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心を溶かす薬
4ー1
しおりを挟む自分の容姿についてこれまで一度だって好きになれたことはない。人から言わせるとそこそこ綺麗な顔らしい。
大学時代は、自分の容姿に好感をもって告白してくれる人もいた。
ただ、俺はこの顔が嫌いだ。鏡に映る自分の顔が年齢を重ねるごとに母親に似てくる。母親の顔なんてもう思い出せないのに、自分の顔を見ると嫌でも思い出される。
それに、整った容姿が面倒ごとを連れてくることだってある。現に今、俺は限界までため息を押し殺していた。
会社近くのとある居酒屋。飲み屋特有のガヤガヤとした雰囲気がそもそも苦手だ。金曜日の疲れ切った体に強いストレスがかかっていた。
「深海さんって~かっこいいし、女性社員にすごい人気なんですよー実は彼女とかいるんじゃないんですか?」
女性社員の成瀬の、この無駄に語尾を伸ばして話す癖がどうにも俺をイライラさせる。
「いないですよ。それに、今は仕事が楽しいのでそんな暇ないんですよ」
仕事が楽しくて今は恋愛なんかに興味はありませんというスタンスを貫く。
「とか言って、すぐに彼女作って結婚しちゃいそうですよね、深海さんって」
先ほどから成瀬のつけている香水が鼻腔を強く刺激して気持ち悪い。そもそも、女に興味はないし、むしろ苦手なのだ。特に、成瀬みたいにずかずかと人の領地に勝手に上がってくる女は。
微妙な笑みで誤魔化しながら、頬の筋肉が強張っているのが分かる。
なぜこんなことになったのだろうか。
そもそも、朝一番に課長から飲み会を開くことを知らされた時から嫌な予感はあったのだ。話をよく聞けば、技術部と企画営業部の合同飲み会だという。課長同士が仲がいいという理由からよくこの部署同士で飲み会が開かれるが、正直面倒くさい。
企画営業部なのでもちろんひかるもいる。席は離れているが、俺の席からでも見える斜め前の席で酒を飲んでいた。
ひかるは同僚と雑談したり、たまに女性社員と話している様子が見える。
ひかるは気さくな明るいタイプではないが、話しかければ丁寧に答えて笑顔も見せる。
ひかるはモテるらしい。隣に座っている女性社員は先ほどから熱心にひかるに話を振っている。周りを見ると、同じ技術部にもひかるのことを気にしている女性社員は複数いるようだ。
そういえば、ひかると恋愛絡みの話はあまりしたことがない。ひかるは実際、恋愛対象が男なのか女なのかも分からない。
女も抱けるんだろうか。そもそも、セフレは俺以外にもいるかもしれない。例えば、今隣にいる女の子をひかるは抱くんだろうか。あの広い大きな胸に抱き寄せて、色っぽく他の人の名前を呼ぶひかる。
早々に自分の想像力にストップをかけた。危険信号が出ている。これ以上踏み込むなと忠告していた。
そもそも、今日は金曜日で飲み会がなかったら今頃、ひかると二人でご飯を食べて抱き合っていたかもしれないのだ。何だか損した気分だ。
ひかるから視線を逸らし、酒を飲む。これは何杯目だろう。今日はペースが少し早い気がするが、飲んでなきゃやってられなかった。
酔いすぎた。気持ち悪い。一角に設置された男子トイレ。鏡に映る自分の顔色はひどく悪い。
「深海?」
俺を呼ぶ声に顔をあげれば、ひかるが顔を覗かせていた。会社では「深海」と呼ぶ。別にそれに不満はないが、何だか今日は無性に腹が立った。
「大丈夫か?ペース早すぎだったから心配してたんだ」
「お前に関係ないだろ」
想像よりも低い声に自分でも驚いた。ひかるも予想外の反応に驚いていた。
「何、怒ってんだよ」
「別に怒ってない」
そう、怒っていない。怒る理由もない。なのに、なぜかイライラする。酔った頭でその理由まで考えられない。
「悠」
ひかるが俺の腕を掴む。その手がいつもより熱くて、ひかるも少し酔っているのかもしれないと思った。
「放せよ」
ひかるの、俺を掴む手は緩まない。まっすぐな視線で俺を見つめてくる。
頭がぼやけていて、頭の中にある言葉がまとまらず俺はよくわからないことを口走っていた。
「お前なんかもういい。別に俺はお前じゃなくてもいい。お前もそうなんだろ。隣の女でも他の奴でも好きに抱いてこればいいだろ。ただのセフレにいちいち構ってくんなよ」
最低なことを言っている。それだけはわかった。でも口に出した言葉は消えない。
ひかるの目の色が変わる。明らかに怒りの色を含んでいる。
「お前、それ本気で言ってる?」
声はいつもより低い。俺の腕を掴む手に力がこもる。
「俺がどれだけ……」
ひかるが何かを言いかけて口をつぐんだ。小さく、唇を噛んでいるのが見えた。
ひかるは俺の腕を掴んだまま、トイレを出た。
「ひかる?」
ひかるは何も言わずに進んでいく。みんなが飲んでいる座敷まで戻ったひかるは「深海、酔っちゃったみたいで俺、送っていきます」と言って自分の荷物と俺の荷物を手に取った。
他の社員が何かを言う前に素早く座敷の外に出て、俺の腕を引いた。
絶対、不自然だろ。急に二人で抜け出して。でも、ひかるの手は緩まるどころか痛いぐらい俺を掴んで離さない。
外に出た途端、冷たい風がスーツの隙間に入り込み、ほてった体が冷やされていく。
ひかるの手だけが熱を保ったまま、夜道の中を歩いていった。
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