいように、派出所の棚の中には、女の子が好みそうな焼き菓子が買っておいてある。
お茶も安物の香りのない茶葉ではなく、奮発して町で一番高い店で買って、封を切らずに大事におさめてあった。
もしもスノウがまた来てもいいように――、そうして準備を整えて待っているのだが、彼女は一向にやってこない。
「いっそ、見回りと言って、ハワード公爵家の別荘に行くとか――、こんにちは、いい天気ですね……、いや、怪しまれるかな」
「何が怪しまれるって?」
「え? ―――うわあああっ!」
突然野太い声に話しかけられて、椅子の上に胡坐をかくという不安定な体制にあったマーシュは、驚いてバランスを崩した。
どたーん! と大きな音を立てて椅子ごと後ろにひっくり返り、そのままの体勢で恐る恐る視線を動かす。
そこには頑健な体つきをした五十前後の男が、太い眉を寄せてマーシュを睨みつけるように立っていた。
「ひっ! ル、ルドルフ警部!?」
マーシュは目を白黒させて思わず叫んだ。
「ど、どうして警部がこちらに!?」
ルドルフ警部――、彼は、マーシュが警官になりたてのころ、王都の警察署でマーシュの教育係であった男だった。
大きな体に気難しそうな顔――、性格も見た目通りの彼は、短期で、怒ると容赦なく怒鳴り散らすから、恐れている新米警官も多かった。
マーシュももちろんルドルフ警部を恐れていたが、しかし、それと同時に深く尊敬もしており、早く派出所勤務を終えて、再びルドルフの部下として働きたいと思うほどには彼を慕っていた。
だが――
椅子ごと仰向けに倒れた体制のまま、マーシュは冷や汗をかく。
ルドルフは今にも怒りを爆発させそうなほど顔を赤くしていた。
「ルドルフ警部……、いつから、そこに?」
「はあ、また来ないかなぁ――、のくだりからだな」
「ひっ」
「それで――、お前は仕事中に、何をぼんやりとしとるんだ――っ!」
「ひいいっ!」
マーシュは慌てて飛び上がり――、倒れている椅子に蹴躓いて、その場にべしゃっと顔面から転がった。
「………」
しーんと沈黙が落ちたあと、「はあ」と頭上から盛大なため息が聞こえてくる。
「相変わらず、どんくせぇなぁ、お前はよ」
どうやら、あきれすぎてルドルフの怒りが収まったらしい。
不幸中の幸いだと、マーシュはぶつけた鼻をおさえながら起き上がる。
ルドルフを奥にあるテーブルへ案内すると、どかりと腰を下ろした彼の目の前にちょこんと座って、マーシュは恐る恐る警部に訊ねた。
「それで、警部はどうしてここへ……」
「どうしてって、お前が報告書をよこしたんだろうが!」
「あ……」
マーシュはすっかり忘れていた。
ヴィクトールに言われて、警察本部へここ半年に六人の遺体が川からあがり、うち五名が身元不明者であること、それから湖の魔物の噂もつけて、警察本部に報告書を送ったのだ。
警察本部から何の返信もなかったため、忘れさられていると思っていたのだが――
「わざわざ、それで警部が……?」
すると、ルドルフ警部は眉間に皺を寄せた。
「俺だけじゃねぇよ」
「え?」
マーシュはぱちぱちと目を瞬いた。
「だから――」
「すみません」
ルドルフがイライラと次の言葉を紡ごうとしたとき、派出所の入り口から声をかけられて、マーシュとルドルフは同時に振り返った。
そして、マーシュは「あ!」と声をあげる。
そこには、黒いシルクハットを目深にかぶった長身の男が立っていた。
マーシュ・ラッカーは派出所の木製の椅子の上に胡坐をかいて座り、同じく木製の古びた机の上に頬杖をついてため息をついた。
「あの子……、スノウちゃんだっけ。かわいかったなぁ……」
思い出すのは、つい一週間ほど前に、シルクハットをかぶった男と一緒にやってきた、小柄な少女のことだった。
くりっとした大きな目に、小さな顔。白い肌。無邪気な笑顔。――マーシュは、この一週間、スノウの愛らしい姿を思い出しては、心ここにあらずの状態だった。
話しかけても、からかっても、生返事しか返さなくなったマーシュがつまらないのか、ここ数日はいつも来ていた爺さん婆さんの姿もない。
マーシュはすっかりスノウに一目ぼれをしてしまったのだ。
面と向かって「豚さんみたい!」と無邪気に言われたことなどと、きれいさっぱり頭の隅に消え失せている。いや――、むしろ彼女はもしかしたら豚が好きなのかもしれない、それなら自分のことも好きになってくれるかもしれないと淡い期待まで抱く始末だった。
「はあ……、また、来ないかなぁ」
いつスノウが来てもいいように、派出所の棚の中には、女の子が好みそうな焼き菓子が買っておいてある。
お茶も安物の香りのない茶葉ではなく、奮発して町で一番高い店で買って、封を切らずに大事におさめてあった。
もしもスノウがまた来てもいいように――、そうして準備を整えて待っているのだが、彼女は一向にやってこない。
「いっそ、見回りと言って、ハワード公爵家の別荘に行くとか――、こんにちは、いい天気ですね……、いや、怪しまれるかな」
「何が怪しまれるって?」
「え? ―――うわあああっ!」
突然野太い声に話しかけられて、椅子の上に胡坐をかくという不安定な体制にあったマーシュは、驚いてバランスを崩した。
どたーん! と大きな音を立てて椅子ごと後ろにひっくり返り、そのままの体勢で恐る恐る視線を動かす。
そこには頑健な体つきをした五十前後の男が、太い眉を寄せてマーシュを睨みつけるように立っていた。
「ひっ! ル、ルドルフ警部!?」
マーシュは目を白黒させて思わず叫んだ。
「ど、どうして警部がこちらに!?」
ルドルフ警部――、彼は、マーシュが警官になりたてのころ、王都の警察署でマーシュの教育係であった男だった。
大きな体に気難しそうな顔――、性格も見た目通りの彼は、短期で、怒ると容赦なく怒鳴り散らすから、恐れている新米警官も多かった。
マーシュももちろんルドルフ警部を恐れていたが、しかし、それと同時に深く尊敬もしており、早く派出所勤務を終えて、再びルドルフの部下として働きたいと思うほどには彼を慕っていた。
だが――
椅子ごと仰向けに倒れた体制のまま、マーシュは冷や汗をかく。
ルドルフは今にも怒りを爆発させそうなほど顔を赤くしていた。
「ルドルフ警部……、いつから、そこに?」
「はあ、また来ないかなぁ――、のくだりからだな」
「ひっ」
「それで――、お前は仕事中に、何をぼんやりとしとるんだ――っ!」
「ひいいっ!」
マーシュは慌てて飛び上がり――、倒れている椅子に蹴躓いて、その場にべしゃっと顔面から転がった。
「………」
しーんと沈黙が落ちたあと、「はあ」と頭上から盛大なため息が聞こえてくる。
「相変わらず、どんくせぇなぁ、お前はよ」
どうやら、あきれすぎてルドルフの怒りが収まったらしい。
不幸中の幸いだと、マーシュはぶつけた鼻をおさえながら起き上がる。
ルドルフを奥にあるテーブルへ案内すると、どかりと腰を下ろした彼の目の前にちょこんと座って、マーシュは恐る恐る警部に訊ねた。
「それで、警部はどうしてここへ……」
「どうしてって、お前が報告書をよこしたんだろうが!」
「あ……」
マーシュはすっかり忘れていた。
ヴィクトールに言われて、警察本部へここ半年に六人の遺体が川からあがり、うち五名が身元不明者であること、それから湖の魔物の噂もつけて、警察本部に報告書を送ったのだ。
警察本部から何の返信もなかったため、忘れさられていると思っていたのだが――
「わざわざ、それで警部が……?」
すると、ルドルフ警部は眉間に皺を寄せた。
「俺だけじゃねぇよ」
「え?」
マーシュはぱちぱちと目を瞬いた。
「だから――」
「すみません」
ルドルフがイライラと次の言葉を紡ごうとしたとき、派出所の入り口から声をかけられて、マーシュとルドルフは同時に振り返った。
そして、マーシュは「あ!」と声をあげる。
そこには、黒いシルクハットを目深にかぶった長身の男が立っていた。
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