口下手新婚夫婦の両誤解(R15版)

矢崎未紗

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第一章 新婦の誤解

第02話 初対面(下)

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 ダヤナの話を聞きながら、ティルフィーユは昨日の夕方に顔を合わせたきりのキアンを思い出す。よほど忙しいのか昨夜も、そして今朝もキアンの姿は見なかった。会話らしい会話ができていないので彼の人となりはまだわからないのだが、昨日の対面時の雰囲気を思い出すと、面白おかしく、あるいは理不尽に暴力を振るうような人には見えなかった。彼を見たことがあるという姉のベアトリーチェがたいそう怖がっていたのでティルフィーユも少なからず恐怖心を抱くかと思ったが、グントバハロンで数多くの武人たちと接していたティルフィーユとしては怖いとも、野蛮的だとも思わなかった。

「ミリ族の族長は、二十代前半でなることがほとんどだ。前族長は指南役という地位に就き、若い族長を支えながら指導する。そうして三十代で一人前になり、四十代のうちに次の族長に地位を明け渡す。そうやって新陳代謝を止めないようにしているんだ。この国はミリ族に騎士団という組織名を与えたが、本人たちはあくまでも〝ミリ族〟として自分たちの集団を認識しているはずだ。まあ、この先ミリ族でない人間が騎士団に入れば、徐々に交じっていってその意識も希薄になるだろうがね。それに、この国から〝騎士団長〟という地位を授かった以上、ミリ族の族長ではあるが騎士団長という地位にあるべき振る舞いもするだろう。ダミアレア族は、自分たちが受け継いできたやり方、文化を必ず守る。だが住む土地、国に合わせた柔軟性も持っている。そうしてとけ合いながら根差すことが大切だと、占術でも言われるからね」
「そうなんですね……」

 テコ族のダヤナがわざわざこうして家庭教師として招かれた理由を、ティルフィーユは理解した。
 旧ジャノオン王国にはそれなりの数の国民がいた。しかしゲイニー王の悪政、そしてその後のクーデターにより人口はかなり減少した。本来ならエヴァエロン共和国という新しい国が成立しても、衰えた人口数や国力の回復にはもっと時間を要しただろう。
 だが、クーデターと共にダミアレア族がやって来た。彼らは新しいエヴァエロン共和国の体制に自分たちを合わせつつ、この国の復興に惜しげもなく協力してきたのだろう。旧ジャノオン王国の国民がダミアレア族をどう思っているのかはわからないが、少なくともいま、このエヴァエロン共和国はダミアレア族の数と力を必要としている。その象徴こそ、クーデターの際の主戦力であり、今は騎士団になったミリ族なのだろう。
 エヴァエロン共和国はダミアレア族なしには語れない国のスタートを切った。ダミアレア族を理解することは、真新しいこの国を理解することと同義なのだ。

「もちろん、わてらダミアレア族を良く思わん連中もいるだろう。そんなことは百も承知さ。わてらは最も信ずるべき占術結果に従って生きているだけだが、それゆえの一族の行動は時に裏切り、不義理、侵略に見えるだろう。だけどもね、これだけは知っておいてほしい。わてらの占術は、元始十五氏族である御先祖様がウォンクゼアーザから授かったもの。つまりわてらはウォンクゼアーザのご意思に従って生きているのさ。元始十五氏族を始祖に持つレシクラオン神皇国とは別の形で、わてらはウォンクゼアーザを尊んでいる。ウォンクゼアーザが望む〝白き心〟だって、持てるように努力はしてるんだ」
「レシクラオン神皇国の始祖は聖女様という存在を神から賜り、一方でダミアレア族は占術を神から授かったのですね」
「そういうことだ。わてらテコ族は、請われればいつだって知識を授ける。ダミアレア族のことで知りたいことがあるなら、いつでも呼ぶといい。まあ、族長の奥方といえども、お代は頂くがね?」

 最後にダヤナはそう言って不敵にほほ笑んだ。
 ティルフィーユは丁寧に礼を述べると玄関ホールまでダヤナに付き添い、屋敷を去っていくその背中を見送った。

「あの、ホルガーさん」

 ダヤナが去ったあと、ティルフィーユはホルガーに声をかけた。ホルガーは「敬称は不要です」と注意をしてから、「いかがされましたか」と返事をした。

「キアン様は明日からお休みなのですよね? 今日はいつ頃お帰りになられるでしょうか」

 キアンとは、昨日顔を合わせてから会っていない。騎士団長の判断が必要な案件があるとのことだったが、それは無事に片付いただろうか。

「遅くなるだろう、とだけ聞いております。ティルフィーユ様にはひとまず結婚式に向けて体調を第一に、早めに休んでほしいとのことでした」
「そう……ですか」

 ホルガーの淡々とした返事に、ティルフィーユは小さな声で頷いた。
 兄のジェラルドはスベーク城でロイックと打ち合わせたのち、結婚式の警備体制について騎士団と打ち合わせをする予定とのことだったから、今頃はきっと騎士団本部にいるはずだ。この屋敷に戻ってくるまでにはまだ時間がかかるだろう。ダヤナの講義が終わってしまったいま、ティルフィーユにはほかにすることがない。結婚式に必要な荷物はすべて騎士団本部に預けてあるので、確認作業をすることもできない。

(厨房に……いえ、さすがにそれはだめよね)

 ティルフィーユは「私室に戻ります」とホルガーに告げて、静かに歩き出した。

(こんな時、リチェお姉様がいてくれたら……)

 部屋に戻ったティルフィーユはソファに座り、ぼんやりと窓の外を見つめた。
 グントバハロンでは、暇さえあれば姉のベアトリーチェのおしゃべりに付き合わされた。しかしその時間は、ティルフィーユにとっても楽しいものだった。話すのはほとんどベアトリーチェでティルフィーユは聞き役に回ってばかりだったが、良し悪しを問わず自分の感情をいつだって全開にするベアトリーチェを見ていると、自分が心の中に溜め込んでいる感情が放出されていくような気がしていたのだ。

(もしかしてキアン様は、私との結婚が嫌なのかしら)

 昨日少しの時間対面しただけのキアンは、まったくといっていいほど表情がなかった。彼をちらりと見たというベアトリーチェが言っていたとおり、背が高くて大柄で、不愛想だった。ティルフィーユはグントバハロンで武人相手の仕事をしていたので、それくらいの特徴でキアンのことを「怖い」と思うことはなかったが、しかしこれから夫婦として人生を共にするにあたって、会話も表情もないというのは少し――いや、かなり困る。

(ミリ族の族長という立場にいらっしゃる方だから、血筋を重んじるのかもしれない……それなのに、国同士のつながりを強めるためとはいえ、異国の出の私なんかと結婚しなければならないから……心の中では面白く思っていないのだわ)

 ダヤナの話を聞いた限りでは、ダミアレア族だからといって必ずしも血統が重要視されるわけではない。けれどもキアンは、ミリ族の族長という立場から、妻にするなら同じミリ族の女性がよかったのかもしれない。それが叶わないならせめてほかのダミアレア族の女性を、と考えていた可能性もある。

(それとも、ほかに好いた女性がいるとか……)

 ベアトリーチェは怖がってばかりいたが、ティルフィーユから見たキアンは決して悪い男性には見えなかった。それどころか、きっちりと着こなしていた騎士服の効果もあってか、とても端正で好印象だった。無表情で愛想はなかったが、夫婦になって会話を重ねれば、いつかはきっと、優しい表情をこちらに向けてくれるだろう。
 おそらくキアンは、口数が少なくて快活な性格でないだけ。裏を返せば理性的で冷静な、浮ついたところのない真面目な男性なのだ。
 だからこそ、ティルフィーユは思う。もしかしたら彼には特別に想う女性がほかにいて、本当はその女性との結婚を望んでいたのかもしれない。しかしミリ族の族長として、騎士団長の地位を賜った者として、エヴァエロン共和国とグントバハロン国の友好の証となるべくこの婚姻を承諾した。ほかに想う女性がいるにもかかわらず、己の社会的な役割を真面目に優先したのだ。だから、ティルフィーユのことは疎ましく思っているのかもしれない。

(さすがに、私の考えすぎかもしれないけれど……。はあ……リチェお姉様がいてくれたらお話できるのに)

 基本的にベアトリーチェが話してばかりだが、口下手なティルフィーユが一生懸命に話そうとすれば、姉はきちんと話を聞いてくれる。そしてティルフィーユが話した量の三倍の量のおしゃべりを返してくれる。しかし、心の拠り所としていたその姉はもういない。あさっての結婚式が終われば、兄のジェラルドもグントバハロンに帰国してしまう。いまこうして一人でいるように、ティルフィーユはこの屋敷で――この国で一人ぼっちになってしまうのだ。

(お母様……)

 早くも寂しさに負けそうになる自分を励まそうと、ティルフィーユは強くて頼もしい母の姿を頭の中に思い描いた。さぞや苦労が多かっただろうに女性の身で――そして七人もの子の母として、グントバハロンという大国の柱を担う母のマリアンジェラ。ティルフィーユは幼い頃から、少しでも自分が母の助けになれればと思ってきた。こうして他国に嫁ぐことは――そこで直面する困難に立ち向かうことは、覚悟していたはずだ。

(キアン様が私の事を疎ましく思っていても……たとえ仮面夫婦にしかなれないとしても……お母様とグントバハロンのため、自分にできることはきちんとしなくちゃ)

 大丈夫。たくさんの兄と姉、家族と過ごした生家での時間を思い出せば、寂しさも少しはまぎれるはずだ。長年住んでいた場所からこの地へと移ってきたダミアレア族を見習って、自分もこの土地に根差せるように自分を合わせていこう。ティルフィーユはそう自分に言い聞かせた。
 しかしこの日の夜も、キアンが寝室に来ることはなかった。
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