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22ほんの小さな、プライドで。
しおりを挟む森の中心。
常ならば、最も昏く、澱んだ空気を纏うその場所は、瘴気を払ったことによって、思っていた以上に空気が澄んでいた。
しかし、そこで繰り広げられているのは、異様、としか表現出来ない光景だった。
「アハハっ!ネェ、どう?どう?オトウサマ。アナタが望んだバケモノのチカラは。ねぇ、ネェ?」
「グッ、か、はっ…!あ、ぁ…っ!!」
「嬉しすぎて言葉もでない?そうなのよね、ネエ、オトウサマ?」
腰の高さほどある、祠の屋根に腰掛け、至極愉しそうな口調で、眼下に蹲る人物に言葉を投げかける姿。
蹲る人物は、どこからどう見ても、先程あの場所を後にした“バイアーノ公爵”。
その表情は苦痛に歪み、口の中でも切ったのだろうか、血が滴った痕が見える。
魔力の流れを意識して視ると、彼女の魔力が、“バイアーノ公爵”へと向かっているのがわかる。
「…フリア、ちゃん…?」
魔獣と戦うとき、彼女の雰囲気はガラリと変わる。
柔らかな雰囲気は霧散し、狂喜に満ちた瞳で敵を屠る。
魔獣に、慈悲など一切無い。
ただ、圧倒的な魔力量をもって前の敵を塵一つ残さず霧散させる。
それでも、そんな時でさえ、名を呼べば、向けられるのは慈愛に満ちた緋色の瞳。
だった、のに。
「っ!!?」
名を呼べば、どんな時でも変わらず、目を向けてくれる。応えてくれる。
今回も、そう。
しかし、向けられた瞳に、凍りつく。出会って初めて、恐ろしいと思った。その、緋色に輝く彼女の瞳を。
「―――――」
「…………!」
僕を視界に入れた彼女は、興を削がれたとでも言いたげに、スイと視線を滑らせる。その視線の先、彼女のちょうど真後ろにある岩の影に、探していたもう一人の人物を見つけ驚き駆け寄る。
「ちょ、兄さん!怪我してる!?」
――今すぐ治すから、傷を見せて。
続けようとした言葉は、本人によって制される。
血に濡れた、その手によって。
「…違う、俺じゃない。」
「え、でも、血が…」
戸惑う己に、兄は力なく笑う。
「俺は、フリアの“魔力の巡り”に少々当てられただけだ。たいしたことは無い。それより、シエル、フリアを、止めなければ。」
「う、ん。それは、そう、なんだけど…。」
先程向けられた緋色を思い出し、本能の部分が恐怖を訴える。理性では、早く止めなければ、彼女が余計に苦しむ事になると、わかっているのに。
「怪我を、治すことができるのは、シエル、おまえしか居ない。早くしなければ、フリアが…」
「え…フリアちゃんが、怪我を!?」
恐怖など一瞬で消し飛び、再び彼女を視界に映す。
ちょうど、祠の上から音も無く降り立った彼女は、“バイアーノ公爵”――父親を間近で見下ろし、凍てつく声音で告げていた。
「ネェ、オトウサマ。この“チカラ”が欲しかったのでしょう?だから、そのためだけに、お母様に、近づいたのでしょう?」
「グッ、…あっ…!」
苦しみ悶える“父親”を気にする風も無く、その場に屈み、なおも言葉を投げかける。
「お母様の“唯一”になって、“力”のみ享受して…。代償を払わずに、のうのうとお母様を、裏切った。」
「…っ!ぅ、ぁ…」
最早、言葉も出ないのだろう。ただ、己の中に、濁流のごとく押し寄せる魔力に灼かれ、痛みに耐えるのみ。
「ネェ、オトウサマ。どうして、お母様を、裏切ったの?
あのまま共に在りさえすれば、アナタは今こうして、地面に這いつくばる必要なんて、なかったのに。」
凍てつく声音、昏く澱んだ緋色の瞳に、チラリと黄金が宿る。
「だめっ!フリアちゃんっ!」
「…こ、の…っ、バケモノ、が…!」
――これ以上、魔力を解放させてはいけない。
そう思って駆けだし、叫んだ言葉に被さるように、弱々しく、しかし重い響きを宿した、言葉。
まるで、“呪詛”のよう。
「――えぇ、そうね。
ワタシハバケモノね。
血を分けた肉親が言うのだから、ソウ、なのでしょう。」
ゆらり、立ち上がった彼女の足下には、小さくはない血溜まりが。
――怪我しているのは、右手!
立ち上がった彼女の指先から、ぽたぽたと滴る雫は、地面の赤と交わり、その範囲を広げていく。
「オトウサマは、“チカラ”が欲しいのでしょう?えぇ、ヨロコンデ、差し上げますわ。ムスメからの最初で最後のオクリモノですわ。」
――喜んで受け取ってくださいましね。
最早自力では立ち上がれない公爵を、術で釣り上げ、顔を上げるよう仕向ける。
「よせ!フリア!」
「だめ!フリアちゃん、止めて!!」
重なった制止の声は、届かない。
伸ばした手も、あと一歩、間に合わない。
「ぅぐっ…が、はっ…ぁ、あ…」
――バイアーノ家の禁術。
――“強制的に縁を繋ぐ”――
“当主”が自らの血を分け与え、“血族”として縛る術
「…これで、オトウサマも、バケモノの一族ですわね。」
目の前で崩れ落ちる公爵に、彼女は微笑む。
“満足していただけましたか?オトウサマ。”と。
光を全く感じさせない、金色の瞳で。
「フリアちゃん!フリアちゃん!腕、怪我してる!治すから!ねぇ、フリアちゃんっ!ねぇ!!」
地面に横たわり、ピクリとも動かない人物を見下ろし、微動だにしない彼女に、必死になって呼びかける。
名を呼べば応えてくれた。どんな時でも。
どこに居ても。
――戻ってきて。
--お願い、戻ってきて。
心は叫ぶ。“彼女”を喪いたくは無いと。
――悔しい。
彼女の“唯一人だけの人”であれば、どんな時でも“彼女”を呼び戻す事ができるのに。
名目上、一番近かった兄も、今となっては自分と同じ。
彼女の心に声を届かせることは出来ないだろう。
「フリア、ちゃん…ねぇ、返事、して…フリア、ちゃん…」
せめて、これ以上、血が流れる事が無いように。触れること無く止血を試みる。
傷を治すのは、手を取り合わなければ無理だ。けれど、今はきっと触れられる事を、彼女は望んでいないだろう。
「…フリア、もうすぐ日が暮れる。――帰りを待つ者が居るのだろう?」
「--っ!!」
兄が発した言葉に、彼女は勢いよく顔を上げる。
「ここの事は任せてくれて構わない。フリアが無理をしてくれたおかげで、魔獣の出現も数ヶ月は激減するだろう。」
「領民のみんなも、ちゃんと治して来たから!戦闘が少なくなるなら、これから怪我人もあまり出ないと思うよ!」
「…ガロン…シエルも…」
漸くこちらを向いた彼女は、兄弟の姿を視界に捉え、呆けたようにキョトンとしている。
ついさっきまでの惨状を、すっかり覚えていないかのようだ。
「フリアちゃん、腕を怪我してるでしょう?治すから、手を出して?」
差し出された手に、安堵しつつ、手が触れた瞬間に勢いよく戻される。
「!?…フリア、ちゃん?」
「…大丈夫、よ。これくらい。放っておけば治るわ。」
瞳に宿る“孤独”に、言葉を失う。
--何故、その怪我を負ったの?
いつもなら、必ず聞いていた。
どうしてそんな怪我をしたのか、と。なぜなら、わかってしまうから。
魔力を巡らせ、傷を治す時、怪我をした経緯と場面が流れ込んでくる。
だから、事前に確認する。
勝手に情報を抜き取られるのは嫌だろうと思うから。
己の口から言えるよう、必ず。
「後のこと、お願いしてもいいかしら?…“ガロン兄様”」
「あぁ、任せろ。――“妹のお願い”を聞くのが“兄”の役目だ。」
二人の会話もうまく頭に入ってこない。
“治癒されたくない”ということは、“見られたくない事がある”ということ。
もしくは、“訊かれたくない”。
治癒を申し出て、拒否されたことなど初めてで、この気持ちをどう処理していいのかわからない。
「――シエル?」
「あ、え、と…」
覗き込まれた緋色に、どうしたものかと言葉を詰まらせる。
ほんの一瞬、交わった視線はすぐに逸らされた。
「フリアちゃん…?」
――視線を逸らされる事など、今まで無かったのに。
不思議に思って呼びかけると、少し、寂しさを滲ませた瞳と再び交わる。
「ごめんなさい、怖い思いをさせてしまったわね。」
「え――?」
言葉の意味が理解できずに、間の抜けた声が漏れてしまった。しかし、それに続く言葉は無い。
「じゃぁ、私は“帰る”わね。
また、なにかあったら遠慮無く“呼んで”ね。」
そう言い残して、返事も待たずに彼女の姿は掻消えた。
「ねぇ、兄さん。」
「なんだ。」
「フリアちゃん、泣いてた。」
「あぁ、そうだな。」
出会ってから今まで、泣いている姿は見たことが無い。
母親が“喰われた”時だって、葬儀の時ですら、涙を見せなかった彼女が、泣いていた。
「一人にしちゃ、駄目だよ…!」
「…あぁ、そうだな。」
「行かなきゃ!フリアちゃんのところに!」
「俺たちに、その資格は無い。」
「――え?」
駆け出そうとした弟を、兄が引き留める。その目には後悔がありありと見て取れた。
「資格が無い、て、どういう、こと…?」
――だって、僕たち、ずっと一緒に居たじゃない。
言い募る弟に、兄は告げる。
絞り出すような、掠れた声で。
「フリアを…、ほんの一瞬でも、“怖ろしい”と、思ってしまった時点で…――彼女の“心”に触れる資格は、失ったんだ。――永遠に、な。」
「え…――――」
兄の言葉を理解するのと同時に、膝から力が抜ける。
地面に膝を着くすんでの所を兄に支えられ、力なく立ち上がる。
「それでも、俺たちは“マイアー”だから。フリアと離れることは、しない。」
「………」
「“常夜の森”の瘴気を全て身に受けたフリアが、平穏に過ごせるとは思えない。」
「…うん、」
兄は、弟を諭すように一度微笑んでから、続ける。
「シエルがフリアの魔力を元に、王都まで転移魔術を発動したとして、どれくらいかかる?」
「……三日、くらい、かな」
「それなら、今すぐ準備を。あまり、長く時間を浪費すればするほど、フリアの身体に負担がかかる。」
「!!」
ハッとして顔を上げた弟と視線を交わして兄は頷く。
「“バイアーノを護る”。これは、俺たち“マイアー”にしか出来ないことだ。
…他の誰かには、渡さない。」
「…う、ん。そう、だね、うん!行こう、兄さん。フリアちゃんのところに!」
――大好きな“お姉ちゃん”を、助けに行こう。
二人は手を取りその場を後にする。
未だピクリとも動かない公爵は、間もなく駆けつける護衛の者達がしっかりと連れ帰るだろう。
夕日に照らされ赤く染まっていた森は、いつしか夜の静寂に包まれた。
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