聖騎士様の信仰心

宵の月

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第一章 聖騎士様の信仰心

責任は取るから

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 纏めた荷物を持ち、アンナと連れ立って厩舎へ向かう。のんびりと牧草を喰む白い神馬が見えると、アンナは目を輝かせて駆け寄った。

「シュルツ! 元気だった?」

 嬉しそうにアンナに擦り寄るシュルツに、アンナは破顔する。

「シュルツ……くすぐったいわ。熱烈な歓迎ね。」
「シュルツ! 僕のアンナに怪我をさせるなよ。」

 シュルツの歓迎によろけながら、アンナがくすくす笑う。

「リュカ、意地悪言わないの。シュルツ、久しぶりに会えて私も嬉しいわ。」
「そうやってアンナが際限なく甘やかすから、シュルツがつけあがるんだよ。」
「神獣は主人に似るのに、つけあがるだなんて。シュルツはいい子よ? ね?」
「ひどいよ、アンナ。僕はいつだっていい子なのに。な? シュルツ。」

 無二の親友の首筋を優しく撫でながら、リュカエルがシュルツにそっと近づく。

「……シュルツ、今度アンナに襲い掛かったら王宮の厩舎にぶち込むからな。」

 ごくひそめた声の囁きに、シュルツがビクリと耳を伏せて大人しくなる。急にしょんぼりとしたシュルツを、アンナが心配そうに覗き込む。

「シュルツ? リュカ、何を言ったの? あんまり意地悪しないであげて。」

 途端にピンと耳を立ててアンナにすり寄ろうとしたシュルツを見据えながら、リュカエルはにっこりと微笑んだ。

「意地悪なんてしてないよ。ただ前来た時のようにアンナに襲い掛からないように注意しただけさ。」
「襲い掛かるなんて……ただじゃれただけよ。ね? シュルツ?」

 微笑みかけるアンナに隠れるようにして、シュルツはリュカエルの様子を伺っている。神馬のくせにアンナを嫁にしようとするところだけは、親友だとしても許されることではない。アンナを盾に冷たい視線から隠れるシュルツに、リュカエルは笑みを向けた。

「……シュルツ?」

 警告じみた呼びかけにシュルツは観念し、耳も目も伏せてパカリと一歩下がった。威圧を解いてリュカエルは満足そうに頷いた。

「僕に似てアンナが大好きなのは仕方がない。でもアンナは僕のアンナだから。」

 言い聞かせたリュカエルに、謝るように鼻面をこすりつけるシュルツを撫でてやる。視線を感じて手を止めたリュカエルが、驚いたように自分を見上げるアンナに首を傾げた。

「アンナ? どうかした?」
「……リュカ、随分背が伸びたのね。」
「え、今頃?」
「私よりも低かったのに。」
「それいつの話? もうとっくに追い越してたよ。」

 眉を顰めたリュカエルに、アンナは上から下へと視線を巡らせた。

「背が伸びたのは知っていたの。でもこんなに伸びていたかしら……」
「アンナは僕がまだ小さなリュカだと思ってたんだね。」

 ため息をついてもうとっくに越した背丈で、アンナに覆いかぶさるように見下ろす。その瞳がスッと色を濃くした。

「リュカ……?」
「大人だよ。」
「え?」
「僕も成人したんだ。結婚ももうできる。」

 薄く口角を吊り上げて、アンナの金茶の瞳を覗き込む。戸惑うように後ずさるアンナの腰を捕まえる。

「大きくなったのは背だけじゃないよ。どこが大きくなったか確かめてみる?」
「リュ、リュカ……?」

 とんでもないセクハラの気配を感じ取ったアイギスが、防犯ブザーのようにフォンフォンと鳴り響いた。その音量に、リュカエルが小さく舌打ちして脅すように柄を握り締める。

「リュカエル。アイギス様はどうされたのじゃ?」

 アイギスを地面に叩きつけようとした手が、穏やかな声の呼びかけにピタリと止まる。リュカエルは如才なく笑みを浮かべて、真っ白な髭を蓄えた神父に笑みを浮かべて見せる。

「おはようございます。神父様」

「おはよう。体調を崩したと聞いてな。治癒を授けに来たのだが……何かあったのか?」

 心配げに腰で鳴り響いているアイギスを、神父が不安そうに見つめた。

「……退屈しただけですよ。アイギスは退屈するといつもこうして騒ぐのです」

 じっとリュカエルを見つめていた神父は、そうかと愁眉を解いて頷いた。神の意志を伝えるアイギスが、しょっちゅう騒ぐことに最初こそ心配した。ただ頻繁にやかましく鳴り響いても、リュカが言うように何かが起こることはなかった。

「そうか。川遊びはどうかな? 最近子供達に一番人気の遊びなんだ。」

 神父はにこやかにリュカエルに軍配を上げた。アイギスが子供扱いに衝撃を受けたように黙り、屈辱に細かく震え始める。リュカエルは満足そうに笑みを浮かべて頷いた。

「いいですね。近いうちに連れて行きます」

 唯一意思を交わせる持ち主の、悪意ある説明で己がすっかり狼少年になっている。アイギスは悲しそうにしょんぼりと項垂れた。どうせ川に放り投げるつもりなのは明白だった。

「リュカ。治癒を授けるから手を出しなさい」
「あ、いえ。患者のためにお力をお使いください。」

 すっかり忘れていた病人設定を思い出し、リュカエルは慌てて手を振った。

「でも体調が悪いのだろう?」

 心配気に顔を曇らせる神父に、リュカエルの口元が引き攣る。一転したリュカエルのピンチに、腰でアイギスが嬉しそうにビンビンなり始める。笑みを浮かべたままアイギスを脅して、治癒を重ねて断っていると裏戸が勢いよく開かれた。

「……アンナ!!」

 乱暴に裏戸から駆けつけてくる青年にアンナが首を傾げる。

「テッド?」

 テッドはリュカエルにちらりと視線を向けると、驚いているアンナに詰め寄り始めた。

「何考えてるんだ!」
「え? どうかしたの?」
「成人した男を屋敷に滞在させるとか、あり得ないだろ!!」

 リュカエルが、スッと目を眇めた。アイギスが驚いたように重みを増す。

「え? 成人した男って……リュカよ?」
「知ってるよ! そのリュカエルも成人した男だろうが! それなのに……」
「そうだけど……でもリュカよ?」

 テッドの勢いに気圧されて、目を白黒させるアンナに神父も一緒になって首を傾げた。

「テッド、何を騒いでおるのじゃ?」

 が揃って首を傾げることに、テッドは苛ついたようにアンナの肩に手を伸ばした。

「だから……!!」

 リュカエルは伸ばされたテッドの手を、即座に振り払う。そのままアンナを背に隠すように立ちはだかった。

「なにか問題でも?」

 ずいっと割り込んで来たリュカエルを、テッドが怯んだように見上げ、ぼそぼそと言い募る。

「……独身男女が二人きりとか、おかしな噂が……」
「独身男女? 愛し子に対して言ってる? 僕とアンナのことは街中が知ってる。」
「子供の頃ならともかく、リュカエルももう成人したんだ! 万が一……」
「万が一? 僕は聖騎士だ。に何かするとでも?」

 テッドがリュカエルの瞳の色に押し黙った。

「テッド、君の態度の方がよっぽど問題だと思うけど? 愛し子に?」

 ぐっと奥歯を噛みしめたテッドに、賛同するかのように騒いでいたアイギスが、ぴたりと気まずそうに静まった。リュカエルはゆっくりとテッドに詰め寄り、屈みこむと耳元にひそめた声で囁いた。

「それにね問題ないよ。万が一の時は僕が。」

 目を見開いたテッドを見下ろすとリュカエルが、皮肉げに口角を吊り上げた。そのままチラリと神父とアンナを確認する。相変わらずが困惑していることに、リュカエルはニヤリとして手を差し出した。

「アンナ、もう行こう。」

 神殿育ちの純粋培養の愛し子達に、テッドの言う一般常識が通じる前に。アンナがおずおずとテッドを気にしながら手を差し出す。その手をさっと掴むと、シュルツの上に引き上げた。

「神父様、僕も明日から手伝いにきますね。」
「そうか? 本当に治癒はいいのか? 遠慮はいらないぞ?」

 まだリュカエルを心配する神父に微笑むと、押し黙って俯いたテッドを一瞥しシュルツを走らせる。怒りでどうにかなりそうだった。

「……リュカ……?」

 真っ直ぐに前を見据え手綱を握るリュカエルに、アンナの遠慮がちに声をかける。この怒りはアンナには分からない。リュカエルは必死に笑みを浮かべて見せた。堪えがたい怒りは、飲み込むのも難しい。アンナを抱きしめる腕に力がこもった。タチの悪い虫が湧いている。

 ―――神よ、満足ですか。

 神が許可した愛し子アンナの婚姻。たった一度の許されるはずのなかった婚姻が、テッド如きをこうして引き寄せる。神の寵愛を受けたはずの愛し子が、簡単に手折れる安価な花に貶められているのを神はどう見ていたか。怒りに奥歯を噛みしめ、リュカはシュルツを走らせた。

 ―――お認め下さい。あなたは間違っていた。

 侮蔑を込めたリュカエルの怒りに、今度ばかりはアイギスも黙ったままだった。
 
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