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第2章

第13話『佐藤先生の部屋』

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 佐藤先生の自宅に入ると左側にIHとシンク、正面には部屋に繋がる扉が見える。この光景を見慣れたと思えるほどに、愛実と俺はここに来ている。

「玄関近くにIHやシンクがあるんですね」
「うん。この家は1Kなんだ。正面の扉の向こうに部屋があるよ」

 佐藤先生が用意してくれたスリッパを履いて、俺達は正面にある先生の部屋へ向かう。
 佐藤先生は突き当たりにある扉を開け、俺達を部屋の中に招き入れた。

「うわあっ、広くて素敵なお部屋ですね!」

 目を輝かせ、部屋を見渡しながらあおいはそう言った。
 俺達3人のどの部屋よりも広くてゆったりとしている。木製の家具が多いことや、シーツやカーペットなどの色がベージュやグレーといった落ち着いたものなので、大人っぽい印象がある。また、テレビ台には佐藤先生の好きなキャラクターのミニフィギュアが置かれているので、漫画やアニメやラノベ好きな先生らしさも感じられる。

「ありがとう。部屋は広くて、バルコニーからの景色もいい。勤務先の調津高校や最寄り駅の調津駅はもちろん、レモンブックスやアニメイクも徒歩圏内。いい住まいだから、一人暮らししている間はここに住み続けるつもりだよ。よほど遠い高校に異動とならない限りはね」

 落ち着いた笑顔で佐藤先生はそう言う。本当にこの家を気に入っているんだな。
 佐藤先生は都立高校の教員だから、定期的に異動がある。俺達が卒業する前に異動してほしくないなぁ。あと、異動先の決定は住まいが考慮されたりするのだろうか。
 佐藤先生はテレビ台の横にあるデスクに荷物を置き、部屋の端にある3つのクッションをローテーブルの周りに置いた。

「クッションにでも座ってくつろいでて。冷たいものを用意するよ。コーヒーでいいかな?」
「俺はコーヒーでかまいません」
「私もコーヒーで。ありがとうございます」
「私も……コーヒーでかまいませんが、ガムシロップかミルクを入れてもらえると嬉しいです。ブラックはあまり飲めないので……」
「ははっ、可愛いね。じゃあ、あおいちゃんのコーヒーにはガムシロップを入れるよ」
「ありがとうございます! あと、本棚を見てもいいですか?」
「ああ、もちろんさ。ちなみに、本棚の横のラックには同人誌が入っているよ。ただ、ラックの下の段は成人向けの同人誌が入っているから、そこは見ないようにね。荷物は……そこの仕事机の上にでも置いてくれるかな」
『はい』

 佐藤先生はコーヒーを用意するために、一旦部屋を出た。
 佐藤先生の仕事机の上に荷物を置き、あおいと愛実は一緒に本棚を見に行く。
 俺は……これまでに何度も本棚や同人誌ラックは見せてもらっているから、とりあえずはゆっくりしよう。そう決めて、テレビの近くに置いてあるクッションに腰を下ろす。家を出てからずっと立ちっぱなしだったから、こうして腰を下ろすだけでも疲れが取れていく。

「おおっ、さすがは樹理先生! BLやGL中心に恋愛ものの本がたくさんあります!」
「あおいちゃんの部屋の本棚にもある本が結構あるね」
「ええ! 同人誌の趣味も合いますし、そんな予感がしていました!」

 そう言い、本日一番といっていいほどの楽しげな様子で、あおいは本棚を見ていく。そんなあおいが側にいるからか愛実も結構楽しそうで。

「クリスや秋目知人帳もあるんですね」
「どっちも小中学生の頃から読んでいるって先生言ってたよ」
「前にそんなこと言ってたなぁ」
「どちらも連載の長い作品ですもんね」
「昔から好きでね。それに、昔から続いている作品を読むと安心するんだよ」

 気づけば、佐藤先生が部屋に戻ってきていた。先生はマグカップ4つを乗せたトレーを持っていて。クリスや秋目知人帳が話題に上がったからか、先生は優しく微笑みかけている。

「そうなんですね。あと、てっきり、BLとGLを中心に恋愛ものばかり読むと思っていました」
「ははっ、そうか。恋愛ものは大好きだけど、他にも女の子がいっぱい出てくる日常ものとか、男の子がいっぱい出てくるスポーツものやアイドルものも読むよ」
「そうなんですね!」

 あおいは納得した様子でそう言った。
 女の子がいっぱい出てくる日常ものに、男の子がいっぱい出てくるスポーツやアイドルものか。どれもGLやBLのカップリングを妄想したり、そういった二次創作同人誌を出したりしやすそうなな作品だ。
 佐藤先生はローテーブルにアイスコーヒーの入ったマグカップを置いていき、

「はい、涼我君」
「ありがとうございます」

 俺には直接渡してくれた。俺はさっそくアイスコーヒーを一口飲む。

「苦味がしっかりしていて美味しいですね。冷たいのもいいです」

 佐藤先生の目を見て感想を言うと、先生はちょっと嬉しそうに笑った。

「良かった。嬉しいね。店員をしているとき、涼我君はこういう感情なんだろうね」
「自分が手渡したものをお客さんが楽しんでいる姿を見ると嬉しくなりますね。バイトを頑張る力になります。もちろん、先生からも何度も力をもらっていますよ。ありがとうございます」
「……いえいえ。君の力になれているのなら嬉しいよ」

 そう言う佐藤先生の微笑みにはほんのり赤みを帯びていた。口元も緩んでいるように見えて。そんな先生は普段よりも幼さがあって可愛らしい。

「バイトといえば、昨日は放課後に長時間バイトをしたんだろう? 疲れが残っているなら私のベッドで寝ていいからね」
「……お、お気持ちだけ受け取っておきます。とりあえず、今はこのクッションとアイスコーヒーで十分に癒されていますので」

 教え子とかオタク友達という繋がりはあるけど、佐藤先生は妙齢の女性。そんな先生のベッドに横になるのは気が引ける。急に気分が悪くなって、座るのも辛くなったときには使わせてもらおう。

「ははっ、そうかい」

 佐藤先生は笑顔でそう言うけど、ちょっと残念そうにも見えるのは気のせいだろうか。
 ベッドの話をしたからか、部屋の中の匂いが甘く思えてきた。ここは一人暮らしの女性の部屋だもんな。その主が目の前にいるし。

「同人誌の方も見てみましょう」
「そうだね。一番下の段以外だね」

 あおいと愛実のそんな会話が聞こえたのでそちらを向くと、2人は同人誌ラックの扉を開けていた。
 佐藤先生はトレーを仕事机に置いて、あおいと愛実のところに行く。

「あっ、この同人誌持ってますっ! ラストが凄くいいですよね!」
「いいよねぇ。初めて読んだとき、胸にジーンときたよ。ここのサークルの同人誌はストーリーの締め方がとてもいいんだよね」
「分かります分かります!」
「2人がそう言っていると気になりますね。ちょっと読んでみたいです」
「いいよ、愛実ちゃん」
「オススメですよ!」

 その後、ラックの前で愛実、あおい、佐藤先生は話題に上がった同人誌を一緒に読む。表紙を見ると……イケメンの男性キャラが指を絡ませながら見つめ合っている。おそらくBLの同人誌だろう。
 時折、「あぁっ」と愛実が可愛い声を漏らしたり、「ここ最高なんですよ!」とあおいが興奮したり、「やっぱりいいよねぇ」と佐藤先生が感嘆の言葉を言ったりする。楽しそうに読む3人を見ながらアイスコーヒーを飲むと気分がいいな。

「いい同人誌でした! ラストの告白にジーンときました」
「いいですよね、愛実ちゃん!」
「いい同人誌は何度読んでもいいよね」
「分かります。あと、田中君の顔……リョウ君に雰囲気が似ているので、セリフをリョウ君の声で脳内再生しちゃいました」
「ははっ。確かに田中君は涼我君に似た雰囲気のイケメン君だね」
「似ていますね。愛実ちゃんがそう言うので、告白の言葉を涼我君に朗読してほしくなりますね」

 あおいがそう言うと、3人は一斉に俺の方に視線を向ける。そんな場面は全然ないので体がピクッと震えた。もしかして、俺にその同人誌を朗読してもらおうというのか。
 俺の予想が的中したようで、3人は俺のところにやってきて、愛実が同人誌を開いた状態で見せてくる。

「このページに書いてある告白のセリフだけでも読んでくれないかな? お願い……」
「好きな同人誌ですし、涼我君の声で告白のセリフを聞いてみたいんです」
「先生も聞いてみたいな」

 至近距離で俺を見つめながら愛実とあおいと佐藤先生は懇願してくる。それほどに、告白のセリフを耳から楽しみたいんだな。

「分かりました。例の告白のセリフだけでいいなら」

 ここには俺達以外は誰もいないから。

「ありがとう、リョウ君!」
「ありがとうございます!」
「ありがとう!」

 3人ともとても嬉しそうだ。
 小さい頃にあおいと一緒に絵本を朗読したり、小学生の頃に国語の宿題で教科書を朗読したりしたことはあるけど、BL同人誌の朗読なんて初めてだ。
 さっき、愛実に指定された部分のページを見てみると、例の田中君と思われるイケメン少年が真剣な面持ちで、

『山本が他の男を話すのを見るとムカつくんだよ。山本がいないときは山本のことばかり考えちまうんだよ。そのくらい山本が好きなんだよ! だから、俺を付き合ってくれ!』

 と告白していた。凄く重要なシーンじゃないか。

「これを……朗読するんですね」
「そうだよ、リョウ君」
「山本君への田中君の告白です!」
「気持ちを込めて読んでくれると嬉しいな、涼我君」
「……分かりました。告白はしたことないですけど、ラブコメ作品にはたくさん触れてきましたからね。俺なりに精一杯朗読してみましょう」

 それで、3人が喜んでくれるのなら。

「同人誌を見ながら聞いた方がいいでしょう。スマホで告白のページを撮らせてください」

 俺はスラックスのポケットからスマホを取り出し、朗読するページを撮影する。……よし、セリフは全て撮れているな。
 自分にしか分からないような小さな声で、告白のページのセリフを朗読する。このページに描かれている田中君の表情から、どういう風にして読めばいいのか考えて。

「じゃあ、朗読しますよ。いいですか?」
「……いいですよ、涼我君」

 3人の方をチラッと見ると、彼女達は同人誌をしっかりと見ている。……よし。

「山本が他の男を話すのを見るとムカつくんだよ。山本がいないときは山本のことばかり考えちまうんだよ。そのくらい山本が好きなんだよ! だから、俺を付き合ってくれ!」

 田中君になったつもりで、俺は山本君への告白のセリフを朗読した。朗読自体久しぶりだし、気持ちを込めて読んだから体が熱い。
 今の俺の朗読……どうだっただろうか。3人の方に視線を向けると、

「凄くいい朗読でしたよ! 告白シーンがさらにグッときました!」
「脳内再生した声よりも全然良かったよ! あと、私が告白された感じがして、ちょっとドキッとしちゃった」
「いやぁ、とても良かったよ。たまらないね。うちにある金髪イケメンの出てくる同人誌全てを朗読してほしいくらいだ」

 お気に召したようで、3人は俺の朗読を絶賛するコメントをしてくれた。満足そうな笑顔を向けてくれて。ドキッとしたと言う愛実の顔は赤くなっていて。こんなにも喜んでくれると嬉しいな。

「そう言ってもらえて良かったです」

 そう言い、俺はアイスコーヒーを一口飲む。朗読した後だからか、まだまだ冷たいコーヒーがとても美味しく感じられるのであった。
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