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20 戦場へ発つ

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 大砲の音を遠くで聞きながら、ディートフリート・ディー・シューレンベルクは地図に視線を落とした。
 戦場となったのは、ドルフ帝国とアルサンテ王国の国境付近だ。
 突然のこととはいえ戦争が始まればアルサンテも迎撃態勢に入る。本来なら宣戦布告したあちらが攻めてきてもよいのだが、そこは先手必勝。
 アルサンテの準備ができる前に、帝国は仕掛けることになった。
 戦争が始まって3日。
 すでにアルサンテの前線は後退し、帝国はかなりの速度で進行している。
 動きが早すぎて兵がついてこれないとまずいということもあって、陣営を動かすのは最低限だ。
 つまりそれだけ一方的な戦争になっていた。
 まずもって武力が違うのだから、当然だが。

「陛下」

 たったそれだけの問いかけだったが、そこに興奮が混じっている気配がした。
 顔をあげて、最も信頼している部下であるテオの表情を観察する。
 何をいわずとも言いたいことがわかって、ディーは頷いた。

「かなり、いいみたいだな」
「はい。やはりこちらの攻勢を予期していなかったようで、王都は混乱している様子です」

 それは送り出した偵察が、王都の様子をもってかえったということだ。
 ディーは再び地図に視線を戻す。

「行き帰りで5日か」
「はい。命令通り1日は滞在し、あとは早馬で」
「わかりやすい状況だったわけだな。王都は」
「そのようですね」

 ここまで簡単にことが運ぶのは、どうにも気持ち悪い。
 ディーの気持ちを察して、背後に控えていた参謀の一人が声をあげる。

「アルサンテは戦争をしない国です。戦力も乏しい。王は病床に付いており、動けるのは戦争経験がない軍人達と、こちらも戦争経験のない貴族の私兵ばかり。我が国が押しているのは当然でございましょう」
「わかっている」
「早めに帰国できそうですな」
「…………油断はするなよ」

 どことなく軽い参謀の言葉に、ディーは重々しく答えた。
 参謀達が顔を見合わせる。
 この皇帝は予想よりも慎重な人物だった。
 皇太子だったころは奔放さが目立ったが、予想よりもずっと戦況を見れているし、指示も的確だった。本人の武力も大したもので、おそらく国有数の騎士たちの中でも見劣りしまい。
 かといって横柄ではなく、面倒見もいい。部下一人一人をしっかりと認識している部分から、より部下を士気を高めることのできる人物だった。
 つまりとても皇帝らしい。
 どことなく前皇帝と比べて不安になっていた参謀や兵士たちが、たったの3日ですでに彼を信頼し始めているというのだから、すばらしい統率力である。

「ともかく」

 ディーが参謀達を見渡す。

「あちらはどうやら手をこまねいているらしい。王都のほうには混乱があるし、練度も低い。士気はやけに高いが――。とはいえ建て直される可能性がないわけじゃない。このままの速度で侵攻する」
「はっ」
「テオ。第三連隊と第四連隊の士気は」
「高まっております。すでに休憩も十分かと」
「よし。現状の敵陣突破までの予想時間はおそらく1時間前後だ。それに合わせて第三連隊と第四連隊を先行させる。本陣も動かすぞ」
「連隊を分けるのですか」
「数としては問題ないはずだ。あちらに立て直しの時間を与えたくない。第一第二にはここで野営を張らせて、明日以降合流させる」
「承知」

 テオが命令を伝達させるために動き出す。参謀達もそれぞれが担当する連隊に今後の戦略を伝えるためにテントを出た。
 それを見送って、ディーはため息をつく。

 ――思った以上に早く帰れそう……か。

 たしかにその通りだった。
 まったくもって苦戦もせずに進んでいる。しかしなにか嫌な予感がするのだ。
 気にかかるのは、あちらの聖女の存在だった。
 本来の聖女とは違う、おそらく魅了という能力を持っている彼女。
 もしや敵軍の士気が異様に高いのもそのせいではないかと、ディーは考えていた。あれだけの数を魅了しているというなら、その存在は脅威だ。

「ユリ、といったか……」
 
 一度ぐらい顔を拝んでみたい。
 そんな気持ちがあったが、自分まで魅了をかけられたらたまったものではない。
 どう処理するべきか、今から悩みどころだった。
 
「さて」

 空を仰ぐように首をあげて、肩を回す。
 なれない指示などしているからか、肩こりがひどいのだ。
 
「リゼットがいればすぐなおしてもらえるわけだが……戦場に連れてくるわけにもいかない」

 そう言って、実際は逆であることをディーは理解していた。
 傷を癒す力さえあれば、死なずに済む兵士がいるかもしれないのだ。
 本来なら連れてくるべきだった。
 けれど……。

「戦場なんざ、みせたくない」

 大人びていてもまだ幼い少女だ。
 折れてしまいそうな細く小さな体で、この戦場にたつ彼女の姿を、ディーは想像したくなかった。
 本人はくるつもりもあるらしい。
 戦争が落ち着いたら、負傷者の治療のために来てもらうのもありかもしれない。
 そんなことを思いながら、ディーは再び地図に目を落とした。

「リゼット」

 名を呟けば、胸のうちが暖かくなる。
 つっけんどんながら、心配する彼女のためにも。

「はやく終わらせないとな」

 ディーは小さく微笑んだ。


 数日後、戦場はアルサンテの王都にまで侵攻した。

 
 
 
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