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51.新年は発熱とともに

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「アリス様、お加減はいかがですか?」
 ベッドに横たわる私を覗き込むようにしてアナベルが尋ねた。

「うん、もうだいぶいいみたい」 

「それはよかったです」

 ほっとしたような顔でアナベルが笑った。
 初めての夜会で緊張したせいか、年明け早々熱を出して寝込んでしまったのだ。

「キャロライン様からお見舞いが届きましたので、こちらに飾って置きますね」
 ガラスの花瓶に飾られた大きな赤い薔薇はとても綺麗だ。

「キャロライン様は、今夜こちらに泊まりに来れないことを残念がっておられましたよ」

「私も残念だわ」
 そう言って起き上がろうとする私を見て、アナベルが慌ててとめた。

「アリス様、寝てらっしゃらないとダメですよ」

「でもキャロライン様にお詫びとお礼の手紙を差し上げないと……」

「それは元気になってからにしてください。熱が上がっては大変です」

 渋々ベッドに横たわると、アナベルが私の足先から顎まではみ出すことなく掛け布団で覆っていく。

「そうそう。後でウィルバート様が謝りに来るとおっしゃっていましたよ」

「謝るって……何を謝るの?」

「昨夜のワインの件ですよ」

 アナベルがふんっと鼻息を荒くした。といっても興奮しているわけではない。怒っているのだ。

「ノンアルコールスパークリングワインと、スパークリングワインを間違えてお持ちするなんてあり得ません。そんな初歩的なミスをするなんて、王宮侍女失格です!」

 昨夜ウィルはお酒の飲めない私のためにアルコールのないものを、自分用にはアルコールの入ったものを持ってくるよう指示していたようだ。それがどうまちがえたのか、二本ともアルコール入りのものが運ばれて来たらしい。

 間違える侍女も悪いけど、お酒だと気づかず2杯も飲んでしまった私も悪い。普段ならお菓子に少し入っているだけでも匂いでお酒だって気がつくのに。

 今思い返してみれば、確かに飲み慣れない味がした気もする。でも飲みやすかったし美味しかったのでアルコールだなんて思いもしなかった。

 おかげで酔っ払ったのかなんなのか、気づいたら眠ってしまって朝だった。せっかくウィルが私と年越しをしたいと言ってくれたのに。残念すぎる一年の締めくくりとなってしまった。

 ウィルと年越しをできなかったことを、私以上に残念がっているのはアナベルだ。「二人きりの夜についてお聞きするのを楽しみにしてましたのに」っと、いうセリフを今朝から何度聞いたことか。

「ウィルのせいじゃないんだし、わざわざ謝りに来なくていいって伝えておいて」

 ウィルは年明けから3日間、王太子としてやらなければならないことがたくさんあると聞いている。忙しい中わざわざ謝りに来てもらうのは申し訳ない。

「ウィルバート様もアリス様の事が心配なんですよ。さぁさ、そろそろお眠りください」

 アナベルがいなくなった部屋は、静かで物音ひとつしない。体が弱っているせいだろうか、しんとした中に一人でいると急に心細くなってくる。まるでこの世に一人取り残されたみたいな孤独感が胸を占める。

 へんね、ひとりぼっちなんて慣れっこのはずなのに。

 この世界に来るまで私はひとりぼっちだった。年越しだって、病気の時だって、いつだってひとりだったのに。どうしてこんなに寂しくなってしまうんだろう。

 目をつぶると暗い暗い闇に飲み込まれていく。悲しくもないのに込み上げた涙が頬を伝うのを感じた。

「あいたっ」
 突然頭頂部に軽い痛みを感じた。

「久しぶりに来てみれば、しけた顔してんなぁ」

 涙で滲んだ視界が晴れると、ちょうどノックがベッドサイドに置かれたランプに腰掛けようとしているところだった。

「なんだよ、変な顔して。まさかしばらく来なかったから、俺のこと忘れちまったのか?」

「まさか。忘れるわけありませんよ」

 まぁはっきり言って思い出すこともなかったんだけど。しばらく会っていなかったノックは、前回会った時に比べてふっくらとしている。

「ノックが元気そうでよかったです」

「はぁ?」
 ノックが怪訝そうな顔で私を見た。

「ほら、前回会いに来てくれた時は読書好きを増やすノルマがあるとかで、げっそりしてましたよ」

「あぁ、そうだったな」

「会いに来てくれて嬉しいです」

 いつもなら憎らしいノックの私をバカにするような態度も、今日は私の闇を晴らしてくれる救いのように感じる。一人じゃない事が嬉しくて、再び視界が涙で滲んだ。

「何泣いてんだよ」

 ノックが仕方ないというような顔をして、自分の体とさほど変わらない大きさのティッシュを運んでくる。そのティッシュで私の涙を優しく拭く……のではなく、目元をゴシゴシとこすった。

「ほんっと、お前は小さい頃から具合悪くなるとすぐ泣くよな」

「……ノックは私が小さい時の事を知ってるんですか?」

 ノックが一瞬、マズイっという表情をしたのは気のせいだろうか?

「お、俺はこれでも神だぞ」

 だから何だというのか? 
 よく分からなかったが、ふんぞりかえっているノックにそれ以上つっこむ気力は今の私にはない。

 でもだから今日ここに来てくれたのだろうか?
 具合が悪いと私が泣くと知っていて来てくれたのだとしたら……

「優しいんですね……ありがとうございます」

「べ、別にお前のために来たわけじゃねーよ。俺はただ……話があって来ただけだ。そ、そうだ、礼だ。礼を言いに来たんだ」

「えっ? お礼ですか?」

 今ノックの口からお礼っていう言葉が出た気がするけど……お礼を言われる心当たりがなさすぎて戸惑ってしまう。

 私ってば具合が悪くて、耳までおかしくなっちゃったのかしら?

「なんだよ。俺がお前に感謝するのがそんなにおかしいのかよ?」

 おかしいわけではないが、やはりどう考えてもお礼を言われる理由が思いつかない。お礼ではなく文句ならまだ納得できるのに。

 そもそもノックは昇格試験の手伝いをさせるために私をこの世界に呼んだはずだ。昇格試験の合格には、ウィルバートとキャロラインを結婚させることが必要だ。私のせいで二人の結婚が遠ざかっているという自覚があるだけに、感謝されると戸惑ってしまう。

「お前のおかげで昇進できそうなんだよ」

「えっ、なんで!?」

 驚いてつい大きな声が出てしまった。隣の部屋で待機しているだろうアナベルに聞かれては大変だ。できるだけ小さな声でノックに問いかける。

「ウィルとキャロライン様の結婚が決まったんですか?」

 まさかそんなはずはないと思いながらも、嫌な予感で胸はドキドキする。

「そんなわけないことは、お前の方がよく知ってるだろう」 

 よかった。二人の結婚が決まったわけじゃないんだ。ほっとすると同時に、自分の感情に対して大きな疑問がわいてくる。

 ん? よかった?
 よかったって思うのはおかしくない?

 いつかウィルとキャロラインが結婚して、私は元の世界に戻る。それは決まってるんだから、私は二人の結婚が決まったら喜ばなくちゃいけないのに。

「あれ? でもノックが昇進するためには二人が結婚しなきゃいけないんじゃないんですか?」

「それは昇格試験だ。俺が今言ってるのは昇進だ、昇進」

「えーっと……それって何か違うんですか?」
 ただでさえ具合が悪いせいでいつもより鈍い頭が混乱している。

「違うも違う、大違いだ。いいか昇格って言うのはだな……」

 長々しいノックの説明を聞いても、今のぼんやりした頭にはあまり入ってこない。でもまぁとりあえず、ある程度は分かった気がする。

 簡単に言うと、昇進すると季節ごとのイベントにおけるノルマのような体力仕事が減り、昇格すれば今の見習いの立場から正式な神になれるということだ。

「えっと……じゃあ今回は昇進したんですね。それが何で私のおかげなんですか?」

「お前が国王に本を読ませたからだ」

 本嫌いのロバート様が本を読んだ事で高ポイントをゲットして、あっという間にノルマを達成したらしい。

 珍しく嬉しそうな顔で笑うノックを見ていると私も嬉しくなってくる。

 それにしても、神様の口からポイントだのノルマ達成だのという話を聞くなんて不思議な気分だ。きっと私が思っているより、神様業もハードな仕事なのだろう。

「今王宮の書庫を改装してるだろ?」

 ノックの言う通り、王宮で働く人達が自由に使えるようにするため書庫は改装中だ。

「俺の昇進はすでに確定してるが、書庫の出来次第では予定より上のランクになるかもしれねーんだ。だから死ぬ気で頑張れよ」

「死ぬ気でって言われても……」

 何それ。また丸投げにするつもりなの?
 横になったままむくれる私に、ランプに座ったままのノックが厳しい目を向けた。

「前に言ったと思うが、本当は昇格するのが一番てっとり早いんだ。でもそれが期待できないから昇進で我慢してやってるんだ。お前が協力するのは当然だろ」

 そう言われてしまったら返す言葉もない。
「分かりました。頑張ります。頑張ればいいんでしょ」

 ノックがふっと顔を緩めた。私を見る眼差しがあまりにも優しくて驚いてしまう。

「元気出たみてーだな」

 よっとかけ声をかけながらノックがランプから飛び降り、そっと私の額に触れた。ノックの小さな手は冷んやりして気持ちいい。

「よし。熱はないみたいだな」
 そう言ってわたしの枕元にあぐらをかいた。

「お前が寝るまでここにいてやるから、さっさと寝ろ」

「もしかして……心配してくれてるんですか?」
 またまたノックの珍しい優しさに触れて驚いてしまう。

「誰が!! 俺はただお前が寝たままだと俺の昇進に関わると思ってだな……」

 モゴモゴと言い訳のように言うノックがなんだか少し可愛らしくて口元が緩んだ。

「何笑ってんだよ」

「ありがとうございます」

「だから別に心配してねーからな。いいから早く寝ろよ」

 不満そうな顔をしながらも、ノックは消えることなく私の側にあぐらをかいて座ったままだ。

 ノックのおかげで鬱々とした気持ちはどこかへ行ってしまった。それと同時に睡魔が襲ってくる。

 あふっ。大きなあくびが出る。
「おやすみなさい……」
 瞳を閉じると、今度はすぐに夢の中へと入っていった。
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