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最終章
最終話~1
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暗い灰色が空を覆い、ちらほらと雪が舞い降りてくる。お世辞にも今日はよい天気だとは言えず、今日の出立は理想的とは言いがたい。エリゼルは、馬に揺られながら、暗い空を眺め、到着までに雪や雨に降られなければよいなと考えていた。
天候を読むのが得意な猟師達は、きっとこれからしばらくは天気が悪い日が続くだろうから、山脈の道を通るのであれば、早いのに越したことはないと、従者達に語っていたようだ。そのアドバイスはおそらく正しいのだろう。
道行くほどに幅が狭くなっていく。切り立った崖に囲まれた道を用心深く注意しながら、騎士達は音を立てないようにして静かに歩みを勧めた。王都と離宮を結ぶ道はこれ一本しかなく、入り組んだ崖や谷に挟まれた細い道を行かねばならない。一歩間違えれば、崖から転落という可能性もある。
「ジュリア、私から離れるな」
エリゼルは後から馬でやってくる彼女に声をかければ、彼女は見事な手綱裁きで、エリゼルの近くへとすっと馬を寄らせてきた。彼女の馬はエリゼルでさえ素晴らしいと目を細めて賞賛するほど見事なものだ。
せっかく離宮にいる間に、ゆっくりと彼女を口説こうと思っていたのに、さんざんな結果に終わったと、エリゼルはほぞを噛む思いだ。
離宮の中では散々だった。
エリゼルが庭に出れば、目をぎらつかせて待ち受ける地元の令嬢達と出くわし、令嬢達がいない所は事務官がここぞとばかりに溜まった案件を持ち込んできた。夜の晩餐もジュリアと二人きりで会えたのは、たった一日だけで、夜は夜で、教会の関係者やら、地元の名士やらが挨拶に押し寄せ、秘書官との行き違いのせいで、身動き出来ないほど、夜の宴会がセッティングされた。部下達もみんな顔を青くしながら、重要な案件ばかり来るのです、と、不満げな自分の顔色をうかがいながらも、仕事を押しつけて来た。
どうして、こうも上手くいかないのか。
挙げ句の果ては、ジュリアに会いに行こうと足を向ければ、足下のレンガの一つが抜け落ちた穴に片足をつっこんだり、馬の糞を踏んづけたりと、何かと邪魔がはいり、思いの丈を彼女に伝えきれなかった。
馬の糞 ─ 誰がそんな所に馬糞が落ちていると考えるのか。エリゼルは、がっくりと肩を落としながら、帰路に向った訳だ。
結局、ジュリアと取り決めをした帰路につくまで、という期限も切れ、彼女の決意も固いとわかり、無駄足だったのか、とがっくりと肩を落としたのだが、仕方が無い。マクナムの娘を、権力で無理やりものにしようとしても、忠臣たちも黙ってはいないだろう。
「随分と冷え込んできましたね。雪になる前に急ぎましょう」
優秀な騎士の一人が先を急ぐように言う。
「これから一番の難所です」
鋭く眼光を光らせた騎士の一人が抜け目なく、周囲の安全を確認する。
「ここからの道は敵に襲撃される恐れがある。ジュリア、私の傍が一番安全だ。私の傍から離れないように」
「殿下、私は殿下をお守りするためにここに居るのですから、どうぞ、お気遣いなく」
ジュリアも暖かなマントに身をつつんでいたが、襲撃に備えて、背には矢の入った筒を背負い、腰には剣を帯刀している。片手で器用に馬を操り、片方の腕には弓をかけて、いつでも矢をつがえられるようにしている。
彼女の様子は、本当に軍神である女神に似ているとエリゼルは内心感心のため息を漏らした。
道幅はかなり狭くなり、急斜面の道路の横は競り立った崖となっている。吐く息が少し白くなっているのがわかる。気温もかなり低いに違いない。
「襲撃! 全員、配置につけ」
突然、先頭部の騎士が叫び声を上げると、瞬時に騎士団全員の空気がピンと張り詰めたものへと変わる。周囲の騎士達がエリゼルの周りへと守りを固めに入った。ジュリアも、弓を持ちなおし矢をつがえ、迫り来る敵を待ち構えた。
ひゅっ
エリゼルのすぐ傍に矢の空気を感じた瞬間、すぐ近くに控えていた騎士がどっと音を立てて馬から落ちた。胸を射られたようだ。
「敵襲! 10時の方向。敵は矢で襲ってくるぞ」
全員、咄嗟に馬から下り、馬の陰に身を隠した瞬間、間一髪で矢が降り注いできた。エリゼルがジュリアの無事を確認にしようと視線を向ければ、ジュリアもまた俊敏な動作で馬の陰から、冷静に矢をつがえ、敵の射手へと矢を放つ。
一人、また一人と、かなり的確な腕前で、ジュリアが狙った通り、岩の上にいる射手を打ち落としていく。
ひゅう、っと、口笛を吹いた騎士の一人がが感心したように、ジュリアを一瞬見つめたのをエリゼルは見た。その男の瞳の中には、腕のいい者に対して見せる尊敬の色がありありと浮かんでいた。
エリゼルは、そんな様子を少し胸が梳く思いで認めた。そう。ジュリアは、実力で今回の遠征メンバーに選ばれているのだ。女だからとか、エリゼルのお気に入りだとかという理由で同行を許されているのではない。
「やはりここで狙ってきましたね」
精悍な顔をした優秀な指揮官も慌てることなく、冷静に指示をしていた。矢をつがえるもの、剣をすらりと抜き、敵の切り込みを今か今かと待ち構えているもの、盾を手に敵の射手から味方を守っているもの。それぞれの士気は高い。それはそうだろう。王宮の中でも精鋭中の精鋭が選ばれ同行を許されているのだから。
「ほら、来た」
司令官が口元に不敵な笑みを浮かべた。思った通り、矢で先制攻撃をした後、切り込んでくるだろうと予想していたのだ。こちらの射手も的確に敵を一人、また一人と打ち落としている。切り込み部隊が突っ込んでくるまでに、できるだけ、敵の数を減らしておいたほうがいい。
どう、と音を立てて目の前で剣を振りかざした敵が倒れた。ジュリアが狙った矢は、敵の胸の中心を見事に貫通したからだ。
騎士達は慌てる様子もなく、すらりと剣を抜き放ち、向ってくる敵に切り込みに入った。砂埃が舞い、剣が重なり合う音が響き渡る。
「始まったな」
エリゼルは部下に幾重にも守られながら、その様子を冷静に眺めていた。勝算はあった。
天候を読むのが得意な猟師達は、きっとこれからしばらくは天気が悪い日が続くだろうから、山脈の道を通るのであれば、早いのに越したことはないと、従者達に語っていたようだ。そのアドバイスはおそらく正しいのだろう。
道行くほどに幅が狭くなっていく。切り立った崖に囲まれた道を用心深く注意しながら、騎士達は音を立てないようにして静かに歩みを勧めた。王都と離宮を結ぶ道はこれ一本しかなく、入り組んだ崖や谷に挟まれた細い道を行かねばならない。一歩間違えれば、崖から転落という可能性もある。
「ジュリア、私から離れるな」
エリゼルは後から馬でやってくる彼女に声をかければ、彼女は見事な手綱裁きで、エリゼルの近くへとすっと馬を寄らせてきた。彼女の馬はエリゼルでさえ素晴らしいと目を細めて賞賛するほど見事なものだ。
せっかく離宮にいる間に、ゆっくりと彼女を口説こうと思っていたのに、さんざんな結果に終わったと、エリゼルはほぞを噛む思いだ。
離宮の中では散々だった。
エリゼルが庭に出れば、目をぎらつかせて待ち受ける地元の令嬢達と出くわし、令嬢達がいない所は事務官がここぞとばかりに溜まった案件を持ち込んできた。夜の晩餐もジュリアと二人きりで会えたのは、たった一日だけで、夜は夜で、教会の関係者やら、地元の名士やらが挨拶に押し寄せ、秘書官との行き違いのせいで、身動き出来ないほど、夜の宴会がセッティングされた。部下達もみんな顔を青くしながら、重要な案件ばかり来るのです、と、不満げな自分の顔色をうかがいながらも、仕事を押しつけて来た。
どうして、こうも上手くいかないのか。
挙げ句の果ては、ジュリアに会いに行こうと足を向ければ、足下のレンガの一つが抜け落ちた穴に片足をつっこんだり、馬の糞を踏んづけたりと、何かと邪魔がはいり、思いの丈を彼女に伝えきれなかった。
馬の糞 ─ 誰がそんな所に馬糞が落ちていると考えるのか。エリゼルは、がっくりと肩を落としながら、帰路に向った訳だ。
結局、ジュリアと取り決めをした帰路につくまで、という期限も切れ、彼女の決意も固いとわかり、無駄足だったのか、とがっくりと肩を落としたのだが、仕方が無い。マクナムの娘を、権力で無理やりものにしようとしても、忠臣たちも黙ってはいないだろう。
「随分と冷え込んできましたね。雪になる前に急ぎましょう」
優秀な騎士の一人が先を急ぐように言う。
「これから一番の難所です」
鋭く眼光を光らせた騎士の一人が抜け目なく、周囲の安全を確認する。
「ここからの道は敵に襲撃される恐れがある。ジュリア、私の傍が一番安全だ。私の傍から離れないように」
「殿下、私は殿下をお守りするためにここに居るのですから、どうぞ、お気遣いなく」
ジュリアも暖かなマントに身をつつんでいたが、襲撃に備えて、背には矢の入った筒を背負い、腰には剣を帯刀している。片手で器用に馬を操り、片方の腕には弓をかけて、いつでも矢をつがえられるようにしている。
彼女の様子は、本当に軍神である女神に似ているとエリゼルは内心感心のため息を漏らした。
道幅はかなり狭くなり、急斜面の道路の横は競り立った崖となっている。吐く息が少し白くなっているのがわかる。気温もかなり低いに違いない。
「襲撃! 全員、配置につけ」
突然、先頭部の騎士が叫び声を上げると、瞬時に騎士団全員の空気がピンと張り詰めたものへと変わる。周囲の騎士達がエリゼルの周りへと守りを固めに入った。ジュリアも、弓を持ちなおし矢をつがえ、迫り来る敵を待ち構えた。
ひゅっ
エリゼルのすぐ傍に矢の空気を感じた瞬間、すぐ近くに控えていた騎士がどっと音を立てて馬から落ちた。胸を射られたようだ。
「敵襲! 10時の方向。敵は矢で襲ってくるぞ」
全員、咄嗟に馬から下り、馬の陰に身を隠した瞬間、間一髪で矢が降り注いできた。エリゼルがジュリアの無事を確認にしようと視線を向ければ、ジュリアもまた俊敏な動作で馬の陰から、冷静に矢をつがえ、敵の射手へと矢を放つ。
一人、また一人と、かなり的確な腕前で、ジュリアが狙った通り、岩の上にいる射手を打ち落としていく。
ひゅう、っと、口笛を吹いた騎士の一人がが感心したように、ジュリアを一瞬見つめたのをエリゼルは見た。その男の瞳の中には、腕のいい者に対して見せる尊敬の色がありありと浮かんでいた。
エリゼルは、そんな様子を少し胸が梳く思いで認めた。そう。ジュリアは、実力で今回の遠征メンバーに選ばれているのだ。女だからとか、エリゼルのお気に入りだとかという理由で同行を許されているのではない。
「やはりここで狙ってきましたね」
精悍な顔をした優秀な指揮官も慌てることなく、冷静に指示をしていた。矢をつがえるもの、剣をすらりと抜き、敵の切り込みを今か今かと待ち構えているもの、盾を手に敵の射手から味方を守っているもの。それぞれの士気は高い。それはそうだろう。王宮の中でも精鋭中の精鋭が選ばれ同行を許されているのだから。
「ほら、来た」
司令官が口元に不敵な笑みを浮かべた。思った通り、矢で先制攻撃をした後、切り込んでくるだろうと予想していたのだ。こちらの射手も的確に敵を一人、また一人と打ち落としている。切り込み部隊が突っ込んでくるまでに、できるだけ、敵の数を減らしておいたほうがいい。
どう、と音を立てて目の前で剣を振りかざした敵が倒れた。ジュリアが狙った矢は、敵の胸の中心を見事に貫通したからだ。
騎士達は慌てる様子もなく、すらりと剣を抜き放ち、向ってくる敵に切り込みに入った。砂埃が舞い、剣が重なり合う音が響き渡る。
「始まったな」
エリゼルは部下に幾重にも守られながら、その様子を冷静に眺めていた。勝算はあった。
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