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12話
しおりを挟むノクスが物わかりよく引き下がったからといって、セレネの日常は戻ってこなかった。
まるで入れ替わりのように、王都からの使者が塔を訪れたからだ。
当然のように、一声かけることもなく中へと入ってきた一団。
その中央に立つ青年は、セレネを見ると、にこりと微笑んだ。
「お久しぶりです、セレーネレシェンテ姫。お健やかなお姿を拝見できて、このエセルス、まことに嬉しく思います」
優雅な物言いと、まるで作法のお手本のように洗練された一礼は、彼が上流階級に属する人間……すなわち、貴族であることを示している。
だが、それと同時に分かることがもう一つだけ――。
(……この人、目が笑っていない……)
顔の筋肉が動くと同時に細められた目。
けれど、一瞬だけ見せた、値踏みするような目つきをセレネは見逃さなかった。
優しげな雰囲気だが、外見がそのまま内面を表すとは限らない。
思わず身構えてしまったセレネを、どう思ったのか、エセルスと名乗った青年は柔和な笑みを崩さずに小首を傾げた。
「……やはり、覚えておられませんか?」
「……え?」
「セレーネレシェンテ姫とは、王城におられた際、お会いしたことがあるのですが……」
城にいた頃の記憶は、正直曖昧だった。
訳も分からぬまま、追い立てられ――そして、引き離された末に執行された実母の処刑の報せ。
立て続けに起きた不幸が原因かは不明だが、セレネは王女だったころの……城にいたころの記憶を、ほとんどおぼろげにしか覚えていないのだ。
自分を見てくれない父と、気丈に前を見据えていた母。
そして、心許せる友だった老犬。
後は――。
『いつか、必ずお迎えにまいります』
叶わぬ約束を交わした相手。
名前も顔も……もはや、声すら形が薄れている。
ともすれば、この記憶は心弱った自分が見た夢ではないかと疑いすら持っていた存在。
(……あの人なの?)
セレネの視線を受け止め、青年は優しく微笑んで見せた。
そう、上辺だけはどこまでも優しく――。
ああ、この人は違う。
確信は、なぜか安堵ともに湧き上がった。
不思議なことに、違うと思えば冷静にそつのない対応が出来る。
「……申し訳ありません。母を亡くした衝撃が大きかったせいでしょうか……幼少時の記憶は、あまり残っておらず……今も、よく思い出せないのです」
「そうでしたか……。母君のことは、お気の毒でした。ですが、今こうして再び会うことが出来たことを、私は素直に嬉しく思います。――お美しくなられましたね、姫」
まるで、夢物語の登場人物のように、砂糖菓子のような台詞を口にする青年は、ごく自然にセレネの手を取ると甲に口づけた。
「――お迎えにまいりました、セレーネレシェンテ姫」
甘い言葉に似合う外見と声。
それでも、彼の青い目には微かな熱すら灯らない。
(……どうして、また)
つい先程、自ら関係を断った相手を思い出した。
同じ言葉を、目の前の相手に――先ほどよりはずっと事務的に告げる。
「……わたしは、この島を出ることは許されません。それは、貴方も存じているでしょう」
「ええ、もちろん」
エセルスは、鷹揚に頷いた。
「ですが、それは昨日までのことと、ご記憶下さい。セレーネレシェンテ姫、貴方の身に危機が迫っています。我らはそれを察知し、御身を保護すべく島に上陸いたしました。……これは、公にされていませんが、陛下は現在伏せっておられます」
言われて、セレネは目を瞬く。
「お父様が?」
「はい。……もしも事が公になれば、様々な思惑が交差し、国の乱れに繋がるでしょう」
「……それは、どういうことですか」
問いかけると、エセルスは嘆息混じりに答えた。
「空いた玉座を巡る争いが、貴族間で起こるということです」
「そう、ですか」
当然、そうなるだろう。
内心の納得を隠し、初めて知ったとばかりに、さも戸惑った風にセレネが頷くと、エセルスは「ご理解いただけでなによりです」と慇懃に頷く。
「そうなれば、貴方もまた邪魔な存在として命を狙われる可能性が高い。故に、我らが先んじて保護を命じられたのです。ご安心を」
そう締めくくり微笑む男に対し、セレネも微かに笑って見せた。
腹の底などみせぬ、曖昧な作り笑いだ。
――信用できない相手に対して、線を引くために身につけた笑い方。
これはセレネの自身を守る道具だ。
エセルスは、セレネの問いかけに答えた。
そして、怖がらせたことを詫びるように微笑み、自分たちは味方だから安心しろと言った。
けれど、合間にみせた態度は、明らかにセレネに呆れていた。
ああ、やはりお前はこんなものか――そんな、軽んじるような態度が滲んでいた。
面倒そうに、嘲るように、軽蔑するように、目の前の男はセレネを見た。
たった一瞬だが、他者の顔色をうかがい生きていたセレネにとっては、察知するのに充分な時間であった。
「……姫、どうかなされましたか?」
沈黙したセレネに、声をかけてくるエセルス。御しやすいと判断した、愚鈍な囚われ人に、自分の感情が気取られているとは、思ってもいないだろう笑み。
「いいえ。ただ……彼は、陛下のことは何も言っていなかったと思って……」
「彼? ――まさか、あの犬のことでしょうか」
「……犬?」
「失礼、姫。……その男は、ノクス・ロッホでしょう」
問いかけではなく断定の口調。
そして、エセルスは続けた。
「ああ、間に合って本当によかった。保護の命をうけた我らと違い、彼は貴方の暗殺を命じられているはずですから」
「……そんな、まさか」
「長らく塔にいた貴方には、分からないことでしょうが……あの男は誰にでも牙をむく狂犬です。己を取り立ててくれた主にすら、噛みついた」
「ですが、彼は陛下の命だと……そう言って……」
「――ノクス・ロッホは、陛下に毒を盛った張本人です」
子どものような笑みを浮かべたかと思えば、観察するような目で自分を見る――つかみ所のなかった青年の顔が浮かぶ。
エセルスの言う凶行と、ノクスはまったく結びつかない。
「なにかの……」
「あの男がここにいるならば、急がなくてはいけませんね。明日、出立いたしましょう。早朝にお迎えに上がります。念のため、護衛をここに残していきましょう。他の者は、島を捜索し、ロッホを発見次第捕らえろ」
なにかの間違いではないか?
セレネの小さな疑問の声は、あっさりとエセルスに無視された。
何も聞こえなかったとばかりにエセルスはテキパキと指示を出す。
彼より年上の者達が恭しく頭を下げて散っていく。セレネには、何の反応も見せず。
(…………)
二度目はもう口を挟むこともせず、セレネは黙っていた。
「では姫、また明日」
優雅な一礼をする男は、返事を待たず出て行く。
(わたしの意思なんて、必要ないのね)
それは、昔からのことだ。
自分の意思を無視して全てが決まっていく。
だからセレネは、抗うことを放棄した。考えることもやめた。
そして、エルド島に来てからは空虚な日々を過ごしてきた。
変わったのは、ノクスが来てから。
彼のおかげで、セレネはメリッサの気持ちを知ることが出来たのだ。
変化をもたらしてくれた存在。
そんな彼が――。
(……信じない)
何度やめてくれと頼んでも「姫」と呼ぶのをやめなかった存在。
ノクスの時には、あれだけ心が乱されたというのに、エセルスにかつての名前を呼ばれた時は、なにも感じなかった。
(わたしは、信じない。……だって、今のは……彼の言葉ではないもの)
比べて、初めて気がついた。
エセルスの言葉は、空っぽだ。
上辺を整えて綺麗に見せただけで中身なんてない。
けれど彼の――ノクスの言葉には、血が通っていた。
ノクスはずっと、向き合ってくれていたのだ。
自分が卑屈なことを考えている間も、ずっと……そんな、感謝しきれない事実に今気付いても、手遅れだ。
セレネは、ノクスとの交流を自分自身で終わらせたのだから。
ノクスは愛想を尽かして、さっさと島を出たはずだ。
あの身軽さだ、エセルスの手が及ぶ前に、きっと……――。
(でも、まだ島にいたら?)
どくりと、心臓がひときわ大きく脈打った。
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