彼女に死ねと言われたら

浦登みっひ

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雅の旋律

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 目の前に迫ってきたミヤビ様の靴底は、減速するどころかさらに勢いを増して、僕の顔面にクリーンヒットした。

「ぶげぇぇぇぇっ!」

 強烈な飛び蹴りを喰らって、言葉にならない悲鳴が漏れる。無数のガラス片が突き刺さって体中を棘のついた薔薇の蔓で縛られている上に顔面飛び蹴り? 
 なんで? なんで僕ばかりこんな目に? つーかそもそも何故ミヤビ様がここに?

「閃空断!」

 ミヤビ様の飛び蹴りに続いて、レイさんの声が轟く。ロザリーと僕のちょうど中間あたりに疾風の如く現れたレイさんは、いつぞやの炎を纏った二本の曲剣で素早く体を捻りながら切り上げ、ロザリーから伸びた薔薇の蔓をバッサリと断ち切った。
 ロザリーからの力の供給を断たれた薔薇の蔓は、瞬く間に白い髪の束に戻り、解放された僕の体はそのまま地面に落下した。そこそこの高さからコンクリートの地面に落とされたんだから結構なダメージだったはずだけど、激痛の波状攻撃を受けていた僕は既にあらゆる感覚が麻痺していて、もう何が何だかわからない。僕の体が地面に叩きつけられるのとほぼ同時に、ミヤビ様は軽やかに地面に降り立った。

「間に合ったわね……」
「どうやらね」

 長身の二人は、地面に這いつくばった状態から見上げると、いつにも増して大きく見えた。まるで白い灯台のようだ。

「あなた達は……!」

 突如現れた二人に、ロザリーは射貫くような鋭い視線を向ける。

「ロザリー、こんな街中で暴走するつもり? ここで大爆発を起こしたら、大勢の犠牲者が出ることは避けられない。今度ばかりは廃倉庫のときみたいに適当に誤魔化すことはできないわよ」
「うう……モーリスを……返してっ……!」
「こんな奴、落ち着いてくれたらいつでも返してあげるわ。だから早く……」
「ううっ……あああっ!」

 ミヤビ様の説得も虚しく、ロザリーは頭を抱えながら再び呻きだした。と同時に、ロザリーの周囲にバチバチと火花が散り始める。

「チッ、聞いちゃいないか……レイ、荷物!」

 ミヤビ様がそう叫ぶと、レイさんは大きめの黒いボストンバッグをミヤビ様に手渡した。荷物を受け取ったミヤビ様は、ボストンバッグの中から細長い形状の黒いケースを取り出し、そのケースを素早く開け放つ。中から出てきたのは――。

「ったく、あんたたち、私のヴァイオリンをタダで聴けるなんて滅多にないことなんだからね!」

 そう、ミヤビ様が取り出したのは、ヴァイオリンと、それを弾くための弓だったのだ。
 楽器なんて、この状況に最もそぐわないものと言っていいだろう。ロザリーの力が暴走しようとしているこの非常時に、ヴァイオリンなんかを持ち出して、一体何をしようというのか?

 しかし、ミヤビ様がヴァイオリンを顎に当て、さっと弓を構えると、その四本の弦はたちまち美しい音色を奏で始める。

「うわ……ぁ……」

 その音色のあまりの美しさに、僕の口からは、全く無意識のうちに感嘆の声が漏れていた。
 ミヤビ様が奏でるヴァイオリンの調べは、高飛車な彼女が演奏しているとは思えないほど優しく、蝶が舞うように軽やかで、まるでこの一帯だけ一足早く春がやってきたような気分にさせられる。その音色から僕は、ロザリーの屋敷で見た花畑の風景を連想した。

 ミヤビ様のヴァイオリンの音色の効果だろうか、体中の痛みもほんの少し和らいだような気がする。僕たちの様子を窺っていたバスの乗客たちのどよめきも一瞬にして静まり、その音色にうっとりと聞き入っていた。まるでこの空間全体がミヤビ様のヴァイオリンに聞き惚れているようだった。

「ああ……あ……」

 ロザリーの呻き声が次第に小さくなり、周囲に散っていた火花はいつの間にか消え失せて、その体から発せられていた禍々しい殺気までもが徐々に減衰し始める。
 ふと辺りを見回すと、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくるレイさんの姿が目に入った。

「相変わらずすごいな、ミヤビのヴァイオリンは」

 レイさんが僕の体を抱き起こしながら呟く。

「大丈夫かい、モーリス君」
「え、ええ、なんとか、生きてます……。レイさん、このミヤビ様のヴァイオリンの音色にも、何かのマナの力が働いているんですか? あまりにも心地よくて……なんだか、この世のものとは思えないぐらいに」
「ううん。あれは正真正銘、ミヤビのヴァイオリンが奏でている音だよ」
「凄すぎる……」

 ミヤビ様の演奏は三分ほど続いた。
 周囲にいたバスの乗客たちは、ミヤビ様の奏でる美しい調べに誘われて、演奏が終わる頃には皆すっかり眠り込んでいた。
 ロザリーの顔からも、苦悶の色はすっかり消えていた。虚ろな目でその場に佇むロザリーは、そのままがっくりと膝をつき、崩れるように倒れ込む。

「ロザリー!」

 僕は体中の痛みも忘れて立ち上がり、大急ぎでロザリーのもとに駆け寄った。ロザリーの体を抱き起こし膝に乗せると、彼女はうっすらと目を開けて言う。

「モーリス……ひどい顔……」
「えっ……?」
「鼻血、出てるよ」

 はっとして鼻の下に触れてみると、ぬるっとした生温かい感触があり、指先が赤く染まっていた。

「ごめんねモーリス……私、またあなたにひどいことを……」
「ち、違うよロザリー、これは君のせいじゃ……」
「そうよ。それはきっと私が飛び蹴りをかましたからだわ」

 頭上からミヤビ様の声。彼女はいつの間にか僕のすぐ背後に立っていた。

「さて。もう言い訳は許さないわ、ロザリー。貴女にもわかったでしょう? 貴女の力はあまりに不安定だし、精神状態の影響を受けすぎる。実験動物モルモットとしてはそれでよかったのかもしれないけど、一人の人間として普通の生活を送っていく上では危険極まりないわ。もしこれだけ大勢の人がいる中で暴発したら、そしてもし私たちがここに来ていなかったら、この場がどうなっていたか、貴女にもわかるわよね?」

 僕の膝の上で、ロザリーは小さく頷いた。

「ロザリー、貴女は力の使い方を学ぶ必要がある。それは誰のためでもない。貴女自身と、ここにいるモーリスのために。改めて言っておくけど、別に、どうしてもブランボヌールに入ってほしいと言っているんじゃないわ。これは貴女のためを想って提案しているの。話を聞いてくれるつもりになったかしら?」
「優しい……音色だったわ」

 問いかけた内容とは食い違ったロザリーの返答に、ミヤビ様は一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、ロザリーは訥々と続ける。

「私のお父様も、趣味でよくヴァイオリンを弾いていたの。みやびさん――といったかしら、貴女ほど上手ではなかったけれど、お父様の奏でるヴァイオリンの音色はとても優しくて、私は小さい頃、お父様のヴァイオリンを聴きながら本を読むのが好きだった。貴女のヴァイオリンは、どこかお父様の音と似ていたわ。だから、貴女のことは、少しだけ信じてもいいような気がする」

 すると、ミヤビ様は小さく息をつき、ふっと表情を緩めた。

「ありがとう。いちヴァイオリニストとして、これ以上ない褒め言葉よ」

 穏やかな視線を交わし合うロザリーとミヤビ様。二人の間に、確かな友情が芽生えた瞬間だった。

「それにしても!」

 ミヤビ様が突然声を荒げ、その直後、僕は後頭部に鈍い痛みを覚えた。

「いてっ!」

 振り返ると、堅く握られたミヤビ様のげんこつが僕の頭上にあった。ついさっきまであんなに優しい旋律を奏でていた綺麗な白い手が、あっという間に恐ろしい鈍器に――っていうか、そういえば、そもそも僕はなんで飛び蹴りされたんだっけ? 駆けつけるのはいいとして、飛び蹴りまでする必要がどこにあった?

「いてっじゃないよ、まったく。私があれほどレーヌに注意しろって言ってたのに、あんたは……」
「だ、だからって、なにも殴ることはないじゃないか……それにバスジャックの件はレーヌとは無関係で」
「わかってないわね~。ロザリーがこんなんなっちゃったのは、あんたがレーヌと一緒にいたからでしょ? ほんっと、バカなんだから」

 何も反論できなかった。ロザリーが現れた時、僕はレーヌの胸に抱かれ、顔を埋めていたのだから。僕はすぐに目を伏せ、ミヤビ様に礼を述べた。

「あ……ありがとう」
「ちょっと、お礼を言う時ぐらいちゃんと相手の目を見なさいよ」
「いや、だ、だって、その……」

 ところで、ただでさえ脚が長く腰の位置が高いミヤビ様は、その美脚を強調したいのか、他の女子生徒よりもスカートをだいぶ短くしている。つまり、何が言いたいかというと……。

「その、見えちゃうんだ、中身が……」
「はっ?」

 そう、地面に座った状態でミヤビ様を見上げると、スカートの中が見えてしまうのだ。
 いや、そもそも、飛び蹴りをくらう瞬間にも見えていたし、飛び蹴りをくらった後も僕はずっと地面に突っ伏していた。つまり、彼女がヴァイオリンを演奏している間も、スカートの中身は丸見えだったのである。
 ミヤビ様は慌ててスカートを押さえたが、今更隠しても、僕の瞼に焼き付いた映像まで消し去ることはできない。

「うん、私にも見える」

 僕の膝の上でロザリーが呟いた。僕より視点が低いロザリーには、僕以上にハッキリ見えていたに違いない。
 ミヤビ様は恥ずかしそうに唇を噛み、頬を微かに赤らめながら僕の頭を両手で押さえる。彼女は脚を上げると、華奢な膝小僧を僕の目の前に……って、えっ?

「こンの……スケベ野郎!」

 顔面に膝蹴りを受けた僕が、遠のいてゆく意識の中で最後に見たものは、目の前でくるくる回る星と、ミヤビ様の白い膝、そしてその向こうにある黒いランジェリーだった。



!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!


 雅とロザリーの間に友情が芽生えたちょうどその頃、人知れず現場を離れたレーヌの元に、二つの黒い影が舞い降りた。

「ケンイチ、クリストフ……さっきはありがとう」

 レーヌが礼を述べると、影はそれに小さく頷いた。彼らにとって、レーヌのため、否、スターリング家のために命を賭して戦うことは、自らの存在意義にも等しい行為なのだ。
 影の一つ、クリストフは自らのスマートフォンをレーヌに差し出した。

「それよりレーヌ様、先程スポンサーから連絡がありました。契約通り、極秘裏にジフへの経済支援を行うと」
「そう……」

 しかし、画面を覗き込むレーヌの表情は浮かないままだった。そんな主人の様子を見て、もう一つの影、ケンイチが尋ねる。

「あまり、嬉しそうではありませんね」
「いえ、そんなことはないわ。こんな私たちでも、故郷の役に立てるんだもの」
「……失礼いたしました。ですがレーヌ様、我々に断りもなくバスに乗り込まれたときは、一体何が起こったかと……」
「ええ、ごめんなさい。私が勝手にバスに乗らなければ、こんなくだらないバスジャック事件に巻き込まれることもなかった。それは私の落ち度です」
「いえ、まあ……バスジャックは運が悪かった。あのようなことは滅多に起こるものではありません。しかし、事前に一言連絡を入れて下されば、万が一何かが起こった際、我々も迅速に対応できます。ブランボヌールの連中もいることですし……」
「気をつけるわ……普通の女子高生として暮らしてみたいという私のワガママに、あなたたちを付き合わせているんだもの」
「そうして頂けると助かります。では、これにて……」

 そう言い終わる頃には、二つの黒い影の姿は既に消えていた。一人残されたレーヌは、おもむろに背後を振り返り、悲しげな表情で小さく呟く。

「モーリス……」
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