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狸
二
しおりを挟む庄右衛門と雪丸は、風呂から上がりすっきりした気分で泊まる大部屋に寝転がっている。
袴は履かず、着流しでゆったりと過ごしていると、宿の主人が夕食の時間を知らせた。
実に質素な夕食を受け取る時、
「お客さん、どうです?美味い酒が入ってるんですよ」
と主人が指で輪っかを作り、お猪口をくいっと傾ける仕草をする。
庄右衛門は少し眉間に皺を寄せた。
「俺はいらない」
「えっ!」
主人と雪丸の声が重なった。雪丸はとても残念そうな顔をしていた。
「飲みたいのに……」
庄右衛門は雪丸にひそひそと言った。
「あのなあ、俺もお前も追われてる身だろう。酒を飲んで動けなくなってるところを襲われたら逃げられんぞ。だいたい、お前飲んだことあるのか?飲めるのか?」
「飲めるよ、飲めますよ!でもそっかー……だめかぁ」
雪丸は非常に残念そうな顔で主人が手に持っている徳利をチラチラ見る。
やがて庄右衛門は溜息を吐き、
「……わかった。俺が見張るから、お前も飲みすぎるなよ」
と主人に金を払った。
雪丸は嬉しそうに徳利とお猪口を受け取った。
主人はにこにこしながら庄右衛門に声をかけた。
「あの大部屋に泊まるのはお二人さんだけだから、特別に布団もお貸ししますよ」
「そうかい。悪いね」
「いえいえ……、夜になったらあたしら従業員も、家に帰りますからね。朝飯の時間まで二人きりでいられますよ」
どういうことだ?と庄右衛門が見ると、主人は声を落とし、
「だから、夜は誰にも邪魔されずゆっくり仲良くできますからね」
と、右手の人差し指と親指で作った輪っかに左手の人差し指を抜き差ししてみせた。下卑た笑みを浮かべている。
庄右衛門は雪丸との関係を勘違いされ、不愉快な気持ちを思い切り顔に出しながら、酒を手に浮き足立って大部屋に向かう雪丸の後を追った。
「本当に誰もいないんだねえ」
雪丸が窓の外を眺めながら言った。
暮れの六つ半(午後7時頃)になると、宿屋の主人の言った通り、大部屋と厠以外は灯りを落として、庄右衛門たちが食べ終えた夕食を片付け終わると、従業員は皆帰っていった。
元々小さな宿だし、人の通りが少なく寂れた宿場なので、ほとんど人の気配がなくなった。
(不用心なこった……。だが、これなら敵が攻めてきても、人ならざるものが襲いかかっても、大騒ぎになることはないだろうな)
庄右衛門がふと雪丸を見ると、まだお酒を楽しんでいる。
手に持っている徳利とは別に、周りにはすでに二本の空になった徳利が転がっている。
「おい!いつの間にそんな頼みやがって!」
「これくらいなら酔わないし平気だよ。宿屋の主人も好きなだけ飲んでくれって言ってくれたし」
雪丸はにこにこしながらお猪口を仰ぐ。
「ふざけるな!タダなわけないだろうが!路銀がほとんどないんだ、無駄遣いすんじゃねぇ!」
「足りなくなったら、また庄右衛門お得意の助平な絵をたーっくさん描けば良いじゃないか」
雪丸がむくれながら庄右衛門を睨む。庄右衛門は大きく舌打ちをし、立ち上がった。
「どこ行くの?置いてかないでよ」
「ただの小便だ」
庄右衛門がぶっきらぼうに返事すると、雪丸は、ああそう……と微妙な顔をして座り直した。
「くそ……雪丸の奴、あんなに飲んでいくらすると思ってんだ……!
今度春画売る時は、無理にでも女物の着物を着せて売り子やらせてやる……」
厠から出てもイマイチ腹の虫が収まらない庄右衛門だったが、ふと、外に灯りが灯っているのに気付いた。
宿の敷地内にある土蔵からぼんやりと光が漏れている。
(泥棒か、追手か……それとも)
庄右衛門は筆と墨と紙を取りに行き、四本目の徳利に手を伸ばそうとする雪丸に刀を持たせて引っ張り出した。
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