偽りの花嫁は貴公子の腕の中に落ちる

中村まり

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第4章 宮廷にて知る

小話~闇の中で

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これで何人目だろうか・・・?

自分の足下に広がる冷たい床の上に転がっている男がいる。その男の命は今にも消えかけている様子がありありと現れているのにもかかわらず、ジョルジュ・ガルバーニ公爵はその男を表情一つ変えずに、冷たく見下ろしながら、自分の胸の中でわき上がる疑問を無言で自分に問いかけていた。

その数を数えることをもうやめてしまったのは、いつのことだろうか。数年前? それともそれよりずっと前だったか。

そんなことを問うだけ無駄であることもジョルジュはよくわかっていた。

今にも息絶えそうな様子で己の足下でなす術もなく転がっている男は、ずいぶんと長い間、ガルバーニ家の宿敵だった男だ。何かにつけ、こちらの行動を逐一監視し、隙あらば、ガルバーニ家を転覆させようと目論見続けたその対価を、ジョルジュは公爵家当主として、この男に払わさねばならない。

男の呼吸が途絶えがちになった。もう長くはないだろう。

「長い間、散々、邪魔をしてくれたな。クレオール伯」

自分の声が冷たく無機質な響きを放っていることをジョルジュは十分に理解していた。

ほとんど意識がないはずの男が、うっすらと目を開け、自分を見た。

「・・・ガ、ルバーニ。貴様・・・よくも」

「以前言っただろう。今度会う時は殺るか殺られるか、だと」

その声は静かで抑揚がなかった。その言葉は空虚な響きを持ち、その主と同じく無機質だった。

目の前では一つの命が終わりかけていたのにもかかわらず、そんなことはまるで取るに足らないことであるかのように。

こつり、と、ジョルジュがその男のほうへまた一歩、歩みを進めた。

「今更、命乞いをしてももう遅い。お前達の血族にもよく知らしめてやる」

もう二度と、ガルバーニ家を陥れるような策略をさせるものか。

「なん・・・だ・・・と?」

「ほう。まだその意味がわからないと見えるな。お前の一族に二度と公爵家の者を血に染めるようなことがないようにさせる、と言ったのだ」

これから、ジュリアを妻として娶り、跡継ぎも出来るだろう。その跡継ぎをこの一族は暗殺しかねない。ジョルジュの兄もこの男の家系の者によって亡き者にされた。

身を固める決意が出来た今、将来の脅威は取り除いておくに限る。


「俺は・・・負けたの・・・だな」

悔しそうに言う男に、ジョルジュは情け容赦ない視線を向けた。忠実な配下であるビクトール・ユーゴに目をやれば、剣に手をかけ、今にも抜こうとした。

「とどめを刺しましょうか。この男はまだ口が減らないようですので」

ジョルジュに鋭い視線を送る手練れの騎士だ。

「待て・・・待って・・・くれ」

ジョルジュの言葉を理解したのだろうか。その男は息も絶え絶えに懇願した。

「・・た、頼む・・・子供と妻にだけは手は出さないでくれ」

「さあな」

第17代公爵家当主、ジョルジュ・ガルバーニは冷たい瞳で男を見つめた。

「お前の息子がどうするかによるな。再び、公爵家を敵に回そうと画策するなら容赦はしない」

そう、ガルバーニ家を敵に回せば、冷徹な制裁が待ち受けている。それは、この国の貴族なら熟知していること。
声を潜め、ガルバーニという名前すら出すことを厭う。陰の王家なのだから。

苦しそうな息の下から絞り出すように声を出した男はジョルジュに目でデスクを示した。

「そこ・・・の引き出し・・の中・・のロゼッタを取り出してくれ」

ガルバーニ公爵が目配せをすると従者の一人が素早く指定されたものを取り出し、公爵に渡した。

「これか?」

瀕死の男の目の前にそのロゼッタをぶら下げれてやれば、男はいかにもという風に頷いた。

「息子に・・・ポール・・・に、私が公爵家に忠誠を誓ったと言って・・・くれ。そのロゼッタを見せれ・・・ば・・・息子は信じ・・・るだろう」

「ほう、今更、公爵家に忠誠を誓うと言うのか?」

そう言えば、男は肯定するように頷いた。もう言葉を出す力が残っていないのだろう。

公爵は床にしゃがみ込み、男によく聞こえるように言った。もうどのくらい理解力が残っているのか、定かではなかったが。

「・・・息子が我が公爵家に忠誠を誓うのなら、今までの悪行は水に流してやる。お前の亡き後は、公爵家の庇護の元にはいる。それでいいか?」

男は満足そうに頷き、最後に大きく息を吐いた後、静かに息を引き取った。

─ もう逝ってしまったのか。

宙を見つめたまま絶命した男の瞼を、ジョルジュはそっと閉じてやった。永久の眠りが平穏であるようにと祈りながら。

立ち上がりながら、ジョルジュは誰にともなく呟いた。

「気がつくのが遅かったな。クレオール伯爵。もっと早く気づいていれば、伯爵家共々繁栄しただろうに」

「これで一つ、政敵が片付きましたね」

ユーゴがジョルジュに声をかけた。

「ああ。こちらが殺らねば、殺られるだけだ」

「勝ち目のない戦いを挑む愚か者は滅多にはおりませぬが」

「長い間、この家系の者は公爵家を目の敵にしていたからな。無益な殺生は好まないが、けじめはつけさせてもらわなければ」

「これで兄上の無念を晴らすことが出来ましたな」

血で汚れた自分の家系。呪わしいことに、兄亡き後、今は、自分がその血脈の当主になってしまった。

闇のガルバーニ、陰の王家

公爵の整った口元に歪んだ微笑みが浮かんだ。

そうだ。我が家系は血塗られている。死屍累々を乗り越え、呪われながらも生き抜いた我が一族。どんなに血塗られた家系が嫌でも、この家に生まれた限りは追うべき責務と言うものがある。

「さあ、ジョルジュ様、参りましょう。そろそろ警備の者が来る時間かと」

血で汚れた剣を拭いながら、ガルバーニ家の第一の騎士、ビクトール・ユーゴが顔色一つ変えずに言った。

「ああ、そうだな」

これから発覚するであろう惨劇に、ガルバーニ家と敵対する貴族達は、次は自分の番だと震え上がるだろう。事の成り行きは上々だったが、ジョルジュは晴やかな気持ちになれそうになかった。陰鬱なクレオール伯爵の邸のようにジョルジュの気も滅入る。このような仕事をした後は、いつもそうだ。

「ご気分でも?」

公爵家の騎士であるユーゴは、ちらりと自分の主の横顔を見つめた。今までの宿敵を始末したのに気持ちが晴れ晴れとしないのだろう。と、ユーゴは思った。戦に慣れている自分は、こういうことは日常茶飯事なのだが。

「いや。別にどうと言うことはない」

素っ気ない主の口調にはいつものように抑揚が聞いていて、貴族らしい上品なアクセントがある。それでもユーゴは主の気性をよく理解していた。

主の抑制された口調の裏には、恐ろしい程の知性が隠れている。物静かな顔立ちのとは対照的に、ある種の激情が垣間見えるが、主は暴れ馬を乗りこなすように、それを強い意志の力で上手に抑制していることはわかっていた。

その秘めた情熱を向ける相手は、ユーゴが知るかぎりただ一人しかいない。

ジュリア・フォルティス。

マクナム将軍の落とし胤。チェルトベリー子爵領の騎士団長。荒くれもので有名なチェルトベリーの騎士達を上手に手なずけ、まるで自分の手駒のように扱える女性だ。

戦場で会ってみれば、あのように美しく強い女性だとは思ってもみなかった。それが、主が向ける激情の相手でなければ、とっくの昔に自分が恋人として名乗りを上げたかもしれない。

男達は警備に見つからないように巧みにクレオール伯爵邸の回廊を抜け、外の森へと出ることが出来た。予定どおりだ。計画通りに事が進んだことに、男達は機嫌がよくなりほっと一息ついた。

森の奥深くへと入り、目の前には清く澄んだ清流が涼やかな音を立てて流れていた。先ほどの疎ましい場所とは全く違うそれに、ジョルジュの胸は癒されていた。美しく清浄な場所。それは、彼の陰鬱な気分をどれほど和らげてくれるだろう。まるで、ジュリアのように。

凜とした神々しい美しさを持つ彼女に触れれば、ガルバーニの闇が清められるのだ。

森の中は光が射しこみ、木々の緑がキラキラと光りを反射していた。他の騎士達と共にユーゴは主に歩調を合わせながら、何気なく主に話しかけた。

「それで、フォルティス様の爵位取得の件については、どうなったのです?」

ジョルジュの眉がうっすらと顰められたのをユーゴが見逃すことはなかった。

「何か不都合でも生じましたでしょうか?」

「ああ、一つ番狂わせが生じたのだ」

「それで、具体的にはどのようなものなのですか?」

ビクトール・ユーゴの忠誠心のこもった問いかけが、ジョルジュを現実へと引き戻した。この従者は目の前の美しい光景など目に入ってもいないらしい。

武将らしい無骨な男をジョルジュは気に入っていた。忠誠で、主の命であれば厭わずに何でも従う男。どれほど、この男が頼りになるのかジョルジュはよく理解していた。

「ジュリアの爵位取得には条件がある」

この男の問いかけに、ジョルジュは率直に答えた。

「平民が貴族の爵位を取得する場合、まず評議員が女王に対して推薦をする。そして、それに対して女王が認可を行うという形で爵位取得が成立する訳だが」

「平民が爵位を取得するケースとしては子爵のみに限られていたと思いますが」

「その通りだ」

「フォルティス様が伯爵位を継承するのは至難の業なのではないですか?」

「しかし、不可能ではない」

「そうですね。不可能ではないか・・・と」

「その評議員の承認のための人数が一人足りないのだ」

「ああ、ベリーニール侯爵様が鬼籍に入られましたからね」

「そうだ。ガルバーニ公爵家の息が掛かっていないものも評議員にいるからな」

「侯爵様の欠員は同じ爵位のものでなければなりませんね」

「ああ。だが、公爵家とつながりがあるものが評議員にならなければ意味がない」

ジョルジュもなんとかするつもりではいたが、後残りの侯爵といえば、王族の反対派だ。

公爵は評議員がジュリアの爵位継承について、七割賛成を取れば、認められるということを知っていた。王宮の彼の息が掛かった評議員席を持つ貴族を動員すれば、ほぼストレートに議題は通るはずだと見越していたのに、ここに来て、そのうちの一人が急病で欠如するという事態にとなった。

彼の派閥の貴族のまた息の掛かった者に賛同させても、どうしても一議席足りないのだ。

どうしたものか・・・

女王が規定するジュリアの騎士勤めは後2ヶ月。この2ヶ月以内にどうしても彼女の爵位を取得させなければ。

ジョルジュの脳裡に前回の評議会の会話が思い出されていた。それは数日前のこと。

「これで今日は最後の議題になるのだが・・・」

王宮で開催される高等評議員。貴族のうちでも最も由緒が正しく、最も歴史がある者達が豪華な円卓を囲み、様々な議題について議論した後、最後の議題についてさしかかっていた。

「マクナム将軍の娘が宮廷に現れたということは皆様、すでにお耳に入っておられるでしょうが・・・」

平均年齢50才という熟年の貴族達の中で、ひときわ異彩を放っているのは、まだ20才後半のクレスト伯爵だ。その横には、エリゼル王太子殿下がいつものように神経質そうな機嫌が悪そうな顔をして座っている。

「その将軍の娘と言う者、庶子だと聞いているが」

評議員の中の一人が気むずかしそうに言う。確か、血統崇拝主義の古典的な男だ。確か、こいつも伯爵だったな、とジョルジュは心の中でちらと思った。

「さように」

鷹揚に肯定するのは、穏健派と言われる高齢の貴族達だ。マクナムとは懇意にしていた者達だ。ほぼ白髪になってしまった髭に手を遣りながら会議の様子見と言った所か。

議長が厳かに言う。

「マクナム将軍閣下は、直系の嫡子を残さずに他界されてしまっているのですが、マクナム伯爵家の財産並びに爵位は今まで女王陛下が元婚約者として彼の財産を管理・保管されてこられました」

議長は短く言葉を切り、全員を見渡した。

「この度、女王陛下はこの財産、ならびに爵位を、将軍閣下の唯一の落とし胤であるジュリア・フォルティスに譲るべきだとお考えになっておられます」

「しかし、爵位のない庶子に、家督を継がせると仰るのか?!」

一人の男が立ち上がった。この男には何人もの愛人がいて、沢山庶子がいたことを思い出す。庶子が家督と継ぐことになれば、直系の血筋は危うい。

「それはいかがなものかと思いませんか? ねえ、皆さん、頭の悪い庶子に家督を譲るなど・・・」

あからさまに鼻で笑えば、それに賛同するものたちも意地悪く笑う。

「庶子であることより、それなりの働きをしたものに爵位を授けるべきだと女王様が仰られるのだが」

「それは構わないと思いますが、それに見合う働きをその娘はしておるのですか?」

「それについて、申し上げます」

評議会に同席していたのはジョルジュだけではない。ロベルト・クレスト伯爵もその場にいた。国の中で、ガルバーニ公爵家と同じくらい由緒正しく、王族を支える一番の側近とも言えるクレスト伯爵家。

その当主として、若干28才のロベルト・クレストは、年寄りばかりの評議員の中でひときわ華やかな異彩を放っていた。

ロベルトは、優雅な仕草ですっと立ち上がり、評議員の一人一人に爽やかな視線を向け、にっこりと微笑んだ。

「ジュリア・フォルティスは我が領地で実に素晴らしい手腕を発揮しました。疫病を克服し、膨大な収入源を確立し、この国の税収に多大なる貢献をしております」

「その話は我々も聞き及んでおる。領地経営においては立派な手腕をお持ちのようですな」

議論はしばらく続いたが、その日は結論に至ることはなかった。

あと一人、ジュリアの爵位取得に賛成するものがいれば、彼女がマクナム伯爵の家督を継承できることになる。そうすれば、正式な結婚が可能になるのだ。

あと一息。ジョルジュは、自分がそれを可能に出来ると信じて疑わなかった。

ジュリア、もう少しの辛抱だ。

彼女の熱のこもった吐息、柔らかな肢体。そして、嘘偽りのない純真な愛情のこもった彼女の青い瞳を思い出し、胸のうちが切なく熱い想いがこみ上げてくるのを感じた。

君を我が妻として胸に抱く日はそう遠くないはずだ。

彼女への恋慕を募らせながら、ジョルジュは、新しく構えた邸宅へと足を向けた。王城で働くジュリアに会うために、公爵が特別に仕立てた邸だ。今頃は、執事のマーカスが奔走して、居心地よい邸へと作り替えている所だろう。

「・・・フォルティス様が伯爵位を取得するためには、後一人の評議員の賛成があればよいのですね?」

ユーゴが問いかければ、ジョルジュは無言で頷いた。

「私はなんとかなると考えているがね」

ユーゴは主の口調が思慮深く、何か物思いに沈んでいるような気がした。それでも、主は今までに何度も不可能を可能へと変えてきた男だ。フォルティス嬢の爵位取得もすぐ目の前に迫っている。

ユーゴにはわかっていた。主はきっともうすぐあの女性を娶るだろう。美しく気高いあのお方を。

男達は、それからあまり喋らず、寡黙に馬の歩みを早めた。執事が花嫁のために入念に準備をしているはずの屋敷へ向って。



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