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第20話 勇者、束の間の休暇を過ごす

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 鍛冶屋では、リストが珍しく奥の工房から出て店に出ていた。
 明かりが点いていない薄暗い店内の、出窓に肘を付いて本を読んでいる。
 魔獣の体液が飛んだ作業着も着ていないしマスクも着けていない、喜々として魔獣の抜け殻を引き摺っていなければ、座っているだけで絵になる青年だ。
 ミミ-も葬儀屋と間違えられる店に入るのに躊躇していたが、リストの綺麗に整った顔を見てすぐに警戒心を解いた。
 いそいそとズボンを脱ごうとしたミミ-を止めつつ、俺はリストに声をかける。

「あれ……?勇者様ですか?もしかして、魔獣を捕まえました?」

 本から顔を上げて俺に気付くと、リストの疲れた瞳に光が戻った。
 リストはニーアが養成校に行ってしまい、ルーク以上に落ち込んでいる。恋人でも友人でもないただの幼馴染なのに、無駄に憂いを帯びた雰囲気を醸し出していた。
 儚い系の美形が落ち込んでいるから、3番街の人間は皆心を痛めていて、ニーアの先輩にあたる俺が慰めなくてはいけない空気になっていて迷惑している。

「いや、仕事を探しているんだ。俺とミミ-ができそうな事はないか?」

「ああ、それならちょうどお願いしたいことが」

 俺が言うと、リストはすぐに立ち上がって店の棚を探り始める。
 これは、察しが良過ぎる。
 俺はリストをドアの影まで引っ張って、店内を見回しているミミ-に聞こえないように小声で囁いた。

「頼んでおいて何だが、ミミ-は普通の子だから……」

「はい?」

「つまり、魔獣の解体とかいきなりさせるのはちょっと……」

「勇者様。まさか、そんな事はさせませんよ」

 リストは棚から透き通ったナイフを出して、その横に同じ大きさの白木のナイフを並べた。
 淡い白色が混ざった透明の金属質のナイフは、魔獣の骨を加工して作られた物だ。
 魔獣の骨で作られた道具は、魔獣が多いホーリアでは名産品にもなっている。しかし、最近はとある理由から、つまりホーリア担当の勇者である俺が魔獣と共生を選んだから、魔獣が討伐されなくなって品薄になっていた。 

「骨製品は、最近は実用品というよりも美術品ですから、装飾でも彫ろうかと思っていていたんです。案を考えてくれませんか?」

「えー?好きなの描いていいのー?」

 ミミ-は作業机に座ってペンを握り、白木のナイフに模様を描き始めた。
 また妙な事を始めないか心配で後ろから覗いていたが、あのゼロ番街で働いていただけあって、少し派手だが繊細な模様を描いている。リストもミミ-の腕前に感心して、満足そうに眺めていた。

 俺は人体の解剖図とか魔獣のスケッチは養成校で何度も描かされたが、芸術センスはない。
 しかし、任せられた仕事なら全力を尽くそうではないか、とミミ-と同じようにペンを手に取ったが、リストに腕を引かれた。

「勇者様はこちらへ」

 リストに店の奥につれて行かれて、クラウィスが心配そうに俺について来た。
 工房までなら入った事があるが、その奥の書庫まで連れて行かれる。本棚が並んでいる書庫の更に奥に入ると、目の奥が痛くなるような薬品の臭いがする。
 マスクを付けているクラウィスでもその異常な空気に気付いたのか、不安そうに俺の手を握って来た。
 初めて握るクラウィスの手の小ささに驚いた。そう言えば、俺の手はいつもマントで隠れていて握れないけれど、今日はニーアの外套を着ていた。

「こちらです」

 リストが振り返って誇らしげに案内した場所は、壁の全面が棚になっている一角だった。棚には本やノートと一緒に大小の瓶が並んでいて、中の液体に動物の死体と何かの肉片が浮かんでいた。
 真ん中の手術台に似た実用性しか無い台の上には、今さっき何か生き物を捌いたかのように毛と体液の染みが散っていた。

「この店では、祖父の代から魔獣の研究をしているんです」

 俺はクラウィスと手を繋いで背を向けて帰ろうとしたが、リストは俺の腕を掴んで離さない。

「……魔獣の研究は法で禁止されている。見なかったことにしてやるから離してくれ」

「勇者様、肉屋と鍛冶屋のみ、商売に必要最低限の知識を保有する事が許可されているんですよ。御存じでしょう」

 それは、コーラに漬けると肉が柔らかくなるとか、お湯を掛けると凹みが治るとか、そういうレベルの話だ。

 ここまで本格的な研究を商店街の一店が行うとは、法も予測していないだろう。リストみたいな奴がいるから、抜け目がないように細かくなって法律書が無駄に分厚くなる。
 俺が密告すれば、確実にこの店は営業停止処分になり、リストだけでなく3番街の人間全ての記憶の改変が行われるはずだ。

「勇者様も一緒に実験をしましょう。魔獣の肉を食べると魔力が増す伝承とか、興味をお持ちでしょう」

 流行りのお菓子の話をする女子のように、リストはきゃぴきゃぴと「当然好きですよね?」と俺に何かの染みが付いた分厚いノートを押し付けて来る。
 残念だが、俺は全然興味を持っていない。むしろ今気付いたけれど、少し気持ち悪いとすら思っている。人は皆自分と同じ嗜好であるという考え方は時として暴力になる。

「まさか、人体実験をしているのか?」

「はい、祖父からずっと。しかし、被検体が少な過ぎてデータが不足しているのです……」

 リストは残念そうに言うから、自分の体で確かめているだけらしい。
 それを聞いて、俺は少し安心した。ヴィルドルク国では人を食べていない魔獣は食用になるが、漢方とか薬に近い扱いで、あんなものは絶対に食べないと言う人もいる。
 人の食事に勝手に混ぜて食べさせたら、そのまま殺されても文句は言えない。食文化の違いは、どの世界でも惨劇を招く。

 ちょっとした興味から自分の体で実験する程度なら禁止されていないと思うが、俺にも確信は無い。
 深く調べたり誰かに聞いたりしたら新しい法律が増えてしまうような気がしたから、俺は聞かなかったことにした。

「魔獣を生け捕りにして実験とか、していないだろうな」

「生け捕りにしたら教えてください。すぐに引き取りに伺います」

 リストが声を弾ませたが、俺は曖昧に返事をした。
 そんな事をしたら、俺だけでなくリストまで街の人間から村八分にされる。
 魔獣の研究をしていながら今までリストが何の問題も無くホーリアで生活できているということは、代々に渡って隠されて来たのだろう。平和な3番街にとんでもない爆弾が潜んでいたものだ。

「逆に、人間を食べた魔獣が変質するのは、人間から何かを取り込んでいるのでしょう。人間が魔獣を食べて魔力が増すのと同じように」

「それは、そうだろうな……」

 俺は頷いたが、魔獣の生態については実はあまり詳しくない。
 勇者養成校では魔獣の倒し方は嫌と言うほど教えられるが、魔獣の詳しい生態や人間を食べた魔獣が変質する原理や、変質が全身に及んだレアルダーの詳しい生態は教えられていない。見つかったら研究をする前に、即座に処分してしまうからだ。

 知識の発展のためにはリストのような変り者の研究者や、魔獣と共生を目指す心優しい優秀な勇者が求められている。
 お互い不当に低く評価されて苦労しているが、俺としてもリストのような熱心過ぎる研究者と同じ種類の人間だと思われるのは勘弁してほしい。

「ある程度変質が進むと、好んで人を食べると史書に書かれています。つまり、我々が魔力を求めるのと同じように、魔獣は我々の何かを求めている」

「いや、単純に美味しいんじゃないか?」

 俺は話を早く切り上げたくてそう言ったが、リストは素直に涼やかな切れ長の瞳に真剣な光を宿らせて、静かに俺の言葉を待っていた。
 面倒になって「多分、人間って一度食べると病みつきになるんだ」と、我ながら倫理観を疑うような事を言ってしまい、俺の手を握っていたクラウィスの指先が震える。
 あとでクラウィスが好きな魚を釣ってあげれば、ここで下がってしまった俺への信頼度も回復できるはずだ。

「なるほど……人肉に依存性があるのかもしれませんね」

 リストの興味が人肉の方に向いて、俺は少し余計な事を言ってしまったような気がした。
 しかし、これ以上ここにいたら、俺の倫理観が崩壊して幼いクラウィスが俺に怯えてしまう。俺はクラウィスの手を引いて店の方に戻った。
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