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第2章:アップルリングとダイヤの宝探し
A5サイズのジップロック〜致死量の絶望を飲み干し、ただ只管に生き延びた記録〜
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かつて、私には光に満ちた記憶があった。
祖父が経営する市内で一番大きな鉄工所。土壁の大きな家には畑があり、向かいのれんげ畑で花かんむりを作っては、大きな倉庫の中を走り回っていた。
しかし、暴力団の幹部だった父と、見栄とブランド品を愛する母の歪んだ生活は、バブルの崩壊とともに終わりを告げた。
祖父の会社は倒産し、私たちは狭い公営団地へと移り住むことになった。
6畳二間のその部屋で、私は2段ベッドの上が居場所だった。
母は異常なほどの潔癖症で、部屋の中はいつも彼女の好む「ピンクハウス」のような、西洋風のフリフリとした装飾で埋め尽くされていた。少しでも私や弟の物がそこに出しっぱなしになっていると、大切なものであろうが容赦なく捨てられた。
毎朝の食卓は、決まって奇妙だった。
出されるのは、市販の「アップルリング」という丸いパンを5つか6つに切り分けたうちのひと切れ。それから、ミロ。そして「DHA」などの頭が良くなるという数種類のサプリメント。
それが私たちの朝食のすべてだった。
ある日、たまらず「白いご飯が食べたい」と口にしたことがある。
母は怒りもしなかった。ただ翌朝も、何事もなかったかのようにアップルリングのひと切れと無機質なサプリメントが、私の前にコトリと置かれただけだった。
弟は、私と違って顔立ちの愛らしい、活発な普通の男の子だった。
しかし、母の機嫌を損ねると、冬の寒空の下へ放り出され、何時間も服をぶつけられ続けた。弟は泣きながら土下座をし、「ごめんなさい、ごめんなさい」と長い時間、ただひたすらに謝り続けていた。
私はそれを、ただ見ていることしかできなかった。
生きているだけで褒めてはもらえない。
私は3歳の頃から、すでにその空気を察知していた。母に「あんたは誰にも似ていない。悪いところを寄せ集めたみたいだ」と容姿を貶され、ママ友たちと笑いのネタにされているのを知っていたからだ。
だから私は「賢くていい子」になるしかなかった。周りのどの子よりも賢く振る舞った時だけ、母は私を褒めてくれたから。
私が通っていたのは、この辺りでも有名なお金持ちの幼稚園だった。
ヤクザの家で、決してお金があるわけでもないのに、母は当時の流行りの服を着て、バッチリと化粧をし、金持ちのママ友の中に入って笑うことを何よりのステータスとしていた。
幼稚園の帰り道、母はよく立ち止まってこう言った。
「あ、ダイヤが落ちちゃった」
私と弟は、アスファルトの上を這うようにして、小さな光る石を探す。黒いアスファルト、石の欠片、少し暖かいその上を指でなぞり、周りを見渡す、その中でキラキラ光る宝物、すぐに見つけて手渡すと、母は満足そうに私たちを褒めた。
それが本当にダイヤだったのか、ただのガラス玉だったのかはわからない。ただ、私たちにとっては、それが母から「愛情めいたもの」をもらえる唯一の宝探しゲームだった。
そんな狂った日常の中で、唯一の純粋な光は、曾祖父(ひいじいちゃん)だった。
鳥を飼っていて、包丁研ぎができて、誰よりも早く一番前で待っていてくれる、大好きなひいじいちゃん。
ひいじいちゃんはお迎えの時、いつも自転車で来て、一番前で私たちを待ってくれていた。母が迎えに来る時はいつも一番最後まで残され、一人ぼっちだったから、ひいじいちゃんの自転車が見えると本当に嬉しかった。
私が5歳、弟が4歳の秋のことだ。
偶然、母がひいじいちゃんにこう言った。
「明日から寒くなるから、また春になったらお迎え頼むね」
私たちは手を振り、ひいじいちゃんに別れを告げた。
その翌日の夜。ひいじいちゃんは、ハンガーで首を吊って死んだ。
突然の出来事に、大人たちは慌てふためき、家の中は混乱に包まれた。
しかし、5歳の私は、それが何を意味するのか全く理解していなかった。幼稚園で「他人が嫌なことで泣いている気持ち」は察知できるようになっていたのに、自分の悲しみとなると、どう処理していいかわからなかったのだ。
「私は我慢できるから」——すでに、心を守るために感情のスイッチを切ることを覚えていた。
お葬式の日。
本当にただ退屈で退屈を持て余した私は、集まった親戚の子供たちと一緒に、ひいじいちゃんの棺のそばで、無邪気に影鬼をして遊んでいた。
ただ、生き延びるために。
私の感情は、この時から少しずつ、私自身から剥がれ落ちていったのだと思う。
祖父が経営する市内で一番大きな鉄工所。土壁の大きな家には畑があり、向かいのれんげ畑で花かんむりを作っては、大きな倉庫の中を走り回っていた。
しかし、暴力団の幹部だった父と、見栄とブランド品を愛する母の歪んだ生活は、バブルの崩壊とともに終わりを告げた。
祖父の会社は倒産し、私たちは狭い公営団地へと移り住むことになった。
6畳二間のその部屋で、私は2段ベッドの上が居場所だった。
母は異常なほどの潔癖症で、部屋の中はいつも彼女の好む「ピンクハウス」のような、西洋風のフリフリとした装飾で埋め尽くされていた。少しでも私や弟の物がそこに出しっぱなしになっていると、大切なものであろうが容赦なく捨てられた。
毎朝の食卓は、決まって奇妙だった。
出されるのは、市販の「アップルリング」という丸いパンを5つか6つに切り分けたうちのひと切れ。それから、ミロ。そして「DHA」などの頭が良くなるという数種類のサプリメント。
それが私たちの朝食のすべてだった。
ある日、たまらず「白いご飯が食べたい」と口にしたことがある。
母は怒りもしなかった。ただ翌朝も、何事もなかったかのようにアップルリングのひと切れと無機質なサプリメントが、私の前にコトリと置かれただけだった。
弟は、私と違って顔立ちの愛らしい、活発な普通の男の子だった。
しかし、母の機嫌を損ねると、冬の寒空の下へ放り出され、何時間も服をぶつけられ続けた。弟は泣きながら土下座をし、「ごめんなさい、ごめんなさい」と長い時間、ただひたすらに謝り続けていた。
私はそれを、ただ見ていることしかできなかった。
生きているだけで褒めてはもらえない。
私は3歳の頃から、すでにその空気を察知していた。母に「あんたは誰にも似ていない。悪いところを寄せ集めたみたいだ」と容姿を貶され、ママ友たちと笑いのネタにされているのを知っていたからだ。
だから私は「賢くていい子」になるしかなかった。周りのどの子よりも賢く振る舞った時だけ、母は私を褒めてくれたから。
私が通っていたのは、この辺りでも有名なお金持ちの幼稚園だった。
ヤクザの家で、決してお金があるわけでもないのに、母は当時の流行りの服を着て、バッチリと化粧をし、金持ちのママ友の中に入って笑うことを何よりのステータスとしていた。
幼稚園の帰り道、母はよく立ち止まってこう言った。
「あ、ダイヤが落ちちゃった」
私と弟は、アスファルトの上を這うようにして、小さな光る石を探す。黒いアスファルト、石の欠片、少し暖かいその上を指でなぞり、周りを見渡す、その中でキラキラ光る宝物、すぐに見つけて手渡すと、母は満足そうに私たちを褒めた。
それが本当にダイヤだったのか、ただのガラス玉だったのかはわからない。ただ、私たちにとっては、それが母から「愛情めいたもの」をもらえる唯一の宝探しゲームだった。
そんな狂った日常の中で、唯一の純粋な光は、曾祖父(ひいじいちゃん)だった。
鳥を飼っていて、包丁研ぎができて、誰よりも早く一番前で待っていてくれる、大好きなひいじいちゃん。
ひいじいちゃんはお迎えの時、いつも自転車で来て、一番前で私たちを待ってくれていた。母が迎えに来る時はいつも一番最後まで残され、一人ぼっちだったから、ひいじいちゃんの自転車が見えると本当に嬉しかった。
私が5歳、弟が4歳の秋のことだ。
偶然、母がひいじいちゃんにこう言った。
「明日から寒くなるから、また春になったらお迎え頼むね」
私たちは手を振り、ひいじいちゃんに別れを告げた。
その翌日の夜。ひいじいちゃんは、ハンガーで首を吊って死んだ。
突然の出来事に、大人たちは慌てふためき、家の中は混乱に包まれた。
しかし、5歳の私は、それが何を意味するのか全く理解していなかった。幼稚園で「他人が嫌なことで泣いている気持ち」は察知できるようになっていたのに、自分の悲しみとなると、どう処理していいかわからなかったのだ。
「私は我慢できるから」——すでに、心を守るために感情のスイッチを切ることを覚えていた。
お葬式の日。
本当にただ退屈で退屈を持て余した私は、集まった親戚の子供たちと一緒に、ひいじいちゃんの棺のそばで、無邪気に影鬼をして遊んでいた。
ただ、生き延びるために。
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