偽りの花嫁は貴公子の腕の中に落ちる

中村まり

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最終章 

穏やかな日々

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ジョルジュに連れてかえられた日の翌日、彼の屋敷の中庭に面したテラスで、ジュリアはぼんやりとお茶を楽しんでいた。貴族的な趣向のあるお茶を楽しむのも、随分しばらくぶりだった。騎士団の中では、そんな優雅な楽しみとは無縁だったから。

騎士の仕事がどんなに好きでも、やはり、こういうゆったりした贅沢な時間というのも必要だ。

目の前には、花々が美しく咲き乱れているが、やはりガルバーニ公爵邸の本邸の美しさとは比べようがない。それでも、こちらの庭も趣があり、心が少なからず安らぐのをジュリアは感じていた。暖かな日だまりの中で、猫のように目を細めて椅子に座り居心地良さそうなジュリアを、執事がかいがいしく世話をやいていてくれた。

「奥様、今日は、こちらの焼き菓子でございます」

「ああ、マーカス、ありがとう」

ジュリアの好きなレモンのタルトに濃いめの強いお茶を添えて、執事は、丁寧にジュリアの前に茶器を置いた。香りの高い紅茶を一口飲んで、ジュリアは、そういうえば、この味だったっけ。と思い出していた。これと同じ茶葉をいくら王都の店で探しても、満足のゆく品を見つけられたことが一度もなかったのだ。その値段をジュリアが聞いたらきっとびっくりするのだろうが。

今日はジュリアの騎士団の仕事は非番だ。ジョルジュはいつものごとく絶妙なタイミングでジュリアを迎えに来てくれたのだ。そんな彼は、公用があるということで外出中だったが、ジュリアの後にはブラック執事のマーカスが静かに控えている。銀の盆を胸に、トーションを肘にかけ直立不動の姿勢は実に様になっている。

「もしかしたら、旦那様は早めにお戻りになるかもしれません」

茶器を並べ終えた執事がふとそんなことを言った。

「何か急ぎの用事でもあるの?」

ジュリアが不思議そうに聞けば、執事は何かをお見通しのような目つきで言った。

「いいえ。執事の勘でございます。きっと旦那様は早くお帰りになりましょう」

ジュリアは、そういうこともあるものか、とふぅんと聞き流していたが、執事が予言した通り、公爵がいつもより早い時間に戻ってきた。

「ジョルジュ、もうお帰り? 早いのですね?」

小首をかしげてジュリアが無邪気に言えば、ジョルジュはジュリアに歩み寄り、彼女をさっと抱き上げた。いつもの彼のただいまの挨拶なのだが、その度にジュリアは自分が子供になったような気がする。

「貴女に会いたくてね。たまらなくなって、さっさと用事を切り上げてしまった」

形のよい口元に上品な笑みを浮かべた彼は、そのままジュリアを胸の中に抱き込み、ジュリアの頭の天辺にそっと口付けを落とす。ジュリアもまた、彼の胸に顔を埋めて、彼の背中に手をまわしてぎゅっと抱きつけば、ふんわりと彼が纏う麝香の香りがする。目を閉じて、その香りを胸一杯に吸い込むと、なんだかとても幸せな気持ちがする。暖かくて彼らしくて。そうして、ジュリアの顔にも自然と微笑みが浮かぶ。

「えー、ジョルジュ様、わたくしもここにおるのですが・・・」

執事のマーカスが気まずそうに、これ以上の愛情表現はご遠慮くださいと言わんばかりだ。

「マーカス、私にもお茶を持ってきてくれ」

ジュリアから離れた主が執事に向けた言葉はこれだけだった。なんだかそっけない返事だが仕方がない。この主の興味は、目の前の奥様にしかないのだから。

由緒正しき貴族の家に生まれたご当主様が、庭でお茶などと言うガルバーニ家の習慣を破るようなことを初めて言った様子に少し面食らいはしたが、冷静沈着な執事は一切に顔に出さすに、静かにかしこまりました。と言う。執事歴が長い従僕は、そういうものだと達観していて、いそいそと彼のためのお茶を準備し始めた。

「実は今日、色々と進展があったんだ。来週からでも、こちらから騎士団に通いなさい。何の問題もないだろう?」

ジョルジュは椅子に気軽に腰掛け、執事がついだお茶を受け取りながら、ジュリアに言う。こういう時の彼は快活で明るい青年のようだ。熱心で楽しげで。

いつも執務中に見せる主の気まじめで陰鬱な顔と今では全く違う人物のようだ。それは、たった今、彼の隣で座っている女性の影響であることを執事は知っていた。普段は厳格な主人のはずがこの女性の前でだけ、相好を崩すのを執事は知っていたが、やっと結婚に腰を上げた主の記念すべき蜜月が近いのだ。それも仕方があるまいと、微笑ましく二人を見守っていた。

「それで・・・だ。貴女の爵位継承が正式に承認されることに決まったよ」

少し手間取ったけれど、なんとか、思った通りにことが進みそうだと、ジョルジュはほっとした様子で言った。新しく加わった評議員である侯爵のことを彼も知っていたが、そこはさらっと無視して、大切な部分だけをジュリアに伝えた。

「そうなのですか?」

「ああ、来月の初めに書類などの手続きが完了する。公爵家が後見人となり、君の爵位継承の手続き全てを管理出来ることになった」

あの侯爵が最後までジュリアの後見人になりたいと唸っていたが、根回しが功を奏し、とるに足りない約一名を除いた全員一致で、ガルバーニ公爵家が彼女の後見を得ることで決着した。

「よかった。では、私たちの結婚は・・・・」

ジュリアが不安そうに切り出せば、ジョルジュは確信したように力強い口調で言った。

「正式に認められることになる。晴れて貴女は私のものになる訳だ」

また彼の変なスイッチが入ったようだ。そっと自分に触れる彼の指先が、なぜか皮膚の感覚が鋭く感じる自分にジュリアはぞくりとした。椅子を引き寄せ、ジュリアの頬に両手をやりじっと見つめるジョルジュに、ジュリアはどぎまぎとした。自分たちの背後には、ブラック執事が控えていると言うのに!

「あの、ま、まだお屋敷の中を見ていないと思うのですけどっ」

と慌ててジュリアが話題を変えようと声をあげれば、彼もそういえば・・と言う風に同意する。

「そうだな・・・」

もの惜しげな視線をよこすジョルジュにジュリアはさらにうわずった声を上げた。

「ほ、ほら、あの・・・まだ右のほうの舘の中はまだ、みっ、未開ですよね!」

「そうだな・・・・貴女はもうお茶はすんだ? では、これから、屋敷の中を案内してあげよう」

そう言って、立ち上がった公爵の腕に、ジュリアは自分の腕を絡めた。

腕を差し出す彼がとっても素敵で、その微笑みにジュリアの胸がきゅんと疼いてしまう。この人の・・・お嫁さんにもうすぐなるのか、と、ジュリアの胸はまだドキドキしていて。早く結婚式が来れば良いのに、と思った。今、デザイナーが作りかけている彼女のドレスは純白のシルクとレースの美しいドレスだ。裾は優雅に長いドレープを描き、ベールも、すべて最高級の織物で出来ている。

ジョルジュが、完璧な花嫁にするためには、ドレスの費用は幾らでも構わないとデザイナーに言ったせいで、デザイナーの熱の入り方が半端でなく、

「お嬢様を今世紀最高の花嫁にしたてて見せますわ」

と息巻いているのだ。もうすぐ、彼と結婚式を挙げるのだ。自分はガルバーニ公爵夫人になるのかと思い、胸がときめいた。

しかし、ジュリアは次第に自分を包む黒雲のような運命にまだ気づくことが出来なかった。



そうしてジュリアが騎士団にガルバーニ公爵の屋敷から通い始めて数日後、執務室で仕事をしているジョルジュに執事が来客を知らせた。

「ジョルジュ様にお客様です。なんでもお約束はされていないとのことですが・・・」

執事の顔色から招かれざる客であることにジョルジュは気づいた。

「誰だ?」

「ロベルト・クレスト伯爵様です」

「ほう」

ガルバーニ公爵の口調には鋭い響きがこめられていた。今更、なんの用だ。

「なんでも大切なお話があるとのことでして・・・また出直すようにお伝えしましょうか?」

どんな時でも冷静沈着な執事に、ジョルジュはすこし間をおいて言った。

「お通ししろ。ただ、長くは話せんと伝えておきたまえ」

「かしこまりました」

しばらくして、客間に通されたクレスト伯爵と、ガルバーニ公爵は久しぶりに対面することになった。

「ガルバーニ公爵、随分とご無沙汰しております」

従者を連れたクレスト伯爵の面持ちが固く緊張しているような雰囲気を感じたが、公爵は顔色一つ変えず、いつもの無表情を貫いた。

執事がまだ若きクレスト伯爵に椅子を勧めれば、彼は静かにそれに従った。

形だけだったが、それでもこの男はジュリアの元夫だった男だ。彼女がいない時に、わざわざ自分に会いに来る所をみれば、彼女に関係する話だろうと思ったが、今更、ジュリアを返せとか直談判しに来たのであれば、完全なお門違いだ。逆恨みということもある。

自分とジュリアはすでに一緒に暮らし始めている。婚約発表はまだ先のことだが、結婚式の日取りももう決まっている。式の準備が着々と進んでいる今、この男は一体、自分に何の用事があるのか。ジョルジュは用心しながら、まずは相手の出方を見ることに決めた。

「・・・それで、単刀直入にお伺いしましょう。今日は、どのようなご用件で?」

「貴方にこれを受け取っていただきたいのです」

ロベルト・クレスト伯爵の後に控えていた従者がガルバーニ公爵の前に大きな箱を差し出した。美しい文様が刻み込まれた箱をあければ、その中には、沢山の紙幣がつめこまれていた。

一体、どういうつもりだ、と公爵が一瞬、腹立たしく思ったが、それを顔には一切出さずに、静かにクレスト伯爵の出方を待った。ロベルト・クレスト伯爵の口調は依然、固く厳しい響きも含まれていたが、頑として一歩も譲らない雰囲気が垣間見えていた。

「この金は、・・・」

ロベルトが静かに話し始めた。
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