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第29話 勇者、学業に励む

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 やめた方がいい。多分無理だと思う。先輩には向いてない。潔く諦めて。
 と、ポテコが横から色々言って来るのを無視して、俺は時間があればモベドスの受験勉強をしていた。

 モベドスの過去問は未公開で出題傾向が全く不明だが、魔術を網羅しておけばどんな出題にも答えられるだろう。
 勇者養成校に一発入学して、飛び級の首席卒業をした俺だ。やってやれないことはない。
 そして有難いことに、モベドスは入学するのに国籍も年齢も制限がなかった。
 条件は、学園が認めるくらいの魔力があり、血族に退魔の子がいないこと。
 俺の親は普通の商人だと聞いていて、退魔の子が身内にいるのかどうか確かめる術がない。しかし、幸運なことに親の顔も知らない孤児だから、好きなだけ詐称ができる。
 後でバレたとしても、それを黙らせるくらいの成績を出せば実力主義の魔術師の世界では何の問題もないだろうし、退学になる前に1つ資料を確認してすぐに出ればいいだけだ。

「いくら先輩でも、一朝一夕の勉強で入学するのは無理」

 深夜の養成校の図書館、無人だと思っていたのに、ポテコが俺の前の席に座った。
 何をそんなに反対しているのか、ポテコはずっと俺のやる気を削ぐような事を言い続けている。人見知りのポテコは、通訳代わりの俺がいなくなると困るから度々嫉妬をしてくるが、少々いつもと様子が違う。
 俺はそろそろ面倒になってきて、ポテコを無視して魔術書を捲っていた。

「学園を卒業して繋がりが切れると、研究成果は全て学園に取られる。だから、卒業生は研究生として学園に籍を残しておくのが普通」

 ポテコはそう言いながら、俺の前に二つ折りの革の書類入れを差し出した。開いてみると、銀色の箔押しの文字で「伺書」と表題だけ書かれた紙が1枚挟まっている。

「で、あまり公にされてないけど、外部の人間も研究生になれる。紹介制で、卒業生とか教員とか、学園の関係者から認められればね。ボクも研究生だから……」

 ポテコが伺書の一番上の欄に署名をすると、黒いインクが銀色の箔に変わって紙に刻まれた。
 3人分署名を集めて提出すれば、簡単な面接のみで研究生として入学できる。研究生は生徒とは別の区分だが、学園の施設は自由に利用できるから、図書館の資料を見るだけなら研究生で問題ない。
 そう説明して、ポテコは溜息を吐いた。

「……多分、先輩は試験を受けるより、こっちの方がまだ可能性があると思う」

「なんだ、そんな方法があるのか」

 俺は、魔術書を放り投げて伺書を受け取った。
 事務所にはモベドス卒のリリーナがいる。リコリスもそうだし、ゼロ番街にいる魔術師もモベドス卒だ。あと2人分の署名なら、今すぐにでも貰えるだろう。
 ポテコはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、俺は礼を言って図書室を出た。


 +++++


 翌朝、事務所にいたリリーナに、書類の上半分、表題とポテコのサインを隠して差し出した。
 俺がモベドスに入学しようとしていると知ったら、絶対に何をしに行くのかと問われるだろう。隠しておくほどの事ではないが、わざわざ言う事でもない。

「これにサインしてくれないか?」

 朝ご飯の前にケーキを食べていたリリーナは、俺が差し出した書類を見て「何これ?」と首を傾げる。
 あまり深く突っ込まれる前に、いいからいいからとペンを渡すと、リリーナはそれ以上尋ねることもなく2段目に名前を書いた。
 正体不明の書類に気安く署名をするべからず、というのはどこの世界でも共通の教えだが、世間への警戒心が欠けているリリーナは純粋だ。今度、連帯保証人の恐ろしさを教えてあげよう。
 しかし、リリーナが書いた文字は、インクが弾くように消えて、真っ白の状態に戻ってしまった。

「えぇ?何で書けないのぉ……?」

 リリーナは膨れ面でもう一度サインを書いたが、先程と同じように文字が消えてしまう。ポテコの時は、普通のペンで何の問題も無く書けていたのに。

「何よこれ!馬鹿にしてるの!」

「悪い。不良品みたいだ。また今度頼む」

 リリーナに奪い取られる前に、書類を隠して自室に戻った。
 書類入れを開いて確認すると、リリーナが書いた部分はインクの染み1つ残っていない。紙に魔法が掛けられているらしい。
 試しに俺がサインをしてみると、リリーナと同じようにインクが弾かれて消えてしまう。俺はモベドスの関係者ではないから署名が拒否されて当然だが、卒業生のリリーナまで署名ができないとはどういうことか。
 ともかく、リリーナが出来ないのなら、あと2人分、誰かにサインをもらわなくては。


 昼近くになって、俺はゼロ番街に向かった。
 殆どの店が営業時間外でまだ街全体が静かだが、ちらほらと女の子と一緒にいる客と、開店準備をしている黒服の魔術師がいる。
 試しに、道の端にしゃがんで、地面に映る自分の影に向かってねこじゃらしを振ってみた。
 すると、予想通り以前同じように猫扱いされたことを根に持っていたアーテルが影から飛び出して来る。そして、俺を八つ裂きにしようと襲いかかってきた。
 頸動脈を噛み千切られる前に尻尾を掴む。アーテルは逆さまになっても、鋭い爪を光らせながら手足を暴れさせて俺の命を狙っていた。

「覚悟はできているか?一撃で済むから楽にしろ」

「まぁそう言わずに」

 俺はアーテルをベンチに下して、さっき事務所の庭で釣ったばかりの魚を渡した。
 どこの世界も猫は魚が好きなはずだ。予想通り、見た目だけでなく心まで猫に近付いているアーテルは俺の暗殺など忘れて可愛らしい猫に戻って食べて始めた。
 夢中になっている黒猫の前脚を失礼して、インクに浸して伺書に足跡を押す。しかし、滴るほど付けたインクも、リリーナの時と同じように1滴も残らずに紙の上から消えてしまった。
 何かの間違いではないかと前脚のスタンプを何度も押していると、アーテルは顔を上げて目を細めた。

「何だ?学園に入学したいのか?」

「そう。前にリコリスの同窓だって言っていたよな?」

 卒業生も学園の関係者だとポテコは言っていたのに、リリーナもアーテルもサインができない。
 これは、書類に掛けられた魔術が間違っているのではないかと疑ったが、アーテルは前脚のインクを俺のマントで拭いながら首を横に振った。

「確かに、私とリコリス様は共に学び、才を高め合った仲だ。しかし、私もリコリス様も、あの学園を追放されている」

「追放?」

「そうだ。だから、卒業はしていない」

 アーテルは卒業も追放も些細な違いだというように、事も無げに頷く。
 しかし、リリーナの履歴書にはモベドス卒と書かれていた。これは立派な学歴詐称だ。
 あれを書いたのはオーナーだろうからリリーナに言っても仕方ないが、履歴書に堂々と嘘を書くな。

 ならば、他にモベドス卒の魔術師を探さなくては。
 ゼロ番街にはいくらでも魔術師がいる。俺はこの街を良く出入りしていて、問題のある客、特にウラガノを店から引き取っているから、顔見知りで話が通じる魔術師も数人いる。魔術を勉強するために学園の研究生になりたいと言えば、快く署名をしてくれるだろう。

「言っておくが、リコリス様について来たここの魔術師は、全員学園を追放されている」

 走り出そうとした俺の背中に、アーテルの言葉が突き刺さる。
 全員?と聞き返したが、黒猫は魚の残りを咥えてベンチの影に沈んで消えて行った。
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