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第21話 勇者、後進を案ずる

〜4〜

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 次の時間はリリーナが受け持ちの授業があると聞いて、俺とニーアは講師室を出た。
 リリーナは数百のネズミを操って生徒たちに教えながらニーアと遊ぶなんて余裕だと引き留めてきたが、多分養成校の講師の給料は、勇者の事務所で俺が支払っている給料よりも上だ。
 好待遇で雇われているのだから、授業に全力を注ぐべきだろう。

 講師室を出て教室の方に戻り、俺はニーアと別れて移動魔法で事務所に戻ろうとした。
 しかし、「ちょっと待ってください」とニーアが俺の腕を掴んで勝手に魔法を取り消す。
 人の魔法を取り消すのは何かの罪になったりはしないが、若干イラッとくる。ニーアは魔術の初心者だから知らないのだろう。後で教えておこう。

「勇者様。前に頼んだ実習の報告書、まだ書いてくれてないですよね?」

「……」

 俺は少し考えたが、そんな物を頼まれたのかどうか、全く思い出せない。
 多分、マントと剣を失って落ち込んでいた時に、制服を着て俺よりも勇者らしいニーアを見て、トドメを刺されて引きこもっていた時期の話だ。
 書類の整理はクラウィスがやってくれるようになって、リビングのテーブルが書類の山に埋まることは無くなった。
 しかし、受け取ったそれを俺が適切に処理しているかは別の話だ。

「一言書いてもらうだけなので、今お願いできますか?提出が今日までなんです」

 ニーアに素直に従って、俺は寮の部屋に連れて行かれた。
 養成校の寮はどの部屋も同じように作られているから、ニーアの部屋も俺が暮らしていた部屋と殆ど同じ形と家具が並んでいる。
 俺の寮は、物に溢れて足の踏み場も無い状態だった。
 ニーアの部屋も、俺のレベルには達していないものの至る所に教科書やノートが積み重なっていて、ほぼ同じような状況だ。
 俺がドアを閉めた振動で、デスクの上の紙の束が崩れて床に広がった。
 俺はニーアに部屋を片付けなさいと何度か怒られたことがある。コルダと一緒になって俺の部屋を魔窟と呼んでいることも知っている。

「……探すので、少し待っててください」

 俺が何かを言う前に、ニーアは少し高級そうな焼き菓子を渡して、ベッドの上にクッションを置いてそこに座るように丁重に促した。

「ニーア、書かないと覚えられないんですよ。だから、ノートとか本とかいっぱい溜まっちゃっうんです」

 俺が腰掛けたベッドの上にも、ノートや筆記具が散らばっていた。
 ニーアは「人は1週間くらい寝なくても死なないです」と平気で言い放つ人種だから、睡眠時間を削って勉強している姿が容易に想像できる。
 体を壊さないか心配だが、前職は挨拶代わりに10キロマラソンをする体育会系の魔法剣士だ。俺の心配など不要だろう。

「そういえば、勇者様、音楽選択って何にしました?ニーア、楽器なんて全然やったことないので……」

 ベッドの上の、枕に使っているらしいクッションの下から何か紙がはみ出していた。
 これも綴っておかなくていいのかとクッションを捲ると、オグオンの写真が敷き詰められている。
 ブロマイドとして合法的に流通しているニーアがお気に入りの物から、多分隠し撮りしたらしい非合法の物まで、各種揃っていた。

「……」

 俺は何も見なかったことにして、クッションをそっと元に戻した。
 久し振りに怖い。これは夢で会うためのおまじないとかいうものだろう。若者文化に久しく触れていない俺でも何となく分かる。
 しかし、オグオンは養成校で教官として教えている。
 趣味が仕事のような面白味の無い奴だが、生徒にぞんざいな態度をとったりしない。話しかければ会話は出来るし、自分のファンが大好きだからニーアが頼めばサインでも個人レッスンでも何でもしてくれるはずだ。
 現実で会えているのに、夢でも会いたいとはどういうことだ。
 多分、夢じゃないとできない事がしたいんだろう。怖い。

「勇者様?」

「あ……ああ、思想の自由は守られるべきだよな」

「いえ、楽器は何を選んだのかって話です」

 勇者養成校では、卒業までに楽器を1つプロの腕前にしておくのも課題の1つだ。
 俺は、孤児院の教会にあったからオルガンを専攻していた。俺の前世で知っているオルガンとは形は若干異なるが、同じような管楽器だ。

 国外の来賓や貴族等、魔術を使って相手を探ったことが知られると問題になる場合がある。だから、巧みな演奏で相手の警戒心を解いて、油断させている隙に相手の腹を探る必要が出てくる。
 俺も「適当に5分くらい相手の気を反らしておいてくれ」とオグオンに無茶ブリされて、こういう悪夢を見たことがあるなと思いながら、国際パーティーの場で演奏させられたことが何度があった。

「ニーア、魔術を頑張ればすぐに卒業できるって思ってたんですけど、他にも色々と勉強することがあるんですね。先は長いなぁ……」

 ベッドの上にはニーアの成績表が無造作に置いてあって、俺は何となくそれを拾った。
 ニーアの座学の成績は安定している。魔術に関わる授業は平均をやや下回っているが、勉強を始めたばかりの割には優秀だ。
 実技の成績の方は、ニーアが言っている通り音楽はあまり良くないが、専攻の楽器も決めていない時期では仕方ない。
 しかし、基礎体育の成績が飛び抜けた好成績ではなくて、ニーアにしては珍しいとその項目を眺めた。足の速さも筋力も持久力も優秀なニーアに、何か苦手な運動があっただろうか。

「……そうか、ニーアは泳げないのか」

 口に出してしまってから、余計な事を言ったと気付く。

 泳げるとか泳げないとか話したのは、前に俺の前世の世界に帰った時だ。
 あの時の事は、俺の中で夢だったことになっている。
 もし、あれが夢ではなくて現実で、あの時の記憶がニーアに残っているとわかったら。俺は発作的に舌を噛み切って死を選んでしまうかもしれない。

 俺の言葉を聞いたニーアがどう出るか、俺は黙って硬直していたが、ニーアは慌てて駆け寄って来て俺の手から成績表を取り上げて背中に隠した。

「勝手に見ないでください!勇者様……泳げます?」

「いや、全然。泳げない」

 俺は前世に行った時に泳げると言ってしまったが、これ以上あの世界でした話を繰り返すと、万が一ニーアが何かを思い出してしまうかもしれない。
 俺は間髪入れずに答えて、ニーアが教科書の隙間から引っ張り出して来た報告書にサインをした。

 ニーアが書いた実習の報告書には、ホーリアの街の様子や魔獣の出現状態について細かく書かれているが、俺が引きこもっている事実には触れられていない。
 優しさの塊のような記述に、俺も出来るだけニーアの成績が上がるように大変優秀な生徒だとコメントを書いた。

「まぁ……少し教えるくらいはできるかもな」

「本当ですか?約束ですよ!」

 細かい事を気にしているのが後ろめたくなってそう言うと、ニーアは嬉しそうに成績表を握り締めた。

 覚えているのかとニーアに聞けば、このモヤモヤも解消されるだろう。
 しかし、覚えていると言われるのが怖いし、そうだとしてもニーアは俺に気を遣って覚えていないと言うはずだ。
 ニーアの記憶を禁術を使って覗けば分かるが、真実を知ってショックを受けるより、ニーアの今の笑顔を信じて何事も無く穏便に過ごしたい。
 俺は報告書をニーアに返して、また今度教える、と約束だけして事務所に戻った。
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