偽りの花嫁は貴公子の腕の中に落ちる

中村まり

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最終章 

遠征~4

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今、ジュリアの目の前では、壮絶なバトルが繰り広げられている。それは、ジュリアが今まで見た中でも、滅多にみないほど最低なレベルの争いであった。

そして、その争いの中心にいるのはエリゼル殿下だ。・・・被害者とも言うが。

「エリゼル様、お久しゅうございましたわ。いかがお過ごしでしたの?」

「ああ・・・まあ、いつもと変わりなくという感じですが」

殿下が気乗りしない調子で言えば、令嬢達は顔を上気させて嬉しそうな表情を見せる。

打ち合わせの間のちょっと開いた時間を利用して、エリゼルがジュリアをつれて美しい庭園を散歩しようと外に出た時だった。普段は、絶対にかち合わないはずの表敬訪問の女性達が何故かエリゼルの先行く場所にことごとくいるのだ。その数は、最初は一人、次は二人と、雪だるま式に増えていき、今では、多数の女性に囲まれてしまった。

こうなってしまったら、もうジュリアを口説く所の話ではない。

エリゼルには、どうしてこうなったのか頭をひねるが原因がさっぱり分からない。空いた時間を利用して、美しい庭園の木陰に腰を下ろして、ゆっくりとジュリアを口説こうと思ったのに。後で、警備担当を呼びつけて説教しなくては、と心に誓うが、目の前の女達をどうにかするほうが先だ。

女達の視線は一様にギラギラとして、エリゼルを取り囲み、まるで獲物を見つめるような眼差しで自分を食い入るように見つめている。彼女たちはこの地方の領主の娘や貴族達だ。滅多に出会えない超優良物件を逃すまいと虎視眈々と自分を狙っているのがあからさま過ぎるほどにわかる。

普段、何事にも煩わされることなく過ごしているエリゼルにとって、精神をごりごりと削られるような気分にさえなる。

彼女たちは、趣味の悪いドレスを纏い、爪を塗り立て、流行遅れのスタイルで髪を結い上げている。流行に疎いエリゼルでさえ、あれは、もう何年も前に廃れたスタイルだと言うのがわかる。しかし、女達を邪険に扱えば、後々面倒なことになることをエリゼルはよく知っていた。この女達は、どんな政敵よりもタチが悪いのだ。

白粉の匂いや、きつめの香水などが、無性に鼻につく。

「まあ、そんなに殿下にくっついたら、はしたのうございましょう?」

扇で口元を隠しながら、女がいやみったらしく言う。きっと、これは自分の傍に陣取っている娘への当てつけか。

「あら、貴女こそ、エリゼル様の袖にひっそりと触れるのはおやめなさいまし」

「まあ、二人とも嫌ですわ。殿下の御前で喧嘩をなさるなんて。ねえ、殿下。こんな人たちは放っておいて、わたくしとテラスに出てお散歩でもしませんこと?」

下品な柄の模様がはいったドレスを着た娘がそうエリゼルに囁く。当然、エリゼルは嫌そうな顔をするが、彼女たちは気がついていないのだろうか。

あら、エリゼル様、お鼻が少し赤いのですがどうされたのですか?」

きんきん声でやせぎすの女性が彼に尋ねる。この娘は男爵令嬢だったか。

「ああ・・・ぶつけただけですから、皆さん、どうぞお気遣いなく」

「まあ、おいたわしい。私がお慰めして差し上げましょうか?」

そう言った娘は殿下の手を取ろうとしたが、やんわりと殿下が思わず顔を顰めて、それを退ける。

「わたくしがお側にいたら、そんなことはさせませんでしたのに」

他の令嬢がそれを見て、勝ち誇った笑みを浮かべた。エリゼルは、ウンザリして、早くこの令嬢達が去ってくれないものかと願ってはいたが、まだ殿下の鼻は赤い。それは、全部、ジュリアのせいだった。



「ねえ、ジュリア」

殿下を起こしに行き、隙をつかれたジュリアはエリゼルの寝台の上に押し倒され、組み敷かれた体勢のまま、彼を見上げた。

「で、殿下っ。わ、私は美味しくないですよ?!」

人はパニックになるとあらぬことを口走るというが、それは本当だ。ジュリアは、自分が余計な地雷を踏んだことを直ちに悟ったのである。

「美味しいか、美味しくないか、試してみようか?」

彼の緑色の瞳が色気たっぷりに細められ、口元には三日月のような美し弧が浮かぶ。

しかし、ジュリアも一瞬狼狽したが、そこはさすがに騎士である。肉弾戦はお手の物だ。

「殿下、お離しくださらないと私にも覚悟がありますからね」

ジュリアの口元には不敵な上々が浮かび、目には殺気がこもる。ジュリアがキレる前にはこういう顔になるのだが、エリゼルはまだそれを知らない。

「私と試してみるかい?」

そう言って、エリゼルがジュリアの頬に口付けを落とそうと顔を寄せた時だった。

ぐっ

ジュリアが頭突きを一発お見舞いしたのだ。エリゼルは、手で鼻を覆って俯いた瞬間

がっ

今度はジュリアが膝を大きく突き上げ、それはエリゼルの鳩尾に見事にヒットした。

「くっ・・・」

あまりの痛さに、エリゼルは体を折り曲げ痛みを逃そうと苦心していた。その隙に、ジュリアはするりとエリゼルの下から抜け出し、乱れた首元を整えながら、冷たい視線を殿下に向けた。

「殿下、手加減しましたからね」

冷たい声でエリゼルに向って言えば、涙目になりながら手で鼻を押さえたままのエリゼルが口を開いた。

「酷いな・・・からかっただけなのに」

それでもエリゼルの口元には面白そうな余裕の表情が浮かび、からかうような視線がジュリアに向けられていた。

「・・・とにかく、殿下を起こしましたからね。今度は手加減しませんからね」

そう言い放って、つんとした様子で、殿下の扉を開け、ジュリアはするりと外へと逃げ出した。



そうして、鼻が赤い殿下をいたわるように女達が取り囲んでいるのだが、それは逆に、エリゼルを苛立たせる結果にしかなっていない。

取り囲まれてちやほやされるより、頭突きされるほうを喜ぶなんて、殿下もちょっとアレじゃないか・・・そんな疑惑を思うジュリアの目にも、彼が肉食獣に取り囲まれ、メンタル的な何かをぎりぎりと奪われていく様子がはっきりと分かる。

(殿下・・・彼女たちの気の済むまでどうぞ犠牲になってください)

心の中で静かに十字をきり、ちょっとだけ、ざまあみろと思ってしまうのは仕方がないと思いながら、ジュリアは、騎士服のまま、殿下の傍に静かに控えていた。女達が浅ましくもエリゼル殿下に群がっているのが否応なく目に入る。朝、押し倒されたことを、まだ少し根に持っていたので、ジュリアは憐憫の情を、ほんのちょっと、本当に少しだけこめた眼差しで、殿下を見つめていた

エリゼルが困ったようにジュリアに視線を移せば、多少なりとも同情のこもった眼差しがかえっている。それが、少しだけ、慰めにはなってはいるが、彼女たちは、黙って行かせてくれそうにない。

それでも、エリゼルは、そんな感情を表には出さず、出来る限り早くにその場を離れたいと心から願っていたのだが。いつも洗練されていて、顔色一つ外に出さない殿下が、あれほど嫌そうな顔をするのだ。きっと、殿下も相当、我慢されているのに違いない。

予定より少し早いが、構わないだろう。ジュリアにだって仏心というものはある。

「・・・殿下、そろそろ次のお約束の時間かと思いますが」

「ああ、ジュリア、そうだな。お嬢様方、今日はお会いできて大変、貴重な時間を過ごせました」

殿下が思いっきり見え透いた嘘を言っているのは分かる。自分をファーストネームで呼んでいるのに気がついたが、ジュリアはあえて訂正せずに静かに黙認した。

「殿下・・・どうしてこの方のファーストネームを呼ばれているのですか?」

ぎすぎすしたほうの令嬢が、口惜しそうに言えば、エリゼルは、緑色の瞳を幸せそうに細めて、天使のような美しい笑顔を見せた。殿下があまりの美人さんなので、令嬢達はうっとりとして彼を見つめている。

「それは、彼女が私にとって大切な人だからだよ」

殿下が一つ爆弾を落とした。そこ効果は絶大で、その場の空気ぴしりと空気が割れたような気がするのは何故だろうか。令嬢達の空気が固く凍り付いたものへと変わった。

恐ろしい形相をした娘達の視線が一斉にジュリアへと注がれた。

エリゼルに名前を呼ばれて、一斉にジュリアを振り返った令嬢達の視線が痛い。視線だけで射殺されそうだとジュリアは思ったが、殿下が少し気の毒だったので、それに乗ってあげることにした。きっとこの人は生まれてからずっと、こういう人たちに取り囲まれてきたのだろう。殿下に会えたことで舞い上がり、彼がどんな気持ちでいるか、なんて二の次な人々たちに。

エリゼルはこの時とばかりにジュリアにつかつかと歩み寄り、彼女の肩をそっと抱いた。

「彼女は、ジュリア・フォルティス・マクナム伯爵。リチャード・マクナム将軍の一人娘だ」

「ほら、私のことをエリゼルと呼んで?」

殿下が甘ったるい顔をして、ジュリアの頬に指の背で触れた。おい!と突っ込みたかったのだが、それをぐっとこらえて、そっと顔を彼の指から遠ざける。 

「殿下、人の目がありますから、お戯れはおよしください」

ジュリアは口元には微笑みを作ったが、拒絶をこめた瞳で殿下を見つめれば、さらに甘い顔を返された。

どうして名前を呼んでくれないの?と、言いたげな殿下の顔には、妖艶な笑みが浮かんでいた。

「君と私の仲だろう?」

殿下が一層甘くなったが、ジュリアにはぴんと来るものがあった。

さては、この状況を利用してるな?

彼のことをちょっと可哀想とか思って損した。こいつはどこまでも腹黒なんだと、ジュリアは自分に言い聞かせた。それでも、自分は彼の従者であることは間違いない。彼の意図を察したジュリアは、殿下をあえて否定せず、令嬢達に向って礼を取ったのだが、それはエリゼルが思ったのとは別の方向に作用したようだ。彼にとってもいい方向に。

初めて殿下の後に控えていた騎士に気がついたのだろう。はっとした様子で令嬢達はジュリアを見つめた。

「あの・・・貴方は女性でいらっしゃるの・・ですよね?」

ためらいがちに聞く令嬢にジュリアが頷いて見せれば、ぽっと顔を赤くして潤んだ目で見つめられた。

「まあ、なんてお綺麗な方なのでしょう」

一人の令嬢がうっとりとジュリアを見つめた。

令嬢達は、今までとは違って上機嫌で自分たちを見つめるエリゼル殿下と、その傍らで静かに控えている男装の麗人である凜とした女性騎士を見つめて、思わず息をのんだ。

殿下は天使のようだし、マクナム様は軍服を纏った女神のようだ。

「皆様、お見知りおきください」

ジュリアが静かな声で挨拶をすれば、令嬢たちは目をむいて驚いた。どこから見ても高位貴族の所作。すらりとした姿勢に、整った顔立ち。水色の瞳は澄んでいて、自分たちをまっすぐに見つめる視線は、どこか潔い。

なんて洗練された仕草なのだろうか。

ガルバーニ公爵家が全力をかけて洗練させたことを令嬢達は知る由もないが、自分では絶対に敵わない相手だと悟った。

「ま、まあ、そうだったのですか。私たち、何も知らずに醜態をおみせしてしまって・・・」

狼狽する令嬢にジュリアは礼儀正しく言葉を紡いだ。

「そろそろ殿下は次のご予定があるので、失礼させていただいてもよろしでしょうか?」

「ま、まあ。そうですわね。ご迷惑をおかけしてはいけませんわ。エリゼル様、ごきげんよう」

「ああ、またいつか」

そう言い捨てて令嬢達を後に立ち去るエリゼルの耳元で、ジュリアは、にやりと黒い笑みを浮かべて、囁いた。

「エリゼル様・・・・一つ貸しですからね。覚えておいてくださいね」

そういうジュリアにエリゼルは、どこ吹く風とばかりに、言った。

「今朝のお返しだ。あれはチャラにしてあげるよ」

まだ王太子殿下の鼻の頭は赤い。ちょっと強く頭突きをかませすぎたかな、とジュリアはちょっと反省した。手加減したと言ったが、実は嘘だ。本当は、むかついたので思いっきりやった。

「ええ、では、貸し借りなしと言うことで」

つんとした口調で話すジュリアに、王太子はにやりと笑った。この娘のこういう所が気に入っているのだ。あっさりとしているが、どこか優しい所がある。ファーストネームで呼んだのに、嫌々ながらでも、令嬢達の前では合わせてくれている。

それにしても、どうしてこのタイミングで令嬢達と出くわすのだろう。来客とは出くわさないように警備体制が惹かれていると言うのに、と、訝しがるエリゼルであったが、その原因を彼が知ることは永遠にないだろう。ガルバーニ家の息のかかったものはそこかしこにいるのだから。

ジュリアをひっそりと取り巻き、危険な目に遭わないように配慮している者達がいると言うことをエリゼルは知る由もなかった。エリゼルもまだ闇のガルバーニの本領を完全には理解しきれていなかったのだ。

そういえば、とジュリアは大切なことを思い出し、殿下に伝えた。

「明日の出立の時刻と段取りについてですが・・・」

そう。明日からは王都への岐路が始まる。遠征旅行ももう少しで終わりだ。仕事モードへとエリゼルも切り替えて、厳しい顔つきでジュリアを見つめた。口は悪いし、腹黒だけれども、こういうきりっとした表情のエリゼル殿下をジュリアは嫌いではない。

二人の間の空気は随分親しげなものへと変わっていたが、それをジュリアはまだ自覚していなかった。

「明日は天気が少し荒れそうなので、早めに出立するとのことでした」

「そうか。明日の天気がそれほど悪くなるとは思えないのだがな」

「地元の猟師たちは天候を読むのが得意ですからね。彼らは間違いはないと思われますが」

「・・・そうか」

ジュリアと過ごす時間がもうすぐ終わりになると思い出して、ちょっと不機嫌そうな殿下を他の騎士達に引き渡して、ジュリアは慌てて足早に立ち去ろうとした。今回の遠征は短かったはずなのに、なんだかとても長かったような気がする。それでも、数日後にはジョルジュに会える。

ああ、ジョルジュ。早く会いたい。

彼の顔を思い出してジュリアは彼に会いたい気持ちで一心だった。明日の出立に向けてジュリアだって、今日は忙しくなる。することが沢山あることを思い出し、ジュリアもいそいそと準備に向った。
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