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第29話 勇者、学業に励む
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顔見知りの魔術師を何人か掴まえたが、誰が書いても文字が消えてしまう。他に魔術師はいないかと探したが、夜の営業の準備が進んでいて俺に付き合ってくれそうな暇な魔術師はいなくなっていた。
その中で、ベンチに凭れて動かずにいる魔術師を見つけて、一か八か声を掛ける。
「これにサインをしてくれないか?」
ぼんやりと顔を上げた魔術師は、何度か会ったことがあるカルムだ。しかし、そろそろ営業時間だというのに半分寝ている顔をしているし、昼間なのに酒臭い。カルムは伺書を受け取ったが、妙に座った目で上下逆さまに書類を眺めている。
「そいつは、あの学園の出身ではないぞ」
ついさっき、店にボトルを入れる約束でサインをお願いした魔術師のニパスが声をかけてくる。
ニパスは学園で専攻した白魔術式を延々と語ってくれたが、アーテルと同じく学園を追放されているらしくサインは掻き消えてしまった。
「そうなのか?」
こんなに優秀なのに、と言いそうになったが、それはカルムにも学園にも失礼な気がして寸前で飲み込む。
ニパスは俺の言いかけたことに気付いたのか、一瞬ムッとした顔をしたが、すぐにさっきまで魔術を語っていた余裕の表情に戻る。
「こいつは、コレだからな」
ニパスはカルムを嘲るようにそう言って、親指と人差し指を伸ばしてLの形にした右手を腰の辺りに示す。
俺は知らないけれど、アムジュネマニスの魔術師が魔術師を差別する時に使う仕草だ。流民を差別する分かりやすい魔術師は珍しくないが、魔術師同士でも色々あるらしい。
俺は余計なことを頼んでしまったとカルムに謝罪しようとしたが、カルムは俺に伺書を返すとまたベンチに突っ伏して寝直してしまった。重度のハーブ中毒と聞いていたが、この様子だとまずアルコール中毒と診断されるような気がする。
ニパスの自慢話が再開する前に、他にサインをしてくれそうな魔術師を探すために街の奥に向かった。
+++++
ゼロ番街が忙しくなる夜になり、俺は大人しく市内に戻るトンネルを進んでいた。
あと2人。楽勝だと思っていただけにダメージが大きい。
市内には観光客の魔術師が沢山いるから、モベドス卒もいるかもしれない。こうなったら手あたり次第に頼んでみるか。
そう考えながら暗いトンネルを歩いていると、突然頭がずしりと重くなった。
鼻先に黒い毛むくじゃらの細長い物が触れているから、どこかの影から出て来たアーテルが俺の頭の上に乗っているらしい。
俺の頭の上でも身動ぎして、ちょうどいい体制を見つけたのか毛繕いを始めていた。
「リュリスの日記を見に行くのか?」
「……どうしてそう思うんだ?」
「貴様もリュリスと同じイナムなんだろう?」
どうして知ってるんだ、と尋ねようとしたが、ずっとリコリスの影に住んでいるなら俺がリコリスとリュリスの話をした時も聞いていたのだろう。
下手に能力があるストーカーは始末に負えない。ニーアもだいぶアレだと思っていたが、まだ理性がある方だ。顔の皮を剥いで四六時中足元に潜むなんて真似はしないだろう。
「リコリスの影に住むっていうのは、本人に許可は取っているのか?」
「学園か……懐かしいな、リリーナは変わらずうるさかったが、今よりもリコリス様の御近くにいられたような気がする」
黒猫は俺の問いには答えない。この様子だと許可を取っていないらしい。
しかし、リコリスが自分の影に隠れられてそのままにしているなら、リリーナとは相性が悪いにしてもアーテルが3姉妹の友人なのは確からしい。
「あの3人は、どうだった?」
俺が尋ねると、黒い尻尾が戸惑うようにふらふらと俺の目の前で揺れた。
「仲の良い姉妹だった。でもリュリスは、時々それを怖がるみたいに離れたがって、その時だけ私が代わりに隣にいれたんだ」
「そうか」
「理解に苦しむな。私はずっと1人だったから、当たり前に一緒にいられる3人が羨ましかったのに」
「そうだよな」
あの3人は他の人間が入れないくらい仲の良い姉妹で、綺麗な円のように閉じた関係だったんだろうと思う。
リリーナがアーテルを邪魔だと怒っているのも、姉を取られると不安になっているのではなくて3姉妹で完結した世界に余所者が入って来るのが嫌なんだうとわかった。
そしてアーテルは、自分が異物だと理解している。俺も、いつも弾かれる側だったから、多分その気持ちは良くわかる。
俺が黙ると、アーテルが首を伸ばして俺を見下ろして来た。金色の猫の目が、暗いトンネルの中で僅かに光る。
「ホテル・アルニカのオーナーも、同じく学園を追放されている。ただ、理事の立場で追放されたから、卒業生としての記録は残っているかもしれない」
「オーナーか……」
あのオーナーに頭を下げて頼むのは癪だが、彼も一応志の高い魔術師で、モベドスは魔術の研究機関の最高峰だ。俺が魔術を学びたいと言えば、一筆書くくらいの労力は裂いてくれるだろう。
「リコリス様が、そのように言っていた」
「ありがとう。頼んでみる」
「リュリスの日記は、何が書いてあると思う?」
その口ぶりでは、アーテルもリュリスが書いていた日記が誰にも読めない文字だと知っているらしい。何だろうなと俺は誤魔化してアーテルを頭の上から下した。
夜の9thストリートは、ガラの悪い魔術師が通りをうろついている。まさか勇者の俺が絡まれることはないだろうが、足早に通り過ぎてホテル・アルニカに向かった。中に入ってオーナーの姿を探したが、分身が掃除をしているだけで本体がいない。
俺がホテルの中をうろうろしていればすぐに姿を現すだろう。オーナーを待つついでに、スウィートルームに行ってカナタの様子を見に行った。
ノックをしても中から返事が無いから、まさか死んでないだろうなと心配になって部屋の中を覗く。
室内の壁には、前と変わらずリリーナお手製のコスプレ衣装が掛けてあった。
ミニスカートの制服、原色の魔法少女の衣装、胸と尻しか隠す気のないエプロン。前見た時とバリエーションが違う。
もしかして、防虫とか防カビとかの手入れのために時々干しているのか。そんな手間を掛けさせるくらいなら、全部リリーナに引き取らせるのに。
「生きてるよ」
部屋の中にいたカナタは、ソファーに転がったまま動かなかった。頭の布を外しているから、鉱物に変わっている顔の様子が全て見える。
口の辺りはこの前会った時から進んでいない。話す分には問題なさそうだが、代わりに顔の右側にも変化が進んでいた。
「なんかさぁ、目が霞んで文字が見えないんだ。本も読めないから暇で暇で」
ソファーに寝転んだまま、カナタが右目を擦って説明した。
多分、俺が相当哀れんだ顔をしてしまったからだ。それを誤魔化すために、俺はバーカウンターを向いてカナタに背を向けた。ゼロ番街で買わされたボトルを土産代わりに並べて、きっと慰めにもならない事を言い訳のように言う。
「大丈夫だ。俺は魔術の最高峰の学園に行ってくる。治す方法もきっと見つかる」
「別に、どうでもいいんだけど」
カナタが心の底から無関心に言って、ソファーの上で寝返りを打ってうつ伏せになった。半分以上鉱物に変わった顔で、寝心地が悪そうに腕に顔を埋める。
「オーナーだって言ってただろ。イナムは、死んでも構わない人間だって。元々この世界の人間じゃないんだから」
「あのオーナーは、考え方が特殊なんだ」
「そうは思わないけどさぁ……」
カナタは俺を見上げて、固く変化し始めている唇を僅かに開けて欠伸を漏らした。このままだとすぐに食事ができなくなるか、話せなくなる。
栄養を取る方法は他にいくらでもあるが、そうまでしてカナタが生きようとはしないだろう。
「僕は、この世界で親が死んでも友達が殺されても、何とも思わなかった。そんなことよりも、お米食べたいけどこの世界にはあるのかなとか、結局見なかったんだからドラマのBlu-rayボックスなんて買わなきゃよかったとか、そんな事ばっかり考えてた」
拉麺ならある、と言って話を反らそうとしたが、カナタはソファーで寝転んだまま、俺よりも幾分か長い異世界転生人生を語るのを止めなかった。
「この世界の両親は良い人だった。あの国でも子供を飢えさせないように死ぬまで働いてくれたし。友達だって、僕の居場所を吐かないと殺すって脅されても、黙ったまま死んでくれた。この世界の人間は皆本気で生きてる。本気になれない僕が悪いんだ」
出会って早々の俺に身の上暴露話をするとは。しかし、俺を信用しているとか頼っているとかではなく、カナタにとってこの人生は本当にどうでもいい些細な事なんだろう。
「つまりさ、人生の延長戦のつもりで生きてる奴は要らないんだよ」
「元気そうで何よりだ」
俺はそれだけ言って部屋を出た。
その中で、ベンチに凭れて動かずにいる魔術師を見つけて、一か八か声を掛ける。
「これにサインをしてくれないか?」
ぼんやりと顔を上げた魔術師は、何度か会ったことがあるカルムだ。しかし、そろそろ営業時間だというのに半分寝ている顔をしているし、昼間なのに酒臭い。カルムは伺書を受け取ったが、妙に座った目で上下逆さまに書類を眺めている。
「そいつは、あの学園の出身ではないぞ」
ついさっき、店にボトルを入れる約束でサインをお願いした魔術師のニパスが声をかけてくる。
ニパスは学園で専攻した白魔術式を延々と語ってくれたが、アーテルと同じく学園を追放されているらしくサインは掻き消えてしまった。
「そうなのか?」
こんなに優秀なのに、と言いそうになったが、それはカルムにも学園にも失礼な気がして寸前で飲み込む。
ニパスは俺の言いかけたことに気付いたのか、一瞬ムッとした顔をしたが、すぐにさっきまで魔術を語っていた余裕の表情に戻る。
「こいつは、コレだからな」
ニパスはカルムを嘲るようにそう言って、親指と人差し指を伸ばしてLの形にした右手を腰の辺りに示す。
俺は知らないけれど、アムジュネマニスの魔術師が魔術師を差別する時に使う仕草だ。流民を差別する分かりやすい魔術師は珍しくないが、魔術師同士でも色々あるらしい。
俺は余計なことを頼んでしまったとカルムに謝罪しようとしたが、カルムは俺に伺書を返すとまたベンチに突っ伏して寝直してしまった。重度のハーブ中毒と聞いていたが、この様子だとまずアルコール中毒と診断されるような気がする。
ニパスの自慢話が再開する前に、他にサインをしてくれそうな魔術師を探すために街の奥に向かった。
+++++
ゼロ番街が忙しくなる夜になり、俺は大人しく市内に戻るトンネルを進んでいた。
あと2人。楽勝だと思っていただけにダメージが大きい。
市内には観光客の魔術師が沢山いるから、モベドス卒もいるかもしれない。こうなったら手あたり次第に頼んでみるか。
そう考えながら暗いトンネルを歩いていると、突然頭がずしりと重くなった。
鼻先に黒い毛むくじゃらの細長い物が触れているから、どこかの影から出て来たアーテルが俺の頭の上に乗っているらしい。
俺の頭の上でも身動ぎして、ちょうどいい体制を見つけたのか毛繕いを始めていた。
「リュリスの日記を見に行くのか?」
「……どうしてそう思うんだ?」
「貴様もリュリスと同じイナムなんだろう?」
どうして知ってるんだ、と尋ねようとしたが、ずっとリコリスの影に住んでいるなら俺がリコリスとリュリスの話をした時も聞いていたのだろう。
下手に能力があるストーカーは始末に負えない。ニーアもだいぶアレだと思っていたが、まだ理性がある方だ。顔の皮を剥いで四六時中足元に潜むなんて真似はしないだろう。
「リコリスの影に住むっていうのは、本人に許可は取っているのか?」
「学園か……懐かしいな、リリーナは変わらずうるさかったが、今よりもリコリス様の御近くにいられたような気がする」
黒猫は俺の問いには答えない。この様子だと許可を取っていないらしい。
しかし、リコリスが自分の影に隠れられてそのままにしているなら、リリーナとは相性が悪いにしてもアーテルが3姉妹の友人なのは確からしい。
「あの3人は、どうだった?」
俺が尋ねると、黒い尻尾が戸惑うようにふらふらと俺の目の前で揺れた。
「仲の良い姉妹だった。でもリュリスは、時々それを怖がるみたいに離れたがって、その時だけ私が代わりに隣にいれたんだ」
「そうか」
「理解に苦しむな。私はずっと1人だったから、当たり前に一緒にいられる3人が羨ましかったのに」
「そうだよな」
あの3人は他の人間が入れないくらい仲の良い姉妹で、綺麗な円のように閉じた関係だったんだろうと思う。
リリーナがアーテルを邪魔だと怒っているのも、姉を取られると不安になっているのではなくて3姉妹で完結した世界に余所者が入って来るのが嫌なんだうとわかった。
そしてアーテルは、自分が異物だと理解している。俺も、いつも弾かれる側だったから、多分その気持ちは良くわかる。
俺が黙ると、アーテルが首を伸ばして俺を見下ろして来た。金色の猫の目が、暗いトンネルの中で僅かに光る。
「ホテル・アルニカのオーナーも、同じく学園を追放されている。ただ、理事の立場で追放されたから、卒業生としての記録は残っているかもしれない」
「オーナーか……」
あのオーナーに頭を下げて頼むのは癪だが、彼も一応志の高い魔術師で、モベドスは魔術の研究機関の最高峰だ。俺が魔術を学びたいと言えば、一筆書くくらいの労力は裂いてくれるだろう。
「リコリス様が、そのように言っていた」
「ありがとう。頼んでみる」
「リュリスの日記は、何が書いてあると思う?」
その口ぶりでは、アーテルもリュリスが書いていた日記が誰にも読めない文字だと知っているらしい。何だろうなと俺は誤魔化してアーテルを頭の上から下した。
夜の9thストリートは、ガラの悪い魔術師が通りをうろついている。まさか勇者の俺が絡まれることはないだろうが、足早に通り過ぎてホテル・アルニカに向かった。中に入ってオーナーの姿を探したが、分身が掃除をしているだけで本体がいない。
俺がホテルの中をうろうろしていればすぐに姿を現すだろう。オーナーを待つついでに、スウィートルームに行ってカナタの様子を見に行った。
ノックをしても中から返事が無いから、まさか死んでないだろうなと心配になって部屋の中を覗く。
室内の壁には、前と変わらずリリーナお手製のコスプレ衣装が掛けてあった。
ミニスカートの制服、原色の魔法少女の衣装、胸と尻しか隠す気のないエプロン。前見た時とバリエーションが違う。
もしかして、防虫とか防カビとかの手入れのために時々干しているのか。そんな手間を掛けさせるくらいなら、全部リリーナに引き取らせるのに。
「生きてるよ」
部屋の中にいたカナタは、ソファーに転がったまま動かなかった。頭の布を外しているから、鉱物に変わっている顔の様子が全て見える。
口の辺りはこの前会った時から進んでいない。話す分には問題なさそうだが、代わりに顔の右側にも変化が進んでいた。
「なんかさぁ、目が霞んで文字が見えないんだ。本も読めないから暇で暇で」
ソファーに寝転んだまま、カナタが右目を擦って説明した。
多分、俺が相当哀れんだ顔をしてしまったからだ。それを誤魔化すために、俺はバーカウンターを向いてカナタに背を向けた。ゼロ番街で買わされたボトルを土産代わりに並べて、きっと慰めにもならない事を言い訳のように言う。
「大丈夫だ。俺は魔術の最高峰の学園に行ってくる。治す方法もきっと見つかる」
「別に、どうでもいいんだけど」
カナタが心の底から無関心に言って、ソファーの上で寝返りを打ってうつ伏せになった。半分以上鉱物に変わった顔で、寝心地が悪そうに腕に顔を埋める。
「オーナーだって言ってただろ。イナムは、死んでも構わない人間だって。元々この世界の人間じゃないんだから」
「あのオーナーは、考え方が特殊なんだ」
「そうは思わないけどさぁ……」
カナタは俺を見上げて、固く変化し始めている唇を僅かに開けて欠伸を漏らした。このままだとすぐに食事ができなくなるか、話せなくなる。
栄養を取る方法は他にいくらでもあるが、そうまでしてカナタが生きようとはしないだろう。
「僕は、この世界で親が死んでも友達が殺されても、何とも思わなかった。そんなことよりも、お米食べたいけどこの世界にはあるのかなとか、結局見なかったんだからドラマのBlu-rayボックスなんて買わなきゃよかったとか、そんな事ばっかり考えてた」
拉麺ならある、と言って話を反らそうとしたが、カナタはソファーで寝転んだまま、俺よりも幾分か長い異世界転生人生を語るのを止めなかった。
「この世界の両親は良い人だった。あの国でも子供を飢えさせないように死ぬまで働いてくれたし。友達だって、僕の居場所を吐かないと殺すって脅されても、黙ったまま死んでくれた。この世界の人間は皆本気で生きてる。本気になれない僕が悪いんだ」
出会って早々の俺に身の上暴露話をするとは。しかし、俺を信用しているとか頼っているとかではなく、カナタにとってこの人生は本当にどうでもいい些細な事なんだろう。
「つまりさ、人生の延長戦のつもりで生きてる奴は要らないんだよ」
「元気そうで何よりだ」
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