このたびゲスの極み上司に脅されまして

猫田けだま

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この気持ちに名前はつけません

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どのくらいそうしていただろう。
彼の腕が緩んだ。


「十二時……超えたか」
「え?」
「全力でもてなしてくれんだろ?」


見上げると類さんは笑っていた。
つられて私も笑う。


「はいっ、もちろん!」
「バースデイソング、マリリンモンローで歌ってくれるんだっけ?」
「いいですよ、ああ……けど、家に帰らなきゃ、モンロードレスが無いんですよね」
「持ってんのかよ、そしてマジでやるのかよ」
「私のコスプレ愛を舐めないで下さい」
「すげえな、おまえの鉄のメンタルを分けて欲しいよ」
「うーん、メンタルは分けてあげられないけど……そうだ類さん、プレゼント、欲しいものあります?」


言いながら預金残高を思い出す。遠慮のない彼のことだから、とんでもなく高価な要求をしてくるかもしれない。
怖気づいた私が、あまり高いものは――と泣きを入れようとしたとき。


「七海ちゃん」


名前を呼ばれたのだと思った。だから答えようとしたのだけど。


「七海ちゃんが欲しい」


彼が吐き出した、まっすぐな欲望が私の声を奪った。


薄暗いダウンライトの光を取り込んだ彼の目が、妖しく揺れる。


とても……綺麗だった。なのにそこに映る私の顔は、酷く歪んでいた。


求められたいと思っていた。愛されたいと。
でも……違う。私が欲しのは、類さんの心だ。


もしも今、体だけの関係を受け入れたら……私は今後、身代わりの虚しさに耐えられるだろうか。


彼の顔が傾き、視界に影を落とす。
頬に添えられた手は少しだけ震えていて。
ゆっくりと唇が重なる寸前で。


「もうっ、調子に乗り過ぎです!」


彼の胸を押し返した。
このまま流されることができたら、どんなに良かっただろう。でも――。


「そういうのは他所でお願いします、私はマンションの両隣や真上のお姉さん方とは違いますから」


浴衣の共衿を掻き合わせながら睨みつける。
すると彼は、私に背を向け黙り込んでしまった。


「あの……類さん?」


怒らせてしまったのだろうか。
そっと歩み寄り、声をかける。


「じゃあ…マッサージ券とかどうですか、有効期限なしの」
「おまえは小学生か」
「っ……それなら、そうだ馬券、買いましょうか、私のセレクトで」
「素人の予想なんか、金の無駄だ」


なによ、七海ちゃんは勝利の女神だって言ったくせに。
それでも惚れた弱みだろう。なんとか喜んでもらえそうな代替え案を考えていると、ポツリと彼がつぶやいた。


「魔法の抱き枕」
「え、抱き枕……欲しいんですか?」
「そう、魔法のな」


なにを言っているんだろう。ぶっとんだことを言って私を困らせようとしているのだろうか。
私が苦悶していると、類さんが首だけで振り返る。


「前に言ったろ……俺さ、ユキがいなくなってから、よく眠れねえんだよ」


ユキ――という名前は、私の胸に、古杭を打ち込むような痛みを落とす。


「けど七海ちゃんを抱いていると、不思議と熟睡できるんだ」
「へ……魔法の抱き枕って……私のこと?」
「一緒に寝てくれるだけでいい、マジでなんもしないから」


ショック療法――とは、よく言ったもので。
こうもはっきりユキさんの名前をだされ、抱き枕扱いされると、なんだかもう力が抜けて笑ってしまった。


「……分かりました。なりますよ、抱き枕」






その夜、私は約束通り抱き枕になった。
類さんは本当になにもしてこなかった。
ただ背後から縋るように私を抱きしめ、安らかな寝息をたてる。


「勝手な男……」


口の中で呟いてから、腰に回された彼の手に自分の手を重ねる。
そうして私もゆっくりと瞼を下ろした。


けど……背中が熱くて、幸せで、苦しくて……結局朝まで一睡もできなかった。

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