10 / 66
帰還準備
ソファーでふらりと身体が傾ぎ、アルヴィナは思わず手を着いた。その様子をトゥーリが気遣わしげに見つめ、カーティスを非難の眼差しで睨む。
「カーティス、アルヴィナ妃の体調もある。2日後は無理だ。熱が落ち着くまで延期しろ。」
「無理だ。キリアン、最等級の回復薬を手配しろ。」
「はい。」
「カーティス!」
抗議の声を上げたトゥーリをじろりと見遣り、カーティスは署名の終わった協定書をトゥーリに放る。
「トゥーリ、ダンフィル側妃への行き過ぎた配慮に感謝するが口出しは無用だ。」
「……グレアム大公家の養女でもある。僕のいとこだ。」
「……ハッ!アルヴィナ、2日後に出立する。それまで療養を命じる。寝室から出るな。」
「……はい。」
「アルヴィナ妃!無理をすることはない!そもそもこの男のせいだろう!」
「……トゥーリ殿下。お気遣い感謝いたします。」
小さく笑みを浮かべて礼を伝え、アルヴィナは書面に視線を落とした。そのままそっと手に取って、顔を上げる。
「ですが、陛下の言に従います。……おそらくはもうすでに予定を超過させてしまっているかと。これ以上の延期は国益に関わります。」
そのまま書面に目を落としたアルヴィナは、トゥーリとキリアンが驚いたように見詰めていることに気付かなかった。カーティスが僅かに満足げな笑みを浮かべる。
「アルヴィナ、下がっていい。」
「はい。」
侍女に付き添われてアルヴィナが退出した室内に、トゥーリのため息が落ちた。
「……アルヴィナ妃はこの書面だけで気付いたのか?」
「アルヴィナはフォーテル公爵の薫陶を受けている。」
「まさかダンフィルの情勢も分かっているのか?」
「正確ではなくともある程度の見当はついているだろう。」
「挨拶もそうだったけどさ。本当に聞きしに勝る、だな。美しい上に聡明だ。僕の正妃に迎えればよかった。……冗談だ。」
カーティスからの冷ややかな視線に、トゥーリが肩をすくめる。《ダンフィルの悪夢》から随分変わってしまった幼なじみ。それでも在りようが変わってしまっても、未だに変わらないものもある。
トゥーリは表情を改めると、カーティスが放り投げた協議書に向かい合った。
※※※※※
ノックの音にアルヴィナは寝台から身を起こした。ジェリンを伴ったキリアンが入ってくる。ジェリンは無言で近づくと、身を起こしたアルヴィナの肩にストールをそっと掛けた。
「ありがとう。」
「最等級の回復薬をお持ちしました。そちらの医師の立ち会いのもと服用してください。」
「はい。」
そのまま黙り込んだキリアンは、意を決したように顔を上げた。
「なぜおわかりになったのですか?」
「え?」
「予定の遅延と延期ができないこと。なぜ分かったんですか?」
「…………キロレスの公示を受けてのリーベンとの同盟強化。キリアン卿が婚姻の理由の1つとして挙げていました。
ですが予定では、リーベンでは国境までのパレードだけで式は行われません。関係強化の対外的なアピールに最も効果的な式を行わないほど、ダンフィルへの帰還を急いでいる。」
「………」
「情勢の安定は国民レベルの話しで、貴族階級はまだ落ち着いていないと推測しました。今回の来訪にセレイア妃はいらしていません。………玉座を長く空けられないのだと……」
最後を躊躇いながら口にしたアルヴィナに、キリアンは拳を握った。
「……その通りです。貴女ならリーベンでも断片的な情報から、ある程度予測されていたのでしょうね。」
「……何もかも分かっていたわけではありません……分からないことのほうがずっと多く……」
「それなのに貴女はっ……!!」
「キリアン卿!アルヴィナ妃には安静が必要です!」
「………っ!!」
ジェリンの制止にキリアンは、歯を食いしばった。必死に出かかった言葉を飲み込んで、礼をして出ていく。その背を見詰めるアルヴィナを、ジェリンはそっと撫でた。
「アルヴィナ妃、こちらをお飲みいただいて、今は何も考えずお休みください。」
「……はい。」
差し出された薬瓶を飲み干し、アルヴィナはジェリンに促されて横になる。ジェリンが退室する扉の音を聞きながら、アルヴィナは息を深く吸い込んだ。
《それなのに貴女はっ……!!》
キリアンの怒りに燃える声が蘇り、アルヴィナはきつく瞼を閉じる。
考えなかったわけではない。父も母も亡くなり、このまま1人リーベンに居続ける意味を。それでも赤い唇を思い出すと足がすくんだ。
必死に王国の悪夢を振払おうと、カーティスは《ナイトメア》の出所を探っていた。細い糸を手繰って、ベルタング家からはナイトメアの被害者が出ていないことを掴んでいた。
カーティスは分かっていた。その上でセレイアと婚姻を結んだ。だからきっと何か考えがあるんだと……。
「お父様……お母様……」
震える手を握りしめ、アルヴィナは助けを求めるように小さく呟いた。
目を背けて考えないようにしていた。自分が目をそらして過ごしてきた時間を、彼らはどう過ごしてきたのか。本当にアルヴィナが自分に言い聞かせていたように「大丈夫」だったのか。
目の当たりにしたカーティスの変貌が、キリアンの怒りの声が、罪悪感を抉る。
嗚咽を押し殺して、アルヴィナは静かに涙を流し続けた。
あなたにおすすめの小説
わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない
鈴宮(すずみや)
恋愛
孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。
しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。
その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?
【完結】小さなマリーは僕の物
miniko
恋愛
マリーは小柄で胸元も寂しい自分の容姿にコンプレックスを抱いていた。
彼女の子供の頃からの婚約者は、容姿端麗、性格も良く、とても大事にしてくれる完璧な人。
しかし、周囲からの圧力もあり、自分は彼に不釣り合いだと感じて、婚約解消を目指す。
※マリー視点とアラン視点、同じ内容を交互に書く予定です。(最終話はマリー視点のみ)
結婚したけど夫の不倫が発覚して兄に相談した。相手は親友で2児の母に慰謝料を請求した。
佐藤 美奈
恋愛
伯爵令嬢のアメリアは幼馴染のジェームズと結婚して公爵夫人になった。
結婚して半年が経過したよく晴れたある日、アメリアはジェームズとのすれ違いの生活に悩んでいた。そんな時、机の脇に置き忘れたような手紙を発見して中身を確かめた。
アメリアは手紙を読んで衝撃を受けた。夫のジェームズは不倫をしていた。しかも相手はアメリアの親しい友人のエリー。彼女は既婚者で2児の母でもある。ジェームズの不倫相手は他にもいました。
アメリアは信頼する兄のニコラスの元を訪ね相談して意見を求めた。
姉の婚約者に愛人になれと言われたので、母に助けてと相談したら衝撃を受ける。
佐藤 美奈
恋愛
男爵令嬢のイリスは貧乏な家庭。学園に通いながら働いて学費を稼ぐ決意をするほど。
そんな時に姉のミシェルと婚約している伯爵令息のキースが来訪する。
キースは母に頼まれて学費の資金を援助すると申し出てくれました。
でもそれには条件があると言いイリスに愛人になれと迫るのです。
最近母の様子もおかしい?父以外の男性の影を匂わせる。何かと理由をつけて出かける母。
誰かと会う約束があったかもしれない……しかし現実は残酷で母がある男性から溺愛されている事実を知る。
「お母様!そんな最低な男に騙されないで!正気に戻ってください!」娘の悲痛な叫びも母の耳に入らない。
男性に恋をして心を奪われ、穏やかでいつも優しい性格の母が変わってしまった。
今まで大切に積み上げてきた家族の絆が崩れる。母は可愛い二人の娘から嫌われてでも父と離婚して彼と結婚すると言う。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
幼馴染と夫の衝撃告白に号泣「僕たちは愛し合っている」王子兄弟の関係に私の入る隙間がない!
佐藤 美奈
恋愛
「僕たちは愛し合っているんだ!」
突然、夫に言われた。アメリアは第一子を出産したばかりなのに……。
アメリア公爵令嬢はレオナルド王太子と結婚して、アメリアは王太子妃になった。
アメリアの幼馴染のウィリアム。アメリアの夫はレオナルド。二人は兄弟王子。
二人は、仲が良い兄弟だと思っていたけど予想以上だった。二人の親密さに、私は入る隙間がなさそうだと思っていたら本当になかったなんて……。
【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね
江崎美彩
恋愛
王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。
幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。
「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」
ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう……
〜登場人物〜
ミンディ・ハーミング
元気が取り柄の伯爵令嬢。
幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。
ブライアン・ケイリー
ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。
天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。
ベリンダ・ケイリー
ブライアンの年子の妹。
ミンディとブライアンの良き理解者。
王太子殿下
婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。
『小説家になろう』にも投稿しています