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光明と疑惑
引き寄せて辿った先に、見つけた数字と名前を書き綴る。日付を紐付け、項目に分ける。
別々に記されていた物を集めて、一枚の紙片に収めると書き込みが増えるほど、見えずにいたものが浮かび上がってきた。
予算編成書に手を伸ばしたところで、来客の知らせに顔を上げた。
「……キリアン卿?どうされましたか?」
静かに入室してきたキリアンは、挨拶もせずに黙ったまま俯いている。
「あの……」
「………とう、ございます……」
掠れたくぐもった声を絞り出し、キリアンは顔を上げた。潤んだ瞳は真っ赤に充血し、こみ上げる万感を飲み込んだような表情は、安堵を浮かべていた。
「ありがとうございます!!本当に……!もう……本当に手立てがなかった……」
振り絞るように声を押し出すキリアンに、どれだけ彼が追い込まれていたかを知った。アルヴィナは胸にこみ上げてきた、温かさのまま笑みを浮かべた。
彼がカーティスの側にいてくれたことを感謝した。彼が必死に食い止めていた。キリアンがいなければ、おそらくもう手遅れだったはずだ。
「感謝しております……。すでにいくつかの家門から打診がありました。さらに増えていくはずです。」
「そうですか。ですが最終印は玉璽でなければなりません。」
「……ええ。」
ぐすりと鼻をすすり、キリアンは護衛にちらりと目を向ける。それでも下がらせることはなかった。
「ですが、今は……」
言葉を切り首を振るキリアン。アルヴィナは表情を改めた。
「……それは彼の人の堕落への懸念ですか?」
ハッと目を見開いたキリアンが、唇を引き締め頷いた。
「……そうです。時期を見て必ず裁可いただきます。それまでは……」
「……分かりました。では、陛下の薬師に会わせてください。できるだけ早く。」
護衛の目がある。今は引き下がる他なかった。それでも知らずにおくことはできない。より詳細を知るだろう、ネロ・テンペス。彼に会っておくべきだと思った。
「……っ!?それは……」
「きちんと知っておきたいのです。」
微笑みを浮かべたアルヴィナに、キリアンは迷うように視線を彷徨わせた。それでもそらされることのない視線に、覚悟を決めたように頷いた。
「……分かりました。日時は追ってお伝えします。その際はノーラに案内させてください。」
「ありがとうございます。」
「それとこちらをお預かりしています。」
「あっ!それならこちらもお願いできますか?」
差し出されたエクルドからの封書を見て、トゥーリとウォロックに宛てた手紙を、キリアンに手渡す。
「お届けしておきます。」
手紙をキリアンが上着に丁寧にしまうのを見届け、エクルドからの封書を開けた。
見覚えのあるいくつかの家門が名乗りを上げたことを知って、ほっとアルヴィナは目を細めた。だが、文末の記載には眉根を寄せた。
《婚姻誓約書の開示困難》
(それほど機密を高く保管しているの……?)
王家の婚姻についての誓約書だ。機密事項であることはおかしくはない。それでもあれ程の人脈を持つエクルドでも、開示を得られないほどなのは腑に落ちなかった。
「……アルヴィナ妃?何か不都合が?」
不安げなキリアンに、アルヴィナは首を振った。
「……いえ、その件ではありません。」
ほっと胸を撫でおろすキリアンに、アルヴィナは近づき声をひそめた。
「キリアン卿であれば、陛下の婚姻誓約書の写しを手に入れられますか?」
「………いいえ。」
はっと息を呑みキリアンは、僅かに眩しげにアルヴィナを見つめた。そして申し訳なさそうに首を横に振る。
「気付かれましたか。本当に聡明でいらっしゃる……。
私も動いてみましたが、婚姻誓約書の開示は無理でした。内容も誰にも知らされていません。本人も答えません……」
「そうですか……。キリアン卿も特別拠出金の収支に疑問が……?」
「……はい。1年半前からです。おそらくは……」
婚姻の時期とぴったり重なって、収支が合わなくなった巨額の特別拠出金。絡んだ互いの視線に、同じ疑惑を浮かんでいるのがわかった。
「もう一つ。王妃宮の予算ですが、正規予算に組み込まれておらず、国庫が財源ではありません。
王妃と王妃宮に関わる費用は、全てベルタング家の負担です。期限も今のところ設けられていません。」
「……それは……」
沈黙が落ちた。セレイアとの深い確執。不透明な財源収支。きっと何かある。キリアンも確信している。それでもその内容を、知る手立てがない。
カーティスにとっての追い風となるのか、逆風となるのかさえも。
「財源収支だけならば、不利になることはないかと……ですが……」
確かに復興支援と街道敷設。そして白亜宮予算と不利になる要素は見当たらない。むしろ有利に働く可能性もある。それでも全容が不透明のままで確信は持てない。
「大丈夫です。別館の試みは確実にカーティスの武器になります。」
キリアンも内容を知り得ない成約内容が、手札となる確信が持てなかったのだろう。確実な手札が用意できた安堵に、キリアンは笑みを浮かべた。
「ええ、そうね……」
それでも拭いきれない不安が残る。知らなければ取り返しのつかないことになりそうな予感に、アルヴィナは胸を押えた。
「陛下にはいつ会えるかしら?」
「あ……それは……」
何気なく呟いた言葉にキリアンは気まずげに俯き、アルヴィナも失言に口元を覆った。使節団は予定日数を延期して滞在を続けている。
ヘレナを側妃に迎えるために。思い出してしまった感情に、アルヴィナは俯いた。
「アルヴィナ妃……」
気遣わしげにキリアンは声を上げ、ちらりと控えているノーラを横目で確認した。壁際に控えていたノーラが小さく首を振る。ノーラも何も伝えていないとキリアンは悟った。
薬師として地龍宮に呼ばれるノーラは、事実を知っている。アルヴィナに忠実なノーラが、忠実だからこそ話せていないことは明白だった。
「アルヴィナ妃。カーティスは元気です。近々お会いになれるはずです。」
「そう……分かったわ。」
その笑みが深く傷ついていることを教えたが、結局キリアンもノーラと同じく話すことはできなかった。
知れば誤解よりも深く傷つくかもしれない。
(話せない……)
目の前で儚げに俯くアルヴィナに、キリアンもまたノーラと同じ判断をした。
(申し訳ありません……アルヴィナ妃……)
盤石に見えて追い詰められていた袋小路。そこにアルヴィナが細い道を作ろうとしている。
貶められ蔑まれてながらも、光明を指し示してくれた恩人。それなのに辛そうな心を、軽くすることもできないまま、口を噤むしかない。
キリアンは心からの謝罪を押し殺し、礼をとって静かに退室していった。
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