壊れた王のアンビバレント

宵の月

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 通された白亜宮の一室は、前王妃の私室だった。まるで時を閉じ込めていたかのように、懐かしい空気がアルヴィナを迎えた。

 《アヴィーちゃん、今日もすごく可愛いわね。カーティスにはもったいないなー。私のお嫁さんにならない?》

 王妃となる前は、騎士だった前王妃。凛とした立ち姿がかっこいいと令嬢達から、いつも熱のこもった視線を集めていた。
 
 「レティス様……」

 耳に蘇った明るい声に、アルヴィナはぽつりと呟いた。もう一人の母のような人。ぎゅっと引絞られるように胸が痛む。
 ノックの音に滲んだ涙を拭い顔を上げる。開いたドアから入ってきた二人に、アルヴィナは唇を震わせた。

 「お嬢様………!!」
 「……ノーラ……マルクス……」
 「お会いできる日を待ちわびておりました。」

 引き寄せられるように駆け寄り、再会に固く抱き合った。フォーテル公爵家の筆頭侍医ノーラと、騎士団長のマルクス。

 「ごめんなさい!ごめんなさい!」
 「何を謝るのです。お嬢様!お会いしたかった!」
 
 亡命する日、二人は残るとだけ父から聞かされた。爵位を返上し亡命した家門の者。残った者達のその後は、安楽なものではなかったはずだ。

 「お嬢様、謝ることなどございません。公爵閣下は我々をそのままフォーテルに残れるよう、王家と取り決めて下さいました。」
 「……お父様が?」
 「はい。私とノーラは王宮付きとなりましたが、忠誠は今もフォーテルにございます。」
 「今後はアルヴィナ妃の筆頭侍医と護衛としてお側にお仕えいたします。」
 「……本当に?側にいてくれるの……?」

 熱にうなされるアルヴィナの手を取って、一晩中看病してくれたノーラ。転んだアルヴィナに慌てて駆け寄り、不器用にあやしてくれたマルクス。
 自分を歓迎しないダンフィルの王宮。二人が側にいてくれるなら心強い。

 「簡単に死なれては困るからな。」
 
 平坦な声が割り入って、ノーラとマルクスが臣下の礼を取り道を開けた。カーティスとそれに付き従うように、キリアンが入室した。

 「陛下……ご配慮下さりありがとうございます。」

 深く頭を下げたアルヴィナを、カーティスは冷たく見据えた。

 「明日、婚姻式典は行わない旨を通達する。」
 「はい。」

 ノーラとマルクスがハッと顔をあげ、表情を険しくした。二人が口を開く前に、アルヴィナは従順に頷いた。

 「お嬢様!」
 
 アルヴィナはノーラに微笑みかけて、ゆっくりと首を横に振ってみせた。ノーラは口をつぐみ、マルクスは屈辱に耐えるように俯いた。

 (分かっているわ。大切にされる訳はない)

 もう愛されてはいない。側におくのは、抱えた怒りを分からせるため。そのための側妃だと分かっている。それを示すように真っ直ぐカーティスを見つめる。

 「これを渡しておく。」

 カーティスがビロードの小箱を差し出した。僅かに目を見開いて、そっと受け取る。
 ダンフィル王家の婚姻に贈られる保護石の指輪。王家の血筋にのみ反応して、不可侵の領域を展開する特殊な魔石。
 ダンフィルの王家に連なることを示す指輪。贈られるとは思っていなかったせいで、受け取る手が震えた。

 「外すな。」

 カーティスは無造作に指輪を嵌める。そのまま左手を引き寄せ、魔石に唇を落とした。指輪を嵌める指に痛みが走る。
 魔石が赤く光り、保護石が認証を終え、透き通る乳白色に色を戻した。これで持ち主となったアルヴィナが発動させれば、血を供給する限り不可侵の領域が展開される。

 「王宮は大騒ぎだ。」

 カーティスが愉快そうに笑みを刻んだが、その瞳には侮蔑が浮かんでいた。

 「単なる愛人か、リーベンの大公グレアム家が後ろにつく、白亜宮に入宮した妃と見るか。」
 「………」

 (王宮は王が突然連れ帰った側妃に揺れているのね。議会を通さずに正規の手続き外で、迎えられた側妃だから)

 家門の浮沈をかけた選択の、あぶり出しに使われたのだと分かった。王妃か側妃か。カーティスはアルヴィナの存在を、躊躇うことなく利用した。

 「ノーラ、マルクス。分かっているな。」
 「「はい。」」

 カーティスはアルヴィナを歯牙にもかけず、ノーラとマルクスを振り返る。

 「アルヴィナ妃、現在の貴族名鑑です。目を通しておいてください。」
 「……はい。」

 そのままカーティスとキリアンは出ていき、アルヴィナは小さく息を吐き出した。

 「………婚姻式典をしないなんて……」
 「いいのよ。」
 
 悔しそうに絞り出したノーラに、アルヴィナはあえて明るく答える。
 爵位を返上し亡命したフォーテル家の側妃。フォーテルの没落で、急激に権勢を強めたベルタング家の王妃。
 婚姻式典さえしない側妃として侮られるのは間違いない。

 (きっと王が飽きるまでの気まぐれだと言われるでしょうね……)

 そしてそれはたぶん間違ってはいない。怒りを思い知らせ、とことん利用し、気が済んだら用はない。子供ができないならなおさらだ。
 不意にこみ上げてきた涙を、アルヴィナは無理やり飲み込んだ。
 
 「……お嬢様、全力でお守りいたします。」
 「ありがとう、マルクス。」
  
 乳白色に優しく輝く魔石を見つめる。魔石が美しいほど、アルヴィナの心は重くなる。
 捨てた国の妃として、見捨てた男の妻として、怒りと蔑みの中に生きることになる。分かっていたけれど、それでもカーティスに道具として扱われるのは辛かった。

 (いっそ何もかも忘れられたらいいのに……)

 優しい思い出ばかりが眠る白亜宮。ここにいるせいか、かつてのカーティスを無意識に探してしまう。何度探すのだろうか。どうすれば諦めがつくのか。
 冷たい視線に触れるたびに、感情のない声を聞くたびに、その差がいちいち心を引っ掻く。
 懐かしい空気を漂わせる白亜宮が、まるで罪人を閉じ込める檻のように感じた。

 「……ここは王妃が入宮を主張しましたが、許されませんでした。」
 
 慰めるようなノーラの言葉に、アルヴィナは力なく笑った。

 「……そう。カーティス兄様は選択を複雑にしたかったのね。」

 白亜宮は前国王が、愛した前王妃のために建てた宮だった。頻繁に顔を出せるようにと行政区近くに建てた宮。図書宮と温室が増設され、カーティスは幼少期を白亜宮で過ごした。

 (それほど思い入れは深い。入宮が許されるのは寵愛の証とも言えるもの……)

 自国では式典はしてもリーベンには伴わなかった王妃。自国では式典をしなくても、リーベンでは、簡易的に披露された側妃。

 「きっと難しい選択になるのでしょうね。」
 「お嬢様……」

 消え入りそうに儚げなアルヴィナに、ノーラは不安げに眉尻を下げた。
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