リトルホークと黒の魔法使いカルナックの冒険

紺野たくみ

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第1章

その44 レニウス・レギオンは、おれだけのものじゃないけど。おれは、レニと嫁だけのものらしい。 

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                    44

「婚約者だって!?」
 ルーナ姫が?

「どうしてなんだ。《呪術師ブルッホ》!」
 おれという伴侶がありながら!?
 思わずおれは声を荒げてしまった。

「おや、リトルホーク。おめでとうと言ってはくれないのか?」
 グラウケーが扮した《呪術師ブルッホ》の、冷ややかな水精石色の目に心臓を一打ちに射貫かれて。
 とたんにおれは動くことも呼吸することもできなくなった。
 精霊セレナンの力か。
 まるで全身が氷になったみたいだ。
 沈黙が、あたりを支配した。
 それとも、凍り付いているのは、おれの周囲だけなんだろうか。

「お姉さま。お人が悪いですわ」
 張り詰めた空気を破ったのは、ルーナリシア公女だった。

 ……お姉さま?

「彼、固まってらっしゃいますわ。お顔の色もすぐれませんし」
 ふんわりと、柔らかく薫り高い白薔薇のような笑みを浮かべる姫。

 おれは再度、自問する。
 ……お姉さまだって!?

 それは、当然ながら、成人男性である《呪術師ブルッホ》のことではなさそうだと、おれは、安堵とも苦痛ともつかない混乱の中で、つぶやく。

「えっと。お姉さまって?」

「リトルホーク。わたくしのこともルーナと呼び捨てにしてくださいとお願いしましたから、わたくしも、あなたさまをリトルホークと呼ばせていただきますわね。安心してくださいませ。《呪術師ブルッホ》さまとの婚約は偽装ですわ」
 満面の笑みをたたえて、ルーナは、言った。

「もっとも、成人したあかつきには、良き日取りを選んで、わたくしが精霊の国に嫁ぐことには変わりはありませんけれど」

「どういう意味だ?」

「それが『世界の意思』の条件だからです」
 おれの疑問に答えたのは、レフィス・トールだった。

「我々、世界の意思の代行者である精霊セレナンが、一つの国家をえこひいきしているというのは、対外的にも示しがつかない。このエルレーン公国首都シ・イル・リリヤに、精霊の養い子にして愛し子レニウス・レギオンが、養い親の精霊たちとともに滞在し、魔導師協会と、魔法を学べる学院を立ち上げた。他国からみれば『なぜ精霊が一国家に肩入れするのか?』ということになる」
 さらに言い添えたのは、《呪術師ブルッホ》。

「だから、見合った対価をエルレーン公国の大公は『精霊セレナン』に提供していると、国内外に明確に示す必要があった。それが公女ルーナリシアとレニウス・レギオンの婚約だ。我々としても、儚き人の身に、精霊の奇跡の技を与える見返りとして、それくらいの条件は、つけてもおかしくないだろう?」

「もっともらしいことを言う。つじつま合わせだろ?」

「無知蒙昧なる人間たちには、ちょうどいい口実だ。公女はいずれ遠からず人の世界を離れ精霊の国に赴き、伝説の『聖女』となる。人間としては死ぬのと同じ。彼女のために挽歌が詠われ、物語が語り継がれるだろう。エルレーン公国繁栄のための人身御供のようなものと、人々に憐れまれながら」

「わたくしとしては、願ったり叶ったりですけどね」
 公女は、いたずらっぽく笑った。
「どうせ王侯貴族の子女の婚姻など政略の駒。今回のお話しがなければ大臣たちは、レギオンかガルガンド、さもなくばサウダージ共和国か、最悪の場合グーリアに差し出せなどと言いかねませんでした。どうせなら恋した御方のところに嫁ぎたいですもの。こうなって、わたくしは幸せ者ですわ!」

「こ、恋って」
 このときのおれ、リトルホークは、間違いなく、ひどく間抜けな顔をしていたと思う。

「なぜって、わたくし……」
 公女さまは、頬をバラ色に染めた。
「グラウケーさま……精霊のグラウ・エリスお姉さまを一目見たときから、夜も眠れないくらい心から深くお慕いしておりましたもの! 《呪術師ブルッホ》さまも、ものすごく素敵ですけど。お姉さまのほうが何倍も素敵で……っ!」

「えっ……そこ?」

「何を意外そうな顔をしているのだ、リトルホーク」
 少々不機嫌そうに《呪術師ブルッホ》(グラウケーが扮しているほう)が、言った。
「人生経験の豊富な私のほうが、未熟なレニウス・レギオン本人より魅力的なのは当然のことだろう」

「人生? 精霊なのに? いやそれ、公衆の面前で言っていいのかよ」
 ここにいるのは魔導師協会の学院の生徒達だけだけどさ。

「問題ない」
呪術師ブルッホ》が、片目をつぶった。
 俗っぽい仕草が、似合わねえぇえ!

「情報は遮断してある。生徒達には、我々が何を話しているのかはわからない。そのためにコマラパ老師を呼んで、臨時の講義をしてもらっている」

 あれ?
 ほんとだ、いつのまに。
 コマラパが大食堂の中央テーブルに来てる。
 思いっきり不機嫌そうだな。
 さぞかし急に呼びつけられたんだろう。

 おれと《呪術師ブルッホ》と、ルーナリシア姫と、『おれの嫁ルナ』であるカルナック、それにラトとレフィスだけは、透明なカーテンのこちら側にいるような感じで、生徒達とコマラパのいる側とは隔てられていた。
 向こうの音声も聞こえない。ってことは、こちら側の会話は漏れていないな。


「リトルホークっ」
 そのときムーンチャイルドが小さく叫び、行動を起こした。《呪術師ブルッホ》の手を振り切って飛び出したのだ。
 細っこい腕をひろげて、無我夢中でおれに抱きついて。

「おまえの、だからな!」
 胸に顔をうずめて、言った。

「……ムーンチャイルド?」

 しばらくして、おれの嫁は、顔をあげて、
「《呪術師ブルッホ》は、おまえだけのものじゃないけど。おまえは、おれのものだし。おれは、おまえのものだから。五年前に婚姻の儀を結んだ時から、そう決まってるんだからっ!」
 濡れたようなつやつやの真っ黒な目で、おれを見上げる。
「だから、どこへも行かないって言って。もうずっと、ここに。おれのそばにいてくれるって、約束して……」

 うわぁ。
 何だよこの愛らしい生き物は。

 もうどうしたらいいのか。
 わからない。
 おれはムーンチャイルドを、ただ、強く抱きしめる。
 抱きしめていると、何もかも、どうでもよくなる。
 がっついてキスしなくても、その先のこととか、いいや。
 このままで。
 時間を忘れて、抱き合っていられたら。

「でもさ。《呪術師ブルッホ》は、おれだけのものじゃないって……? ルーナリシア姫との婚約は偽装なんだろ?」
「え。あっ……」
 嫁は、あわてて口を両手で押さえた。
 失言した、という感じだ。
 あとで、ちゃんと問いたださなくてはいけないな。
 《呪術師ブルッホ》の本体、レニウス・レギオン本人にだ。

 そのとき。
 ごほん、と。
 低い、咳払いが聞こえた。

「取り込み中、悪いが」
 声をかけてきたのは、コマラパだった。

「そろそろ午後の授業を始めなくてはいかん。それか、今日は自主訓練にするか? わしとしては、生徒達はまだ、指導者がいなくては危なくて魔法を使わせられんがな」

 苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
 急に呼び出されて大食堂に来てみれば、何やら《呪術師ブルッホ》とおれリトルホークが、トラブってて。
 あげくに、
 コマラパの実の愛娘であるムーンチャイルドこと、カルナックと、おれが、抱き合っているのを目撃しているのである。

 そりゃ不機嫌にもなるよな……。

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