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13話 夜の支配者①
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私はまた、あの暗い森をさまよっていた。
見渡すかぎり、木、木、木。——転生したときと、同じ森だろうか。
気づけば、ミルクのように濃い霧が足元から流れ込み、あっという間に視界を奪っていく。前も後ろも、右も左もわからない。
(こういうとき、どうすればいいの……?)
立ち止まるべきか、それとも動いて状況を変えるべきか。
答えなど、森が教えてくれるはずもなかった。
そうこう考えているうちに、霧はふっと引き、景色が輪郭を取り戻す。
私は思わず息をついた。知らない場所で、視界を奪われるほど怖いことはない。
——そのとき。
自分以外の「何か」の気配を感じた。
それは、私がこれから進もうとしていた方向。
「……誰か、いるの?」
声をかけると、数百メートル先の茂みががさりと揺れ、黒い影が顔をのぞかせた。
視線が、合う。
真っ黒な顔に、金色の双眸。
ぎっしりと並んだ牙をむき出しにし、低く唸る。
(……狼)
背筋が凍った。
動物園の檻の中でしか見たことのない存在が、今、目の前にいる。
狼はゆっくりと茂みから姿を現し、その想像以上に大きな体で、こちらへ歩み寄ってくる。
私は反射的に踵を返し、走り出した。
同時に、背後で地面を蹴る音がする。
(なんで……私がこんな目に……!)
息が上がり、足がもつれる。
狼は容赦なく距離を詰めてくる。
次の瞬間、背中に強い衝撃を受け、私は大きな木の下へ倒れ込んだ。
体勢を立て直す間もなく、重い体が覆いかぶさる。
(——終わった)
首元に、生温かい吐息。
獣の匂いが、近すぎる距離で鼻をついた。
私は目を閉じ、死を覚悟した——はずだった。
だが、牙は降りてこない。
代わりに、首筋をなぞるような、奇妙に優しい感触。
(……え?)
次の瞬間、私は目を開けた。
暗い室内。柔らかな寝台。
そして、私の上に覆いかぶさる、誰か。
「誰……?」
身じろぎすると、手足を押さえつけられていることに気づく。
首元に触れる、生温かい感触——舌。
(——狼……!?)
「恥ずかしがられているのですか?」
低く澄んだ声。
聞き覚えのある声音に、私は息を呑んだ。
「……ヴィクトル?」
「はい」
顔を上げた彼の金色の瞳が、暗闇の中で光る。
ミアの下僕、人狼のヴィクトルだった。
(どうして、ここに……?)
戸惑う私をよそに、彼は耳元へ顔を寄せる。
軽い痛みとともに、耳たぶに歯が触れた。
「っ……!」
心臓が跳ねる。
混乱と羞恥で、頭が真っ白になった。
(このまま、身を任せていいわけない……!)
「——ストップ!」
私は必死に彼の胸を押し返した。
ヴィクトルは、不思議そうに瞬きをする。
「どうかしましたか?」
「どうかしましたか、じゃないわ! ここで何をしてるの!?」
「……いつも通りですが」
「は……?」
嫌な予感が、背筋を走る。
「つまり……」
「それ以上、言わなくていい!」
私は慌てて彼の口をふさいだ。
——聞いてしまった。
この身体の持ち主、悪役令嬢ミアが、何をしてきたのかを。
「……私は、あなたにこれを強要していたの?」
「そうなりますね」
何をいまさらと淡々とした答えに、胸が締めつけられた。
「断ったら……?」
「この屋敷にはいられません。噂を流され、行き場も失います」
言葉を失った。
ここでは、彼の意思など存在しない。
それどころか、人としての尊厳すら奪われている。
(……ひどすぎる)
私は、はっきりと理解した。
悪役令嬢ミアは、権力を振りかざし、弱い者を踏みにじる存在だったのだと。
見渡すかぎり、木、木、木。——転生したときと、同じ森だろうか。
気づけば、ミルクのように濃い霧が足元から流れ込み、あっという間に視界を奪っていく。前も後ろも、右も左もわからない。
(こういうとき、どうすればいいの……?)
立ち止まるべきか、それとも動いて状況を変えるべきか。
答えなど、森が教えてくれるはずもなかった。
そうこう考えているうちに、霧はふっと引き、景色が輪郭を取り戻す。
私は思わず息をついた。知らない場所で、視界を奪われるほど怖いことはない。
——そのとき。
自分以外の「何か」の気配を感じた。
それは、私がこれから進もうとしていた方向。
「……誰か、いるの?」
声をかけると、数百メートル先の茂みががさりと揺れ、黒い影が顔をのぞかせた。
視線が、合う。
真っ黒な顔に、金色の双眸。
ぎっしりと並んだ牙をむき出しにし、低く唸る。
(……狼)
背筋が凍った。
動物園の檻の中でしか見たことのない存在が、今、目の前にいる。
狼はゆっくりと茂みから姿を現し、その想像以上に大きな体で、こちらへ歩み寄ってくる。
私は反射的に踵を返し、走り出した。
同時に、背後で地面を蹴る音がする。
(なんで……私がこんな目に……!)
息が上がり、足がもつれる。
狼は容赦なく距離を詰めてくる。
次の瞬間、背中に強い衝撃を受け、私は大きな木の下へ倒れ込んだ。
体勢を立て直す間もなく、重い体が覆いかぶさる。
(——終わった)
首元に、生温かい吐息。
獣の匂いが、近すぎる距離で鼻をついた。
私は目を閉じ、死を覚悟した——はずだった。
だが、牙は降りてこない。
代わりに、首筋をなぞるような、奇妙に優しい感触。
(……え?)
次の瞬間、私は目を開けた。
暗い室内。柔らかな寝台。
そして、私の上に覆いかぶさる、誰か。
「誰……?」
身じろぎすると、手足を押さえつけられていることに気づく。
首元に触れる、生温かい感触——舌。
(——狼……!?)
「恥ずかしがられているのですか?」
低く澄んだ声。
聞き覚えのある声音に、私は息を呑んだ。
「……ヴィクトル?」
「はい」
顔を上げた彼の金色の瞳が、暗闇の中で光る。
ミアの下僕、人狼のヴィクトルだった。
(どうして、ここに……?)
戸惑う私をよそに、彼は耳元へ顔を寄せる。
軽い痛みとともに、耳たぶに歯が触れた。
「っ……!」
心臓が跳ねる。
混乱と羞恥で、頭が真っ白になった。
(このまま、身を任せていいわけない……!)
「——ストップ!」
私は必死に彼の胸を押し返した。
ヴィクトルは、不思議そうに瞬きをする。
「どうかしましたか?」
「どうかしましたか、じゃないわ! ここで何をしてるの!?」
「……いつも通りですが」
「は……?」
嫌な予感が、背筋を走る。
「つまり……」
「それ以上、言わなくていい!」
私は慌てて彼の口をふさいだ。
——聞いてしまった。
この身体の持ち主、悪役令嬢ミアが、何をしてきたのかを。
「……私は、あなたにこれを強要していたの?」
「そうなりますね」
何をいまさらと淡々とした答えに、胸が締めつけられた。
「断ったら……?」
「この屋敷にはいられません。噂を流され、行き場も失います」
言葉を失った。
ここでは、彼の意思など存在しない。
それどころか、人としての尊厳すら奪われている。
(……ひどすぎる)
私は、はっきりと理解した。
悪役令嬢ミアは、権力を振りかざし、弱い者を踏みにじる存在だったのだと。
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