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第14話 勇者、街を視察する
〜5〜
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「お客様!何かお困り事でもございましたか?」
突然、廊下の角からホテル・アルニカのオーナーが姿を表した。
大柄な体に前と同じ汚れたエプロンを付けて、太い眉とごつごつした赤ら顔に溌剌とした笑顔を浮かべている。
廊下は真っ直ぐ伸びていたのに、魔術で廊下の作りを変えたらしい。養成校の廊下と同じ仕組みだから俺は驚かなかったが、エルカは気圧されて一歩下がった。叫び声を堪えて、俺を後ろに隠す。
「この子と遊んでいたら奥まで来てしまったんだ。申し訳ない」
「おやおや!それは困りますな」
オーナーぎょろりと大きな目を更に見開いて驚いた表情を作ると、大袈裟な調子で俺の腕を掴もうとした。エルカがそれを遮って、オーナーの手が届く寸前で俺を抱き上げる。
「邪魔をして悪かった。すぐに戻るよ」
「ええ、申し訳ございませんが、立ち入り禁止ですので……おや?」
俺を抱き上げたエルカの腕から、スケッチブックが音を立てて落ちた。受付カウンターに置いて来たつもりだったのに、エルカが持って来ていたのか。
ページを開いて落ちたスケッチブックを拾い上げて、オーナーはぱらぱらと捲った。まさか日本語で書いたページを見られたかとオーナーの反応を窺っても、本当の姿は魔術で作られた巨大な体の影になって表情が見えない。
俺は防御膜を何重にも張って姿を隠した。防御魔法の気配を察して変装している事が知られてしまうが、本当の姿は魔術で厳重に隠れて俺の正体は見えないはずだ。
しかし、オーナーは何も言わず、暑苦しい笑顔もそのままでスケッチブックを閉じてエルカに渡した。
「お気を付けて。お嬢様」
そう言ったオーナーは、巨大な体に合わない優雅な礼をして俺を抱き上げたままエルカが廊下を引き返すのを見送っていた。
+++++
「もしかして、勇者様は勇者の仕事としてオーナーを調べているのかい?」
エルカに抱えられたまま俺は頷いた。
これから話を聞こうという所だったのに、エルカは調理場まで引き返してしまう。
エルカは俺が臨戦態勢に入ったのを気配で気付いて、すぐに俺を連れてオーナーから離れた。
魔術が使えないのに勘が良い奴だ。夜中の野良猫のケンカとかを止めるのに向いている能力だと思う。
「オーナーを疑っても無駄だよ」
エルカはそう言いながら、無人のまま魔術で包丁が食材を刻んで、油で炒める音で賑わう調理場を進んだ。
「彼は忠実なるヴィルドルク国民だ。数年前に、アムジュネマニス国を見限ったって聞いている」
魔術師の故郷とも聖地とも言えるアムジュネマニスを見限るとは、相当の事があったに違いない。
俺には思い入れのある故郷も信仰する聖地も無いから想像できないが、例えば、娘を殺されたとか。
「ホーリアには国内外から魔術師が来ているだろう。魔術師同士のケンカは相手が悪いと戦争になる。だから、オーナーが中立に立って市内の魔術師を統治しているらしい」
「その辺で魔術師が喧嘩を始めたら、あのオーナーが仲裁に入るってことか?」
「もう少し手っ取り早い方法をとるだろうけど、そういう事だよ」
勇者の俺に迷わず喧嘩を売って来たオーナーだ。多分、その場で強烈なハーブをばら撒いて暴れている全員を行動不能にするくらいはしそうだ。
「オーナーがいるからこのホテルは安全なんだ。特に魔術師から身を守るには一番」
「まさか、エルカ、アムジュネマニスを敵に回してるんじゃないだろうな?」
「敵に回すって言葉は血の気が多すぎるなぁ。私の歩む道が、彼等が望む方向では無かった、とかね」
エルカは吟遊詩人らしい言い回しで俺の質問をはぐらかすと、ホテルの入り口で俺を下した。
まだエルカにもオーナーにも聞きたい事があるのに、エルカは俺の手を振り払うようにして離れる。
「私が言う事では無いけれど、君も気を付けてね」
エルカは俺の首にスケッチブックを掛けて子供を相手にするように雑に頭を撫でると、俺をホテルの外に押し出して扉を閉めた。
+++++
事務所に戻ると、真っ先にクラウィスが部屋から飛び出して来た。
俺が首飾りを見せると、クラウィスの目がぱっと明るく見開かれる。そして、急いた様子で下げていたポシェットを顔の前に掲げた。
『感謝しますわ!大事なものなのよ!』
そんなに大事な宝物なら、廊下に飾らないで肌身離さず持っていれば良かっただろうに。
俺がそう言うと、クラウィスはポシェットで顔を隠したまま首を横に振った。
『勇者様、これが何かご存知ですかな?』
クラウィスに聞かれて、俺は首を傾げた。
見たことないデザインだが、服飾品にこだわりがあるクラウィスの物なら、どこかのブランド品かもしれない。俺はアクセサリーは付けないし、服は隠れる所が隠れて暑くなくて寒くなければなんでもいいタイプだから、それがどれだけ価値があるのかわからなかった。
クラウィスは俺が黙っているのを見て、ポシェットの影から小さく笑う。
「大事なものなら、ちゃんと付けておけ」
『うむ。感謝感謝なのであるぞよ』
俺が首飾りを渡すと、クラウィスはポシェットを下ろして両手で受け取った。
そして、少し頬が赤くなった顔でメイド服の裾を摘まんで、メイドらしく深くお辞儀をした。
突然、廊下の角からホテル・アルニカのオーナーが姿を表した。
大柄な体に前と同じ汚れたエプロンを付けて、太い眉とごつごつした赤ら顔に溌剌とした笑顔を浮かべている。
廊下は真っ直ぐ伸びていたのに、魔術で廊下の作りを変えたらしい。養成校の廊下と同じ仕組みだから俺は驚かなかったが、エルカは気圧されて一歩下がった。叫び声を堪えて、俺を後ろに隠す。
「この子と遊んでいたら奥まで来てしまったんだ。申し訳ない」
「おやおや!それは困りますな」
オーナーぎょろりと大きな目を更に見開いて驚いた表情を作ると、大袈裟な調子で俺の腕を掴もうとした。エルカがそれを遮って、オーナーの手が届く寸前で俺を抱き上げる。
「邪魔をして悪かった。すぐに戻るよ」
「ええ、申し訳ございませんが、立ち入り禁止ですので……おや?」
俺を抱き上げたエルカの腕から、スケッチブックが音を立てて落ちた。受付カウンターに置いて来たつもりだったのに、エルカが持って来ていたのか。
ページを開いて落ちたスケッチブックを拾い上げて、オーナーはぱらぱらと捲った。まさか日本語で書いたページを見られたかとオーナーの反応を窺っても、本当の姿は魔術で作られた巨大な体の影になって表情が見えない。
俺は防御膜を何重にも張って姿を隠した。防御魔法の気配を察して変装している事が知られてしまうが、本当の姿は魔術で厳重に隠れて俺の正体は見えないはずだ。
しかし、オーナーは何も言わず、暑苦しい笑顔もそのままでスケッチブックを閉じてエルカに渡した。
「お気を付けて。お嬢様」
そう言ったオーナーは、巨大な体に合わない優雅な礼をして俺を抱き上げたままエルカが廊下を引き返すのを見送っていた。
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「もしかして、勇者様は勇者の仕事としてオーナーを調べているのかい?」
エルカに抱えられたまま俺は頷いた。
これから話を聞こうという所だったのに、エルカは調理場まで引き返してしまう。
エルカは俺が臨戦態勢に入ったのを気配で気付いて、すぐに俺を連れてオーナーから離れた。
魔術が使えないのに勘が良い奴だ。夜中の野良猫のケンカとかを止めるのに向いている能力だと思う。
「オーナーを疑っても無駄だよ」
エルカはそう言いながら、無人のまま魔術で包丁が食材を刻んで、油で炒める音で賑わう調理場を進んだ。
「彼は忠実なるヴィルドルク国民だ。数年前に、アムジュネマニス国を見限ったって聞いている」
魔術師の故郷とも聖地とも言えるアムジュネマニスを見限るとは、相当の事があったに違いない。
俺には思い入れのある故郷も信仰する聖地も無いから想像できないが、例えば、娘を殺されたとか。
「ホーリアには国内外から魔術師が来ているだろう。魔術師同士のケンカは相手が悪いと戦争になる。だから、オーナーが中立に立って市内の魔術師を統治しているらしい」
「その辺で魔術師が喧嘩を始めたら、あのオーナーが仲裁に入るってことか?」
「もう少し手っ取り早い方法をとるだろうけど、そういう事だよ」
勇者の俺に迷わず喧嘩を売って来たオーナーだ。多分、その場で強烈なハーブをばら撒いて暴れている全員を行動不能にするくらいはしそうだ。
「オーナーがいるからこのホテルは安全なんだ。特に魔術師から身を守るには一番」
「まさか、エルカ、アムジュネマニスを敵に回してるんじゃないだろうな?」
「敵に回すって言葉は血の気が多すぎるなぁ。私の歩む道が、彼等が望む方向では無かった、とかね」
エルカは吟遊詩人らしい言い回しで俺の質問をはぐらかすと、ホテルの入り口で俺を下した。
まだエルカにもオーナーにも聞きたい事があるのに、エルカは俺の手を振り払うようにして離れる。
「私が言う事では無いけれど、君も気を付けてね」
エルカは俺の首にスケッチブックを掛けて子供を相手にするように雑に頭を撫でると、俺をホテルの外に押し出して扉を閉めた。
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事務所に戻ると、真っ先にクラウィスが部屋から飛び出して来た。
俺が首飾りを見せると、クラウィスの目がぱっと明るく見開かれる。そして、急いた様子で下げていたポシェットを顔の前に掲げた。
『感謝しますわ!大事なものなのよ!』
そんなに大事な宝物なら、廊下に飾らないで肌身離さず持っていれば良かっただろうに。
俺がそう言うと、クラウィスはポシェットで顔を隠したまま首を横に振った。
『勇者様、これが何かご存知ですかな?』
クラウィスに聞かれて、俺は首を傾げた。
見たことないデザインだが、服飾品にこだわりがあるクラウィスの物なら、どこかのブランド品かもしれない。俺はアクセサリーは付けないし、服は隠れる所が隠れて暑くなくて寒くなければなんでもいいタイプだから、それがどれだけ価値があるのかわからなかった。
クラウィスは俺が黙っているのを見て、ポシェットの影から小さく笑う。
「大事なものなら、ちゃんと付けておけ」
『うむ。感謝感謝なのであるぞよ』
俺が首飾りを渡すと、クラウィスはポシェットを下ろして両手で受け取った。
そして、少し頬が赤くなった顔でメイド服の裾を摘まんで、メイドらしく深くお辞儀をした。
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