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11.雨の日はお家で
しおりを挟むコツコツと窓を叩いているのは、朝からずっと降りつづけている雨。
斜めの線がくっきり見えるほどの本降りだ。
今日は一日こんな感じだろうとクロエが言っていた。
この雨の中、仕事のために王城へ出勤するリアムを見送ったあと、暇潰しにと用意してもらった本を読んで、午前中は愛ちゃんとふたり部屋で過ごしていたけれど。
昼食を終え、ひと息ついた今、さて何をしよう?
自室に戻って来たものの、いくら好きなことだと言っても、ずっと読書というのも勿体ない気がして、でも、じゃあ何ができるのかと言えば、答えが出なくて困っている。
「うーん、どうしたもんか」
「うーん、うーん」
私の真似をして腕を組み唸っている愛ちゃんにちょっと癒されるも、問題は据え置き。
そういえばクロエがまだ戻ってこない。
何かいい案がないか相談しようと思ったんだけど……と、心の中で呼んでいたのが届いたのだろうか、扉がノックされ、クロエの声が届く。
「クロエでございます。奥様もいらっしゃるのですが、入ってもよろしいでしょうか?」
夫人が? どうしたんだろう……とりあえず入ってもらうか。
許可を出せばすぐに扉が開き、ふたりが入室してきたが、その手には何やら箱のようなものが。
そのいくつかある箱をテーブルに置き、失礼いたしますとソファーへ着席した夫人が話し始めた。
「お寛ぎのところお邪魔かしらとも思ったのですけれど……この雨で、メグミ様が時間を持て余してお困りのようだと」
おぉ、なんとタイムリーな。
もしかしてとクロエのほうを見ると、何も言わず、穏やかに微笑んでいるだけ。
主が言わなくても察して動けるのが優秀な侍女というわけだ。
「実はそうなんです。午前中は用意してもらった本を読んで過ごしてたんですけど、午後もずっと同じっていうのはなんだか勿体ない気がして……」
「そうでしたの……よろしければご一緒にいかがかしらと、刺繍道具をお持ちいたしましたのよ」
「刺繍、ですか。私、裁縫ってあまり得意じゃなくて……手先が器用じゃなくてもできますかね?」
「ほほほ、私も初めの頃は何度も指を刺してしまったこともありますし、やっと仕上がったものは歪な模様ばかりで、とても人には見せられないと思ったものですわ」
「夫人でもそんな時があったんですね……」
今、目の前で優雅に笑う淑女様にも、慣れない作業に悪戦苦闘していた日々があったのかと想像していると、少し眉を下げた夫人がおずおずと申し出る。
「あの、メグミ様……もし、お嫌でなければ私のことを名前で呼んではいただけませんか? 『夫人』ではなんだか寂しくて。…………それに、ゆくゆくは『お義母さま』と呼んでいただける日が来たら……なんて」
「おかっ……」
「ふふふ、もちろん愛し子様に無理強いはいたしませんわ。……ただ、おふたりとこれからの日々を過ごしていきたいと望んでいるのは、リアムだけではないのだということを、知っておいていただきたいと思いましたの」
私が望まれている。夫に見放され、義弟嫁には見下されていた、この私が。
愛し子だから大事にされているのかもしれないけど。
でも、それだけじゃないって思えるくらい、リアムもこの人たちも、私を見てくれる。
私のことを知ろうとして、ちゃんと話を聞いてくれる。言葉を返してくれる。
「あ……ありがとうございます…………ミレーヌ様」
「こちらこそ、ありがとうございます。あの日、あの出来事のあとから、どことなく元気というか自信がなくなっているようだったけれど、今のリアムは毎日がとても楽しそうで。メグミ様のおかげですわ」
「めぐちゃんはね、すごいんだよ。まなもね、まえはね、かなしいことがいっぱいで、げんきがなかったの。でもね、いまはめぐちゃんがいっしょにいてくれて、とってもたのしくて、えがおがいっぱいになったんだよ」
いつの間にか用意されていたお絵描きセットを広げて、クロエと楽しそうに遊んでいた愛ちゃんが、嬉しいことを言ってくれる。
大した事はできてないけど、そんな風に思ってもらえてたんだ。
「まぁまぁ、そうなのですね。メグミ様は皆を笑顔にする素敵な才能をお持ちなのだわ」
「そうなの!」
「うぁあぁ……こんな手放しで褒められまくると恥ずかしいぃ……ハッ! そうだ、刺繍。刺繍しましょう。教えてください、お願いします」
「ふふふ、喜んで承りますわ。では、始めていきましょうか」
ミレーヌ様が開けた小さな箱の中身は、私でもわかる、懐かしい家庭科の授業を思い出すような裁縫道具の一式だった。
次に開けた大きな箱には色とりどりの刺繍糸が、もうひとつの大きな箱にはたくさんの布が収納されていた。
「メグミ様には、こちらを使っていただきたいの」
そう言って差し出された小さな箱は、ミレーヌ様の裁縫箱と似ているような気がする。
「これはね、エメリックのお母さま……つまり、リアムのお婆様がお使いになっていたものなの」
「えっ、そんな大事なもの……!」
「大事だからこそ、貴女に。これを使って、たくさん練習して、いつかあの子に……リアムに贈っていただけたら、なんて。母親の勝手な願いですけれど」
息子を想う母。
その時のミレーヌ様は、凛とした貴族の女性ではなく、優しく赤子を抱きしめる聖母像のような、穏やかな顔をしていた。
「人に見せられるようなものになるまで、どのくらいかかるかは分かりませんが……頑張ります! 私も、こんなに素敵な日々をくれるリアムに、何かお返しがしたいから」
私の言葉に皆が笑顔で返してくれる。
よし、最初の目標はシンプルに、イニシャル入りのハンカチにしよう。
そう宣言して、いざ始まったミレーヌ様の刺繍講座は、あの聖母の微笑みはどこへ行ってしまったのかと思うほど、なかなかのスパルタレッスンだった……。
リアムが帰ってきたとの報せにより、ミレーヌ様のスパルタスイッチが切れたところで、刺繍講座もお開きとなった。
そこで、ようやく熱が入りすぎていたことに気づいたミレーヌ様に頭を下げられている中、部屋を訪れたリアムに目撃され、さらには通りかかった男爵様と長男様も何事かと加わる。
あっという間に、とてもカオスな場ができあがっていた。
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