わたしの愛する黒い狼

三谷玲

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喜劇

はじまりはじまり

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 去年の今頃、隣国のクラメール王国からの使者が告げたのは、ファンデラント公国にとっては思いも寄らない提案だった。

「同盟? 王女との契約結婚で?」

 驚いた声をあげたのはその結婚相手に指名されたリーレイだった。

「はい。ファネットゥ王女は両国の平和的解決のために、自分を犠牲にしても同盟を結びたい、そうおっしゃっておいでで」

 随分と自己評価の高い王女だ。彼女の身一つでこの不毛な戦争を終わらせられると本気で思っているらしい。
 リーレイのすぐ後で聞いていたわたしは思わず吹き出しそうになった。
 わたしの隣にはリーレイの弟、ジェスリーとその婚約者であるシャーロットが同じように笑いを噛み殺していた。
 いや、ジェスリーの大きな体躯に隠れて小さなシャーロットは完全に笑っている。

 リーレイはその黒髪を少し揺らしていた。
 ジェスリーが大公譲りの大きな体躯のせいか、リーレイは背丈はあるものの細く見える。
 髪と同じ黒く、丈の長い軍服は彼のしなやかな身体をより引き立たせている。
 おそらくその金の瞳は冷たく光っているのだろう。クラメールからの使者が身体を硬直させながらもなんとか続きの言葉を紡いだ。

「は、はい。それが叶わないのであればファンデラント公国は和平への協力を拒んだとみなし、休戦状態であったサウスラーザンへの侵攻も止むなしと。これはクラメール王からの――」

 それは脅しではないだろうか? しかもサウスラーザンですって?
 小刻みに震えるわたしの足にふわりと温かなものが触れた。
 背の高いわたしに合わせて作られたシンプルなドレス。トラウェスト産の絹織物で作られたなだらかなドレープ越しでもその柔らかさが伝わってくる、馴染みのある暖かさ。
 すぐに落ち着きを取り戻したわたしが耳を澄ませると、目の前のリーレイからは小さな唸り声が聞こえていた。

「リーレイ、落ち着いて」
「僕は十分すぎるくらい落ち着いてるよ、アビー」

 謁見の間はしんと静まり返った。
 大公は自分の息子であるリーレイを横目で見ると、リーレイは諦めたように肩を落とした。

「よかろう。王女との婚約による同盟締結をファンデラント公国は請け負うこととする」

 リーレイの意思を確認した大公が宣言すると、クラメール王国の使者は深々と頭を下げた。

 両国の戦争は百年続いていたがここ最近はもっぱらクラメール王国からの小さな攻撃だけにとどまっていた。
 それも全て水際、つまりはサウスラーザンの要塞で抑えられていた。

 ファンデラント公国は島国である。
 周囲を取り囲む海には海獣と呼ばれる魔獣が棲み着いていて、それらの海獣は時に上陸し、国を荒らしたり、貿易船を襲うこともあったが、その代わり周辺各国からの侵略も防いでくれた。
 狭いながらも国土は肥沃でいくつかの小さな島々には火山により形成された鉱石などの特産品が多く産出することもあり、経済的に豊かな土地だった。

 その小さな島を狙ってクラメール王国が侵攻してきたのが百年前。
 その頃のクラメール王国は大陸で一番の覇権を握っていた大国であり、財力、武力ともに強大だった。
 海獣に対抗すべく開発された鉄を用いた巨大戦艦、それがファンデラント公国を襲ったのである。

 ファンデラント公国はその昔、クラメール王国から離脱した公爵が建国したまだ若い国家だったこともあり、最初は苦戦していた。
 元は自分たちの土地であったことを理由に攻め入ってきたクラメール王国からの攻撃は熾烈さを増していたが、ある一人の魔術師により戦況は逆転した。
 彼は南の海岸線にある断崖絶壁に一夜にして要塞を築くと、そこに砲台をいくつも設置しクラメール王国の船を撃沈していった。

 実はこの要塞はハリボテで、砲台もまた見せかけである。
 魔術師は土の精霊の守護を受けていたため、彼らに願いいくつか断崖絶壁に横穴を作った。その頂上に塔に見せた立柱をいくつも作った。
 立柱の下には竪穴を配し断崖の横穴まで通し、そこから魔術を送ると、横穴から砲撃出来る仕組みだった。
 遠目でしか確認出来なかったクラメール王国軍は突然の出来事に驚き、退却したのだった。
 その後すぐ実際に建築された要塞は今でもサウスラーザンの地を守っていた。

 そんな国家安全の要であるサウスラーザン辺境伯であるコースティ家の長女であるわたしはリーレイ公太子の婚約者だ。
 十歳の頃に決められたこの婚約は当初、わたしが病弱だったこともあり懸念されていた。
 成長とともに体調が回復したため、晴れてこうして婚約者の位置に立つことが出来るようになったのは二年前、十七歳になった頃だ。
 しかしその立場もファネットゥ王女のおかげで、解消されることになってしまった。

 もともと少しばかり事情があって、婚約はまた揉めだしていたところだったので大公または議会にとっては渡りに船だったのかも知れない。
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