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第一話「月の光と胸の痛み」
015.はじめての胸の痛み(2)
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私はたいして気にせずううんと首を振った。
『今はいにゃいよ。朝市に買い出しにいった』
朝市では新鮮なヤギのミルクが手に入るんだそうだ。クマ男は意外だと言った表情になる。
「ヤギのミルクぅ? あいつそんなもん飲むのか?」
『ううん、クルトじゃなくて、私がもらうの』
「……へ?」
なぜかクマ男の目がテンになった。
『栄養がたっぷりだからなんだって。時々こうやって買ってきてくれるの』
私はとりあえず背中をこれでもかとぐーんと上に曲げ、次に前足をいっぱいに伸ばして身体を弓のように反らせ、最後にタルの上から飛び降りクマ男を見上げた。
『ヤギのミルクならケット・シーでも飲めるし、私の身体がじょうぶになるからってクルトが言っていた』
今朝目をさますとクルトはベッドにはいなくて、代わりに「市場でヤギのミルクを買って来る。くれぐれも宿の近くから離れないこと。知らない人間にはついていかないこと クルト」――と書かれた紙の切れ端が置かれていた。
ベッドに眠る私を起こさずに、そっと朝市に行ったみたいだった。だから私はここで見張りをしながら、クルトの帰りを待っているのだ。
「くっ、そうか、そう言うことか」
クマ男は話を聞くとお腹を抱えて笑い出した。
「あいつ使い魔に使われているのか。しっかり貢いでやがる。はははっ、こりゃあ傑作だ。どっちが主人かわからねえな。うん、確かにお前も魔性の女だ」
「にゃ……?」
目をしばたかせる私の頭をぐりぐりと撫でる。
「せっかく会えたんだし、俺もお嬢様に献上するか」
そしてごそごそと担いだ袋から、四分の一に割ったサンドイッチを出した。間には茹でたササミが挟まれている。
「ほれ、これやる。俺の朝飯の残りだが、塩少ないやつだから」
『……』
私はクンクンとお肉のにおいをかいだ。うん、安全みたいと確認し口で受け取る。
「おいおい、俺は知らない人間だがいいのか? お前の主人に怒られちまうぞ?」
『クマ男は知らない人じゃないよ』
私はサンドイッチをきれいに平らげると、後ろ足と前足をちゃんとそろえて上を見た。
『私にははじめて会った人は知らない人、二度目に会えた人は友だち、三度目に会えた人は仲良しなんだ』
クルトと私は村から村、街から街、国から国へと旅をする。同じところに行ったことはない。だからこそ、二度と会えないと思うからこそ、私は会う人みんなを好きになった。
『クマ男は二度目。だから友だちなの』
私にはこの街に友達と仲良しがたくさんいる。窓口のお姉さんとはもう大親友だ。あのね、エリカって名前なんだって!
「……」
クマ男はくしゃりと顔を崩した。
「そっか。俺は友だちか」
心から嬉しそうにガハハと笑う。
「じゃあ、友だちだってことで頼んでもいいか。あいつに"悪かった"って伝えて欲しいんだ。もうつきまとったりしないから安心してくれってさ」
私は目がまん丸になりながらも「にゃんで?」と聞いた。
「どうして? ワイバーンと闘いたいんじゃなかったの? クルトと一緒がいいんじゃなかったの?」
クマ男は「そりゃあな」と息を小さく吐き空を見上げる。
「けど、あいつがあの強さでランクBのままって、たぶんなんかワケありなんだろう? 前はつい舞い上がっちまって、思いつきもしなかったけどさ。渡り者にはそう言う連中が結構いるからなぁ」
ワケアリという聞き慣れない響きに私は戸惑う。
「ん、何だ、お前も理由は知らないのか?」
尋ねられてもうつむくことしかできなかった。
『……知らにゃい』
私はそこで初めてそうなんだとぼうぜんとする。私はクルトのことをなんにも知らないんだ。クルトは私を子猫のころから育ててくれた人だ。世界で一番強くて、優しくて、温かい。
でも、ほんとうにそれだけしか知らない。あとはクルトという名前だけで、今まではそれだけでよかった。それだけで幸せになれた――はずだった。
「そっか。お前も知らないならよっぽどなんだろうな」
クマ男は袋を手に取り立ち上がった。
「んじゃお前の下僕……じゃない、ご主人様によろしくな」
手を振りながら大通りに向かって歩き出す。私は「さようなら」の挨拶もできずに、その後姿を見送ることしかできなかった。胸が小さく、けれども確かにチクリと痛んで、生まれて初めて知るその痛みに立ち尽していたからだ。
『今はいにゃいよ。朝市に買い出しにいった』
朝市では新鮮なヤギのミルクが手に入るんだそうだ。クマ男は意外だと言った表情になる。
「ヤギのミルクぅ? あいつそんなもん飲むのか?」
『ううん、クルトじゃなくて、私がもらうの』
「……へ?」
なぜかクマ男の目がテンになった。
『栄養がたっぷりだからなんだって。時々こうやって買ってきてくれるの』
私はとりあえず背中をこれでもかとぐーんと上に曲げ、次に前足をいっぱいに伸ばして身体を弓のように反らせ、最後にタルの上から飛び降りクマ男を見上げた。
『ヤギのミルクならケット・シーでも飲めるし、私の身体がじょうぶになるからってクルトが言っていた』
今朝目をさますとクルトはベッドにはいなくて、代わりに「市場でヤギのミルクを買って来る。くれぐれも宿の近くから離れないこと。知らない人間にはついていかないこと クルト」――と書かれた紙の切れ端が置かれていた。
ベッドに眠る私を起こさずに、そっと朝市に行ったみたいだった。だから私はここで見張りをしながら、クルトの帰りを待っているのだ。
「くっ、そうか、そう言うことか」
クマ男は話を聞くとお腹を抱えて笑い出した。
「あいつ使い魔に使われているのか。しっかり貢いでやがる。はははっ、こりゃあ傑作だ。どっちが主人かわからねえな。うん、確かにお前も魔性の女だ」
「にゃ……?」
目をしばたかせる私の頭をぐりぐりと撫でる。
「せっかく会えたんだし、俺もお嬢様に献上するか」
そしてごそごそと担いだ袋から、四分の一に割ったサンドイッチを出した。間には茹でたササミが挟まれている。
「ほれ、これやる。俺の朝飯の残りだが、塩少ないやつだから」
『……』
私はクンクンとお肉のにおいをかいだ。うん、安全みたいと確認し口で受け取る。
「おいおい、俺は知らない人間だがいいのか? お前の主人に怒られちまうぞ?」
『クマ男は知らない人じゃないよ』
私はサンドイッチをきれいに平らげると、後ろ足と前足をちゃんとそろえて上を見た。
『私にははじめて会った人は知らない人、二度目に会えた人は友だち、三度目に会えた人は仲良しなんだ』
クルトと私は村から村、街から街、国から国へと旅をする。同じところに行ったことはない。だからこそ、二度と会えないと思うからこそ、私は会う人みんなを好きになった。
『クマ男は二度目。だから友だちなの』
私にはこの街に友達と仲良しがたくさんいる。窓口のお姉さんとはもう大親友だ。あのね、エリカって名前なんだって!
「……」
クマ男はくしゃりと顔を崩した。
「そっか。俺は友だちか」
心から嬉しそうにガハハと笑う。
「じゃあ、友だちだってことで頼んでもいいか。あいつに"悪かった"って伝えて欲しいんだ。もうつきまとったりしないから安心してくれってさ」
私は目がまん丸になりながらも「にゃんで?」と聞いた。
「どうして? ワイバーンと闘いたいんじゃなかったの? クルトと一緒がいいんじゃなかったの?」
クマ男は「そりゃあな」と息を小さく吐き空を見上げる。
「けど、あいつがあの強さでランクBのままって、たぶんなんかワケありなんだろう? 前はつい舞い上がっちまって、思いつきもしなかったけどさ。渡り者にはそう言う連中が結構いるからなぁ」
ワケアリという聞き慣れない響きに私は戸惑う。
「ん、何だ、お前も理由は知らないのか?」
尋ねられてもうつむくことしかできなかった。
『……知らにゃい』
私はそこで初めてそうなんだとぼうぜんとする。私はクルトのことをなんにも知らないんだ。クルトは私を子猫のころから育ててくれた人だ。世界で一番強くて、優しくて、温かい。
でも、ほんとうにそれだけしか知らない。あとはクルトという名前だけで、今まではそれだけでよかった。それだけで幸せになれた――はずだった。
「そっか。お前も知らないならよっぽどなんだろうな」
クマ男は袋を手に取り立ち上がった。
「んじゃお前の下僕……じゃない、ご主人様によろしくな」
手を振りながら大通りに向かって歩き出す。私は「さようなら」の挨拶もできずに、その後姿を見送ることしかできなかった。胸が小さく、けれども確かにチクリと痛んで、生まれて初めて知るその痛みに立ち尽していたからだ。
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