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第34話 勇者、国政に携わる

~5~

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 この世には、平穏に生きて行くためには避けるべきものが3つある。
 アムジュネマニスの魔術師、祖の国ディス・マウト。そして、ヴィルドルクの勇者。
 この3つを恐る訳は強大な力でも崇高な魔術でもない。唯一共通しているのは、一度軽んじられたら徹底的に相手を叩き潰す恐ろしい程の傲慢さだ。


 国境を越えようとしている。
 気付くと同時に、リリーナもその場に出現していた。
 ホーリアからオルドグに続くヴィルドルク北部の国境付近には、簡単な禁止魔術をかけていた。それ自体は魔術を齧った者なら少し時間を掛ければ解除できるものだ。
 しかし、一歩国内に侵入すると、地面を覆い尽くす程のリリーナの分身と、編み目のような俺の防御魔術で厳戒態勢を敷いている。
 どんな理由があれ、国境越えた瞬間からこの国の敵だ。
 魔術がぶつかり合って稲妻が弾けるような音が何度か響く。すぐに決着が付いて、リリーナの魔術で侵入者は地面に縫い付けられていた。

「何をしに来た?」

 俺が尋ねても、悔しそうに見上げてくるだけで返事はない。
 今の俺とそう変わらない年齢らしい若い男だ。軍服を着ていないし、他に仲間がいる気配はない。
 単なる一般人が迷い込んできたと見逃せたら俺も楽だ。
 しかし、国境の禁止魔術を解除して来たということは、ある程度は魔術が使える人間。つまり魔術による攻撃手段を持っている。だから、この国を守るために排除すべき敵である。

「どうして侵入したのか、理由を教えてくれないか?」

 もう一度尋ねたけれど、どうせこいつの処遇は変わらない。時間をかけるか、すぐ終わるかの違いだ。
 本人もそれがわかっているのか、無言のまま俺を睨み付けていた。

「そうか。話したくなったら答えてくれ」

 透視魔術で記憶を読んだが、強力な妨害魔術で阻まれる。これだけ強い魔術をかけながら正気を保っているということは、こいつはそれなりに力のある魔術師らしい。
 妨害魔術をまともに解いていると日が暮れてしまう。だから、こういう時は、分割して調べると決まっている。
 まずは眼球を取り出してみる。レンズを通して見た物を読み取れないかと試したが、妨害魔術で術をかけようとした途端に燃え尽きてしまった。
 次は鼓膜を調べて、得た音が再現できないかと試してみる。しかし、この魔術をかけられることを予期してか記録を残さないように元から破かれていた。
 気が進まないけれど、頭の中を調べてみる。一番面倒だが、持ち主が生きている間は何か情報は得られるだろう。
 極細の蔦を絡ませるように、脳の中に入り込む。少しずつ水を吸い込むように記憶が流れ込んできた。
 一番古い記憶だ。幼い女の子、並んだ古い家、白い花畑、黒い首飾り。
 どこかで見たことがある、と気付いた瞬間に限界が来た。
 養成校の事務局に連絡をして動かなくなった侵入者を送る。

「何もわからなかったんでしょ」

 リリーナに投げやりに言われて、俺は答えなかった。
 少なくともオルトー連合国の人間ではないとわかったし、無為に終わったとしても侵入者を退治した勇者の行為は正しいものだ。

「ただの迷子だったりしてね」

 戦争に飽きているリリーナがつまらなそうに言う。
 リリーナのやる気が無いのはいつものことだとしても、俺の仕事の意欲まで削ぐのは部下としていただけない。リリーナに苦言を呈そうとしたとき、耳に付けた通信機からオグオンの声が聞こえて来た。
 事務室に連絡した時に繋げたままで、勇者の通信機に共有されている臨時議会の音声が流れて来る。
 暇な勇者がラジオ代わりに聞き流しているが、わざわざ大臣が17人全員集まって国外にいるオグオンも分身を使って参加している。
 戦地から魔術を使っているからオグオンの声はプツプツとノイズが混ざっていたが、言葉ははっきりと聞き取れた。

『これより、ヒュレイス城塞より先に進む』

「それは……」

 それを聞いて、俺は思わず声に出してしまった。
 オグオンが通信機を起動させた所で、俺の声がオグオンの通信機を通じて議会に聞こえてしまう。
 一介の勇者の俺が議会で発言する権利など無いから黙ろうとしたが、オグオンがわざと通信をそのままにしているから言葉を続けてしまう。

「それは、止めた方がいいのでは?」

 ヒュレイス城塞より西の地域はオルトー連合国に統合する間にはベヤズネグルという国だった。
 旧ベヤズネグル国は高等な魔術教育で知られていて、その一帯は今でもアムジュネマニスに次ぐ魔力を有している。その地域の人間は全員魔術が使えるから、全員が魔術で武装していて攻撃の手段を持っている、という理論が通じてしまう。
 大臣たちもそれが分かっているから、表立って反対しないものの難しそうに唸っていた。

『それは一方的な虐殺になる。交渉の余地はないのか?幸い国内の主要都市にまだ被害は出ていないだろう』

 温厚な西部担当大臣がオグオンに柔らかく尋ねたが、オグオンは厳しく返した。

『言葉に気を付けていただきたい。我等が行っているのは虐殺などではなく、世界の理に反しようとするオルトー連合国の統治であり、世界と、そしてディス・マウトの平和維持のために行っている』

 オグオンの言葉にその通りと賛同したのは、農業担当と経済担当の大臣だ。既にオルトー連合国全土がヴィルドルクの国土になった事を想定して土地の開発計画が進められているから、さっさと終わってくれないかと算盤を弾いて今か今かと待っているのだろう。

『しかし、心証が悪いだろう。反対するつもりはないが、国民の意識というものがある』

 負けずに言ったのは貴族選出のヒラリオン大臣だった。
 貴族たちも奇特な平和主義者以外は戦争に賛成していた。しかし、勇者嫌いのヒラリオン大臣は形だけでもオグオンに反対したいのだろう。

『つまり、首都が攻撃されれば考える、と?』

 オグオンの言葉にヒラリオン大臣が『それは、まあ……』と濁した返事をする。

『なるほど』

 オグオンはそう言って言葉を止めた。僅かな沈黙が合図だと気付いて、俺は首都の防御魔術の術式を書き替える。
 直後に、通信機越しに遠くの方で爆発音が聞こえる。
 大臣たちも何事かとざわついたが、オグオンは冷静なまま通信機で届いた事務室からの連絡を聞いて頷いた。

『首都の外れにある養成校の防御魔術が越えられた。このままでは街中が攻撃されるのも時間の問題だ』

『随分、タイミングがいいものだな……』

『生徒が出払っていて養成校は無人になっている。人がいない所の防御魔術が手薄になるのは当然だろう』

 オグオンは何も気付いていないフリをして『ヒュレイス城塞より西の統治を進める』とだけ言って通信を切った。
 オグオンの分身が消えたのに気付いて大臣たちがやれやれと息を吐く。

 俺は首都の防御魔術を元に戻して、ついでに攻撃を受けて塔の一部が崩れた養成校の中を調べる。
 生徒たちは戦争に出向いているが、事務室の職員は残っているし、退魔の子のトルヴァルもいる。怪我人は出ていないか探したが、俺が調節をしたから外壁が壊れただけで中まで被害は及んでいなかった。
 校舎をすぐに修理したいところだが、オグオンに指示されていない。国内にも被害があったとアピールするために戦争が終わるまでそのままにしておけということだ。
 オグオンは、これがこの戦争の最初で最後の被害にするつもりだ。
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