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53.私の中の暗い感情
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グレース達の態度が余程腹立たしかったのだろう。夜になってもアナベルの怒りは全くおさまる気配がない。ウィルが私の部屋を訪ねてくるやいなや、噛みつくのではと心配するほどの勢いで昼間の出来事を語り始めた。
「まさか!?」
アナベルから話を聞いたウィルが、信じられないというように声をあげた。ウィルの反応からして、二人は知り合いなのだろう。
「グレース嬢とは王立学園で顔を合わせる事も多いけれど、読書好きでとても勉強熱心な女性だよ」
「まぁ、ウィルバート様。アリス様を低俗呼ばわりした方を褒めるなんてあんまりじゃありませんか?」
「いや、別に褒めているわけでは……」
アナベルの迫力にウィルが言い淀む。
「とにかく、アリス様を侮辱するような方、さっさと追い出してください」
アナベルに詰め寄られたウィルが困ったような顔で眉間に皺をよせた。王太子であるウィルにこの物言いは大丈夫なのかと、見ている私の方が心配になってくるほどの勢いだ。
「アリス様、何を笑っていらっしゃるんですか? ここは怒るところですよ」
「えっ? 私笑ってた?」
いつの間にか自然と口元が緩んでいたみたいだ。アナベルの怒りが見ている私にまでとんできてしまった。これ以上アナベルの怒りを買っては大変と、慌てて口元をきゅっとしめる。
「ありがとう、アナベル。アナベルが私の代わりに怒ってくれて、私すごく嬉しいよ」
私だってグレースに低俗扱いされた事はムカついている。でもアナベルがまるで自分のことのように怒ってくれているだけで、私は充分すぎるほど幸せだ。グレースのことなんてどうだっていいと思えてくる。
「アリス様ったら……お優しいんですから」
多少怒りがおさまったのか、それとも仕方がないとあきらめたのか、アナベルがふぅっと大きく息を吐いた。
「本当だね。アリスは優しすぎるよ。低俗なんて言われてさぞ傷ついただろう?」
ウィルバートが慰めるような優しい瞳で私を見た。
傷ついたかと言われたら、やっぱり多少はショックだったかも。まさか自分が面と向かって低俗なんて言葉を投げつけられるなんて思ってもみなかったから。
でも私が本当にショックだったのは、自分が低俗と言われたことよりも、私が好きな本が低俗扱いされた事だ。まさか書庫から撤去されてしまったなんて。
私の気持ちを聞いたウィルが、「よく分かるよ」と、私に共感の意を示してくれる。
「よしっ。今から一緒に書庫に行ってその本を探してみよう」
「えっ? でもグレース様は撤去したと……」
「いくらグレース嬢が本の選定を任されているとはいえ、王宮の本を勝手に処分はできないはずだよ」
本棚には並んでなくても、どこかには必ずあるはずだと言うウィルと共に書庫へと続く廊下を進む。
「こんな風にアリスと書庫に向かうのは久しぶりだね」
隣を歩くウィルが私に優しく微笑みかけた。窓の外はすでに夜の闇が広がり、広い廊下はとても静かだ。それでもウィルと一緒だと、少しも心細さは感じない。
「それにしても……あの大人しいグレース嬢がアリスを貶めるような発言をしたなんて驚きだよ」
信じられないとでもいうように、ウィルは軽い吐息と共に首を左右に振る。その悩ましい表情がこの静寂とぴったりとマッチして美しい。
「これはまた……」
扉をあけたウィルバートが天井を見て足を止めた。
こんな時間だというのに、書庫のシャンデリアはキラキラと輝いている。昼間見てもかなり豪華だと思ったけれど、こうして明かりがつくと一段とゴージャスだ。
「改装中もかなり華美だとは思ったけれど、まさかここまでやるとは……」
ウィルバートは呆れたようにはぁっと小さなため息をついた。
……っと、書庫の奥でカタンと何かがぶつかるような音がした。
「誰かいるのかい?」
静まりかえった書庫に、ウィルバートの低い声が響く。
「はい……わたくしです、ウィルバート様」
書庫の奥から小さな返事と共に顔を出したのはグレースだった。
「グレース嬢!! こんな時間までいたのかい?」
まさかまだグレースがいたなんて。
あれからずっとここにいたのかと驚く私と同様に、ウィルも驚いた顔をしている。
「できるだけ早く本の整理を終えて、この書庫を完成させたいと思いまして……」
「グレース嬢の気持ちはありがたいけれど、もう時間も遅い。カサラング公爵も心配しているだろうから帰りなさい。侍女はどこだい?」
ウィルが書庫を見回すが、私達以外の人の気配はない。あのグレースの侍女三人組はいないようだ。
「皆帰らせました。できれば明け方まで頑張りたいと思っていましたので……」
「明け方まで?」
ウィルが眉間に皺を寄せ、今までに私が見たことのないほど厳しい表情を見せた。
「あなたのような令嬢が、侍女も護衛もなく明け方まで一人で過ごすなんて不用心すぎるんじゃないのかい?」
口調は変わらず柔らかだが、声には非難めいたものが込められている。それを感じとっているのだろう。グレースは悲しそうな表情を浮かべ前傾姿勢になってしまった。口から出る言葉も弱々しくて消えてしまいそうだ。
「も、申し訳ありません。わたくしウィルバート様のお役に立てるのがとても嬉しくて……」
今にも泣き出してしまいそうなグレースに、ウィルの声はやや柔らかなものに変わった。
「あなたの気持ちはとても嬉しいよ。けれどいくら王宮が安全だとは言っても、明け方まで護衛もつけずというのは、やはりやめた方がいいね」
「はい……」
俯いてしまったグレースは、涙を我慢しているのかもしれない。細い肩が小刻みに震えている。
「グレース嬢、わたしは別に怒っているわけではないんだよ」
涙を抑えきれない様子のグレースを見て、ウィルが深いため息をついた。
「一人では夜道も不安だろう。屋敷まで送るから、今日はもう帰りなさい」
「ウィルバート様がご一緒してくださるんですか?」
驚いたっという感じで顔をあげたグレースの目は涙で光っていた。けれど、ウィルが本当に送ってくれると分かるやいなや、嬉しそうにぱぁっと顔を綻ばせた。
さっきまでメソメソ泣いていたのに、今度は飛び跳ねんばかりに喜んでいるなんて、ちょっと単純すぎじゃなかろうか。
分かりやすいというかなんというか……
グレースはウィルのことが好きなのだと、色恋に疎い私にでもはっきりと分かった。ウィルを見つめるグレースの瞳は文字通りうっとりしている。
「ではグレース嬢、先にアリスを部屋まで送ってくるから待っていておくれ」
ウィルと共に今来たばかりの廊下を部屋に向かって歩いていく。廊下は来た時と変わらず静まりかえっている。
「せっかく書庫まで来たのに申し訳なかったね」
隣を歩くウィルバートが申し訳なさそうな顔で私を見た。
「仕方ないですよ。グレース様も暗い中帰られるのは危険ですし、ウィルが一緒だと安心でしょう」
ウィルはほっとしたように笑ったけれど、もし私が本当は違う事を考えてると知ったらどうするだろう?
本当は、グレースなんてほうっておけばいいのにって思っていると知ったら、軽蔑するだろうか?
心の内を悟られないよう気をつけながら、ウィルに微笑み返した。
「今日は本当に悪かったね。アリスが探していた本については、わたしからグレース嬢に聞いておくから」
私を部屋まで送り届けたウィルが「ゆっくり休むんだよ」と囁き、頭をぽんぽんっと軽く叩いた。
いつもならドキドキして胸が苦しくなるのに、今日はなぜだか寂しさで胸が痛い。くるりと向きをかえ書庫へと戻るウィルの背中が遠ざかっていく。
「ウィル!」
もやもやしたものがこみ上げ、気づけば名前を呼んでいた。
「なんだい?」
振り返ったウィルの笑顔はいつもと変わらず穏やかでほっとする。
「……な、なんでもありません……おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
いかないで……
私がそう言ったらウィルは私と一緒にいてくれただろうか?
もちろんそんなワガママなんて言えるわけがない。グレースの所になんか戻ってほしくないという黒い感情を胸の中に押し込め、ウィルの姿が見えなくなるまでその場に立ちつくしていた。
「まさか!?」
アナベルから話を聞いたウィルが、信じられないというように声をあげた。ウィルの反応からして、二人は知り合いなのだろう。
「グレース嬢とは王立学園で顔を合わせる事も多いけれど、読書好きでとても勉強熱心な女性だよ」
「まぁ、ウィルバート様。アリス様を低俗呼ばわりした方を褒めるなんてあんまりじゃありませんか?」
「いや、別に褒めているわけでは……」
アナベルの迫力にウィルが言い淀む。
「とにかく、アリス様を侮辱するような方、さっさと追い出してください」
アナベルに詰め寄られたウィルが困ったような顔で眉間に皺をよせた。王太子であるウィルにこの物言いは大丈夫なのかと、見ている私の方が心配になってくるほどの勢いだ。
「アリス様、何を笑っていらっしゃるんですか? ここは怒るところですよ」
「えっ? 私笑ってた?」
いつの間にか自然と口元が緩んでいたみたいだ。アナベルの怒りが見ている私にまでとんできてしまった。これ以上アナベルの怒りを買っては大変と、慌てて口元をきゅっとしめる。
「ありがとう、アナベル。アナベルが私の代わりに怒ってくれて、私すごく嬉しいよ」
私だってグレースに低俗扱いされた事はムカついている。でもアナベルがまるで自分のことのように怒ってくれているだけで、私は充分すぎるほど幸せだ。グレースのことなんてどうだっていいと思えてくる。
「アリス様ったら……お優しいんですから」
多少怒りがおさまったのか、それとも仕方がないとあきらめたのか、アナベルがふぅっと大きく息を吐いた。
「本当だね。アリスは優しすぎるよ。低俗なんて言われてさぞ傷ついただろう?」
ウィルバートが慰めるような優しい瞳で私を見た。
傷ついたかと言われたら、やっぱり多少はショックだったかも。まさか自分が面と向かって低俗なんて言葉を投げつけられるなんて思ってもみなかったから。
でも私が本当にショックだったのは、自分が低俗と言われたことよりも、私が好きな本が低俗扱いされた事だ。まさか書庫から撤去されてしまったなんて。
私の気持ちを聞いたウィルが、「よく分かるよ」と、私に共感の意を示してくれる。
「よしっ。今から一緒に書庫に行ってその本を探してみよう」
「えっ? でもグレース様は撤去したと……」
「いくらグレース嬢が本の選定を任されているとはいえ、王宮の本を勝手に処分はできないはずだよ」
本棚には並んでなくても、どこかには必ずあるはずだと言うウィルと共に書庫へと続く廊下を進む。
「こんな風にアリスと書庫に向かうのは久しぶりだね」
隣を歩くウィルが私に優しく微笑みかけた。窓の外はすでに夜の闇が広がり、広い廊下はとても静かだ。それでもウィルと一緒だと、少しも心細さは感じない。
「それにしても……あの大人しいグレース嬢がアリスを貶めるような発言をしたなんて驚きだよ」
信じられないとでもいうように、ウィルは軽い吐息と共に首を左右に振る。その悩ましい表情がこの静寂とぴったりとマッチして美しい。
「これはまた……」
扉をあけたウィルバートが天井を見て足を止めた。
こんな時間だというのに、書庫のシャンデリアはキラキラと輝いている。昼間見てもかなり豪華だと思ったけれど、こうして明かりがつくと一段とゴージャスだ。
「改装中もかなり華美だとは思ったけれど、まさかここまでやるとは……」
ウィルバートは呆れたようにはぁっと小さなため息をついた。
……っと、書庫の奥でカタンと何かがぶつかるような音がした。
「誰かいるのかい?」
静まりかえった書庫に、ウィルバートの低い声が響く。
「はい……わたくしです、ウィルバート様」
書庫の奥から小さな返事と共に顔を出したのはグレースだった。
「グレース嬢!! こんな時間までいたのかい?」
まさかまだグレースがいたなんて。
あれからずっとここにいたのかと驚く私と同様に、ウィルも驚いた顔をしている。
「できるだけ早く本の整理を終えて、この書庫を完成させたいと思いまして……」
「グレース嬢の気持ちはありがたいけれど、もう時間も遅い。カサラング公爵も心配しているだろうから帰りなさい。侍女はどこだい?」
ウィルが書庫を見回すが、私達以外の人の気配はない。あのグレースの侍女三人組はいないようだ。
「皆帰らせました。できれば明け方まで頑張りたいと思っていましたので……」
「明け方まで?」
ウィルが眉間に皺を寄せ、今までに私が見たことのないほど厳しい表情を見せた。
「あなたのような令嬢が、侍女も護衛もなく明け方まで一人で過ごすなんて不用心すぎるんじゃないのかい?」
口調は変わらず柔らかだが、声には非難めいたものが込められている。それを感じとっているのだろう。グレースは悲しそうな表情を浮かべ前傾姿勢になってしまった。口から出る言葉も弱々しくて消えてしまいそうだ。
「も、申し訳ありません。わたくしウィルバート様のお役に立てるのがとても嬉しくて……」
今にも泣き出してしまいそうなグレースに、ウィルの声はやや柔らかなものに変わった。
「あなたの気持ちはとても嬉しいよ。けれどいくら王宮が安全だとは言っても、明け方まで護衛もつけずというのは、やはりやめた方がいいね」
「はい……」
俯いてしまったグレースは、涙を我慢しているのかもしれない。細い肩が小刻みに震えている。
「グレース嬢、わたしは別に怒っているわけではないんだよ」
涙を抑えきれない様子のグレースを見て、ウィルが深いため息をついた。
「一人では夜道も不安だろう。屋敷まで送るから、今日はもう帰りなさい」
「ウィルバート様がご一緒してくださるんですか?」
驚いたっという感じで顔をあげたグレースの目は涙で光っていた。けれど、ウィルが本当に送ってくれると分かるやいなや、嬉しそうにぱぁっと顔を綻ばせた。
さっきまでメソメソ泣いていたのに、今度は飛び跳ねんばかりに喜んでいるなんて、ちょっと単純すぎじゃなかろうか。
分かりやすいというかなんというか……
グレースはウィルのことが好きなのだと、色恋に疎い私にでもはっきりと分かった。ウィルを見つめるグレースの瞳は文字通りうっとりしている。
「ではグレース嬢、先にアリスを部屋まで送ってくるから待っていておくれ」
ウィルと共に今来たばかりの廊下を部屋に向かって歩いていく。廊下は来た時と変わらず静まりかえっている。
「せっかく書庫まで来たのに申し訳なかったね」
隣を歩くウィルバートが申し訳なさそうな顔で私を見た。
「仕方ないですよ。グレース様も暗い中帰られるのは危険ですし、ウィルが一緒だと安心でしょう」
ウィルはほっとしたように笑ったけれど、もし私が本当は違う事を考えてると知ったらどうするだろう?
本当は、グレースなんてほうっておけばいいのにって思っていると知ったら、軽蔑するだろうか?
心の内を悟られないよう気をつけながら、ウィルに微笑み返した。
「今日は本当に悪かったね。アリスが探していた本については、わたしからグレース嬢に聞いておくから」
私を部屋まで送り届けたウィルが「ゆっくり休むんだよ」と囁き、頭をぽんぽんっと軽く叩いた。
いつもならドキドキして胸が苦しくなるのに、今日はなぜだか寂しさで胸が痛い。くるりと向きをかえ書庫へと戻るウィルの背中が遠ざかっていく。
「ウィル!」
もやもやしたものがこみ上げ、気づけば名前を呼んでいた。
「なんだい?」
振り返ったウィルの笑顔はいつもと変わらず穏やかでほっとする。
「……な、なんでもありません……おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
いかないで……
私がそう言ったらウィルは私と一緒にいてくれただろうか?
もちろんそんなワガママなんて言えるわけがない。グレースの所になんか戻ってほしくないという黒い感情を胸の中に押し込め、ウィルの姿が見えなくなるまでその場に立ちつくしていた。
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