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狸
一
しおりを挟む庄右衛門と雪丸は揃って人に追われる身であり、しかも雪丸は相手に顔もバレている。
なるべく人が少ない土地で、ヒッソリ宿を取りたいところだが、宿場は大抵は賑わっているものなので宿探しは難航した。
そうして2人は長く歩いて足が棒のようになっていたところ、とうとう人気が少なく寂れた宿場を見つけた。
庄右衛門は宿の主人に金を払い、グッタリと座り込んだ雪丸に声をかけた。
「宿の主人によると、この近くに風呂屋があるそうだぞ」
それを聞いた雪丸はパッと顔を明るくし、足取り軽く庄右衛門に付いて行った。
何日も宿屋どころか風呂屋にもあり付けなかったので、2人は埃やら土やら汗やらに塗れてベトベトだった。こぢんまりとした風呂屋が見えただけで、庄右衛門はホッとした。
ところが、雪丸は不思議そうな顔で、
「あれがお風呂なの……?うちで入ってたのとなんか違うね?」
と庄右衛門に尋ねた。
「庶民はああいうところで蒸し風呂をいただくのが普通だが、お前は違うのか?」
「うちのはもっと大きくて綺麗だったから……」
庄右衛門は顔を顰めた。神社の家の出とはいえ、雪丸は相当良い暮らしの中で育ったのだろう。
「お前が入ったことのある風呂とはだいぶ様子が違うが、文句は言うなよ」
「どのくらい違うの?」
「狭くて暗いぞ。隣に誰がいるのかわからないくらいにはな」
雪丸は驚いた様子だ。庄右衛門は続ける。
「あと、こういう風呂宿には、垢掻き女という者がいる。蒸し風呂で浮いた垢を取ってくれるんだ。」
「そうなんだ。背中とかは届かないだろうし、私、頼んでみようかなあ」
呑気な雪丸に溜息を吐きながら、
「表向きは垢を取る仕事だが、そいつらは男の相手をするんだ。」
と言うと、雪丸はハッとして、赤面した。そしておずおずと庄右衛門に声をかける。
「庄右衛門……もしかして、垢掻き女、頼むの?」
「どうするかなぁ」
相手はしてもらわなくてよいのだが、久しぶりの風呂だ。垢を綺麗に取ってもらいたかったので、庄右衛門が悩むそぶりを見せる。雪丸が頬っぺたを膨らませた。
「庄右衛門の助平!」
そのまま庄右衛門を追い抜いて歩く。雪丸は何に怒っているんだ?と庄右衛門はきょとんとした。
番頭に金を払って脱衣所に向かった。さっさと着物を脱ぎ始める庄右衛門だが、ふと、雪丸が脱ごうとしないでボンヤリ突っ立っているのが目に入った。
「おい、早く入るぞ」
「え、でもそれって一緒に入るってこと……?
私は庄右衛門が上がるまで待ってるよ」
雪丸が困ったようにもごもご言うが、
「そんなことしたら後がつかえるだろうが。早く脱げ」
と急かした。
庄右衛門たちの後にも客があと四~五人。蒸し風呂は狭く、一回に二人しか入れないのだ。
だが雪丸は眉尻をさらに下げて困り果てる。モジモジしながら着物に手をかけるも、脱ぎたくないようだ。
ここに来てようやく庄右衛門は気付いた。
(あっ……そうか。雪丸が女だってこと忘れてたなぁ)
あまりに自然に少年扱いしていたので、年頃の娘がジジイなんかと蒸し風呂に閉じ込められるのは絶対に嫌だろうなという配慮が欠けていた。
現代と違って褌を着けて入浴する文化なのだが、それでも異性と入るのは抵抗があるだろう。
「……上がったら声をかけて出るから、ちょっと待て。それでいいな?」
庄右衛門がバツの悪い顔で言うと、雪丸はホッと胸を撫で下ろしながら頷いた。
庄右衛門が着物を脱いで褌姿になった時、雪丸は頭の先からつま先まで真っ赤になって、サッと目を逸らした。幸い、庄右衛門は気付かずそのまま暗くて蒸気が充満した部屋へ入っていった。
(や、やっぱりすごい体だ……!)
部屋の隅にちょこんと座りながら、庄右衛門の立派な体躯を思い返していた。相変わらず男性への免疫が無いので、庄右衛門の男らしい裸体にくらくらときてしまう。一体何をどうやったら隅々まで筋肉で盛り上がるんだろう。広くて大きな背中は、思わず抱きつきたくなる。
(お尻の形も……って、何考えてるんだ、私は!)
変態みたいじゃないか!と頭を振って考えるのをやめた。そして、庄右衛門が声をかけるまで待っていた。
が。
「お客さぁん、垢掻き、いかがかしらぁ?」
甘ったるい声が、庄右衛門が入っていった扉から聞こえてきた。
「いらん」
「遠慮なさらずに。お客さんみたいに良い体してる人、アタシ好きだから目いっぱいご奉仕しちゃうわよ」
雪丸は突然のことで思わず硬直してしまうが、なおも女性の甘えるような声が聞こえてくる。
「まぁ……!本当に逞しいですわ!素敵ね……」
「……。」
「さ、お客さん。アタシに任せて頂戴。うんと気持ちよくしてあげる……」
庄右衛門が女性と懇ろになるのをここで聞くことになると思うと、雪丸は段々居ても立っても居られなくなり、急いで着物を脱ぎ捨てた。
(今は疲れてるからなあ、どう断るか……)
背後にまわってむにむにと胸を押し付けながら肩揉みをしている垢掻き女をうまくあしらう方法を、庄右衛門はげんなりしながら考えている。
突然戸が開いた。
「あ、あの!私が垢掻きしますから!」
雪丸が胸を前で隠しながら、褌姿で叫んでいた。垢掻き女と庄右衛門は驚いて固まった。
「何よ、アンタ……仕事の邪魔しようっての⁈」
垢掻き女が喧嘩腰に凄むが、雪丸も負けじと顔を真っ赤にして言い返す。
「親方の背中を流す役目は私なんです!風呂に入った時はこの私がいつも親方の垢を流しているんです‼︎」
(親方って、なんだその設定……)
突然変な役を押し付けられたが、気を取り直して庄右衛門は垢掻き女に声をかけた。
「この通り、うちの若いもんがこう言って聞かないんでな。ここはコイツに譲ってやってくれないか?」
垢掻き女は何往復か庄右衛門と雪丸を見比べた後、ふぅん……と意味深に目を細め、
「どうぞ、ごゆっくり……」
と戸を閉めていった。
後には雪丸と庄右衛門だけが残った。
「おい、入って戸を閉めろ。蒸気が漏れる」
「えっ、う、うん……」
雪丸が戸を閉めると、本当に暗くなってしまった。何も見えないので手探りで進もうとすると、
「ほら、こっちへ座れ」
と庄右衛門の大きな手に引かれ、腰掛けに誘われた。腰掛けに座って雪丸はホッとする。部屋の明かりは戸から僅かに漏れる光しかない。これだけ見えなかったら、胸を隠さなくても、褌姿でもいくらかは恥ずかしくない。
「助かった。どう断ろうか迷っていたんだ」
やがて庄右衛門がぶっきらぼうに言う。雪丸は少し笑い、
「あの女の人、私たちをどんな関係だと思ったんだろうね。私としては、庄右衛門が職人で、私が弟子のつもりで話しかけたんだけど……」
「あの意味ありげな顔は、お前のこと小姓か何かかと思ったんじゃないか?」
雪丸が笑うと、暗闇の奥でなんとなく庄右衛門も笑った気がした。
すぐ隣に庄右衛門が座っている。庄右衛門は大柄なので、詰めて座ってもまだ狭い。お互いの肩や二の腕が当たっていて、雪丸は段々とどきどきしてきた。顔が熱いのは蒸気のせいか、それとも……?
雪丸が庄右衛門の二の腕に手を這わそうとした時、突然庄右衛門が立ち上がった。
「俺はそろそろ出るぞ。お前もあったまったら、早く出ろ」
「う、うん……わかったよ」
雪丸はドギマギしながら返事をした。庄右衛門はさっさと脱衣所とは反対の戸を開けて、部屋を出てしまった。
庄右衛門は部屋から出て、お湯で汗や垢を洗い流す。
ところで、庄右衛門は手練の忍びだ。それゆえに、夜目がしっかりと効く。つまり……。
(雪丸の姿が見えていたことは黙っておいてやろう……。)
お湯や汚れと共に、雪丸の均整の取れた美しい裸体の記憶も洗い流してしまった。
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