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第二章 聖騎士様の復讐心
徹底的に後始末
しおりを挟む書信を受け取った大神官と、根源と生命の代行者は大神官の執務室でリュカエルの到着を待っていた。軽い叩音に扉が開かれ、輝く美貌に何やら磨きがかかったリュカエルが入室する。
「遅れてしまったみたいですね。集まってもらってありがとう」
代行者二人と大神官が、不審げに眉根を寄せた。大切に抱えられている各神器達も、戸惑ったようにフォンフォンと鳴り出した。
『アイギス? エリスコアが礼を言ったように聞こえたが、聞き間違いか……?』
『まさか、また何か企んでいるのか? さすがにあれほどの行いは、神は何度もお許しにはならないぞ?』
『ヴィウス、レドック……問題ない。単に機嫌がいいだけだ……』
ヒュンヒュンビンビン共鳴し合う神器達を気にしながら、大神官は恐る恐る機嫌が良さそうなリュカエルに向き合った。
「あの、リュカエル卿、お話というのは……?」
「ああ、先日の謁見の件で決めました。僕は王都を離れエリスコアに居住します」
「……なっ!!」
「リュカエル! 国防はどうする! 我々は王都で神託の神器を守らねばならん! 勝手は許されない!」
「時々は顔を出しますよ。デリフォンがいれば、神器の守護に不安はないはずです。もちろんの聖騎士団の権限も貸し出します」
「だが私は神力結界だぞ? 防衛はできても押し返す力はない」
「万が一の時は戻りますよ。僕が戻るまでの防衛なら、フォントンもいるのですし問題はないでしょう?」
「それはそうですが……」
治癒を司るフォントンが戸惑ったように、デリフォンと顔を見合わせた。大神官は衝撃を受けたのか絶句している。リュカエルはグッと身を乗り出し、瞳の色を濃くした。
「僕は王都にいる気はありません。尊い愛し子の恩恵もろくに理解できない連中に、僕の大切な愛する清らかな妻の、忌々しい聖痕が濁らされるのを黙って見ている気はない。やっと手に入れた愛らしく綺麗で慎み深い妻を、僕は何があっても手にかける気はありません」
「まさか聖痕に翳りが……?」
恐る恐る問う大神官に、リュカエルは答えなかった。全く濁る気配すらないのだが、無言のリュカエルに大神官は青ざめた。公爵二人もグッと押し黙る。リュカエルは静かに続けた。
「僕のかわいくて優しい美しい妻は、健気に懸命に耐えるでしょうね。無垢で慈愛に満ちた素晴らしい妻ですから。ですが、可憐で清純で純粋な僕だけの妻が、なぜゴミクズのような連中に貶められて耐えねばならないのです?」
「リュカエル……夫人を大切にしていることはよくわかるよ。でも情報が多すぎて話が入ってこない……少し控えてくれないか……」
「ああ、つい自然と口をついてしまいますね。新婚なので」
得意げなリュカエルに、フォルトンは懸命に溢れ出しそうな感情を堪えた。しばらく見ないうちに力の代行者の知性が著しく下がったらしい。
「……あー……、奥方もそうされたいと言っているのか?」
「いいえ? 健気にも耐え忍ぶ気でいますよ。僕の愛しい妻はどこまでも愛し子です……」
「では……別居……」
「その選択肢は絶対にありません……二度と口にしないでください」
ヒヤリとした冷たい声に、デリフォンは地雷を踏み抜いたことを悟った。慌てて口をつぐむも、リュカエルの底冷えする眼光は鋭さを変えなかった。
「……この際です。対策を講じるから待てなどと、生ぬるい提案も受け入れないとはっきり言っておきます。それなら僕の何もより大切な宝物である妻よりも、よっぽど無価値な寄生虫どもを始末します。止めだてするなら貴方達でも容赦はしません」
リュカエルの瞳の色に、誰も口を開けなかった。キンキンと共鳴していた神器達がかちゃかちゃと騒ぎ出す。
『礼などいうから病気かと思ったら、エリスコアだな。全然変わっておらん』
『いや、前よりやばくないか? 吾輩はアウリコア家でよかったと心底思う』
『…………』
騒ぐ神器以外静まり返った室内で、ごくりと唾を飲み込んだ大神官が思い切ったように顔を上げた。
「わ、私はリュカエル卿を支持いたします。これまで普く国に貢献し、ドラゴンまで鎮められた愛し子が貶められるなどあってはならない。あの日あの方が入室された瞬間のあの澄み切った神気! あれほどの神気の愛し子に会ったことはありません。それなのにあのクソどもは! 神気もわからない分際で、かの愛し子を嘲笑したのですよ? おまけにあんな……!! 心安くお暮らしになるには、クソどもの根本が変わらない限り無理です。それにはどれほどかかることか。それまで耐えろと? あれほど深い寵愛を受ける方なのです。堕落すればその分反動も大きいのです。あれほど高潔な魂を保つ方に、負担を強いることは私は許せません! きっと神だってお許しにはならない!!」
「大神官……その通りですよ。ずっと見込みのある方だ、と思っておりましたがこれ程とは……」
散々診断書を書かされた大神官は、あまり嬉しそうな顔はしなかった。微妙に視線を落とした大神官の横で、フォントンも頷いた。
「そう、だね……万が一にも堕落させてはならない」
「ああ、そうだな……リュカエル、私が浅はかだった」
「いいですよ。誰にでも間違いはあります」
「ですが、緊急の神託などの連絡手段が……」
潔く頭を下げたデリフォンに鷹揚に頷いたリュカエルは、わちゃわちゃしてる神器達に視線を落とした。
「あれらにやらせましょう」
「共鳴伝達を使うのか? あれほど嫌がっていたのに……」
「背に腹は変えられません。その程度の不自由は我慢しますよ」
神器に代行者が神気を流せば、別の神器が共鳴してごく単純な伝達を行える。リュカエルはアイギスの主人になる時に、それを拒否した。やりたくもない代行者をさせられて、手軽に呼び出されるなどたまったものではないと。最もアイギスと疎通できるようになったのはごく最近。共鳴されてバレたくないことが山ほどある、リュカエルが共鳴を拒否するのは当然だった。
「《神殿へ》程度ならどこでも伝わるでしょう? それを合図に僕が神殿へ出向きます」
「神殿同士は神気の通信回線が整っているしね。それなら緊急時の問題は解決する」
「ええ、ただ各禁足地に向かう経路には、教会のみの場所も点在しています。密な連絡をというのであれば、禁足地への経路上に神殿の設置と、禁足地の神殿営地への通信は整備してください。神殿営地の改装は聖騎士団でします」
「禁足地? 神殿営地の改装?」
首を傾げたフォントンに、リュカエルがにっこりと微笑んだ。
「ええ、ドラゴン狂化の褒賞を、最終結界権限にしたので。年に一度は禁足地に出向くと思います。退位など望んでないとわかった途端、即座に許可しましたよ。王など面倒なだけなのに、物好きなことです」
「なんでまた最終結界権限を……」
眉根を寄せた三人に、リュカエルは立ち上がりながら微笑んだ。
「僕はちょっと根に持つタイプなんですよ」
そのままアイギスを手に取ると、礼をして退室していった。残された三人は顔を見合わせたが、あえてそんなものを望んだ理由を考えないようにした。相手はリュカエル・エリスコア。知らずにいた方がいいことが、世の中にはあることを三人はよく知っていた。
※※※※※
大神官と代行者達との会談を終えると、そのままリュカエルはヴァレンシア侯爵家に出向いた。待ち侘びていたようにすぐに通され、ラヴォスをはじめ十数人の貴族がリュカエルに丁重に礼をとった。
どの貴族も普段は王都にいない、領地に引きこもっている貴族達。その上納税額が貴族内でも上位の、権勢を誇る家門ばかりが居並んでいる。
「楽にして。面倒な前置きは省いて本題に入ろう。僕は早く妻の元に帰りたい」
リュカエルはそういうと、懐から瓶を取り出した。よく磨かれたマホガニーのテーブルに置かれた瓶を、集まった貴族達は食い入るように見つめる。
「これが……ドラゴンの涙……」
「僕の妻は妊娠している。僕の子をね。知ってると思うけど、互いに涙を飲めば一時的に、同等の神力を宿せる。そうすれば愛し子であっても子を持つことができる」
淡い七色の乳白色に輝く涙を、跪いて見つめていたラヴォスが、縋るようにリュカエルを見上げた。
「リュカエル卿、これがどれほど貴重なものかわかっております。私が差し出せるものはなんでも差し上げます。一度だけで構いません。どうか私の娘のために、お譲りいただけませんか……」
「リュカエル卿! 私にもどうか……!! 我が家門は一人息子……このままでは血筋は途絶えます……どうかお願いします」
縋り付かんばかりの貴族達に、リュカエルは優しく笑みを浮かべた。
―――さあ、神よ。思い知るといいですよ……
ゆっくりと涙の入った小瓶を持ち上げ、穏やかに口を開いた。
「何もいりませんよ。ですが当然ながら婚姻を許された者であることが前提です。血筋のために子を作るなどあってはいけませんからね」
僅かに顔を曇らせた貴族達は、それでもグッと顔を上げた。その様子にリュカエルはそっと口角を吊り上げる。
「そしてもう一つ。今からちょっとだけお時間をいただきます。ああ、大丈夫、長くはかかりませんよ……」
孤児院仕込みの語り口に、貴族達は聞き入りその表情をゆっくりと変えていった。
―――神よ。覚えておくといいですよ。僕はちょっと根にもつタイプなんです……
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